19

タイムズ・スクエア

 ニューヨークという都市の最近の動向を知るうえで、アラン・モイル監督の映画『タイムズ・スクエア』はいくつかのインデックスを提供してくれる。まず、ニッキー(ロビン・ジョンソン)とパメラ(トリニ・アルバラード)という二人の少女の出会い−−これは、ひじょうに野卑なものと上品なものとが共存し、まじりあうニューヨークの街をずばり形象化するものだ。ニッキーは、いわば街のフーテン少女であり、ロック歌手になることを夢見ながらも、はみ出し者として施設を転々としてきた。パメラの方は、裕福な父をもち、ニッキーと同じ年頃だが、彼女よりははるかに教養があり、言葉づかいからしてちがっている。ニッキーの言葉は街の言葉であり、彼女の口からは〈ファック〉とか〈アス・ホール〉とか〈テイク・ア・ピス〉などという毒のある卑猥な表現がたえずとび出す。が、生きることに自信を失っているのはパメラの方で、世間へ向かってはいつもキレイごとをならべている父に不信感をいだいており、経済的には何の不自由もないのだが、母のいない家庭(片親というのも最近のニューヨークの親子関係の典型的なパターン)では、FM放送のDJ番組を心の唯一のよりどころにしている。
 こんな二人がはじめて出会う場所が精神科の病室というのもいかにもアメリカらしい。アメリカでは、ロバート・レッドフォードが演出した『普通の人々』でもみられたように、子供の心の悩みの相談にのるのは親でも先輩でも教師でもなく、精神科の医師やセラピストなのである。ニッキーは、街でいさかいをおこし、精神に障害があるとみなされ、この病院におくられる。パメラの方は、毎日沈みこんでいる娘を心配した父親によってこの病院に入れられる。むろん、現実には、階層がちがえば住む場所も入る病院もちがうニューヨークのことだから、階層が極端に異なるニッキーとパメラが同じ病院に入り、しかも同じ病室になるなどということはありえないことだろう。が、いまはそんなことはどうでもよい。それよりも、この映画では、二つの個性、二つの文化、二つの社会がぶつかりあい、まじりあってゆくことがおもしろいのだ。
 階層も、従って文化も極度に異なる二人の人物が出会って影響を受けあうという構図はむかしからよく使われるドラマ設定だが、アメリカ映画では一九六〇年代以降、エリートや強者が未熟な者やめぐまれない者、弱い者に出会い、影響を与えるよりも、むしろ〈普通人〉が浮浪者やフーテンに近い人物から感化されるという構図が支配的なものになった。?嚼^夜中のカーボーイ』i一九六九)や『Xケアクロウ』i一九七三)がよい例である。『タイムズ・スクエア』でも、感化されるのは、アッパー・ミドル・クラスの娘のパメラの方で、彼女はニッキーに出会うことによってそれまでのタテマエとキレイごとの生活に訣別する。病院を二人でぬけ出し、ハドソン河ぞいの倉庫跡に、街でひろいあつめた家具をならべて二人のヒッピー的新生活がはじまるのである。
 ところで、ニューヨークでは近年、その文化においてもそこでのライフ・スタイルにおいても、まさにミドル・クラスがロワー・クラスの文化やライフ・スタイルを吸収することによって自己を活性化する傾向がめだつ。服装にしても言葉にしてもひじょうにカジュアルになってきたし、少数民族の芸術や料理がマス・カルチャーのなかにどんどんとりいれられている。ブロードウェイのミュージカルでは、いわゆる〈黒人もの〉は?探he Wiz Ain?Ft Misbehavin?Fのように、もはや〈黒人ミュージカル〉であるよりもアメリカン・ミュージカルとなっている。また、十年前にはまだまだイタリア系アメリカ人の〈特別区〉だったリトル・イタリーも、いまでは観光客が歩道を闊歩し、以前以上に〈イタリア国〉の−−従って人工的な−−ファサードをもった喫茶店やレストランがいくつも開店した。
 このような傾向は、文化と社会を一次元的なものに均等化してしまう一九五〇年代流の汎アメリカ主義の反動として生じたと言っていいだろう。映画においても、五〇年代はまだハリウッドの全盛期が続いており、およそ無味乾燥なコンクリートのスタジオだらけの街、ハリウッドにふさわしい、どれをとってみても地域性や歴史性の感じられない作品がたくさん作られ、アメリカ国内だけでなく、世界中を〈アメリカ化〉する機能を果たした。だが、このような傾向は、もはやアメリカ映画の主流ではないし、そもそも〈主流〉というようなものを定めることが無意味になるような〈多元化〉が進みつつある。配給だけはハリウッドにたよるが、製作は独立のプロダクションが行なう作品が多くなり、必然的にそうした作品は地域的な性格を強めている。とりわけニューヨーク映画は、ニューヨークという都市の個別性を生かしたものを作り、興行的にも成功している。そしてこのことは、決して映画の世界だけのことではなく、今日のアメリカの文化と社会の全域にあてはまることなのである。
