粉川哲夫の「雑日記」

総覧   ●「シネマノート」   ●ラジオアート   ●最初の「雑日記」(1999年)   ●「雑日記」全目次 (1999〜)

2024/10/11

ソーシャルメディアの横死 twittchanを知ってたかい?

Twitterは、既存のマスメディア、とりわけテレビが有名人や報道に都合のいいコンテンツを引用し、それが反響を呼ぶようになってから「マスメディア」になった。そして、イーロン・マスクが買収してXと名称を変えたとき、完璧な「保守メディア」になった。

わたしは、早々とtwitterを使い出したが、仲間うちの交流メディアであることを越えて「マス」化しはじめたので退会した。「twittchan」というパロディサイトを作ったのはそのころである。これは、けっこう好評で入会したいなんてメールをもらったので、twittchan 2.0」も作って楽しんだ。

しかし、ほかのひとのtwitterを読もうとするとログインを求められることがおおくなり、仕方なくまた復帰した。性根が気まぐれなので、そのうちまた嫌気がさして脱会したが、また必要にせまられてアカウントを作るはめになった。

だが、イーロン・マスクの時代になり、こいつは絶対に縁切りだと思って脱会の手続きをしようと思ったら、これが出来ないのであった。出来なくはないのだろうが、めんどくさいことを要求してくる。ままよ、なら放置だというわけで、いまに至っている。

トランプは、twitterを追い出されて、Truth Socialなる皮肉たっぷりなプラットフォームをぶちあげ、いっとき商売としても隆盛を誇ったが、最近は営業的に低迷している。おそらく、トランプが今度の大統領選で勝利したら、マスクのXと合流するだろう。それは、また、「ソーシャルメディア」の終焉のときでもある。「ソーシャルメディア」は、トランプとともに腐りはじめ、トランプとともに横死する。

メディアは、プラットフォームの形式だけではなく、コンテンツもあり、それは、プラットフォームがどんなに反動化してもそのプラットフォームとは裏腹の方向をめざすコンテンツがまぎれこむことを避けられない。そしてまた、メディアは、その内に自己否定性をはらんでいないと生き延びられないので、アンチをある程度は許容せざるをえない。アンチを気取りながら、それが一枚岩では、マスメディアのネガにすぎず、ポジを裏声で表現しているようなものだ。

メディアの形式が変わらなければならないのは、こと点で、どう、どこで、いかなる方法で発信するかが重要なのだ。

メールも横死か?

そういえば、紙の手紙は、マイナー、ミニになり、逆に面白くなった。新たな形式の「メールアート」もいいかもしれない。郵便料も上がり、ポストも街から減っている。ここにはマイナーメディアとしての可能性がたっぷりある。

メールもおそらく、似たような運命にあるかもしれない。メールの返事は書かないが、LINEなら即返事を書くという手合が多くなっているような気がする。一説によると、いま、日本では、人口の80%がLINEのユーザーだとのこと。画像や動画の発信も、支払いも、スマホのLINEで一発ですよとほめそやすひとを何人も知っているが、そもそもスマホをやらないわたしには縁がない。「みんな」がやることはやりたくないのだ。

先日、本当に久しぶりにメトロに乗った。いやあ、退屈きまわりなかった。歩く――というより「徘徊」を常習としていると、電車やタクシーに乗って、じっとすわっているということが耐え難い。スピードはかなわないけど、こんなことをしているのなら、歩いてしまったほうがいいのではないかという気持ちになり、車内の広告やディテールをくまなくながめて退屈をしのいだ。

すでに大分まえから感じたいたが、乗客の98%以上がみなスマホとにらめっこしている。乗ってきた中年のひとがバッグから文庫本を出したので、おおと思ったら、ポケットからスマホを出してそのうえに乗せた。本はスマホの台にすぎなかった。その代わり、以前にくらべて居眠りをしているひとが少なくなったような気がした。これは、栄養の変化かなにかか?

Fujitsu OASYS Pocket

わたしは、スマホを嫌っているわけではない。重さが80gを切り、機能がノートパソコン並になれば、買ってもいいと思っている。もともと小型のコンピュータには目がなかった。小型で通信が出来るマシーンはほとんどみな試した。電車のなかで使っていると、奇異な目でみられたりもした。だから、iPhoneが出たときには飛びつきたくなったが、当時わたしはすでにLinuxユーザーで、Mac系には距離を置いていたので、アンテナショップで触っただけで買うのはやめた。そのうち周囲が持ち出したので、その性能と使い勝手がわかるにつれ、関心がついえてしまった。

1991年に車内で原稿を書くのに使っていたPC。サイズは220×110×20mm、重さ550gぐらい。
スマホの先

じゃあ、いま現在、「みんな」が使っていなくて、超面白く、将来性のあるメディア機器とは何だろう?

普及していないわけだから、大企業が作るものではない。プロヴァイダーのような統括システムの世話にもなりたくない。メディアだから、生身のなかで起こる発振と振幅をちょっとだけでも送信するもの。やはり、手がかなめか? 媒体は電磁波でなくてもいいか? 水や空気はどうか? 

電波は、すでにマルコーニの時代に国家独占が始まっていた(だからマルコーニのラジオ実験は「違法」だった)。水も、いま、占有権が争われている。空気に関してはまだ、「ここの空気はおらちのだ」という奴はいないだろうが、「空気を読まない」なんて非難する輩がいるから、どうなるかわからない。