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粉川哲夫の「雑日記」


ゲーテの予兆 (2019/01/14)

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カフカが流行ると弾圧が起き、ゲーテが流行ると革命が起きる、というのはわたしのこじつけだが、実際に、東欧で禁書とされていたカフカが解禁され、「プラハの春」運動が盛り上がると、ただちにソ連の弾圧が起こった。

Werther-Kleidung ゲーテの『若きヴェルテルの悩み』が1774年に刊行されると、これはドイツ国内においてだけでなく、ヨーロッパ全土でもベストセラーになった。やがて若者たちは、主人公の衣装をまねて、ブルーのフロックコートと黄色いチョッキを着用、そのなかにはヴェルテルをまねて自殺に走る者も出た。国によってはこの国際ベストセラーを禁書にしたところもあったらしいが、フランスではナポレオンも愛読したとゲーテに会ったときに語ったほど読まれたのである。

昨年、パリで「黄色いチョッキ ("gilets jaunes")」を着た若者たちの抗議デモが盛り上がっているというニュースを知ってすぐに思ったのはこのヴェルテル現象だった。

yellowvest02 1770年代のヨーロッパのヴェルテル現象は、1年後の「アメリカ革命」(独立戦争)を予兆し、さらには、15年後のフランス革命を予兆する。

そういうのを「予兆」と言っていいのかねぇとも言うひともいるだろうが、民衆の正義が通るのなら、それはそれでいいではないか。ただし、いま警官隊と抗争を繰り返しているひとたちが着ている「黄色いチョッキ」は、「黄色」といっても蛍光色の黄色であり、チョッキ(ヴェスト)といっても、おしゃれなチョッキではなく、作業着である。

まあ、このへんのディテールの差がこの予兆のいい加減さの決め手になるか、それとも、そんなディテールを無視して現実がこの予兆に向かうのかは、あたるも八卦、あたらずも八卦である。

映像:→ パリ→ ロンドン

(2019/01/14)

天皇とは誰か? (2019/01/01)

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年賀状はやめてしまったので、失礼しているが、ことしもらった年賀状のなかには「平成最後」とか「年号が替わる」といった表現が多かった。

やはり元号というものが気になるのですね。そういえば、昨年面白いと思ったのは、天皇制に批判的な姿勢を示していたひとたちのなかに、「生前退位」(「譲位」が正しいという意見もある)を発表した平成天皇に人格的(パーソナル)な親しみを感じ、むかしなら決して言わなかったようなことを言い始める現象を目にしたことだった。

が、天皇に人格(パーソナリティ)はあるのだろうか? それは、映画スターに人格はあるのかと問うのに似ており、多くの場合、観客の思い込みや想像の産物である。そして、実際にパーソナルな面を知っている者は、ほとんどそれを公表しないのである。

だから、天皇のパーソナリティに関しては、制度のなかのキャラクターとして見ることにとどめておくのがリーズナブルなことだろう。問題にするならば、ひととしての天皇ではなくて、制度としての天皇制のほうである。

実際、天皇は替わっても、天皇制は変わらないでいる。現に、平成天皇は、「異例」の「譲位」をするにもかかわらず、「上皇」という歴史的にしばらく空位であった地位が新たに呼び起こされ、天皇制の外には出られないのである。

こうした天皇制のしたたかさと閉鎖性に関しては、伊丹十三が、『日本世間噺大系』(文芸春秋、1976年)で「記録」している猪熊兼繁の以下の言葉で言い尽くされている。猪熊兼繁 (1902~1979) は、京都大学教授を務めた法史学と有職故実の専門家である。

 天皇は人間宣言されましても、あれは神ではないとゆう宣言であって、「社会人になったぞ」ゆう意味やないんですネ。だから社会人としては、まだ発育してませんワ。
  結局、日本人は農耕民族なんですワ。つまり、自然を自然のままにしておいて、苗から実が獲れればいいんですが、そこへ風が吹き過ぎたり、日が当たらな過ぎたり、また当たり過ぎて、乾いてしもたり、そら地震だ、そら洪水だ、ちゅうような、農耕の災害とゆうもんは、人間の力じゃとても克服できないんで、人間を超えた、超人間的な力によって鎮めなきゃならんト、ゆうような社会ですわナ農耕社会とゆうのは。
 そこに神様がある。と同時に、神様と同じような人聞を持ってきて、それに全部おまつり任せちまわんと生活できませんワ。それが天皇なんです。それがズーと続いてきたわけなんです。そやからねェ――だから、天皇とゆうものをですネ、もう少し正しく認識してほしいと思います。
 今でもですネ、天皇は、一日朝から晩まで、あるいは日の暮れから翌日の朝まで、徹夜してですネ、おまつりしてるんですワ。お正月とか、新嘗祭、神嘗祭、天皇やってるでしょ? その他あっちこっち、おまつりばっかりやってますワ。まるで、日本中のどこの神主より拝んでるんですワ。
 しかも限られた行動範囲で、限られた生活ですわナ。そして、ともかく、なんとかして子孫残してくれ、ちゅうだけの、そうゅうセクジュアルな、生物的な要求だけをされてるちゅう、そうゅう天皇ちゅうものをですネ、もっと、人間なら人間としてですネ、社会人としての解放をですネ、考えたっていいやないかと思うんです。
 部落解放運動ちゆうのがありますが、私は天皇も解放せんならんと思うんですワ、ハア。自から要求もしとらんのに放っとけと、ゆちったらそれでもええか知らんけど、ヒューマニズムちゅうものはネ、自分の解放だけじゃなしに、人にも解放とゆうものを推し進めるのがヒューマニズムゃないかと思うんです。それが人間解放ちゅうことゃないかト、そうゅうふうに思うわけです、私は。  
p.341~342:天皇日常(猪熊兼繁先生講義録)

(2019/01/01)