粉川哲夫の「雑日記」

Polymorphous Space   ●「シネマノート」   ●ラジオアート   ●送信機・テクノロジー・本ほか   ●「ツイッチャン」   ●最初の「雑日記」(1999年)   ●「雑日記」全目次 (1999〜2020)
2020/03/23

ヒキコモリからHikikomoriへ

Coronavirus-Social-Distancing

先日、フランスのジャーナリストからメールで「ヒキコモリ」についてのコメントを求められた。Covid-19で事実上の「外出禁止」になり、家にヒキコモルしかないということは、いまや全世界がHikikomoriにならざるをえない状態になったのではないかというわけだ。

たまたまわたしが、三田格さんとメールのやり取りだけで作った『無縁のメディア』(2013年、Pヴァイン)の冒頭でヒキコモリについて論じているので、それを誰かから聞いて連絡してきたらしい。

いつもそうだが、自分で書いたことをすぐに忘れる。歳のせいもあるが、もともと無責任なのだ。あわてて再読してみたら、けっこういいことを言っていて、いまの時点で訂正することはない。(この本は売れなかったので、読んだひとも少ないだろうから、あとでそのページを掲載しておこう。)

面白いのは、Hikikomori状態になっているいまのフランスで、ラジオが急に活気づいていることだ。一昨年あたりから自由ラジオ(ラジオリーブル)30周年ということで新しい動きが出てきたが、今回、Covid-19でネットラジオが熱気をおびている。

そのうち、ラジオアートで面白いことをやっている連中のハブとなっているのが「パイノード」Π-node (P-nodeまたはPi-node)というネットワークである。→URL

わたしも、日本時間の3月27日午前4時から5時まで、Knut AufermannとSara Washingtonと3人でストリーミングのコラボをやる。タイトルは、いま体制がおすすめの "Social Distancing" に抗して、"De-Distancing"(脱距離化)とした。

それにしても、いまフランスでもドイツでもむろんイタリアやスペインでも、そしてアメリカでも、レストランやバーにも行けない状況が進んでいるのに対して、日本では、それが嘘のような雰囲気だ。さきほど、街にメシを食いに出かけたが、ほとんどのレストランがけっこう賑わっていた。ドイツでは、明日から2人以上の人間が集まることが禁止されるという。

2020/03/17

バルセロナ 立ち入り禁止

知り合いのメールでは、バルセロナも今月一杯、食品マーケット以外には「立ち入り禁止」令が出ているとのこと。

日本では、まだ「大丈夫、大丈夫」雰囲気だが、ホントにそうなのかね? 急に「ヤバイ」と言われても困るじゃないか?

しかし、福島のときもそうだったが、逃げる気はない。だって、どこも行くとこないからね。

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2020/03/16

インフルとは比較にならない死亡率

「インフルエンザじゃ、年間何万人も死んでるんだから、それにくらべればコロナの死亡率はひくい」なんてトランプは言ったけど、もうそんな段階ではないらしい。
現状況データ

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coronavirus-testing-center-in-New-Rochelle
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2020/03/15

Covid-19(新コロナウィルス)への17歳の示唆

Avi_Schiffmann-Amy_Goodman.png

ハリウッド映画が面白くないから、かわりに大統領選挙の前哨戦をながめてきたが、そろそろウォッチングをやめようと思う。

少しは新風を吹き込めると思ったブティジェッジは早々に撤退(身のかわしも速いや)し、サンダースへの民主党の反動派の工作が功を奏して(それにしてはサンダースは頑張っているし、若い支持層の増大は悦ばしい)ポンコツ爺さんのバイデンが「有力」候補になるという面白みのない状況。

これじゃ、トランプも笑っているだろう。トランプ側にダメージになるよほどのことが起こらないかぎり、バイデンじゃ勝てません。また、勝ったとしてもスリルのない政権が誕生し、トランプに対する以上の批判が続出するだろう。

しかし、トランプも笑ってはいられない状況が亢進している。Covid-19、新コロナウィルスの蔓延だ。

例によって、環境問題なんかでっち上げだというロジックで大様にかまえていたトランプも、事態が深刻になって、現地時間3月13日、非常事態宣言を発し、500億ドルの連邦政府予算(もとは国民の税金だ)をCovid-19対策に当てると発表した。

