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背信の日々

 ハリウッド映画には抜きがたくメロドラマの因習がこびりついている。それを否定したり逆手にとることは極度に難しい。それゆえ、あまり有名でない作家やヨーロッパ出身の作家がハリウッド資本で映画を撮る場合、それが破滅的な結果を招くことも少なくない。
 コスタ・ガブラスがハリウッド資本で映画を撮り始めたのは一九八二年の『ミッシング』からだが、彼は、決してメロドラマの因習にふりまわされることはなかった。彼は、賢明にも、このメロドラマ的因習を逆手に取り、それを、行方不明の息子を探す父親(ジャック・レモン)と息子の妻(シシー・スペイセク)とのあいだに生まれる政治的連帯というアンチ・メロドラマ的な方向にすり換え、さらに、ハリウッド映画のもう一つの因習である〈大がかりなアクション〉という側面をたくみに利用して、全体をチリの軍事クーデタが勃発する前後の雰囲気を活写したアクション映画としても「楽しめる」ものにすることに成功した。これは、並みの戦略ではない。
 新作『背信の日々』でコスタ・ガブラスは、ハリウッド映画のメロドラマ的因習を逆手に取る戦略をより尖鋭化させた。この映画は、配給会社の宣伝文句によると、「背くことは罪だろうか−−今、全世界に問いかける真実の愛とは……」ということになるのだが、そういうボーイ・ミーツ・ガール映画を期待して見に来たハッピーな観客にそこそこの満足を与えながら、それとは別のものを合わせて見させてしまうということも、コスタ・ガブラスの戦略の一つであったと考えられる。
 最初、二つのプロットが互いに無関係のまま提示される。シカゴの放送局でアクの強いパーソナリティが電話トーク番組で聴取者と挑発的な議論をしている。そして、その彼が帰宅途中のガレージで覆面の男に自動小銃で惨殺される。このプロットが早いテンポで進み、突然、中西部の広大な田園地帯を何台もの巨大なコンバイン(麦刈り機)が列をなして進むロングショットが現われる。そして、画面が変わると、一人の女(デブラ・ウィンガー)が麦畑のなかでコンバインを運転している不自然な光景が展開する。そこに現われる男(トム・ベレンジャー)。男は女に関心を示し、女は男を拒絶する。が、次のシーンでは、二人は季節労働者の集まるバーでふたたび出会う。男が女をダンスに誘い、断られると、「何もしないよ、両手をポケットに入れとくから」とか言って女を笑わせ、結局、女も男に関心をもつ。典型的なボーイ・ミーツ・ガール物語のパターンである。
 しかし、これが、ハリウッド映画に対するコスタ・ガブラスの〈おつきあい〉にすぎないことが、すぐに判明する。彼女は、ケイティという名でシカゴ郊外の田園地帯にもぐり込み、放送パーソナリティ殺人の捜査をしているFBIの捜査官なのである。シカゴの本部と彼女が連絡をとりあうシーンが提示される一方で、ケイティとその男、ゲリーとの関係が深まっていく。まあ、これも、ちょっとひねったボーイ・ミーツ・ガール映画ではめずらしくないクリシェイであるが、映画はやがて、彼女がゲリーの恐るべき差別主義と大統領暗殺・右翼蜂起の計画を知る過程を描く。
 おもしろいのは、一見その後のプロセスが〈男を犯人と知りながら離れることの出来ない女心〉を描くかのようなスタイルで展開するにもかかわらず、ケイティの目は決してそうでないことを語っている点だ。コスタ・ガブラスは、それを、一見メロドラマ風の構図と音楽で描写しているようなふりをしながら、ラブシーンでは必ずケイティの表情を急にアップすることによって暗示する。
 彼女は、事件の底の深さにおののき、FBIの上司にはっきりと「この仕事から下りたい」と言うが、説き伏せられてゲリーの〈恋人〉を演じ続ける。惰性の性愛が目覚めることはあっても、彼女は決して彼を愛してはいないということを知ることが、この映画では重要である。
 コスタ・ガブラスは、彼がインディペンデントなプロダクションで撮った?嘯y?宸竅w戒厳令』では、国家の否定を明確に打ち出していたが、この『背信の日々』においても、〈右翼で、マチョで、家庭を愛し、国家を信じている男〉というものをほとんど完全犯罪に近い形で愚弄することによって、そしてまた、そういう形で国家を否定したはずの彼女自身が、実はより巨大な権力のなかで踊っていたことをアイロニカルに示すことによって、旧作のラディカリズムをよりしたたかな形で反復している。
 ただし、あえて不満を言えば、この映画にはゲリーがあやつっている右翼のコンピュータ・ネットワークが登場するものの、それは単なる連絡網としてのみ存在し、ゲリーの側からもケイティの側からも積極的な使われ方をせずに終わり、〈闘争〉や〈対抗〉はもっぱら銃で行なわれるという、まさにハリウッド映画好みのパターンに終始していることである。その点では、デニス・ホッパーの『アメリカン・ウェイ』の方が脱ハリウッド的であった。
監督=コスタ・ガブラス/脚本=ジョン・エスターハーズ/出演=デブラ・ウィンガー#、トム・ベレンジャー他/88年米◎88/12/20『すばる』




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