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イフゲニア

 ギリシャ時代にはコンピュータもテレビもなかった。だから、情報を操作して大衆をあやつるなどということは行なわれなかった−−と考えるなら、それは古代人を見くびることになるだろう。
 マイケル・カコヤニスの『Cフゲニア?宸ヘ、エウリピデスの有名なギリシャ悲劇の映画化であるが、この映画を見ると、政治の本質というものは、今も昔も、洋の東西を問わず、たいして変わっていないという思いにかられる。
 ギリシャ悲劇には、しばしば予言者や占い師が登場し、神託を与える。それは、神の言葉であり、超能力者である彼らだけが神秘的な方法でつかむことのできる聖なる情報である−−と考えられている。しかし、実際には、神託はもっと人間くさい計算と操作によってつくられたものであり、彼らの「超能力」とは、とどのつまり、大衆の意識を操作できる「超能力」であった。
『イフゲニア』で下される神託は、トロイアに進攻しようとしているアルゴスの王アガメムノンに対し、その娘イフゲニアをいけにえにせよというものであったが、そのねらいは、天候にめぐまれず、港にくぎづけになった二万人の兵士たちのあいだに次第にひろがりはじめた焦燥と混乱を鎮め、彼らの士気を高揚させるためであった。
 ギリシャ時代の軍船は帆船であり、風が吹かなければ進軍できなかった。神託を操作する「中央情報局」は、明らかに、いつ風が吹くかを的確に予見し、風が吹くまえに神託を遂行させることによって、神権政治への忠誠が霊験あらたかなものであることを浸透させようとする。
 こっけいなのは、そうしたからくりを知りながらそれに従わなければならない支配者アガメムノンであるが、こうした巧みな情報操作に踊らされて戦地に赴かされる兵士たちの運命は、こっけいというよりも悲劇と言うべきだろう。同じことが、今日も、グレナダでくりかえされている。
前出◎83/12/28『共同通信』




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