しかし、これは、トランプ一流のビジネス政治であることに注意する必要がある。民主党の要請で無料の検査費用にも当てられることを受け入れたものの、この予算の多くは有数の「大」製薬会社に渡る。新ヴァクチン開発という名のもとに新プロジェクトが生まれつつあるのを援助する面はあるとしても、この発表と同時に、その筋の製薬会社の株が(他は落ち込む一方なのに)ピーンと急上昇したことでもその裏がわかろうというもの。

1989年に出した『バベルの混乱』所収の「エイズと《伝染メディア》の終焉」でもすでに指摘したが、資本主義は疫病にならって育ち、生き延びてきた。Covid-19は、グロ−ヴァル資本主義のツケであると同時にその生き延び方の学習の試練を課している。それはおそらく、生き延びの道を見出し、情報資本主義のさらなる段階に達するのであろうが、そのほころびもまた徐々にあらわれている。

トランプの旧さは、それをカネで解決できると思っていることだ。反トランプの諸派も、基本はカネに期待を託している。しかし、Covid-19が示唆することは、カネでは解決できないということだ。

希望はないわけではない。Amy GoodmanのDemocrasy Nowの13日の放送で知ったのだが、シアトル近郊に住む17歳の少年アヴィ・シフマンは、昨年の12月のクリスマスの時期に「新コロナウィルス」の状況がひと目でわかるサイトを独力で立ち上げた。nCoV2019.liveである。

nCoV2019_20200315-jst
いまや3500万のアクセスに達したので、近々サイト名をおぼえやすいGermTracker.comに変えるるそうだが、これを政府なんかの情報ではなく、要所要所のデータをこまめに「ウエブ・スクラッピング」して作り、いまでも数分ごとに更新しているというのだから凄い。

詳細は、Democracy Nowのインタヴュー(転記文字付き)に譲るが、実は、こういうことこそ、パンデミックや疫病から学ぶべきことである。企業やトランプ主義者たちが資本主義の生き残りのために「学ぶ」のとは別の学習もあるわけだ。

彼らは、パンデミックが人々を孤立させ、ヒキコモリ状態に追い込むのを利用して、われわれを「テレワーク」に専念させようとする。ローカルに孤立させられ「孤島」に閉じ込められたわれわれを外部から都合のいいように使おうとする。それは、トランスローカリズムの動向のネガティブな応用にすぎない。

アヴィ・シフマンがやっていることは、Covid-19がもたらす孤立化を逆手に取り、彼のローカルな活動を他のローカルな活動に連動させ、そこからすべてを中心に集約させる旧い方向(それが「資本」=Capital・頭・主・中心+「主義・ism」である)を無効にする。

すでに、グレタ・トゥーンベリ(Greta Thunberg)は、Covid-19の危機を逆手に取る「デジタル・ストライキ」を提案している。これは、フランスで展開している「黄色のヴェスト」運動のストライキが取るべき方向を鮮明にするはずだ。

もうジジイやババアは表舞台から消えるべきである。ヴィヴァ17歳!

2020/02/27

面白くなってきた

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現地時間2月26日夜、サウスカロライナで開かれた民主党のディベイトでバーニー・サンダースが破綻を見せなかったせいか、以後数時間のあいだに各メディアは一斉にサンダース批判を開始した。それも、ディベイトでの彼の意見に関する批判ではなく、彼が大統領になることを阻止しようとする明確な牽制であり、しかもそれらが、みな、これまでトランプ批判を続けてきたメディアであるところが面白い。サンダースとはそんなにあぶないひとなのか?

