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ミツバチのささやき

 冒頭のシーンを見れば、その映画の質がわかると言ったら言いすぎだろうか? 映画の時間というものは、前から後へではなくて、後から前へ向かって流れているのではないか?
 なだらかで閑静な村道をはるかかなたから一台の古びたトラックが近づいてくる。スペインのビクトル・エリセ監督による『ミツバチのささやき』のこの冒頭シーンを見た瞬間、わたしはこの映画の質の高さを直観した。その映像は、一見写実主義的だが、現実を模写したにしてはあまりに美しすぎ、そのうえ言葉にはならない多くのささやきにあふれている。と思っていると、画面にトラックの姿が大きく映り、それはそのままひなびた村に入ってゆく。どこから現われたのか子供たちがはしゃぎながらトラックを先導し、車は中世のおもかげを残す石づくりの建物のまえで停車する。それは、巡回映写のトラックであり、村の公会堂でボリス・カーロフ主演のアメリカ映画『フランケンシュタイン』i一九三一)を上映しに来たのだった。
『ミツバチのささやき』は、この怪奇映画を見る幼い姉妹の一家のつましい日常生活を描いているが、映像は、妹のアナの目と意識を通してデフォルメされている。自然の描写が美しいのは、その舞台となっているスペインの中部カスティーリャ高地が美しいからというよりも、彼女が自分の幼年時代−−一九四〇年代−−を回想する形式をとっているからであり、両親の生活がどことなく謎めいて見えるのは、子供にとって大人の世界はいつもそのようなものだからである。
 アナには、『フランケンシュタイン』のなかで怪物と少女が水辺で出会い知り合う美しいシーンと、にもかかわらずその少女が怪物に殺されてしまう結末が忘れられない。姉に「あの怪物は精霊で、村はずれの一軒家にいまも隠れている」と言われて、アナは、一人でそこに行ってみる。すると、そこに傷ついた逃亡兵が潜んでおり、アナは彼に薬や食料を運ぶ。が、この兵士はやがて官憲に発見されて殺されてしまう。
 明らかにこれは、アナが姉から吹き込まれた幻影的なイメージとダブっているが、市民の自由を圧殺したフランコ将軍の長い独裁体制が始まった(一九三九年)時代のやりきれない空虚な雰囲気はこの閑静な村にも、そして幼い少女の意識のなかにも波及していた。
 原題の「巣箱の精霊」は、アナが父親の養蜂場で見る〈働くしかないミツバチの生活〉と当時の大衆の生活との類似性を暗示し、そして〈精霊〉という言葉で、そのような〈巣箱〉に住んでいる大衆の夢と幻影の実態を示唆しようとしている。
監督・脚本=ビクトル・エリセ/出演=アナ・トレント、イザベル・テリェリア他/72年スペイン◎84/12/ 3『ミセス』




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