粉川哲夫の「雑日記」

総覧   ●「シネマノート」   ●ラジオアート   ●最初の「雑日記」(1999年)   ●「雑日記」全目次 (1999〜)

2024/04/27

多元的一人称

うまく行っているように見える政治は、「多元的非人称」で行われる。最近トランプを訪問した麻生太郎のようなしたたかな政治家は、そうした人称の使い分けにたけている。だから、「ポルノ女優買春口止めサギ」容疑の裁判で取り込み中のトランプを表敬訪問したとしても、麻生太郎を「バカ」あつかいで済ませるのは単純すぎる。

依然としてトランプが次期大統領に返り咲く可能性がないわけではないので、直接探りを入れたいが、バイデンに会うために訪米した岸田首相が問題の人物に公然と会うわけにはいかないから、麻生あたりにやらせたという気配もないわけではない。

麻生太郎は、ナチ礼賛のような、ほかの奴が言えないことを「うっかり」めかして言うような芸の出来る政治家である。一見トランプを支持しているかのように見せかけながら、実は、バイデンの回し者を演じることだってないわけではない。

物議をかもさない程度にしか「一人称」的な顔を見せないことをよしとする「多元的非人称」の政治に対して、トランプの戦略はなにごとにも「一元的一人称」を持ち込むことだが、それは、政治というよりも、現実のすべてが多元性で動いているかぎり、無理無理無理である。

そもそも奴が自分で立ち上げて言いたい放題を書いている「Truth Social」というSNSだって、書いている主体は一人ではない。よりすぐりの代筆プロがいる。つまり、あそこで使われている「わたし」は、「多元的一人称」であって、メディアで見せる「バカで愚鈍で無礼な」ドナルド・J・トランプ当人ではない。そして、実のところ、そういうマスイメージを越えた奴自身の「本性」は全く不明である。

現実や人格の多元性を隠蔽するのは、どの「有名人」でも同じで、その発言の製作事情の「多元性」からはからずも出てしまった「失言」や「事実誤認」で、それまでの「一元的一人称」が自己破滅することもある。トランプは、目下そのような自己破滅に向かって猛進しているのだが、その一人称が詐欺師=トランプという彼の望まぬ一人称に収斂し、逃げ場がなくなってきた。

「魔女」の資格など皆無なのに、「魔女狩り」の犠牲者ぶるだけで、「ハハハ、そういうこともやったかなぁ」とうそぶく磊落さも、「私も人間ですから」といったユーモアもないから、このドラマのエピローグに期待は持てない。

ただし、権力としては、バイデンのような「多元的非人称」を行使し、さらには「高齢」という隠れ ミノを利用してその「非人称性」をつくろう大統領のほうがやっかいである。念のため。