粉川哲夫の「雑日記」

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2024/09/05

トランプ以後 テレビショウ vs 香具師的辻説法

エミー賞などが「映画」と区別して使う「テレビショウ」という観点からアメリカの大統領選について折にふれて漫想を書きなぐっているが、ヤボ用にふりまわされているあいだにカマラ・ハリス対ドナルド・J・トランプのディベイト(9月10日)が終わり、さらには副大統領候補のティム・ウォルツ対JD・ヴァンスのディベイト(10月1日)も終わってしまった。

両方とも、深夜生活を括弧にいれて昼すぎまで寝ないでライブ中継を観た。そしてそのつど雑感を書きかけたが、依然として時差ボケ的な日本のメディアに半畳を入れるみたいな感じになりそうなので、ボツにした。

これらのディベイトは、一般には、党派やイデオロギーや人柄の相違や対立としてとらえられているが、わたしの関心はそこにはない。むしろ、ディスクールやメディア形式の違い、そしてそういうものをささえているメディア意識の問題として見たいと思うのだ。

すでに何度も書いたように、カマラ・ハリスの言説と演技は、いまの「テレビショウ」に向いている。つまりそのテイストは「コンビニの味」である。対するトランプのほうは、香具師(やし)やテキヤや辻説法の言説である。いや、洒落も気っ風もユーモアもないトランプの口上を香具師やテキヤになぞらえるのは失礼だが、方向はそちらである。

最近はそのトーンが「念仏」のようになってきたので、もっと別のジャンルに入れたほうがいいかもしれない。ティム・ウォルツが流行らせたとも言われているトランプ派への差別語"weird"(ウィアード/変な、場違いな・・・)の感じがますまる強くなった。

「テレビショウ」を見慣れた者は、トランプがディベイトでカマラに敗けたという判定をくだす。が、トランプ自身は、“That was my best Debate"と言う。これは、むろん、トランプの負け惜しみであるとしても、香具師の側からすれば、カマラに挑発されて「怒りと憎悪と差別」の発作的パフォーマンスが出来たのだから、論理的には「香具師」的冥利につきるものだった。

そもそも教祖の話というものは、「わからない」ところが「いい」のだ。常人には「わからない」ことを支離滅裂であることをいとわずに言える才能こそ、教祖の素養である。

ただし、トランプが各州のラリー/集会で見せている説法にくらべると、ディベイトでの「ウィアード」な言説は支離滅裂さに欠け、そのデタラメなシュールさに惚れてきたトランプ派の輩には二番煎じ以下に見えただろう。その意味では、異なる演技をひとくくりにして評価すれば、カマラ・ハリスのほうが勝っていた。

無音のファッキング

絶妙だと思ったシーンがあった。カマラは、トランプがタリバンと直接交渉をしたことを非難しながら、明らかに「このファッキングな大統領は」と言っていると受け取れる発言をfuckingという語を発音しないまま示した。無音のファッキングだ。This xxxxxxx former presidentの「xxxxxxx」の部分では口をとざしたままF-U-CK-INGを飲み込むような間を作り、それからF-uckingと同じ頭文字のアルファベットのF-ormerにつないだのである。(→このシーン)(→その前後

香具師の禁じ手

2016年の選挙のときにヒラリー・クリントンとトランプとのあいだで、慣例にしたがって3度おこなわれたディベイトでは、トランプは、舌たらずで短絡だらけのディスクールを披露し、ディベイトとしては、クリントンに敗けたという印象が強かった。富豪でやり手の印象が広まっていたトランプだったが、頭のほうはダメだねという批評にもかかわらず、彼は当選した。

しかし、8年まえの彼とクリントンとのディベイトの記録をいま見直すと、ディベイトにおけるトランプの姿勢は変わってはいない。むしろ、彼は、その後の8年間に自分を「香具師」に仕立て挙げることに決めたのであろう。ただし、彼の願望は、大道で客を楽しませる香具師ではない。むしろ、香具師的言動をあやつってひとを脅したり、騙したりするギャングの親玉願望である。ただし、最近の彼の説法は、愚痴っぽい悪口ばかりで聴衆に喜び(他人の不幸を楽しむ喜び)をあたえない、老人のたわごとのようになってきている。

「凡人」ティム・ウォルツ

ティム・ウォルツとJD・ヴァンスとのディベイトは、ウォルツがもっと大げさな身ぶりと言動でヴァンスを圧するか、あるいは、ヴァンスが憎たらしい嫌味を丸出しにしながらウォルツを追い込むかといった予測があったが、結果は、「普通のディベイト」に終わった。が、これは、決して「普通」のディベイトではなかった。

10月5日のテレビショウ『サタデー・ナイト・ライブ』(SNL)では、ウォルツとヴァンスが「意気投合」して、それをテレビで見ていたハリス夫妻とバイデンが仰天する場面を描いているが、このディベイトでは、ヴァンスのしたたかさが発揮され、ウォルツのお人好し的凡庸さが露呈した。たしかに、口論はなく、二人は「紳士的」に話を交わした。

ウォルツは、メモばかりとり、そのたびに映像のフレームから表情が隠れてしったが、これは、彼がこのディベイトのテレビショウとしての性格をまったく意識していなかったことを意味する。彼が、大会や各州の集会で見せてきた演説をそのままくりかえせばサマになっただろうが、そうはせず、ヴァンスの意見を生真面目に受け取った。

ヴァンスは「真正トランプ」

ヴァンスのしたたかさは、トランプが言うと反発をくらう彼の反動思想を言い換えて「普通」にしてしまうことだった。

ヴァンスに言わせれば、トランプの「嘘」は、いわば「必要嘘」であり、たとえば、オハイオ州のスプリングフィールドで移民者が貧困のあまりペットの犬やネコを捕まえて食っているという事実無根な発言も、移民問題に世間の目を向けさせるための操作だと主張する(このディベイトでは司会者の介入でこの問題にふれることをしりぞけられたが、Xにはそう書いている)。ウォルツの立場であったら、その言い換えのからくりを指摘し、「何言ってんだオマエ!」ぐらいを言う必要があったが、言わなかったし、言えなかった。

トランプがヴァンスを副大統領候補に選んだのは失敗だったという論評がはびこっているが、トランプはよき(そして恐るべき)後継者を選んだと言える。トランプが大統領になっても、彼が職務を遂行できなくなれば、ヴァンスがそのあとを継ぐ。そのときどういう政権が生まれるか? トランプ政権とは比較にならない圧政がはじまるだろう。

とはいえ、カマラ・ハリスを大統領とする政権でウクライナや、中東の情勢がおさまるとはまったくいえない。イスラエルは、バイデン/ハリス政権が目下のところ外交的に高圧的な姿勢をとれないことを承知で強権をほしいままにしている。

「バカ」っぽさんの策略

最近、もともとトランプ好きのイーロン・マスクが、トランプ礼賛に必死だが、こういう手合が好き放題のバカをやる日もそう長くはないだろう。こいつも、JD・ヴァンス同様、バカを演じているようなフリをして支配の網を確実に広げるのが得意だ。だって、あなたもXの愛用者でしょう?だから、ハリスが政権を維持しても、トランプが政権を奪取しても、アメリカの政治の根は変わらない。

そういう意味でも、アメリカは、トランプで苦労し、トランプ批判に明け暮れるほうが、「身のため」かもしてない。