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バスケットケース
B級映画を見る楽しみは、毒々しい人工着色をしたクリーム・ソーダを飲む楽しみだ。最近はそういうものを置かない喫茶店がふえているが、B級映画を常時上映している映画館となると、日本では皆無に近い。おそらく、ポルノ館がその代わりになっているのだろうが、B級映画はポルノよりももっと俗悪でなければならない。
『バスケットケース』は、まさにクリーム・ソーダのような俗悪さをもった映画であり、わたしなどは、これという理由もなしにまた見たくなる映画である。
のっけから血なまぐさい殺人シーンがあるが、犠牲者が、なぜ、何者に殺されたのかがわからぬままに、シーンはマンハッタンに移る。少しひ弱な感じのする青年が大きなバスケット・ケースを持ってタイムズ・スクウェアを歩いている。ポルノ映画館がたちならび、客を引く女や男の姿がどぎつく映る。青年は、「ホテル・ブリストル」という看板の下がった建物に入り、部屋をかりる。
このホテルは、ブロードウェイから少し西に入ったフォーティシクス・ストリートにある安ホテルで、その住人のなかには売春婦や生活保護を受けて暮らしている人も多い。映画は、実際の住人たちの協力を得て、そうしたうさんくさい安宿の雰囲気をよく伝えている。この種の世界は、映画では、ただただ救いようのない場所として描かれることが多いが、監督・脚本のフランク・ヘネンロッターは、むしろスラムにこそある気さくな(が、同時に油断のならない)人間関係をよくとらえており、このへんはむしろB級映画的ではない。
ここでは、青年がカゴのなかに隠しているものが何であるかを暴露するのはさしひかえるが、マンハッタンのこのあたりで大きなバスケットをかかえて歩いているような人物に出会ったら警戒した方がよいだろう。なかに何を入れているかわかったものではないからだ。
ところで、シャム双生児の体を医学的な方法で切り離すことができた場合、その双生児のあいだには、他人同士とはちがったテレパシーが働くのだろうか? この映画の青年は、獣医によって体を切り離されたシャム双生児の片われなのだが、もう一人の片われは、一方−−つまり青年−−の無意識部分を代表し、この青年が知り合った女性に愛情をいだくと、彼の無意識的欲望を先取りして、その女性のベッドにもぐりこんで胸にさわったり、強姦したりしてしまう。
この関係を象徴的に表わしているのは、青年がベッドのうえで夢を見ているシーンだ。彼は、マンハッタンの夜道をすっ裸で走っている(アホな国家で上映されるので、このシーンにはボカシが入る)。その行き先は、ヴィレッジの彼の女友達の所なのだが、裸の彼が彼女のアパートにたどりついて夢のなかで彼女をだきしめたとき、彼の片われは、まさにその彼女を犯している最中なのだった。
監督・脚本=フランク・ヘネンロッター/出演=ケビン・ヴァン・ヘンテンリック、テリー・スーザン他/82年米◎85/ 1/24『カメラ毎日』
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