New York Timesは、すでに、ネヴァダの「勝利宣言」の直後、サンダースは、「大きなミスを犯している」という見出しで、これまでの大統領は、クリントンもG・W・ブッシュもオバマもトランプも、彼らを支持しない投票者にもアッピールしようとしたが、サンダースはしない、とい奥歯にものの挟まった記事を載せた。

MSNBCのChris Matthewsなんぞは、彼のホスト番組Hardballで、サンダースのネヴァダでの「勝利」を、1940年にナチ・ドイツがフランスを占領したときにたとえた。じいさん、なにを勘違いしたのという感じ。この場合、サンダースがヒトラーなのだが、サンダースがユダヤ人で、父親がポーランドからの移民であることを思うと、逆に笑える。

しかし、サンダースがユダヤ人であることにこだわる牽制も出始めている。FPは、もしサンダースが最初のユダヤ人大統領となったら、イスラエルの建設が違法であることを唱えるだろうと、イスラエル=ユダヤロビーを焚き付ける。フェア−ではないし、これはレイシズムだ。

先陣を切ってトランプ批判をしてきたWashington Postにいたっては、コラムニストのAlexandra Petriの記事で、「われわれはバーニー・サンダースを阻止しなければならない」と来た。いまサンダースを支持している連中は、2016年にトランプを阻止しなかった「阿呆たち」と同じことをやっていると言うのだ。トランプに投票した者を「阿呆」としかみなせないところがすでにジェーナリストとしてダメだ。

こんななかで、いちばん「まとも」な記事を載せているのがFOX Newsなのは、意味深である。Matt Londonは、サンダース支持の活動家Nomiki Konstへインタヴューし、「バーニー・サンダースの“民主社会主義”は本当にただのお社会主義なのか?」という記事をまとめている。

Nomiki Konstによれば、「共産主義と社会主義とは非常にちがうのであり、・・・バーニー・サンダースの社会主義は、ヨーロッパで“社会民主主義”という呼ばれたタイプのものであり、資本主義が存在しながら自己変革するために必要なものという認識だ」と言う。まあ、サンダースが大統領になっても、その程度のことしかできないだろうが、まあ「正論」である。

まだ上段を読んだだけだから、あとは本文を参照してほしい。→Is Bernie Sanders’ 'democratic socialism' really just socialism? By Matt London | Fox News

ちなみに、トランプは、サンダースの台頭を利用して反トランプ投票にばらつきを起こそうとしているから、彼の御用機関であるFOXは、サンダースを支持してその票数を増やそうと画策している気配がある。しかし、サンダーの支持は、前回のときとは桁も強度もちがう。甘く見ると、自業自得になるかもよ。

すでに競争相手のティジェッジがサンダース批判の伝家の宝刀のように振り回してきた意見として、サンダースの言う国民皆保険制度は、それを実現しようとすると50兆ドルの金がかかり、現実的ではないというのがある。

しかし、それについては、別の意見もある。科学週刊誌のThe Lacentによると、国民皆保険制度は、いまのまま何もしないよりも、年間6万8000人の死者を救い、年間4500億ドルをセイブすることが出来るという。最初からダメだダメだと言わないでやってみてもいいじゃないの?

こうした動きを見ていると、60年代、70年代のアメリカというのはどこへ行ったんだろうと思ってしまう。トランプに振り回されるよりも、「グリーン・ニューディール」(Green New Deal)を試してみるのもいいんじゃないか? 本当は「国家」という概念を捨ててほしいが、サンダースはそんなことはしないから心配しなくてい。

2020/02/24

流れが変わった

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現地時間2月22日のネヴァダ州での党員集会(Caucases)でバーニー・サンダースが圧倒的な勝利を収めた。目新しさでは新鮮なブティジェッジも、マルチレイシャルな人口や組合・活動家組織の力が強い地盤では歯が立たなかった。まだまだ先があるとしても、民主党の大統領候補はバーニーで行くしかないだろう。

ネヴァダでのまたしてももたもたした開票結果を待たずにテキサス州のサン・アントニオに飛んだバーニーは、そのあいだにおおよそはっきりした結果をおさえて熱烈な勝利宣言をした。テキサスでは3月3日に「予備選挙」がある。

こちらが、映画でも見るつもりで見物しているせいだろうが、彼の力強いスピーチを聴いていると、このまま彼がトランプを打ち倒して大統領に就任するのではないかという気になる。飽きっぽいが惚れっぽいわたしの悪い癖だ。→ABC Newsの記録動画参照

