「シネマノート」  「雑日記」


2005年 07月 31日

●サーバーとの格闘

昨日OSからデータまで新しく入れ替えたのに、昼にチェックしたらまた anarchyサーバー がうめき声をあげていた。ログを調べたら米Microsoftのサイトから連続的なアクセス(50個ぐらい映像ファイルを立ち上げようとする)があり、そのためにサーバーが重くなってしまうのだった。その疑いは持っていたが、古いOSとウェブサーバーソフトの問題だと思っていたのだ。こうなれば仕方がない。いろいろアクセス制限の加えられるApacheを入れるしかない。リモートでダウンロードとコンパイルをくりかえし、なんとか新ウェブサーバーに切り替える。少し速くなったような気がする。もう明日からはコンピュータにかまってはいられない。これでダメならレンタルサーバーにするしかないが、映像や音をストリーミングできるサイトをレンタルするのは大変。



2005年 07月 30日

●サーバー修理

この「シネマノート」はIIJのサーバをレンタルしているので、技術的な心配をする必要がないが、href="https://utopos.jp/about_jp.html"jp サーバーは全部自前なので、マシーンから日常のセキュリティまで自分で面倒を見なければならない。最近、調子が悪く、OSの入れ替えをしなければと思っているうちに、完全ダウンした。仕方なく、夏休みで人影のないキャンパスへ行く。電車のなかは、着物姿の男女や家族連れが多く、落ち着かなかった。あらかじめインストールしたHDDを持参し、交換して一応復活したが、落ちた原因は何と停電だった。おいおい、管財課さん、停電したら言ってくれよ。



2005年 07月 29日

●『モンドヴィーノ』と『有限会社ひきもどし』を見た。

到着したばかりの『スピルバーグ』と『映画藝術』(いずれにもちょっと書いている)をバッグに突っ込んで灼熱の街へ。『モンドヴィーノ』は、ワイン製造コンサルタントとワイン評論家とワイナリーの結託で進むワインのグローバリズムを批判。問題の人物たちが続々インタヴューに登場するドキュメンタリー。世の自称「ワイン通」は必見。終わってロビーでワインが出たが、みなこの映画で批判されているワイナリーのものばかりだったのは皮肉。「ひきもどし」とは、要するに「ひきこもり」をひきもどすこと。低予算のビデオ作品だが、どきっとさせるところのある作品。さて、これから、未整理の「シネマノート」を仕上げないと。



2005年 07月 28日

●『蝉しぐれ』を見た。

プレスに「『日本』を愛する、すべての人へ」(日本にカッコがついているのが意味深だが)というタイトルがついているが、亡命人のわたしには、どこが「日本」なのか理解するのに苦しんだ。そこそこの役者をそろえているのにもったいない。2度ほど登場するだけだが、殺気をただよわせる藩の用心棒役を演じる緒形幹太が光っていた。新宿でシャロン・ハヤシと会い、タイ料理。そのあと矢部史郎のじゃこばんで深夜まで。



2005年 07月 27日

●『ビー・クール』を見た。

トラボルタが音楽業界に進出する話。ユマ・サーマン、ハーベイ・カイテル、エアロスミスのスティーブン・タイラー、ダニー・デビト、ジェイムズ・ウッズなどそうそうたる役者が登場。ザ・ロックがゲイを演じるのも笑える。カメラの端や奥がけっこう凝っているのも楽しみ。はしごで犬童一心の『タッチ』も見たが、スポーツに興味のないわたしは、長澤まさみの気を使った笑いが、最近の女子大生にも共通なのにぐらいしか興味をもてなかった。千駄ヶ谷に足をのばして、Oシェフの料理を堪能。金目のカルパッチョがあいかわらず抜群だった。



