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E.T.

『E.T.』は、日本でも、単なるマス・コミ操作をこえて相当の観客数を動員することが予想されるが、アメリカでこの映画が記録的なヒットをしたのは、単にマス・コミの宣伝が効を奏しただけではなく、それが、アメリカ社会の平均的な〈夢〉をたくみにとらえているからだ。
 第一に、E・Tをかくまう子供たちだが、昔から〈善良〉な子供たちを中心にすえた作品で成功しなかった例は少ない。本当は、フェリーニの『女の都』に出てくるようなパンク少女・少年たちの方がいまの時代の子供の現実によりせまるものをもっているにはちがいないが、映画は現実を映す鏡ではなく〈夢〉をつくり出す陶酔装置なのである。現実の生活で娘や息子の非行にうんざりしている親たちが、自分たちの娘や息子にそっくりの登場人物なんぞに会いたくないのも道理である。当のご本人たちだって、自分たちの姿をわざわざ金を払ってみたくはない。
 その点、スピルバーグが設定した子供たちの状況は、実に万人向きに出来ている。いまアメリカで片親家族がますますふえており、むしろアメリカの子供や家族の問題は、片親家族以後の問題であるわけだが、この映画では、まさにほやほやの片親家族が登場する。最初にE・Tを発見するエリオット少年の家は、父親が出てゆき、母親が女手一つで四人の子供を育てなければならなくなったばかりの片親家族で、とりわけ年少のエリオットは、父が恋しくてしかたがない。はじめの方のシーンで、彼がガレージで父親のTシャツをみつけ、その残り香をかいでなつかしがるところがあるが、これは、今日のアメリカ人にとっては、ひどく身につまされるシーンだろう。
 父親が出ていってしまった家庭に新しい父親が来るのではなくて、宇宙人(E・T)が来るというところが、この映画の斬新なところで、いつか自分たちのところにE・Tが迷いこんで来るかもしれないという夢は、いまはまだ過度期にある片親家族を力づけてくれることうけあいである。
 他にも、〈アメリカの夢〉をかなえてくれるシーンがいくつもある。たとえば、学校でエリオット少年が、理科の解剖実験用のカエルを、かわいそうだと言って片っぱしから逃がしてしまうシーンだが、これは、愛するE・Tがどことなくカエルに似ており、そのカエルを解剖するのはしのびないと思うエリオットの気持以上に、近年アメリカで〈動物解放運動〉というような形であらわになりつつある動物愛護の社会意識をたくみに先取りしたものと言えなくもない。『nウリング?宸ノしても『キャット・ピープル』にしても、以前とは動物の描き方が変わってきているのも、やはりこのことと無関係ではないはずだ。
 問題のE・Tが植物に精通しており、枯れた草花をよみがえらせる超能力の持主だというのも、アメリカ人の今日的な傾向にぴったり対応している。いまでは、自動車のメカニズムに精通するよりも、植物の生命に精通することの方が、アメリカ人にとってはより大きな〈夢〉なのである。そういえば、あのチャンシー・ガードナー氏も、草花をあつかうことにかけてはすぐれた能力を発揮するということになっていた。
 自転車が自動車よりも魅力あるものとしてあつかわれていることも、この映画で注目される点だ。アメリカでは、目下、あらゆる意味で一九五〇年代流の自動車文化が過去のものになってきており、それに代わって自転車文化や遊歩文化がよみがえりつつあり、サイクリズムは、自然食とともに一つのファッションになろうとしている。アメリカの自動車産業がふるわず、その代わりに日本の自動車産業が栄えているのは、日本の自動車産業がアメリカの自動車産業に勝ったというよりも、世界の産業システムにおける国際分業の重心が移動した結果という側面も見のがせない。日本で、目下、五〇年代風の文化がアメリカ人でもあっと驚くほどもてはやされているのは、まさにこのためなのだ。
 いずれにしても、『E.T.』では、自転車は、E・Tの超能力のおかげだとしても空を飛ぶのであり、自動車とチェイスをやって勝ってしまう。自転車が空を飛ぶのは、ディズニー映画を引用していることはまちがいないとしても、これらのシーンは、アメリカ人が目下自転車にいだきつつある〈夢〉を確実に増殖させるはずである。
 ところで、いま指摘した〈夢〉は、いずれもみな実現可能な夢であり、また実際に実現されつつある夢なのだが、こうした現実的な夢に加えて、この映画は、もう一段高次の夢に向かって観客をいざなう。いうまでもなくそれは、E・Tの地球飛来であり、E・Tとの友好的なコミュニケイションである。その際問題は、この夢は、先述の〈夢〉とはちがい決して一般大衆自身には実現不可能な夢だということだ。それは、待つことしかできない夢であり、その意味で、夢の内容よりも夢のみかたの方が問題であるような夢である。要するに、この夢は、自分では何もしなくても、待っていればいつかは必ずよいことがあるというような夢なのであり、そういう夢をみているかぎり、リアルな現実からは目がそれてしまうような姿勢のすすめなのである。
監督=スティーヴン・スピルバーグ/脚本=メリッサ・マチスン/出演=ヘンリー・トーマス、ディー・ウォーレス他/82年米◎82/11/ 8『月刊イメージフォーラム』




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