粉川哲夫の「雑日記」

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2024/08/05

メディアと興行 カマラ・ハリスの今後

ジョー・バイデンが次期大統領選からのドロップアウト(断念)を発表した7月22日(日本時間)から、24時間もたたないあいだに、2024年大統領選の動向が急速に変化した。それは、単に共和党=トランプから民主党へ関心が移ったというよりも、コミュニケーションや了解の場が、「興行ファースト」から「メディアファースト」に移行したということである。

テレビなどの旧メディアからストリーミングや世に言う「SNS」にいたるまで、多種類のメディアが、それなりのスタイルで新大統領候補カマラ・ハリスを報道し始めたが、なにがトランプ流の「興行」と違うかというと、前者にとって「外部」はあまり問題ではないということである。トランプ側から言わせれば、それが「フェイクメディア」だと言うだろうが、メディアとはもともとフェイクであり、内在性(内在的論理)で動いている。

「興行」にとっては、問題は、表現ではなく、その「究極」に想定された何かである。表現にそういうものばかりを期待するために、トランプの表現は、「俺は黒人人口にとってエブラハム・リンカーン以来最上の大統領だった」(I have been the best president for the Black population since Abraham Lincoln.)なんてトンデモ発言(NABJ全米黒人ジャーナリスト協会での公開インタヴュー)をあえてする。それは、この言葉の意味することを言うためではなく、こういう言い方をして言葉の外部にあるものを誘発させようとしているからである。

しかし、言葉やメディアを外在的にあつかっていれば、その反動はメディア内部からよりもその外部から来る。銃撃を受けたのも、それはトランプ主義の理の帰結であった。トランプ主義とは、一見メディアを巧妙に利用したメディアファーストに見えながら、むしろメディアがたどりついた現状つまりは「すべてが複製可能である」(これについては、逸脱した『第三の無意識』評を参照)というイデーを暗黙に前提する方向とはうらはらの反メディア主義なのである。

いま、わたしは、「興行」という言葉に特別の意味をこめているが、「興行」は、英語ではshowであるから、テレビもストリーミングもshowであるいま、「興行」と言いたければ、英語ではなんらかの形容詞か形容語をくわえなければ区別できない。その点、日本語は、差異に神経質なので、便利である。

そもそも「興行」自体が、大きく変わった。いまではメディアを介さない「興行」はない。目下パリで開催中のオリンピックも「興行」ではあるが、旧タイプの「興行」からその胡散臭い要素を目立たなくして、メディアショウ化している。

オリンピックをメディアショウにしたのはヒットラーだったが、彼の本意はメディアの変革ではなく、メディアを政治の手段に利用すること、つまりは「外在的論理」にあったので、当時のメディア技術の限界で効果を上げることができない部分の調整は暴力にたよった。パリオリンピックも、厳重な警戒体制のもとで開催されている。メディアファーストにはなりきれないからである。

ヒトラーのオリンピックから88年後のいま、メディアは、それ自体で「世界」や「身体」を構築し、ひとを生かすも殺すも自由にできる――と信じる段階に来た。

ハリウッドは、メディアファーストから生まれた「世界」の一つであり、それは、われわれの日常感覚から行為形式まで影響をあたえている。当然、映像や音の「世間的標準」のモデルはハリウッドが創る。

にもかかわらず、トランプは、格闘技やレスリングの「興行」的やりかたで、つまり、俺は勝手にやるからメディアのほうは文句言うな、そのまま映せといったやりかっただった。とはいえ、彼の「反逆」は、ハリウッド映画でさんざん使われた「悪党」の身ぶりや言動の域を一歩も出なかったから、次第に飽きられるようになった。

トランプへの個人献金額ではトップクラスに入るダナ・ホワイト (Dana White) は、 「UFC」(Ultimate Fighting Championship ) のボスであり、まさしく興行師以外のなにものでもない。

トランプの現在のコミュニケーション・アドヴァイザーのスティーヴン・チャン (Steven Cheung) は、UFCの出身であり、その技法をジョン・マケインの選挙でも使った。

二人とも、「興行師」のつらがまえとしては申し分ない。

オリコウなカマラ・ハリスとその陣営は、バイデンのドロップアウトが発表されるや、早速ハリウッドの典型的なスタイルでトランプの「興行」方式の殲滅にとりかかった。その「イントロ」では、まず民主党の要人たちにカマラ・ハリスを新候補として承認をさせ、しばらくじらしたうえでクライマックにバラカ/ミッシェル・オバマを起用した。

7月26日(日本時間)の18時すぎ、速報はカマラがオバマから電話を受ける姿を動画で流した。動画はいくらでもあるが、わたしが見たのはAPの速報だった。

むろん、これは、「やらせ」である。なぜなら、自分の行動をすべて動画で露出している「メディアヌーディズム」の信奉者でもないかぎり、こういうタイミングでオバマからカマラ・ハリスへの電話の経過を絵にすることは不可能だからである。これは、オバマ夫妻、カマラ・ハリス、そしてメディアとが時間を設定しておこなったドキュドラマ流のメディアショウである。さもなければ、スマホの音がこんなに鮮明に録音されるはずがないし、そもそも、電話を受けるカマラの姿を安定したフレームで撮ることも不可能である。