2005年 07月 26日

●ひきこもりの一日

台風が東京に直撃などといううわさでアポイントメントの変更があいつぎ、ままよ、今日は外出しないですませようと、デスクワークの一日。一仕事済むと、おのずと、気になっているサーバーの「治療」をはじめてしまう。なにせ、メールや原稿を書くのと同じキーボード上で操作ができるので、歯止めがきかないのだ。ついでに放置してあったNeXTstation colorのOSの再インストールも。コンピュータを6台同時に稼動させながら作業。暑い暑い。一応 anarchy (href="https://utopos.jp/about_jp.html"jp) のミラーサイトを立ち上げたので、そちらのアドレスもブックマークしておいてください。



2005年 07月 25日

●サーバーの「治療」に四苦八苦

いまは独立している「シネマノート」は、以前は、わたしの大学の研究室においてあるサーバー (anarchy) のなかにあった。「シネマノート」にはいま、1日8,000ヒット以上もアクセスがあるので、こちらがわたしのメインサーバーだと思っている人がいるかもしれないが、依然としてメインは、anarchyサーバーである。ところが、このサーバーの調子が悪くなった。病気と同じで、付け焼刃の処置をしているうちに、だんだん状態がよくなくなった。ここで抜本的な治療をしないとわたしは存在しなくなると思い、この数日、リモートで可能なかぎりの治療をほどこした。なにせマシーン (SGI-Indy)は、10年まえのもので、色々問題がある(→「テクノロジーとのすったもんだ」)が、なんとか使えそうになったので、お暇のおりには、こちら (href="https://utopos.jp/about_jp.html"jp/) にもアクセスしてみてください【追記/SGIのサーバーは、2011年01月19日 をもって使用しなくなった→同日の「雑日記」



2005年 07月 24日

●レストランで「食べるもの」

・・・は料理だけではない。近所だったので開店早々から知っている渋谷のあるフレンチレストランが移転になるというので、久しぶりに訪ねる。料理は、シェフの好きなフランスのいくつかの店の動向を意識し、「ヌーヴェル」や「創作」という実際には居直りの味で妥協することがない正統派。それだけ少し「古い」という感じもあるが、しばらくご無沙汰した空白を感じさせない。なつかしそうな顔で席に来てくれた彼と最近の東京における「日本料理ブーム」の話。「日本食は、やっぱり京都でしょう」と言い切る彼。わたしも同感。自腹を切って食う人が東京より多いことが、京都の店の味とサービスを特別のものにしているとわたしは思う。



2005年 07月 23日

●サーナウ+コクランの『24』(DVD) に淫す

『24』は、もうシーズン4まで来ているが、シーズン1が抜群にいい。社会政治的アクチャリティがある。基本に「ファミリー」を置いているが、ファミリーは「聖なるもの」(聖家族)で、ファミリー愛こそすべてだといったアメリカ/ハリウッド的価値観にはくみしていない。ここでは、むしろ、ファミリーが「ファミリー・ビジネス」になっていることを示唆している。それと全体にただよう「不信の時代」の気分。実情は「ビジネス」化しているにもかかわらず、そうはなりきれず、それだけでもないファミリーというもののしがらみ。そして、それが国家権力の矛盾の根源にもなっていること。



2005年 07月 22日

●「試験監督」という不毛

わたしとて「慣例」を全部無視しているわけではない。その昔、自分以外の教員の「試験監督」を初めてやらされたとき、自分の授業は自分で管理すべきだし、まして「カンニングの摘発」なんて論外なので、監督はごめんこうむりたいと大学に言った。が、部長に、「これもわが校の助け合いの慣習だから」と説得され、しぶしぶ従うことにした。しかし、何年やっても、あほらしい。わたしは「カンニングの摘発」などやらないので、ほとんどやることがない。わたしは、かつて1000人の受講生のレポート採点を一人でやっていたし、いまも採点業務は一人でやる。たかが数百人の「試験」になぜ大の大人を何人も動員するのか? 大学は「サービス産業」としては一番遅れている。