 都市に関しても、一方では古い建物をとりこわし、巨大な最新型の建物をつくる動きは一向になくなりはしないが、住宅地区ではむしろ古い建物や街の雰囲気を保持しようとする傾向が強まっており、とりわけニューヨークのマンハッタンでは、たとえ自分の持家であっても、そう簡単に建てかえたりするわけにはゆかない。二年ほどまえ、ワシントン・スクウェアに近い、イレブンス・ストリートの住宅街にベイ・ウィンドウのある三階だてのモダンな建物が出現した。それは、東京の街の感覚的規準からすればかなり〈趣味のよい〉建築で、何も問題はなさそうにみえる。しかし、これが計画されてから実現されるまでには十年の歳月を要したし、依然今日でも、この建物のスタイルが周囲の環境にそぐわないという批判がたえてはいないのである。
 この建物の両どなりの五棟の建物は、すべて一八四五年にヘンリー・ブルヴールが五人の娘たちのためにたてさせたもので、それらの建築様式は〈グリーク・リヴァイヴァル・スタイル〉で統一されていた。が、一九七〇年三月のある夜、そのうちの一つの建物で不審な爆発事件が起こり、建物は使いものにならないくらい大破した。警察の発表では、〈ウエザーマン〉のグループがその地下室で爆弾を製造していて事故を起こしたのだという。それから半年後、その建物の所有権は建築家のヒュー・ハーディに八万五千ドルで売却され、ハーディは早速、ほぼ現在のものに近い、ベイ・ウィンドウが通りに対しななめについている新しいデザインの建物をそこに新築する計画をすすめた。だが、そのプランはコミュニティから予想外の強硬な反対を受けることになった。結局このプランはたなあげになり、それから七年のあいだ、この静かな通りの一角がいわば歯のぬけたように廃墟のまま放置された。
 一九七七年、以前にこのあたりに住んだことのあるラングワージィという人物がハーディから権利を買いとり、ハーディの設計でふたたび建設計画を再燃させた。当然反対の声があがったが、ラングワージィの根まわしが成功したのか、最終的に市の史跡保存委員会(The City Landmarks Preservation Commision)は、ハーディのデザインは周囲の歴史的雰囲気を破壊するものではないという判断を出し、この計画にゴー・サインを与えた。住人たちは〈グリーク・リヴァイヴァル・スタイル〉の再現案に固執したが、一九七九年にプランは実行にうつされ、年末には新しい建物が出来上がったわけである。権利の取得を含めて総工費は五十万ドルといわれ、そのなかには、他の古い建物との調和をくずさないために特注したレンガの多額の費用が含まれているという。
 このような例は、今日のニューヨークでは枚挙にいとまがないのだが、おもしろいことに、映画『^イムズ・スクエア?宸ナは、まさにこのような問題の核心がストーリーの主要な部分の一つになっている。パメラの父親は、〈タイムズ・スクウェア復興〉という都市浄化・改造キャンペーンの推進者で、タイムズ・スクウェアからポルノ劇場やセックス・グッズの店のような〈俗悪〉な施設、アル中、薬中、浮浪者、売春婦などを一掃し、街を浄化しようという運動を行なっている。パメラは、そうした父の具体的な方針の一つ一つを理解しているわけではないが、街を浄化しようというような姿勢のなかに欺瞞があることに気づいており、それが父への反撥という形で顕在化してくる。彼女とニッキーが映画のなかで歌う?添our Daugter is One?A には、こうした彼女の気持と批判がよくあらわれている。ニュー・ウェイブ調のこの歌のなかでパメラは、だいたい次のような意味のことを街の言葉で歌うのである。
 おとうさん、あなたはタイムズ・スクウェアを冷たくて味気ないものにしたいの? あなたのことを嫌っている人たちのことをどうして懲しめるの? 体裁のいいことを言ったって、うちじゃあ〈スパ公、クロ助、ホモ野郎、フーテン〉なんてきたない言葉を使ってるのをあたしは知ってるのよ。スパ公、クロ助、ホモ野郎、フーテンだって?@?^ あなたの娘だっておんなじなのよ!