バーニーは、かたわらの夫人ジェーンの手を掲げ、「次期大統領夫人を紹介したい」と叫んだ。マリワナの合法化も宣言した。60年代から70年代のニューヨークでは(すくなくとも反国家主義者には)あたりまえと思われたことが彼の公約に次々と出てくるので楽しかった。そういえば、彼は、ブルックリン生まれのブルックリン育ちである。ブルックリンには、いまでもディープな「ラディカリズム」文化が残っている。

バーニーを敵視する者たちは、彼が目指しているのは「社会主義」や「共産主義」だと言うが、それはちがう。彼は、ラディカル民主主義をめざしているのだ。

いまさら「民主主義」なんてと思わなくもないが、国家というものが依然として残存しているかぎり、そのなかでもっとも犠牲を少なくする統治形態としては民主主義しかないだろう。しかし、擬制の「民主主義」はお断りだ。

いまの時代、もう、ラディカルな民主主義の実験なんて出来るのは、アメリカぐらいしかない。しかし、アメリカの場合は、すでに映画や演劇の世界でやってきたことを国家規模でやればいい。実のところ、トランプはすでにそれをやっている。ただし、その方向が「反民主主義」つまりはトノサマ「時代劇」なのだ。

バーニー・サンダースは、歳も歳(78歳)だし、ドナルド・トランプにくらべて役不足だと思っていたが、サン・アントニオでの「勝利宣言」を見て、うん、けっこういけるじゃないかと思ったのである。そのスタイルは、あいかわらず活動家の「集会」調だが、トランプのクソ威張り調よりははるかにいい。

バーニーは「タテ」のひとではなく、「ヨコ」のひとである。ひとむかしまえ、彼はケーブルチャンネルでインタヴュー番組を持っていた。メディアアクティヴィズムのひとでもあったのだ。 →参考

2020/02/11

アカデミー賞のローカルとグローバル  『パラサイト 半地下の家族』(ポン・ジュノ監督)が第92回アカデミー賞の作品賞を獲ったことがこれまでとちがうとすれば、それは、単にグローバルな評価(世界的な売上も含めて)のゆえに受賞するといったこれまでのパターンが幾分変わったことだろう。この映画は、世界の各地で小まめな根回しに努め、ローカルなマスメディアの露出度を高め、数々の賞を獲り、トランスローカルな印象を定着させてきた。アカデミー賞の場合、その候補作の映像的・演出的な質をいくら分析しても受賞作は予測できない。だから、この映画が賞賛されるべきは、単にその作品であるよりも、韓国映画業界がいまいかにトランスローカルなマネージメント力をつけているかなのだ。ただし、そういう動きとプロセスはアカデミー賞の候補・受賞過程でおもてに出るわけではないので、わたしは、アカデミー賞の「予測」よりも、大統領選の「追っかけ」のほうが面白いと思うのだ。

2020/02/11

ブティジェッジとハリウッド  ブティジェッジはハリウッドの映画人に受けがいいらしい。すでに彼は、2019年の時点でハリウッドの映画人から64万ドルの献金集めた。献金者のなかには、『タイタニック』のプロデューサーのジョン・ランドー、シャロン・ストーン、グウィネス・パルトロウ、キャンディス・バーゲン、『野性の呼び声』のブラッドリー・ウィットフォード、『マザーズ・デイ』のジェニファー・アニストンなどの名がある。この情報は、大統領候補に立候補しているマイケル・ブルームバークのメディア Bloomberg Politicsによるものだが、当のご本人はどうなんだろう?

2020/02/10

気まぐれが好き

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例年だと、アカデミー賞の話題にページをさく時期だが、今年は全くその気にならない。それは、トランプ弾劾裁判以後、裁判結果とは無関係に民主党の党大会の「異変」が起き、またぞろ、アメリカの政治舞台がまた面白くなってきたからである。

アメリカの面白さは、「気まぐれ」度が高いことだ。都市に「気まぐれ」があふれているのはどこもそうだとしても、「気まぐれ」度の低い地方に対しては、国を挙げての衝撃的な事件が起ったりして、のんびりしていることを許さない。これは、ひとをつなぐ関係自体の構造が「気まぐれ」で動くように出来ているからだ。

