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マルコ・フェレーリ

 マルコ・フェレーリは、『ありきたりな狂気の物語』(一九八一)のニューヨーク・プレヴューのためのパーティに集まった大勢の客たちのあいだで、自足した孤独を味わっているように見えた。ジャーナリストの数は多かったが、カメラの数はさほどでもない。ヴィデオ・カメラのクルーは、明らかに、イタリア人だ。ときどき閃くフラッシュ・ライトは、主演のベン・ギャザラに向けられている。人々は、会場の中央の台にならべられた野菜を気軽に取り、かたわらの中華風ソースにひたしてかじり、どこからともなく出てくるカクテルやワインを飲み、おしゃべりをする。演説や音楽はなく、話し声だけがこだましているのがよかった。
 映画が終わってから、カクテル・パーティのときとは別の部屋で軽い食事が出た。人々は、皿をもって列をつくり、希望の料理を入れてもらう。普通この街の店やレストランで経験する整然とした〈ライン〉とは様子がちがうのは、皿をもった美しい女性が列に近づくと、列の途中に彼女を誘い入れる男が何人もいることだろう。だから、自分の番はなかなかまわってこない。プレス・エイジェントのアン・フォスターは、パスタがおいしいと言ってわたしにすすめる。
  散漫なおしゃべりをしながら歩きまわっているうちに、ふと見ると目のまえにフェレーリがいた。ちょっと人々から距離を置いてタバコを喫いながら立っている。わたしは、映画人や演劇人に対しては、ひどくミーハーなので、「あの映画、よかったです」なんてことをこの巨匠に向かって言うことはできない。ミーハーは、対等の位置に身を置くことを自分に禁じながら、同時に相手の身近に身を置きたいと思うのだ。サインをもらうというのは、まさにこうした矛盾を手短に解消する方法かもしれない−−筆跡という相手の身体運動の痕跡を受け取るのだから−−が、このときわたしはノートもメモ用紙も所持していなかった。その狼狽がわたしに無用な言葉をしゃべらせ、巨匠は、わたしをなぐさめるように「グラチェ、グラチェ」とうなずいた。  わたしには、はじめからマルコ・フェレーリを論ずる資格が欠けている。このパーティで会った彼の秘書のカテリーナ・ボラーリのすすめに従って、彼に正式のインタヴューを試みていたならば、それも少しは可能かもしれないが、好きな一連の映画の〈作者〉とは、わたしにとっては、映画を見えなくしてしまう魔術的な障害なのだ。
  そもそも、さまざまな〈作品〉に〈作者〉という同一の極理念を設定する必要はない。ましてそれを受肉化し、一人の人格にしてしまうなどという馬鹿げたことはしたくない。しかし、好きな一連の映画というものは、そうした幻想的な人格の同一性によって一貫性をもたされている。実際、だからこそわたしは、マルコ・フェレーリの映画が七、八本続けてリンカン・センターのブルーノ・ワルター・オウディトリウムで(一九八三年二月二十八日から三月六日まで)上映されるというニュースを聞いたとき、いささか興奮してしまったのだった。
 あるフィルムに触発されるということと、それを好きになるということは同じではない。丁度十年まえに、日本で『最後の晩餐』(一九七三)を初めて見たとき、それは、大いに触発する映画ではあったが、まだ盲愛の対象ではなかったはずだ。しかし、それが封切館から姿を消したころから、わたしのなかでパラノイアが増殖していった。なぜか? それは、この映画自身の問題であるよりも、むしろわたしのセラピー的な問題だろう。フェレーリの映画を論ずる資格がわたしにはないといったのもこのことにほかならない。映画には、つねに、眼の皮膚が映像光線によって愛撫されるというきわめて皮膚感覚的なレベルの経験が伴う。考えたり、触発されるまえに、この〈愛撫〉を受けいれることができなければ、映画は、書物の代理機能しか果たさない。プロパガンダ映画やポルノ映画は、もっぱらこの〈愛撫〉機能を利用しようとするわけだが、それを受けいれるかどうかはこちらの問題だ。概して、わたしは愛撫に弱いのだが、フェレーリの映画は、それ自身が接触するものであると同時に、身体の皮膚的・粘膜的接触をテマティックなものにしてもいるので、その映像に接触され、触発されることがパラノイア的な愛撫の持続回路をつくり出しやすい。