2005年 07月 21日

●『チャーリーとチョコレート工場』を見た。

ワーナーだから例によって手荷物検査と金属探知の身体検査。お客は、なぜか中高年が多い。わたしの両隣はお寿司のお弁当をめしあがっているおばあさま。おかげで歌舞伎を見る雰囲気。が、じきにチョコレートの香りを放出する匂いの演出(Aromatrix)で雲散霧消。ジョニー・デップがぶっとんでいる。憎たらしいガキとチャーリーを演じる子役たちが抜群。親不孝をした息子、クソガキに悩まされている親、後継者問題で苦しんでいる親たちにおすすめ。



2005年 07月 20日

●『プライマー』を見た

渋谷駅交差点で下半身だけ『KILL BILL』の栗山千明みたいな高校性。そのそばで母親らしい人が大声でがなりたてている。言葉は中国語。いまの渋谷らしいシュールな風景。30分まえに行ったが、時間をすぎても始まらない。ようやく「スペシャル・ゲスト」が到着して開始。しかも、映画が始まってから数名が入場。「一度見ただけではわからない」という触れ込みなのに、途中から客を入れるのはどうか? 映画は、タイムスリップ・マシーンを作ってしまった2人の若者の話だが、いい意味でも悪い意味でも、「サンダンス映画祭」ごのみ。



2005年 07月 19日

●『シン・シティ』を見た。

数週間ぶりの歌舞伎町。新宿の夏は猥雑でいい。ミラノ座の街頭で狂ったようにわめきたてる劇場の予告映像の音に耐えること30分、ようやく入場し、さらに40分。スタイルは、おしゃれな劇画のタッチ。だからか、あるいはいまのアメリカの気分にシンクロさせているからか、殺しの欲望が全編にみなぎる。ただ、それがエクスタティックな快楽にまでは昇華しきれていない。クライブ・オーウェンがなかなかいい。19歳の女の子(ジェシア・アルバ)の愛をあえて拒む老年男(ブルース・ウイリス)の話は、やっぱひとごと(他人事)ではないか。ン?! 全体として甘ったれた愛が描かれないのがいい。



2005年 07月 18日

●イタリアンの饗宴

大文字の公演やギャラリー展示に行くよりもレストランに行ったほうが心を洗われるという持論。今日は試写がないので、青山のあるお店へ。サンペルグリーノで心身を清め、メルローの赤で胃を開く。スズキをピーチの上に巻き、新鮮なミントをまぶした前菜。イワシのスパゲッティ。山形牛のステーキ。つけあわせのポテトがポリモーファスな味。後半のワインはネロ・ダヴォラの赤。南洋風のデザートとエスプレソ。最期はバッサーノのグラッパでしめる。実は、一日爆睡していたときに見た夢だったりして。暑い一日。



2005年 07月 17日

●ラジオアート・パフォーマンスを演った。

東中野のポレポレ坐1Fにあるカフェー・スペイスは、ちょっとウィーンのRhitzを思い出させた。かつて「サウンド・デモ」を組織していた阿部晴政・酒井隆史・矢部史郎らのイヴェントなので、おのずからRequiem for Bagdad の新バージンを披露することになる。始めるまえちょっとしたハプニング。わたしの前のジッパーが開いていたのだ。気づいた三田格が教えてくれたが、おかげで、80年代に演っていた肉体よりのパフォーマンスを演ってもいい気分になり、てらいから解放された。こういうイヴェントがベルリンやウィーンの週末のようにコンスタントにあるといい。



2005年 07月 16日

●『ヘドヴィグ・アンド・アングリーインチ』を再見

映画評はすでに書いた(→2001-12-26)が、スタイル的にも思想的にも内容的にもブリリアントな作品。何度見ても、うまいと思う。DVDの付録のメイキングには、最初の「舞台」公演から映画までの「進化」が詳細に描かれている。自作自演で映画も作ってしまったジョン・キャメロン・ミッチェルの次作を期待したが、出ない(模様)。ところで、『ターネーション』(2005-05-17参照)の製作には、ミッチェルも一枚かんでいるのね。そのわりにちょっとものたりなかったが。
ああ、そうだ。明日のライブの準備をしなくちゃ。東中野のポレポレ坐、 スペース&カフェでおこなわれる「U GARDEN!!」というイヴェントでラジオアートを演る予定。



