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パリ、テキサス
砂ぼこりのする荒野をひどい身なりの男が放心したように歩いている。シタールを強いタッチで弾いたようなギターの響きが、荒野と男との無味乾燥な関係を印象づける。彼は何者か、どこから来たのか?
一軒家にたどりつき、倒れてしまったこの男の持ち物から、ロサンゼルスの弟に連絡が行く。が、弟が仕事を中断してはるばるメキシコ国境ぞいのテキサスの地までむかえに来たのに、兄は一言も口をきこうとしない。一体何があったのか?
ハリー・ディーン・スタントンが熱演する中年男の名はトラヴィス。彼は、四年まえに妻ジェーン(ナスターシャ・キンスキー)と幼い息子ハンター(ハンター・カースン好演)を捨てて失踪した。その後ジェーンも姿を消し、ハンターは、弟夫婦の家で実子として育てられている。
映画『パリ、テキサス』は、トラヴィスが、自分で断ち切った過去をとりもどす過程を描いて行くわけだが、そのクライマックスは、ジェーンとの再会と和解である。彼は、ジェーンをヒューストンのあやしげな〈のぞき部屋〉で発見し、客として彼女のまえに姿を現わす。
マジック・ミラーで仕切られ、話はインターフォンを通じて行なう〈のぞき部屋〉は、客が女に猥褻なポーズをとらせてのぞき趣味を満足させる場所であると同時に、まさに教会の聴聞室のように、客が懺悔や告白を聴いてもらい、心を落ち着ける場所でもある。〈のぞき部屋〉は、世俗の教会なのである。
ただし、トラヴィスとジェーンとの関係は、告白者と聴聞僧との関係にはとどまらない。客をよそおったトラヴィスが懺悔する彼の過去を職業的に聴くうちに、彼女は、自分がその告白の物語の主要人物であることに気づく。愛しあっていたのにどこかで狂ってしまった関係。ジェーンが逃げれば、トラヴィスが追い、暴力をふるった。狂気のはての失踪……。
おそらく、二人の不幸と幸福は、このガラスごしの関係こそが最も理解しあえる関係であり、この〈のぞき部屋〉が家庭よりも親密な関係を可能にすることだろう。男と女が本当に理解しあえる場は、もはや〈のぞき部屋〉のなかにしかないのか?
最終シーンは、トラヴィス、ジェーン、ハンターの三人がふたたび家庭をつくることを暗示しない。ジェーンはハンターと再会し、彼をしっかりとだきしめるが、トラヴィスは、二人の再会を喜びながら、車でどこかに去って行く。家庭とは、もはや母子家庭でしかないかのように……。
監督=ヴィム・ベンダース/脚本=サム・シェパード/出演=ハリー・ディーン・スタントン、ナスターシャ・キンスキー他/84年仏・西独◎85/ 7/11『ミセス』
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