バイデンのドロップアウト以後、つぎつぎに党の要人たちがバイデンの「遺志」を承認するなかで、オバマはなかなか公式にはその「遺志」を承認しようとはしなかった。これを、オバマがカマラに対し否定的であるといった早とちりをする論者もいたが、バイデン断念→カマラ就任というドラマは、そんな安い――というよりも場当たり的な「興行」的技法で準備されたのではなかった。遅れは、要するにジラセの技法であり、そのタイミングは成功した。すくなくとも、後味の悪い暗殺未遂の「興行」よりも、こちらのハリウッド劇のほうが、受けは圧倒的によかった。

そして、目下「放映中」の「本編」第1部は、誰がカマラ・ハリスの副大統領候補になるかである。 すでに、メディアでは、「有力候補」が5人ほどあがっている、どれもメディアショウ的には面白くない。

バイデンのドロップアウトの経緯を見ると、彼がカマラ・ハリスを副大統領に選んだのは半端な考えからではなかったことがわかる。自分が職を遂行できなくなったときに引き継ぐことがちゃんと出来る資格を備えていることを意識していたことがわかる。彼の断念は、副大統領というのは、現職の大統領を引き継ぐ可能性があるということを身をもって教えた。とすると、カマラ・ハリスも、そういうことを無視することはできないだろう。

トランプ側は、JD・ヴァンスを選んだことで、こんなやつが高齢のトランプのあと大統領になったりしたらとんでもないという意識がひろまるなかで、目下、苦しみのときをすごしている。

では、カマラ・ハリスは、誰を副大統領候補に選ぶだろうか?

わたしの予想は当たったためしがないので、メディ効果という点では、ジョージ・クルーニーはどうかなんて言いたくなるが、そこまでは遊べないだろう。

すでに挙がっているリストから選ぶとすれば、ピート・ブティジェッジ (Pete Buttigieg) である。 すでに、彼については、2020年の大統領選に立候補したときにその名の発音の難しさもふくめて論評したが、その後、彼は、バイデンによって運輸長官に任命された。

日々、いや、時間単位で更新される予想では、ブティジェッジは、まず「LGBTQ+」であるから無理だろうというのもあるが、LGBTQ+に(公的に)属する政治家の数は相当数にのぼる。

そのへんの論評は、そういう記事を参照してもらうとして、わたしの関心は、メディアファストーのドラマとしてブティジェッジが副大統領候補になったときのドラマ的展開である。 もし、ブティジェッジが副大統領候補になったなら、共和党=トランプは、ブティジェッジのが同性愛者であることをえげつなく指摘するだろうが、それは、LGBTQ+票を失うことにつながるだろう。すでにトランプは、黒人に対する差別的発言で黒人票を失いつつある。

LGBTQ+系のネットメディア『ADVOCATE』で、マイケル・D・ケリー(Michael Dru Kelley) は、こんな熱烈なブティジェッジ支持の文章を書いている。

有色人種の女性とゲイの男性が大統領執務室と自由世界の指揮を執ることで、アメリカの政治ではかつて見られなかったほどの団結とつながりがもたらされるだろう。ゲイの幹部が副大統領に昇格することで、これまで以上に多くのアメリカ人の苦境に多くの目と耳が開かれるだろう。ハリスとブティジェッジの両者が触れることができる共感ポイントの数は、現大統領、そしてもちろん「他の男」をはるかに上回っている。彼らは無私無欲の議題をもたらし、アメリカ人を大企業や億万長者よりも優先し、私たちの国の最大の問題に対処し、私たちの権利を拡大する。あえて言うなら、この勝利候補は多くの生涯にわたって民主主義を維持するだろう。

一般に、副大統領は、大統領選挙には直接の影響をあたえないというが、バイデンによって副大統領が大統領に昇格するというロジックのリアリティを実感したアメリカの投票者は、副大統領候補に関して、これまでとはことなる反応を示すだろう。が、いずれにしても、アメリカの大統領選挙は、有権者による一般票によって大統領が決定するわけではない。最終判断は「選挙人」にゆだねられる。これについてもすでに書いたことがあるが、ハリスならハリスを支持するという宣誓をしている選挙人が、実際にはその宣誓をやぶることもある。

2020年のとき、トランプは、選挙人を懐柔しただけではなく、ニセの選挙人を立てて自分に投票させるという操作までやった。これは、その「詐欺」の実行犯がすでに逮捕され、有罪判決を受けている。2016年のときにトランプが勝てたのは、ここから考えると、もっと大規模な選挙人対策を講じていたはずである。

その意味では、トランプがそれにもかかわらず2020年に勝てなかったのは、選挙人のあいだでもそれだけの支持しか得られなかったかたである。また、2016年のときには、スティーブ・バノンが率いる「高度」のハッカーたちが暗躍した。が、2020年までにその主要なメンバーは、ブラッド・パーセル (Brad Parscale) のように、自滅するか現場からトンズラしてしまった。この部分の喪失は、トランプ勢力にとってはきわめて大きな痛手であり、それだけ見ても、彼が2024年に大統領に返り咲く可能性はきわめて薄い。