2005年 07月 15日

●『そして、ひと粒のひかり』を見た。

コロンビアの17歳の女性が麻薬の運び屋をするはめになり、ニューヨークにやって来る。人間の身体をただのカプセルとしてしか見ないドライで殺伐とした世界殺伐とした世界がリアルに描かれる。ニューヨークのコロンビア人コミュニティにわずかな光明。
気晴らしが必要になり、京橋から末広町へ。秋葉原のジャンク街を歩く。SGI製品が完全に姿を消す。栄枯盛衰。わたしのサーバーも替えなければなるまい。



2005年 07月 14日

●『私の頭の中の消しゴム』を見た。

韓国映画に食傷ぎみなうえに、FedoraCore4のテストにはまっていることもあって、迷ったが、チョン・ウソンが見たいので銀座に出た。
チョンと「幸せ」の絶頂で痴呆症にかかるソン・イェジン。連続もののテレビドラマが出来そうな、泣かせが見え見えの作品だが、米国生活の長いイ・ジェハン監督が、韓国の過去の喪失に思いをはせながら作っているようにも見えるところが面白かった。エンディング・ソングの歌詞は、「見慣れた町に立っていたい・・・」。



2005年 07月 13日

●『メゾン・ド・ヒミコ』を見た。

気にはなっていたが、見るのがのびのびになってしまった。結果は? 田中泯にかなり失望。この人は、やはり「男」しか演じられないのではないか? ゲイは、「男」か「女」かの単一のセクシャリティではなく、ポリセクシャリティだ。舞踏の「達人」にして、これでは、彼の舞踏の限界を露呈したことにもなる。憮然とした「丹波哲郎」といった風情では、元銀座のゲイバーの名物「ママ」を思い浮かべるのはむずかしい。



2005年 07月 12日

●『鳶がクルリと』を見た

出回っている広告の写真が「体育会系」のノリでいやだなぁと敬遠していたが、薗田賢次の新作では見ないわけにはいかない。ベテラン映画作家は『凶気の桜』をけなしたが、いいところはたくさんあった。で、今回は? 要するに「キューティ・ブロンド」みたいなノリなのだが、2時間はいらなかった。一つのフェーズから次のフェーズに行くつなぎで気分がことんと落ちてしまう。哀川翔は枯れた味を出すようになった。通山愛里がいい線を行っている。
仕事場にもどったら、『クリエイターズファイル』の針谷周作さんからメール。『月刊SKY Perfect TV!』で使ったプロフィルでなく、マジめな方にしたいという。どうやら、彼に対してわたしは、この映画の「観月ありさ」に対する「哀川翔」の役割を演じてしまったらしい。なかなか注文を受けてくれないトビの哀川に観月は、ついにたんかを切る。「鳶だか隼だか知らないけど、かっこつけるんじゃないよ」。が、針谷さんはがまんした。お疲れさん。



2005年 07月 11日

●『TKO HIPHOP』と『亀も空を飛ぶ』を見た

『TKO HIPHOP』は、出演するラッパーやDJは、それなりだったが、渋谷の街に「ありがち」な犯罪ドラマの部分がつまらなかった。『亀も空を飛ぶ』は、戦争が生み出した新しい「役者」(地雷で手や足を失った子供たち)の存在、ただただ頭をかかえるしかない戦争の現実におののく。



2005年 07月 10日

●「シネマノート」のデザインを変える

先週の金曜日、東経大でわたしが仕掛けているイヴェントに亡霊のように現れた針谷周作さんの熱意に負け、ついに彼の『クリエイターズファイル』(竹書房)のスピルバーグ特集の原稿を1日で書く。逃げきろうと思っていたわたしに、かえって最上の執筆環境を作ってくれた針谷さんは凄い編集者。最終的な直しも終わったので、やろうと思っていた「シネマノート」のデザイン変更をはじめる。