いま現在、急に浮上したのは、民主党の大統領候補のピート・ブティジェッジ (Pete Buttigieg) だ。それも、2月3日の党大会の、党員が選ぶ指名選挙でトップにおどり出てからである。有力視されていたバーニー・サンダースを僅差ながら破ったことが彼の人気を押し上げた。11日のニューハンプシャーの大会に先立つディベイトでは、すでにスターの雰囲気を発散するようになったのだから、面白い。

そういうアメリカの「気まぐれ」を煽るのはマスメディアで、実のところ、トランプも、そういう「気まぐれ」の構造のなかから生まれたのだった。にもかかわらずトランプがマスメディアの「敵」(所詮は映画の「悪役」みたいなもの)になっているのは、トランプが「気まぐれ」以前だからだろう。報道では、しばしば、トランプは気まぐれで信用できない・・・無責任すぎると批判されるが、それは、彼の気まぐれが自分だけにしか通用しないもので、相手の気まぐれに共振しない/できないからにすぎない。

弾劾裁判は「気まぐれ」中の「気まぐれ」イベントであったが、そのなかではほとんど注目すべき「気まぐれ」は生まれなかった。熱烈に「正論」を称えたアダム・シフとヴァル・デミングスのパフォーマンスはなかなか面白く、トランプの弾劾には成功しなくても、二人がマスコミの「気まぐれ」のスポットライトを浴びて新たなスターになるのではないかと思ったが、ニューハンプシャーでたちまち状況が変わった。アメリカらしい。

ちなみに、日本は忘れたフリをすることによって「気まぐれ」度を維持する。何も変わらない代わりに、事実の忘却度が「気まぐれ」なのだ。ああ、これはちょっとトランプに似ているかも。

ブティジェッジは、この数日のあいだに急速にマスメディアの話題になったが、マスメディアは彼のファミリーネームをどう発音してよいのかとまどっている。日本ではとりあえず「ブティジェッジ」と表記しているが、現地での発音とは違う。どう発音するかを教えるサイトがいくつも登場し、しかもそのどれもが同じではないのだから「気まぐれ」だ。(2)のラップ調のサイトは、すこしまえに作られているから、彼の宣伝隊のものか?

参考→(1)  (2)  (3)

アイオワではブティジェッジがゲイと知らずに投票したひともいたそうだが、せっかく黒人の大統領を出したのだから、このへんでゲイの大統領を選ぶのが、「気まぐれ」なアメリカとしては一番まっとうだ。もう女性大統領の時代ではない。本当はAI大統領が状況にかなっているし、大統領の仕事はAIのほうがまともにこなせるけど。

党大会はまだ続くが、他の候補の追従を許さぬ高額の選挙資金を投入した元ニューヨーク市長のマイケル・ブルームバーグのように、大会には出ずに(15日のネヴァダからは出るのかな?)選挙活動を続ける大統領候補もいる。要は、民主党が最終的に誰を選出するかだ。

もう党の時代ではなく、民主党もいささか疲れ気味なので、またばかな選択(たとえば困った爺さん化したジョー・バイデン、元気ではあるがとても両党のバランスは取れないバーニー・サンダース、批判は鋭いが一本調子のエリザベス・ウォーレン)に陥るかもしれないが、この2、3日の勢いだとブティジェッジがますますメディアのカバレッジを増やしていくことは確実だ。「気まぐれ」ウォチャーのわたしには楽しみだ。

2020/02/01

49対51の現実  いま日本時間の7:42am。3amから弾劾裁判の最終票決にいたる過程(PBS)を視聴していた。で、トランプのウクライナ疑惑に関する証人と記録の召喚をするかしないかの賛否を票決し、賛成49、反対51の僅差で証人も記録も裁判の場に召喚されないことになった。すべては闇に葬られたわけだ。これがアメリカの現実である。ハプニングはもう起こらない国、ドリームのない国。結局、この裁判は、近づく大統領選のために民主・共和の両党の議員が自己宣伝をする場でしかなかった。

