粉川哲夫の「雑日記」

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2024/01/31

トランプの「MAGA」 The American Way of Life

トランプの出現と存在は、アメリカの歴史的な暗部に由来することが明らかになってきた。彼は、これまで「民主主義」「自由」「多様性」等々の美名で呼ばれてきた諸理念が虚名であることを暴露させた。が、それは、そうした諸理念を持続可能なものにするための批判的暴露ではなく、それらを否定して「自分」――各個々人の自分ではなく、トランプとそのファミリーおよび追従者の「自分」――が好き勝手なことをやれる条件を拡充しようとするという形式であらわにになる。このため、トランプ現象から現状への批判よりも、自分もそういう「自分」になりたいなというトランプ的利己主義が正統化される。

「民主主義」「自由」「多様性」といったアメリカ的理念は、実際には、そうした利己主義や他者をないがしろにする「独立心」からそれらの露骨さを隠すタテマエであって、社会や経済がそこへ向かって進んできたわけではない。だから、新米ならば強引で無知蒙昧な行為や自己主張もゆるされ、初心者が無手勝流で達成したことが尊重されたりもする。「アメリカンドリーム」とはそんなプロセスの一部を言い表している。だから、このドリームには非情で残酷な過去がつきまとい、「良心」ある者は、それによって得られた富や地位のうしろめたさを「社会事業」という言い訳で悔い改めようとする。

トランプが目立つのは、彼はいっさいそうした悔い改めをしないという点である。トランプの言う「MAGA」とは、Make America Great Againの略とみなされているが、実際には、商売の屋号である。つまり、「MAGA Inc. 」である。これは、トランプを支援するために2022年9月に設立された「スーパーPAC」(Super Political Action Committee)であるが、スーパーとかコミティとか言っても、トランプ支持のために「無制限に」資金を集め自由に使っている。なぜこういうことが出来るのかは知らないが、トランプは、MAGA Inc.で集めた金で裁判費用も支払っている。ちなみに、先述のアリーナ・ハバは、MAGA Inc.の上級顧問で、100万ドル単位の報酬を得ているとのこと。

MAGAは、Many Asholes Governing America(多数のアホがアメリカを支配する)だという言い換えもあるが、トランプ現象を茶化しているだけでは、この現象の深刻さは理解できない。トランプ現象は、個人としての彼が死んだり、刑務所や病院に閉じ込められることによって終わりになる現象ではない。そうではなくて、これまでアメリカで、いや、どのみち「アメリカ」化している世界のあらゆる場所で個々人によって生きられてきたことのツケであり、彼への批判や憎悪はすべてわれわれひとりひとりに跳ね返ってくる現象である。

では、「MAGA」をMake America Great Againと受け取る場合、その「アメリカ」とはどんなアメリカか? それは、トランプやその同調者たちが単純に放言する「アメリカ」にはとどまらない。MAGAの「アメリカ」には、軍事や経済力のみのならず、1950年代にピークに達する「アメリカ式生活様式」(The American Way of Live) のが含まれている。つまり、大型車や飛行機での移動、大量生産と大量消費、高層建築や機能的な高速道路、浪費は美徳、大きいことはいいことだ、利己的な欲望の充足、スーパーマーケット、ブルドーザー、冷暖房、なんでもいっしょくたに洗ってしまうランドロマート、プロレス、・・・。
Christoph Martinez: “American Way Of Life” は、「アメリカ的生活様式」の典型をショットで活写している。→ YouTube

このような生活様式は、次第に軽蔑と嘲笑の対象になっていく。が、誤解しては困るが、こうしたビッグ・イズ・ビューティフルがスモール・イズ・ビューティフルに移行したことが「健全」だというわけではない。拠点を必要とするスーパーよりも分散型のコンビニがいいのは、ネットワーク経済にとってこちらがコストパフォーマンスが高いかということにすぎない。実際のところは、こうした変化は、エネルギー源とテクノロジーの変化がもたらした現象の違いにすぎないわけだが、いつの時代にも、主流なものがその限界を露呈させた時点からの撤退する過渡期には、それまで見えなかった新たな可能性がほの見えもする。60年代はそういう過渡期だった。

いまふと、1965年に公開された『国際情報局』(The Ipcress File)の1シーンを思い出した。それは、マイケル・ケーンが演じるパーマーと諜報局長の上司のロス(ガイ・ドールマン)とがロンドンに新しく出来たという設定のスーパーマーケットでカートを押しながら話しをするシーンである。このシーンは、パーマーの食通ぶりを示唆するシーンのように受け取られているが、わたしは、ここでロスが語るセリフの記憶が印象深かった。彼は、パーマーが「ここではお見受けしませんね」と言うと、「こういうアメリカ的なショッピングの方法は好きじゃないんだ」と語るのである。ここには、CIAに対するロスの姿勢が示唆されていると同時に、まだこの時代にはアメリカ的なスーパーマーケットというものに抵抗を感じている世代がいたことを表現してもいる。その時代、わたしはといえば、青山に出来たスーパーマーケットや、近所にあったアメリカの軍人専用のスーパーマーケット方式の店に憧れを感じ、その一方で、下町やマーケット街の活気と「うさんくささ」に親しみを感じていた。

わたしは、戦前の「Great Nippon」のツケとしての第二次世界大戦のはてに到来した「Great America」に目を見張った世代である。が、それにすっかり惚れ込んでしまった「アメリカ大好き」の戦前世代や、彼らが生み出したバブル経済に踊らされた「ネアカ」文化によってつかのまの「Make Nippon Great Again」をもてはやす諸世代とは異分子的位置にいたので、「アメリカン・ウエイ・オブ・ライフ」の凋落は痛快に感じた。

1950年代のアメリカは、冷戦や侵略戦争の暗い側面に目をつぶって明るい顔をする「ネアカ」文化の時代だったが、トランプが生まれ育ったクイーンズは、ニューヨーク州のなかでも最後まで50年代文化が残っていた場所である。だから、彼らが70年代のジェントリフィケイションの推進に一役買ったのは必然的なことだった。

トランプの欺瞞は、自分は、高層ビルひとつ建てるのにも「不法移民」の労働力をさんざん利用しながら、いまになって「不法移民」を拒否し、同時によそ者の流入を排除しようとしている点だ。単に安い労働源だけではなく、異文化の運搬者でもあったということを完全に無視している。「アメリカンドリーム」には、甘い誘惑と同時に、外来者に対する寛容さという側面もあった。実際、トランプの現夫人やその親たちも、そういう寛容さのおかげで「アメリカ人」になれたのではないのか?

排除するのは不法移民だけだとしても、移住して職を得たり、学んだり出来る寛容さを効率の経済に取り込むことしか考えない。安い労働力として不法移民を使うのは、産業組織であり、そういう仕方でコストパフォーマンスを上げようとする支配者層である。支配者層のための減税は、安い労働力の削減の埋め合わせなのか?しかし、そういう組織から安い労働力を奪うことはできないから、その代案はどうするのか? ロボットでも拡充するのか? しかし、その技術は、トランプの持ち上げる旧産業=「グレイトアメリカ」からは出てこない。とすると、トランプは、いま以上に戦争志向の国家へ向かわざるをえなくなる。

トランプは、自分が大統領に再選されたら、24時間以内にロシア・ウクライナ戦を終わらせると豪語する。が、この戦争は、石油や原子力という高エネルギー依存の生活をあらためないなら決して終わらない。これは、トランプだけではなく、世界のすべての権力者たちに言えることだ。高エネルギー依存のディレンマに対する斬新で具体化可能な提言のない政治は、もはや不要である。(完)