 パメラは、ニッキーという生粋の街っ子に出会い、身なりはもとより、言葉つきから身ぶりまでいままでとは全く変わってくる。それまでの彼女は、この歌がもっているような〈卑俗〉さ−−この歌には、fucking naziとかshit-eating smile などという表現がある−−とは距離をおいた世界に住んでいた。ところで、パメラのこうした変化は、実は、一九六〇年代以降のニューヨークの−−そしてさらにはアメリカの−−ミドル・クラスの文化的・社会的変化であったことを見のがすことはできない。一九五〇年代に浸透したコカ・コーラや大型自動車に象徴される一次元的な社会と文化によってすっかり活力を失ってしまったアメリカのミドル・クラスは、一九六〇年代以降、ブルー・カラーやエスニック・グループの〈卑俗〉な文化やライフ・スタイルを活力源としてとりいれるようになるのである。これがまさに一九六〇年代のカウンター・カルチャーや造反文化の出現であり、その媒介項をなしたのが、ミドル・クラス出身の若者たちであった。その際、これを、ミドル・クラスによるロワー・クラス文化、ライフ・スタイルの吸収としてではなく、異なる階層間の相互浸透だとみることもできようが、現実には、この文化的・社会的葛藤によって活力を得たのはロワー・クラスではなく、ミドル・クラスやアッパー・ミドル・クラスだったのだから、やはり、後者が前者を活力源として利用したとみた方が適切だろう。
 理論的なレベルでは、こうした動向は、すでに社会学者のリチャード・セネットが『無秩序の活用』(今田高俊訳、中央公論社)のなかでとりあつかっている。セネットによれば、五〇年代によしとされた郊外のコミュニティ生活は、一面で安全な生活を保証し、人種的・民族的なあつれきや外圧から人々をまもりはしたが、その反面、他者への積極的な関心や生きたコミュニケイション、つまり人間の基本的な活動性から人々を切りはなすことになった。こうして六〇年代になると、とりわけ経済的な豊かさのなかで成長した−−従って郊外生活の〈安逸〉と退屈さのなかで成長した−−青年層のあいだには、型通りの生活をきらって「アナーキーな都市環境がもつ無秩序さ」のなかに自己を投入する者がふえてきた。六〇年代のヒッピーもある意味でそうだが、とりわけ大都市に回帰する若者たちにこのことがいえる。その際重要なことは、そうした〈無秩序〉が生み出す葛藤は、いわゆる生存競争のための経済闘争ではなく、他者とコミュニケイトしようとする文化的な葛藤であって、それは都市暴動や犯罪につながるものであるよりも、むしろ創造的なコミュニティ生活を求めるものである点だ。かくしてセネットは、こうした「アナーキーな都市環境」を持続的なものにすることこそ今日では必要なのであり、「無秩序こそ現代の富と豊かさを活用する永続的な方法である」と主張した。
 ただし、『無秩序の活用』が出てから十年以上たった今日、ニューヨークは、たしかに、ロワー・クラスの文化や社会のなかにあった既存の〈無秩序〉を大いに活用して生きかえってきはしたが、セネットが言ったような真に創造的な〈無秩序〉を人工的につくり出すことにはほとんど成功していない。つまり、〈無秩序〉はロワー・クラスからくみとられたのであって、ミドル・クラスやアッパー・ミドル・クラスがみずからつくり出したものではないのである。