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『未来世紀ブラジル』をめぐる戦い
一九八六年の初春、わたしはニューヨークのエイス・ストリート・シネマで『未来世紀ブラジル』を見た。週末でもないのに、場内は満員で、映画が始まると、あちこちで感嘆の声があがった。わたしは、その熱気にすぐ感染して、網膜をシュールに、そしてワイルドに刺激するこの映画に酔いしれた。
映画が終わってロビーに出てくると、周囲では、最終シーンの評価をめぐるおしゃべりが耳についた。「あれは陰気すぎるよ。最後のシーンはなくてもいい」ゲイの二人連れが話している。「マーヴェラス!」をくりかえしているのは、学生風の青年たちの一人である。
その後、知り合いたちの集まりでこの映画が話題にのぼると、議論になるのは、決まってその最終シーンの是非についてであった。むろん、映画は、全体的なものであって、「最終シーンがない方がよい」とか、「変えた方がよい」といった議論は、大して意味がない。が、ニューヨークでこの映画の話題が出るのには、理由があったのである。
わたしが、ヴィレッジの映画館でこの映画に酔いしれ、ハリウッドもこんな映画を作るようになったのかとノンキな感想にふけっていたときには気づくよしもなかったが、この映画は、とりわけその最終シーンに集約されている「暗さ」のために、ひょっとすると日の目を見ない運命を辿ったかもしれないのであった。数週間後、新聞や友人の話でだんだんわかってきたことは、『来世紀ブラジル』は、ハリウッドによってではなく、ハリウッドにさからって、ほとんど奇跡的に公開された作品だということだった。
ジャック・マシューズの『バトル・オブ・ブラジル』は、まさに『未来世紀ブラジル』が辿ったこの劇的な経過をヴィヴィッドに活写している。わたしはこの訳書を一気に読んでしまったが、本書には、単なる記録とは質の違う熱気がみなぎっている。それもそのはず、マシューズ自身は、『ロサンゼルス・タイムズ』の記者・映画批評家として、この映画の公開に尽力した一人であり、ここには、製作会社の圧力に抗して公開を勝ち取ったという解放感と同時に、表現の自由を守りぬこうとするもの書きとしての執着が集約されているからである。
ただし、本書を読みながら思ったのは、会社が監督や脚本家の表現をつぶそうとするといった場合でも、アメリカでは、それは、結局、個人対個人の問題になるのだなということである。『ラストエンペラー』のショットをめぐって日本で起こった出来事の場合には、結局、誰が作品の表現を侵害しているのかが、わからず仕舞いだった。この辺は、いかにも天皇制国家の組織のやっかいなところだが、アメリカは、まだ、どんなに巨大な組織でも、「敵」と「味方」の顔が見えやすいのである。
『未来世紀ブラジル』をめぐる〈闘争〉(バトル)は、結局、フィルムの長さと内容の修整を要求したユニバーサル社の代表取締役シドニー・J・シャインバーグと、それを芸術表現への侵害と見なしたテリー・ギリアムとの闘いになった。
シャインバーグぐらいになると、出来上がった映画をズタズタに再編集させたり、公開禁止にしたりすることは意のままで、多くの監督はその意に従うことになる。リドリー・スコットは、『レジェンド/光と闇の伝説』で、シャインバーグの提案に従って、ジェリー・ゴールドスミスの書いた交響曲風の音楽をボツにして、急遽シンセサイザー・ロックのタンジェリン・ドリームに入れ替え、さらにフィルムの長さを大幅に短縮したという。その結果は、決してよいものではなかった。
シャインバーグは、マシューズのインタヴューに応えて、?囑「来世紀ブラジル?宸ヘ、「筋がわからない」からダメだと言っているが、映画をそんなレベルでしか見ていない人物にフィルム・アートを期待するのは無理というものであろう。
しかし、ギリアムとシャインバーグとのバトルには、もっと別の面がありそうである。マシューズは、ハリウッドは、「観客リサーチが幅を利かせ、〈映画を見に行くのはティーンエイジャーだけである〉〈そしてティーンエイジャーは一人残らず阿呆である〉という一対の命題に従って行動する」と言っているが、シャインバーグは、必ずしもそれだけで『未来世紀ブラジル』に反対したわけではなさそうである。
シャインバーグは、マシューズに向かってこう言っている。「私から見ればこれは名誉の問題だ。そして、私個人にとっては、名誉は芸術よりも大事だ」。
しかしながら、権力というものは、そのような「名誉」を守ろうとする者と、それを黙認する者とによって維持されているのであり、その「名誉」のために個人を犠牲にするのではなかったか?