 何度見ても、わたしにはその映像を記憶しにくいのはそのためかもしれない。映像経験が、暗闇のなかのセックスのように、ひじょうに脱視覚的に行なわれるために、空間的な像をもつことができないのだ。このような性格は、スコセッシの映像にもある。・ミーン・ストリート・で、バーにいるデ・ニーロの方に外から女友達が近づいてくるシーンで、ハイ・スピードで撮られたそのシーンと、デ・ニーロがいるカウンターのなかでグラスを洗っているバーテンの映るシーンとが同じ一つのショットのように記憶されたことがある。バーテンの動きは、スロー・モーションではないのだから、そんなことは不可能なのだが、パラノイア的な意識のなかで二つのショットが融合された。このような映画の場合、記憶は、においや音楽の記憶のようにきわめて時間的なものとなる。・女王蜂・(一九六三)の記憶も、個々のショットやせりふではなく、子供をつくろうと決意した妻(マリナ・ブラディ)に会社から呼び出されてまで性のサービスに務める夫(ウーゴ・トニヤッツィ)が、疲労困憊して街を歩くときの名状しがたいリズム感である。ショットやせりふの方は、そこからどんなパラノイアでも構成しうるひと塊の流動体になってしまった。
 あえてテマティックなものを問題にするならば、『女王蜂』、『Dillinger e Morto』(一九六九)、『ひきしお』(一九七二)、『最後の晩餐』、『La Derniere Femme』(一九七六)、『Ciao Maschio』(一九七八)、『Chiedo Asilo』(一九七九)、『ありきたりな狂気の物語』のなかに皮膚的・粘膜的接触への執着を見出すのはたやすいし、わたし自身は見ていない『El pisito』(一九五八)、『El Cochecito』(一九六〇)のようなスペインで撮られた作品や、『La Donna Scimmia』(一九六四)、『Cinque palloni』(一九六五)にも(記録を読むかぎりでは)同じことが言えそうだ。そして、そこではこの接触は、ことごとく一方的なものに終わり、相互的なコミュニケイションとはなりえないのである。 『女王蜂』では、トニヤッツィもブラディも、いつも概してにこやかであり、ちょっとしつこい女房とサービス心旺盛な男とのユーモラスなやりとりは、まだコミュニケイション的だと言えなくもないが、そのユーモアのあいだにはイオネスコ的な深淵が口をあけており、二人の接触は、所詮、分子生物学的な従属関係でしかなく、ブラディが目出たく妊娠すると、トニヤッツィは使命を果たして死ぬのである。
『Dillinger e Morto』ではそれがもっとはっきりする。このなかで、ミシェル・ピコリは、料理をしながらピストルの分解作業をする。台所のレンジでぐつぐつ煮えているナベのソースを味見し、食卓のうえにピストルの部品をならべてゆく。生きるためのものと死ぬためのものとが彼にとっては共存する。というのも、両者はいずれも接触し、接触されるものであって、コミュニケイションのメディアではないからだ。だから、ピコリは、メイドのアニー・ジラルドとセックスするときも、ピストルを放さない。それは、護身のためではなくて、皮膚や粘膜への接触と銃器への接触とが彼には同じレベルに属しているからである。ピストルにも女にも接触していないとき、彼が自宅の映写設備で映画を見ているのも示唆的だ。
『ひきしお』で、カトリーヌ・ドヌーブのペット犬になるマストロヤンニと、『最後の晩餐』で、性具を使ったサディスティックなセックスにしか満足できないパイロットのマストロヤンニとは、たがいに対の関係にある。売春婦と大量の食料品とを買いこんで郊外の屋敷にこもった四人の男のうち、事態の深刻さに辟易した売春婦たちが屋敷から逃げ出してしまったあとにやってきた豊かな肉体の小学教師(アンドレア・フェレオル)とセックスしないのは、マルチェロだけなのである。彼は、ガレージで旧いスポーツカーのマフラーを性具にして売春婦とセックスしていたが、これは皮膚的・粘膜的接触への反動としてのメカニズム的接触への彼の執着を示唆している。
 だから、セックスよりもむしろ飽食することを主な接触としているこのパーティで、マルチェロは食べることを拒否し、一番最初に死んでしまう。その反対に、飛び入りのアンドレアが生きのびるのは、彼女がセックスも飽食も、単なる皮膚的・粘膜的接触とはしなかったからであり、このあたりにフェレーリの女性へのオプティミズムを見ることもできるだろう。彼の映画では、男はことごとく人間−−とくに女性との−−相互的コミュニケイションに失敗する。(その点、わたしは見ていないが、最新作の『Storia di Piera』で、ハンナ・シグラとイザベル・ユペールが演ずる母娘を登場させ、二人が『ありきたりな狂気の物語』のベン・ギャザラのキャラクター−−ビート詩人のチャールズ・ブコウスキーがモデル−−のような自由奔放な生き方をするというのは興味ぶかい)。
