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007/ユア・アイズ・オンリー

『007/ユア・アイズ・オンリー』の試写でくばられたパンフレットのなかに、「ボンド・シリーズは連続漫画のセンスと、気の利いたセリフで連けいされたスペクタクル・アクションの合体だ」というロジャー・ムーアの(とされている)言葉がある。なかなか気の利いた定義で感心してしまったのだが、しかし、ボンド・シリーズは、スパイ映画から大スペクタクルになったとき、つまらなくなった。
 もっとも、スパイというのは情報操作の専門家だから、その意味では、ボンドはスパイというよりも、レインジャーかゲリラ兵士に近い存在である。彼はこれまで、情報を交換したり、解読したりする情報操作よりも、身体やメカニズムの操作を得意としてきたのであって、『007/ユア・アイズ・オンリー』でも、彼が操作するのは女と敵の身体であり、武器や乗物のメカニズムである。情報をこせこせいじりまわすのはボンドの柄ではない。
 ただし、情報ということをもっと本質的に考えれば、セックスや格闘は身体的な情報交換であり、逃亡、追跡、メカニズムの操作は、大地や物の暗号解読であり、そして殺人や破壊は情報の消去であって、ボンドは身体的なアクションのなかでマクロ・レべルの情報操作を行なっているのだと言えなくもない。
 しかし、観客の側からすると、ボンド映画は観客に能動的な情報操作の機会をほとんど与えない。観客は、概して、ボンドの身体的な〈情報操作〉にひきまわされ、そのスケールとダイナミズムに匹敵する観客側の視覚的情報操作の自由をうばわれてしまうのである。
 その点、スパイ小説を読むということは、ここでは読者が自分で読まなければ何事もはじまらないという点からも、ボンド映画をみるよりもはるかに能動的な経験である。とりわけ最近のスパイ小説のなかには、情報操作そのものを主題にし、しかも読者にも能動的な情報操作的介入を要求するものが少なからずある。
 たとえばロバート・リテルの『ルウィンターの亡命』(早川書房)では、アメリカ合衆国の科学者がソ連に亡命し、核ミサイル弾頭の情報を提供するが、そこから展開する〈アクション〉は、次のせりふに象徴されるような複雑さと瑣末さをもち、読者も二次的な情報解読に参加させられる。
「彼は本物だ、と思い込ませたがっているのであれば、彼は偽物にちがいない。偽物だ、と思い込ませたいのであれば、彼は本物だ。そこで事が複雑になってくる。わたしが一つの可能性を提示してみよう。アメリカ側は、彼が本物だという信号を彼らが送ってきていることにわれわれが気づいて、だから彼は偽物だとわれわれが断定することを期待して、ルウィンターは本物だという信号をわれわれに送ってきている、という可能性だ。ゆえに、彼らは、彼は偽物である、とわれわれに思い込ませたがっている。ゆえに、彼は本物であるにちがいない。わかるかい?」(菊池光訳)
 同じ作者の『迷いこんだスパイ』(早川書房)の主人公ストウンは、合衆国の統合参謀本部長直属の対ソ情報機関の主任であるが、この作品でも、リテルの他の作品同様、ボンド映画のようなスペクタクルはなく、むしろ日常的なレベルでの瑣末な情報操作が記述され、しかもそれがマクロ・レベルの出来事と連動しあっている。今度は、合衆国側がソ連の亡命者から極秘情報を受けとり、その裏付をとるためにストウンがモスクワに潜入する(例によってリテルが描くソ連の街と人々は実にリアリティがある)。が、ストウンを待ちかまえているのは、世にも恐ろしい凶暴な殺し屋や、超人的な能力を要求するシテュエイションではなく、ごくありふれた男や女たちであり、都市の日常的環境である。たとえば次のくだりは、歯の治療をロシア人の亡命歯科医にやらせるほど用心ぶかいストウンが、目のこえた売春婦にその素性をあばかれるところだが、ボンド映画では−−あれだけベッド・シーンを売りものにしながらも−−こんなことが問題になったことはない。
「わたしの外国人たちは、ベッドの中では、みんなあなたのようだった−−彼らは、快感を味わうと同時に与えようとするの。ロシアの男たちは口を使うことをあまり好まないし、とても早いの。そのほかに、これがあるわ。(カトゥーシカがシーツの下に手を入れて、指の先で彼のペニスの輪郭をたどった。)わたし、ペニスの包皮を切り取ったロシア人に一度も出会ったことがないわ。いっしょに寝たユダヤ人ですら、してなかったわ」(菊池光訳)。
 ボンド・シリーズは、まさにこうしたディテールを一切無視することによって成立しているわけだが、それとひきかえに、観客を映像にしばりつける魔術的効果を手に入れる。従って、ボンド・シリーズで潜在的なテーマになっている東西陣営の政治力学も、現実とは無関係の−−あるいは現実を隠蔽するかぎりでおよそ反動的な−−しろものとなる。『007/ユア・アイズ・オンリー』では、ボンドは西側の軍事力の鍵をにぎるATAC(低周波ミサイル誘導装置)のユニットがソ連の手にわたらないようにそれを破壊して東西のパワー・バランスをまもり、〈世界平和〉に貢献するということになっている。しかし、リテルの『迷いこんだスパイ』を読むと、パワー・バランスなどというものは、平和を保証するどころか、ただただ軍備競争を昂進させるものであることがわかる。リテルは、軍部勢力と議会(ソ連では党)勢力との利害のちがいを正確に書きわけ、軍縮協定を成立させずに「双方ディキンソンでいたちごっこをやっている現状を維持すること」において東西両超大国の軍部勢力の利害は完全に一致していることを説得力をもって描いている。その際、双方の情報操作は、たえず軍備を増強することを「物知り顔の文官ども」(議会や党)に納得させるため、〈敵側が新兵器を開発した〉という情報を〈敵側〉から流れるようにするところまですすんでゆく。まあ、その意味では、ボンドが必死に守ったATACの中味はただのおもちゃだったのかもしれない。
監督=ジョン・グレン/脚本=リチャード・メイボーム、マイケル・G・ウィルソン/出演=ロジャー・ムーア、ジュリアン・グラバー他/81英◎81/ 7/11『月刊イメージフォーラム』




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