2020/01/30

現実の不可解さ   いま3:52am。すでに質疑は始まっている。議員の質問は、紙に書いたものを「裁判長」が代読する形式。しかし、トランプの弁護側は、「憲法」と「民主主義」の原則(!?)を念仏のように繰り返すだけで、まったく冴えない。とはいえ、トランプとヒラリー・クリントンとのディベイトでトランプが冴えなかったことが明々白々でも結果は逆になるというのがアメリカの現実であることを思うと、この裁判を見ただけではボルトンの証人喚問に行き着けるかはわからない。

2020/01/30

いよいよ対決  いま日本時間1月30日の午前2時49分。弾劾裁判の開始の「祈り」の儀式が始まった。すべてはキリスト教の神のまえで裁かれるということはともかく、今日は、「検事」側と「弁護」側に対して議員側から質問が行われる。ハプニングと混乱を期待しよう。
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2020/01/29

盗人たけだけしい  トランプ弁護団の最終陳述の日。また見ている。パット・シポローネ(Pat Cipolone)がトランプに対する弾劾は「憲法違反」だと言う。憲法を無視する大統領を守るのに「憲法違反」を使うか、と呆れる。この弾劾裁判は民主・共和の両党の次大統領選への利害で動いているのは当然だが、それを外れる要素が出てきてしまうのがアメリカの裁判の面白さ。わたしは、アメリカの政治情勢になんか関心がないが、あらゆる《ハプニング》と《創発》に関心がある。その意味で、T弁護団の論調は、「ボルトン文書」で一変した。また明日が楽しみ。

2020/01/28

こりゃダメだ  予想通り弁護団の陳述はサエなかった。まだ続いているが、かつてクリントン弾劾裁判で彼を救った「功績」があるとされる「大物弁護士」ケン・スター(Ken Starr)がひどかった。歳は取りたくない。もし、これで共和党が惰性で多数決を決め込むなら、アメリカに未来はない。

2020/01/28

やっぱり面白くなった  ニューヨーク・タイムズが、トランプに見切りをつけて国家安全保障担当補佐官を辞めたジョン・ボルトンの新著の草稿のレジュメを発表したことによって、トランプ弁護団は危機に立たされた。いま、日本時間の午前3時まえ。これから始まる弾劾裁判のセッションが見もの。
Washington Post  PBS 

2020/01/26

弾劾裁判5回目スタート  日本時間の26日0時すぎ、弁護側のプレゼンが始まった。冒頭でイントロを述べたパット・シポローネ(Pat Cipollone)の基調は、これまでなされた24時間に及ぶ弁論には「証拠がない」というもの。「知らない」はトランプの基本路線だから、きわめてマットウな手口。トランプを推す共和党は鍵を握る人物(最重要はジョン・ボルトン)の証言を押さえ込み、この路線を補強する。はたして27日まで続くプロセスでこの路線が瓦解する何かが起こるかどうか? 楽しみである。

2020/01/25

トランプの流儀  Jill Grantというひとが洒落た答を書いていた。質問は、「トランプはジュリアーニを裏切ったのか?」。ジュリアーニは、ニューヨーク市長時代からトランプをサポートし、つるんで来た人物。トランプは彼を私設弁護士に雇って、弾劾裁判を回避するつもりだったが、ここへ来てジュリア−ニへの批判が高まっている。あたりまえである。警備会社とのコネを肥やすためにメキシコの壁プランを推し進めた黒幕でもある。さて、答えは、トランプはじきにこう言うのではないのというもの――「奴のことは知らなかったな。何度か会っただけで、そのときはOKだったんだ。奴が何をしようと、てめえの問題さ」。これは、かつてスティーヴ・バノンを捨てたときに言ったセリフである。

2020/01/25

明日が楽しみ  弾劾裁判の4回目の放送を見ている。いま、米東部時間の5pmまえ(日本時間の7amまえ)だが、訴追委員(HJouse Managers Resume Arguments Against President Trump)によるプレゼンが延々と続いている。面白いのは、予想に反し、委員たちのプレゼンが、(「ビデオを多用し、まるでテレビショウじゃないか」という批判もあるが)視聴者を惹きつけている点だ。共和党員にも惹かれたのがいるとか。メディア論的に考えるとき、いまは小事に頓着するスマホ時代であって、トランプ的なハッタリはすでに時代遅れになっている。今度の弾劾裁判は、クリントンのときとは違う結果をもたらすかもしれない。