『La Derniere Femme』のジェラール・ドパルデュは、妻と別れ、一歳の子供と保育園の教師(オルネラ・ムティ)と暮しているが、三人は家のなかでは全裸のことが多い。ドパルデューは子供をいつも抱いており、文字通り膚をよせあっていて、ムティとセックスするときも同じベッドのなかに子供をいさせる。彼にとって、裸の子供との関係の方がムティとの関係よりもうまくいくようだ。子供とは皮膚的・粘膜的な接触をするだけで済むからである。だから、同じ建物に住むミシェル・ピコリがからんで、ムティとの仲が危機的な状態となったとき、ドパルデューは、料理用の電気カッターで自分のペニスを切り落す。女との皮膚的・粘膜的な接触に希望をもてなくなった以上、その器官は不要だと言わんばかりに(それにしても、勃起したドパルデューのペニスは、なぜあんなに長いのだろうか?『フォート・サガン』でドパルデューとドヌーブとのベッドシーンを見ながら、このことを思い出しておかしかった)。
『Ciao Maschio』の舞台はニューヨークのダウンタウンで、時代はSF的な近未来らしい。ローマ帝国のための博物館を作り、世をはかなんでいるジェイムズ・ココと空想主義的なアナーキストのマルチェロ・マストロヤンニを友人にもつドパルデューは、ワールド・トレイド・センターのそばのハドソン河畔に目をむいて横たわっている巨大なチンパンジーの死体のそばにいたチンパンジーの子供を養子にしている。彼は、言葉を信じないかのように、しばしば感情表現を呼笛で表わす。登場人物たちの行動はみなファニーで不条理劇的なのだが、ハドソン河畔に近いヒューバート・ストリートに設定されたドパルデューのロフトやココの博物館の雰囲気は妙に生まなましく、『最後の晩餐』よりも、はるかに人を末世的な気分に落ちこませる。ここでは接触は、チンパンジーとのあいだか、ローマ帝国の記念博物館の蝋人形と遺品のなかにしか存在しないが、ジェイムズ・ココは、彼にとっての過去との皮膚的・粘膜的接触の唯一の手がかりであったこの博物館に火を放ち、自殺する。
  二十代にはヒッピーだったというフェレーリにとって、西海岸のハリウッドの方が、ニューヨークよりはまだ〈救い〉があるように見えるのかもしれない。彼は、『ありきたりな狂気の物語』について、「われわれは塩水、つまり子宮のなかで生まれたのだから、海はわれわれの生命の中心である。しかし、わたしは、海を希望のシンボルとして用いたのではない。わたしは、もはや希望をもたない」・・フィルム・コメント』、一九八三年四月号)と言っているが、少なくとも接触に関しては、この映画には多くのやすらぎがある。青い壁のギャザラの部屋で、ギャザラが目覚めると、バーから連れてきた女(オルネラ・ムティ)が美しい下半身をむき出しにして窓辺に立ち、外を見ている。ギャザラは、彼女に近づき、彼女の下半身に接触し、ゆっくりとうしろから愛しはじめる。このシーンは、おそらくこの映画で最も美しいセックス・シーンだろう。それは、一瞬、皮膚的・粘膜的接触が、聖なるコミュニオンに向かって超越するかのようだ。
  しかし、そのような〈奇蹟〉が決して持続しないことは、彼が、強迫観念を確認しなおすかのようにくりかえし体験する空虚感−−すなわち、目が覚めてみると、自分の腕のなかで寝ていた女が、忽然と消え失せているという空虚感である。それは、接触をコミュニケイション=コミュニオンに高めようとするのは罪であるということを彼に思い知らせるためのものであるかのようだ。彼との美しい夜の接触のあとムティは、自分の性器のなかに大型のヘア・ピンを入れて男を閉ざし、そしてついには自らの生を絶ってしまう。あたかも、コミュニケイションとコミュニオンを求めた罪をつぐなうかのように。ギャザラはこうして現在にひきもどされ、つねに接触にとどまらなければならない。映画の最後で彼は詩を詠むのとひきかえに胸を触らせてくれる少女と出会うが、これは、フェレーリの言ったように希望ではなく、現在なのであろう。だが、同じ現在にもさまざまな位相がある。女/男、幼児、動物との皮膚的・粘膜的接触。この、どのみち救いのない平面からのがれる方法はただ一つ−−フィルムの皮膚的・粘膜的接触に身をゆだねること。

●監督・脚本=マルコ・フェレーリ[ありきたりな狂気の物語]出演=ベン・ギャザラ、オルムネラ・ムティ他/83年伊[女王蜂]出演=マリナ・ブラディ、ウーゴ・トニャッティ他/63年伊[Dillinger e Morto]出演=ミッシェル・ピコリ、アニー・ジラルド他69年/伊[ひきしお]出演=カトリーヌ・ドヌーブ、マルチェロ・マストロヤンニ他/71年仏[最後の晩餐]出演=マルチェロ・マストロヤンニ、ウーゴ・トニヤッツィ他/73年仏・伊[La Derniere Femme]出演=ジェラール・ドパルデュ、オルネラ・ムティ他/76年仏 [Storia di Piera=ピエラ 愛の遍歴]出演=イザベル・ユペール、ハンナ・シグラ他/83年伊・仏・西独[Ciao Maschio]出演=ジェラール・ドパルデュ、マルチェロ・マストロヤンニ他/78年仏・伊◎84/10/15『月刊イメージフォーラム』

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