「シネマノート」  「雑日記」top


2013年11月30日
pic映画のウトピア』(芸術新聞社

●タイトルの意味→「シネマノート」2006-08-09
●[あとがき]から:
 単著としては1996年の『もしインターネットが世界を変えるとしたら』(晶文社)以来である。紙メディアに文章を書くのは変わらなかったが、一九九五年にはじめてウェブサイトを開設してから、頭と指先が連結して世界と他者に直接つながるかのような電子の快感をより重視するようになっていた。

 映像や音のページと並行して、電子の文字ページを作り、過去に出した本の元原稿もすべてデジタル化してサイトに載せた。いまなら別に新しいことではないが、ブログが登場する以前だったから、けっこう手間がかかった。

 映画評のページも、最初は雑誌や新聞に書くレヴューを補うために過ぎなかったものが、次第に肥大化し、読者も増えたので、独自のドメインを立ち上げた。試写を見たらその足で喫茶店に飛び込み、ノートパソコン(といってもとても重かった)に文章を打ち込み、ときには、公衆電話についている ISDN端子にパソコンをつないでサーバーに流し込むことまでした。喫茶店にはまだ無線 LANはなかった。いまも続いている〝シネマノート〟は、当初は〝いま見たばかりシネマノート〟という名だった。

 この間に、ネットもメールも一般化し、わたしとしては居心地のよい時代になったはずなのだが、もともと世の流れに抗してネットを始めたのに、これでは、時流に流されているにすぎないなと思うようになった。

 考えたこと、感じたこと、学習したことをすばやく送信し、読者が自由に使う――それは、むしろ望んだことだが、発信する当人は自分の書いたものを読みかえすこともなかった。自分が自分の読者にならないというのは、ネットの本質でもある。

 紙メディアに書く場合、字数やレイアウトという〝規制〟があるから、書くことは、妥協を余技なくされる。また、一旦書いてしまうと変更がきかないから、〝後悔〟という反省をいだきながら再読することにもなる。だから、かつては、そういう〝後悔〟の断片を再構成して本にするという形で〝後悔〟を解消した。

 1978年の『主体の転換』(未来社)の「あとがき」に「再構成者の弁」という副題をつけたのは偶然ではない。この方法は、うまくいけば、ワルター・ベンヤミンが言った「廃品回収」になり、歴史の創造的な再把握を経験することを可能にする。

 本とネットの相違は、映画とビデオとの相違につながる。ビデオ映像は、際限なく流し続けるのに向いているが、映画には始まりと終わりがある。変化し続けるリンクのなかにあるネットのテキストと、閉じられた紙メディアのテキスト。これは、作る側には大きな違いである。

 2011年になって、ネットの無窮の流れのなかを浮遊しているだけではすまないことに気づいた。ネットだけでなく、電波を使ったラジオアート・パフォーマンスや、大学での〝教育実験〟にコミットし、この浮遊生活を加速させてもいた。ここで一旦、かつてのように、紙メディアでの雑文を再構成し、本という閉回路に置くという反省経験を復活する必要を痛感した。

 とはいえ、流れゆくネットカルチャーに染まってしまった者は、偶然が働かなければ、本の世界に戻ることはできない。

 本書は、このネット時代に過剰なまでに紙メディアにこだわる渡部幻との出会いがなければ不可能だったろう。彼は、大分まえから、わたしに本を出すことを薦めていた。しかし、彼の映画への情熱と過剰な知識とわたしのネット病とがいっしょになって先に進むためには、もう一つのファクターが必要だった。三田格である。彼とは、まだわたしが本をよく出していたころからのつきあいだが、彼が、本を書かないかという誘いをかけた。最終的にわたしが思いついたのは、ネットに書くような方法で本を作るということだった。そうして、面談なきネット対話『無縁のメディア 映画も政治も風俗も』(ヴァイン)が出来上がったが、この経験は、ネットとの縁を切らずに、しかも紙の本を作る方法を得心させた。

 本書は、いわば撮りためた〝ショット〟をコンピュータ上で再編集し、いまを再構成する試みでもある。ネットに打ち込んだ文章は使っていない。渡部幻は、各断章を映画のショットを見る偏執狂的な目で点検し、再構成の作業を監督してくれた。

 最後に、芸術新聞社の根本武氏、ブックデザインの戸塚泰雄氏、そして本書の元になった〝ショット〟を書かせてくれた雑誌や新聞の編集担当の方々に、心から御礼もうします。


2013年11月2日
                        粉川哲夫