2020/01/23

米弾劾裁判2回目  そろそろ寝るが、また今日も実況をみている。いまはabcのYouTube LIVE。日本時間の午前8時をすぎた。 これまでのところでは、昨日同様、ヴァル.デミングス(Val Demings)の弾劾弁論が一番冴えていたね。彼女は、昨年の下院情報委員会でも鋭い質問で、突出していた。→参考

2020/01/22

ラファルグの予見  米弾劾裁判のライブは、「働き者」(「労働」中毒者)の話ばかりでつまらないので、聴きながら落書をする。ラファルグに触れたが、彼は、「余暇」やレジャーの薦めを説いているからダメだなんて論者がいたが、とんでもない。彼は、AIがすべての労働を遂行するような事態の「怠惰」さについても言っていた。140年もまえにです。「資本主義のお偉い哲学者たちの頭は、最悪の奴隷身分である賃金制度の偏見にとらわれたままだ。機械というのは、人類の贖い(あがない)主であり、人間を“卑しき”業(わざ)と賃金労働から買い戻し、人間に自由と暇を与える《神》であるということが、奴らにはまだわかっていない。」(田淵普也訳『怠ける権利』、平凡社)。

2020/01/22

フランスの「ストライキ」ラジオ  弾劾裁判のライブを見ながら、ふと思い出した。昨年、手元に集まったフランスの「ストライキ」中の数多のラジオ局の音をL'acentraleのためにわたしのサイトに集め、いつでも聴くことが出来るようにしたことを書くのを忘れた。ストライキとは、闘いの手段ではなくて、ポール・ラファルグが言った「怠惰の権利」の実践である。ここに集めた音には警官隊との「闘争」の音もあるが、イリイチが言った「コンヴィヴィアル」な雰囲気がただよう「ダラけた」時間の流れも聴ける。これこそが、「ストライキ」の革命性なのだが。

2020/01/22

トランプ弾劾裁判  いま米東部時間の21日午前3時まえ。どうせなんの驚きもない裁判だと思いながらも、ついついLIVEを見始めている。一応、米史上3人目の大統領弾劾だからネット放送もライブだらけ。まあ、ある意味でのお祭りだ。CBSNを見始めたが、NBCのほうが音がいいので切り替えた。


2020/01/03

新年のなりゆき
Gilets-jaunes-propositions

儀礼や慣習を無視して生きていても、新年は、仕切り直しにいいチャンスだと思い、年の変わり目にやることを年末からあれこれ考えていた。この「雑日記」の新春第1回では、黄色いヴェストとストライキのことを書こう・・・。が、所詮は、なりゆきでしか生きられないので、そんな計画はたちまちどこかにすっとんでしまった。

きっかけは、ゴーン氏の脱出のニュースではない。31日に届いた1通のメールである。メキシコのFerというひとから、明らかにスマホからのメールで、わたしがデザインしたThe simplest FM radio transmitterを完成したので、つぎにThe simplest TV transmitter をつくりたいのだが、送信機の写真を送ってくれないかというのだった。

そこには、「電子回路の組み立てるのははじめてだし、回路のことが全然わからない」、「一体、同軸ケーブルってなんでしょうか、バッテリーはどうやってつなぐんですか」と書いてあり、一瞬、わたしは唖然とした。しかし、テレビ送信機を作る理由として、「ここメキシコではわたしたちの社会が壊れてしまっています。しかし、創造性とアートがそれを再構築するのを助けると信じます。たがいに信じあい、コミュニティのなかで社会をスタートできると思うのです」とあり、高邁(こうまい)な決断が書かれている。

昨年から、黄色のヴェスト運動がふたたり高揚するなかで、ラジオ局を立ち上げるので送信機の作りかたを知りたいといったメールが何通も届き、なるべくこまめに対応してきたが、その何パーセントが具体化したかどうかは、あやしいものだと思う。ものを作るには、実際の手仕事に耐える準備や条件が必要だ。わたしが発表しているマニュアルは、極力、 「修練」なるものを必要としないように説明しているが、それでも、指定通りの部品や道具がなければ、作るのは無理である。

