粉川哲夫の「雑日記」

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2024/06/18

「革命前夜」 「逝去」のアルケオロジー

いつのころからだったろうか、ひとの死を「逝去」と表することがはやりだした。この言葉は、それまでは、「死ぬ」や「死去」よりも敬(うやまい)度の高い表現とみなされてきた。ようするに「偉い人」の死、組織や権力のトップ、皇族などの死に使われてきた。

これが、気づくと、友人はおろか妻や夫や親族が死んでも、「逝去」が好んで使われ、それがあまりに浸透してしまったので、もうすこし敬い度を上げるためにに「ご逝去」と言わなければならなくなった。

当初、部下から訃報をもらい、「おまえの親父ってそんなに偉かったっけ?」と軽口のつもりの発言をした上司が当時猛威をふるっていた「パワハラ」なるシキタリで社会の猛反発をくらって失職したという記録もある。

この傾向について、ある批評家は、「逝去」の「逝」は、行くという意味ですから、「逝去」は「死ぬ」や「死去」よりも丁寧なだけで、いいんじゃないですか、言葉は生き物ですから逆らえません、と現状を肯定した。

英語学者も、英語では、"pass away"と言いますから、同じですね。英語の場合は、階級差よりも丁寧さの度合いが違うだけですが、と気にしなかった。それを聞いて、そういえば、暴漢にぶっ殺された奴には"pass away"は使わねぇなあとジョークったのがいて顰蹙をかった。

しかし、精神分析学の素養のある社会学者は難しい顔で言った。いい傾向ではないですな、コロナ以前から、葬儀を簡略化する傾向が強まり、葬儀関係者も収益が落ちて頭を抱えていたわけですが、遺族のほうも、盛大な葬式をしないで経費節減になったのはありがたいが、でも、死者に気の毒だ、申し訳ないという気持ちが無意識に淀み、その抑圧を昇華するために丁寧語を使うようになったのだとおもいます。これは、決して健康的なことではありません、云々。

ただし、「逝去」の氾濫で危機を最も切実に感じたのは、「逝去」を濫用する「庶民」ではなく、上級国民やそれ以上のステイタスをもったひとたちだった。それまで安心して「逝去」を使ってきたのに、「ご」や「御」を付けただけでは彼や彼女らの上にいる「かたがた」の死をさしさわりなく表現することができなくなったからである。

そして、ある時期、「薨去」(こうきょ)という言葉が使われ、上級国民はこぞってこちらを採用するようになった。この語は、もともとは貴人、皇族の死をあらわす超尊敬語あった。

が、上位度とは、希少性にもとづく自己満足であるから、この「薨去」も、おれが一番!と言いたい輩の不満とするところとなり、またしても「ご薨去」「御薨去」という文字が、文字メディアをとびかうようになった。

そうして、ある日、ある富豪のトップが亡くなったとき、あの言葉を使ってしまった。「崩御」である。

これには、貴人のあいだで激震が走った。宮内庁は、ただちに、「非常に遺憾である」という意味不明の声明を非公式に発表した。国語学者は、国語教育の衰退を嘆き、やがて、非難の矛先が文科省に向けられ、大臣の辞任という事態を招いた。

言語統制の必要まで論じられたというから、恐ろしいことである。

しかし、「崩御」の流行は、保守主義者や新・旧・極が冠せられた右翼の轟轟たる批判や恫喝にもかかわらず、ひとむかしまえ「スタートアップ」ともてはやされた企業人らが好んで使い、かつての「逝去」以上に濫用されるようになったのだった。

トレンド学者は、したり顔に、「死去」や「逝去」や「薨去」よりも、「崩れる」んだから、いちばんナチュラルな表現じゃないでしょうか、となんとなくわかるような気にさせる解説をし、「崩御」という言葉に市民権をあたえた。

問題は、貴人たちである。だが、さすがのスパークラスは半端に生き延びてきたわけではなかった。この国では、ラディカルなことは超上から降りてくる。ある日、宮内庁は、またしても、非公式に、今後天皇・皇族の死去にかんしてはこれを非公開とすると発表した。

もちろん、元号は、廃止される――と進歩派の学者たちが喜んだのもつかのま、「大化」(たいか)という最初の(?)元号に一本化された。天皇の代替わりは非公開となり、皇位継承問題は消滅した。

ながらく「不死」(immortality) 技術に投資してきたジェフ・べゾフは、この声明に最初の賛辞を表明した企業人として知られている。実際、忌日を公表しないという声明は、同時に、「不死思想」の肯定であり、不死テクノロジー産業の興隆をいっそう刺激した。

なお、ジェフ・ベゾスの不死なる崩御の際に非公式に流されたのは、セリーヌ・ディオンの Immortality ではなく、ドリス・デイの Que Sera, Sera だったとのこと。

戯友(ざれとも)ゾフィー・プシクールを偲(しの)んで