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秋のドイツ
一九七〇年代後半のヨーロッパは激動の渦のなかにあった。イタリアでは、党や組合に依存しない〈自律的左翼〉の運動が昂揚し、西ドイツでは、〈赤軍派〉から〈緑の人々〉にいたる多様な運動が展開されていた。
こうした新しい流れに対して管理体制は次第に弾圧の姿勢で臨むようになり、一九七七年には両者の緊張が頂点に達し、とくにイタリアでは右翼テロ、街頭での武力衝突、追いつめられた運動の〈極左化〉(〈ヤい旅団〉Hが進み、『ニューズウィーク』(八月一日号)の表紙に《イタリー−−無政府状態に生きる》という大文字と警官に撃たれて街頭に斃れる若者の写真が載ったほどだった。
西ドイツでは、九月にドイツ産業連盟・ドイツ経営者連盟の会長ハンス・シュライヤーが誘拐され、ドイツ赤軍派のアンドレアス・バーダーらの釈放と身代金一千五百万ドルが要求される事件が起きた。が、連邦政府がこの要求を拒否したため、十月には、この誘拐グループ(と同一と見なされる)はルフトハンザ機をハイジャックし、要求の実現を迫った。しかし、連邦政府は、ソマリアのモガジブに着陸した飛行機にテロ対策特殊部隊を派遣し、ハイジャッカーのうち三人を射殺、一名を逮捕し、乗客の人質全員を救出した。さらに、その同月、政府は、誘拐グループによって要求の対象となった赤軍派の四人が獄中で〈自殺〉したと発表した。翌日、東部フランスで、シュライヤーの死体が発見されるが、これは政府の対応に対する誘拐グループの報復だと見なされている。
『秋のドイツ』(一九七八、カラー、百三十四分)は、こうした一連の〈シュライヤー事件〉をテーマにし、ファスビンダー、クルーゲ、ジンケル、ブルステリン、ライツ、ルーペ、クロース、シュレーンドルフ、マインカの九人のフィルム・メイカーがそれぞれのスタイルで製作したフィルムを切れ目のないオムニバス形式で結合した共同作品である。
ドイツ赤軍バーダー=マインホーフ・グループの獄中での〈自殺〉が国家権力の陰謀であったと考えられる点については、国際調査委員会によって報告されている(?嚼シドイツ「過激派」通信』A田畑書店参照)が、マルガレーテ・フォン・トロッタの『鉛の時代』(一九八一)は市民的視点からこの事件に疑問を投げかけている。
しかし、『秋のドイツ』を見ると、シュライヤー事件が与えたショックは、『鉛の時代』から予測されるものの比ではなく、とくに知識人層にとっては、このときほどドイツという国家が〈何よりだめなドイツ〉として映ったことはなかったようだ。これは、ファスビンダーが自作自演している部分に特によく現われており、彼の不運な死にはこの事件が尾を引いていたのではないかと思われるくらいである。
シュライヤー事件は、一九六八年以後に生じた新しい反体制運動の十年間の蓄積を打ちくだこうとする国家権力の真に反動的な巻きかえしであり、ここで行使された非情な弾圧の方式は、イタリアをはじめとする−−新しい運動の起こっていた−−国々でただちに採用され、ヨーロッパの運動状況は、急速に退潮していった。それにしても、こうした危機的状況が、一九七八年という時点において映像化されていたことは特筆に値する。ここには、かつての戦闘性は削がれた形であるとはいえ〈緑の人々〉の運動として生き残る七〇年代の精神と共通感覚がしたたかに記録されているからである。
監督= ◎84/ 2/16『キネマ旬報』
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