そのため、ニューヨークの都市政策の場合、その現実は、むしろ、〈卑俗〉なものをさんざん利用したあとで、それが〈必要〉の限度をこえてのさばりはじめると、今度はその追い出しにかかる傾向が強く、パメラの父親がおしすすめているような〈タイムズ・スクウェア復興〉計画のようなものは色々の形で存在し、実際にはもっとソフトで巧妙なやり方で浄化をすすめている。そのため、たとえば、古い建物が〈高級マンション〉に改築されたために〈合法的〉に追い出された−−たとえば賃貸のアパートメントの契約が切れたとき更新を許さず、テナントが出ざるをえないようにし、空いた順に買い取り制のアパートメントにしてゆく−−テナントたちの異議申し立ての声がミニ・メディアでしばしばとりあげられている。
 その意味では、映画のなかで、パメラとニッキーがいつもきいているWJAD局(これは実在しないが、似たようなFM局はいくつもある)のDJ、ジョニー・ラガーディア(ティム・カリー)がパメラの父親のタイムズ・スクウェア浄化運動にまっこうから反対し、彼の番組を使って対抗キャンペーンをはるのは、単にこの映画のなかだけの話ではない。ニューヨークでは今日、限られた地域をカバーするミニ・メディアとしてのFM放送がさかんで、なかにはWBAI局のように、聴取者の献金によって局を運営し、コミュニティ情報や、電話による聴取者参加を重視している局もある。そこではメディアは、マス・メディアとは反対に、少数派の自己表現に役立てられている。
 ロング・エイカー・スクウェアと呼ばれていたタイムズ・スクウェアは、一八九三年にチャールズ・フローマンのエンパイヤ劇場がたったのをかわきりに、一九〇五年までのほんの十数年間に、それまでフォーティンス・ストリートより南が中心だった劇場街からその中心をうばいとり、一気にアメリカ最大の劇場街にのしあがるが、当時たてられた劇場の多くは、今日、ポルノ劇場などに変わりながらも、依然、同じ場所にある。俗悪な看板やネオンにかくれた古い建物をよくみると、そこには十九世紀風の由緒ある建築様式がもとのままのこっているのがみえる。映画の終わりの方にも、ニッキーがタイムズ・スクウェア劇場のひさしのうえでロックを歌うシーンがあるが、この劇場は一九一〇年にユージン・デローザによってたてられ、一九二〇年代にはベン・ヘクトとチャーリー・マッカーサーの『ザ・フロント・ペイジ』(映画にもなっている)のような大ヒット作を上演した有名な劇場である。しかし、何十回となくそのまえを通っていたわたしが、この映画のショットをみてはじめて、この劇場がギリシャ・ラテン国のオーダーのあるファサードをそのままのこしており、オールド・ニューヨークの写真集でみた昔の姿とほとんど変わっていないことに気づいたくらい、このあたりの歴史的建造物は精彩を失っている。それは、おそらく、タイムズ・スクウェアが、もっぱら営利の追求と通過者の街となっているからにちがいない。とはいえ、ニューヨークの街は、つねに予測を越えたものをはらんでいる。それは、計画的な保存の精神からよりも、突然変異的な破壊と創造の精神から生まれかわるのである。
監督=アラン・モイル/脚本=ジェイコブ・ブラックマン/出演=トリニ、アルバラード、ティム・カリー他/80米◎81/ 6/19『KAWASIMA』




次ページ        シネマ・ポリティカ