ギリアムにとっては、そんな「名誉」はクソくらえである。彼は、招待であっても、いまだにファースト・クラスの飛行機には乗ろうとはしないという。彼は、一九六七年、センチュリー・シティで目撃した事件をきっかけにアメリカを捨て、イギリスに渡った。それは、ヴェトナム反戦デモに襲いかかる警官隊の暴力だった。「『椅子でここに来たんだから、車椅子で帰してやろう』、そう言いながら警官の奴らが、逃げようと必死で車椅子を動かしていた男を棍棒でぶんなぐっていた」。彼にとって重要なのは、「名誉」よりも自由とラディカルさだ。
『未来世紀ブラジル』の公開を断固として阻止しようとしたシャインバーグに対して、ギリアムが最終的に勝利したのは、ギリアムのそうした反逆精神にホレ込んだプロデューサーのアーノン・ミルチャンの努力もさることながら、ある種六〇年代的な共通感覚で彼らをサポートした人々(本書の著者もその一人)の横断的な支持のためである。
転機は、フランスのドーヴィルで開かれたアメリカ映画祭が、ギリアムとミルチャンの願いを快く引き受け、『未来世紀ブラジル』を急遽プレミア公開してくれたところから始まった。
そして、アメリカでは、南カリフォルニア大学映画学科の、アーサー・ナイト率いる講座がこの映画の第二ヴァージョン(ギリアムは、シャインバーグの要求を容れて短縮版を作ったが、それをも彼は否定した)を「教材」として試写する企画を立てた。
それは、当日、「上映権の侵害」を盾にユニバーサル社が学校に圧力をかけ、企画がつぶれることになったが、会場は混乱し、「七〇年代初期のデモそのままの雰囲気で、およそ百人の学生がくり出し、学長室の外でシュプレヒコールを上げた」。
そして、最後に、誰も予想していなかったことが起こる。ロサンゼルス批評家協会が批評家賞の最優秀脚本賞・監督賞・作品賞に、まだ公開されていない『未来世紀ブラジル』を選んだのである。マシューズは、このハプニングの仕掛け人の一人でもあったが、彼はこう述懐している。
「『未来世紀ブラジル』に惚れ込んだ批評家たちは、その反体制的、反権威主義的な視点に共感していた。とすれば、ルールなど無視して、『未来世紀ブラジル』に一票投じることこそ、何よりもこの作品にふさわしく、何にもまして〈ギリアム〉的ではないだろうか? 我々批評家も、情報剥奪局の爆破をくわだてるべきではないか?」
この結果、「ブラジル問題」は全米のマス・メディアの大きな話題になり、ユニバーサル社は、公開を許可せざるをえなくなった。ギリアムがシャインバーグに勝ったわけである。
ところで、公開から四年たったいまあらためて思うのだが、この事件は、一面でギリアムに勝利をもたらしはしたが、他面ではギリアムの映画に甚大なダメージを与えもしたということである。というのは、この事件が、ハリウッド=シャインバーグという極めて可視的な権力を露出させたために、逆に、『未来世紀ブラジル』が扱っている〈顔のない権力〉や〈見えない支配〉の部分がかすんでしまったからである。
〈ブラジルの闘い〉はまだ終わってはいない。
[未来世紀ブラジル]前出[レジェンド/光と闇の伝説]監督=リドリー・スコット/脚本=ウィリアム・ヒョツバーグ/出演=トム・クルーズ、ミア・サラ他/85年英◎89/ 5/ 8『週刊読書人』
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