Ferさんの場合、だからFMラジオ送信機のほうは作るのに成功したらしい。が、テレビの場合は、ちょっと事情がちがう。映像信号は音声信号ほど融通がきかない。それに、わたしがデザインした「もっとも簡単なTV送信機」というマニュアルは、映像送信のおもしろさを知る初歩体験をするためのもので、もしこの回路に実用性があるとすれば、ノイズだらけの(snowy)映像をつくって「アート」に使うというようなことしかできない。まあ、わたしはそれも面白いと思うし、そういう目的で作品を作ったアーティストもいる。 peter_goman_Fustigation _f_the_Heirophant

しかし、コミュニティに映像を流す「テレビ局」を作るのには向かない。

Ferさんが考えているのは、かならずしも「コミュニティテレビ」ではなさそうだが、あえて至近距離しか飛ばない送信機にこだわっているわたしの考えをはたして理解しているのか? そもそもメキシコは、すでに80年代の時点で、海賊テレビの宝庫だった。メキシコには、グラフィティともちつもたれつの関係で海賊テレビが増殖した時期があった。そういうノウハウは30年たってもどこかに蓄積されているはずだ。

だから最初の返事でわたしは、そもそも「The simplest TV transmitter」を作っても、それを受信するためには、一時代まえの「アナログテレビ」がなければダメだということを書いた。また、事実上、せいぜい飛んでも100メートル四方ぐらいしかカバーできないということも知らせた。これまでの場合、この返事で失望し、以後連絡が途絶する。しかし、Ferさんは、そうではなかった。

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年が替って元旦となった時間に届いたメールには、製作に成功したラジオ送信機の写真といっしょに、「一時代まえの」テレビ受像機の写真が添付されているではないか! しかも、そのテレビは、この種の実験には理想的な手動で連続的にチャンネルを変えられる方式のものだった。初めてにしては半田の付け方もしっかりしており、これなら、テレビ送信機へのチャレンジはうまくいくだろう。

そこで、わたしは早速、Ferさんの質問に即した「マニュアル」を作り、メールで送ることにした。同軸ケーブルなどは、かならずしも必要ではないが、一応その説明をありあわせの画像を組み合わせて解説した。そして、ひとつの意外な事実を知らせた。それは、わたしがデザインした「最もシンプルなFMラジオ送信機」は、実は、入力信号を映像信号に替えると、旧式のテレビ受像機ならば、ちゃんと(でもないがとにかく)映像が映ってしまうということである。

しかし、このことは、実際に示して見せなければわからないから、わざわざその「セット」を組み立てて、写真に撮り、Ferさんだけのための「マニュアル」を作った。日本時間の1月1日はこの作業で終わった。

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右は同軸ケーブルを使った最簡単なアンテナ。左はアナログテレビ受像機。至近距離で送信し、うまくいったら距離をのばしていく。

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トランジスター1石の「ラジオ」送信機にビデオカメラをつなぎ、その映像が受像機に映っている。国によって方式が異なるNTSCもPALも関係ない。小さくてもとても「アナキー」(国境を無視した)な送信機なのだ。

この事実は、「進んだ」デジタル式のテレビが、映像の質の高さを求めることを代償にして、その融通無碍な「なりゆき」まかせの柔軟さを捨てているということのあかしでもある。

いま、メキシコでも、かつてのテレビのアナログ帯は、デジタル映像にとってかわられ、砂漠地帯になっているという。これは、世界的な現象であるが、この「砂漠」こそ、いまのラジオアーティストが活動する絶好の場所でもある。「旧い」システムを使うからといって、旧い、旧態然としたことをやるわけではない。それを逆手にとって新しく、面白いことが出来るのだ。

今回、たまたま、1通のメールで久しぶりに「自由テレビ」の実験をすることになったが、これを機会に、今年は、ラジオよりもアナログ帯でのテレビ送信でなにかあたらしいことをやってみようかという気になった。が、「計画」には生きない発作主義のわたしのことだから、いつまで続くかはわからない。