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2011年01月31日
●記憶への律儀さ
ずいぶんまえに試写があった『
RED/レッド』(Red/2010/Robert Schwentke) について「シネマノート」に書いていないのが気になっていた。軽視して書かなかったわけではない。ちゃんと書きたいと思ううちに機会を逃してしまったのだ。こういう作品がよくある。『ゴダール・ソシャアリスム』なんかもそうだ。いや、これについては、まだ書くのをあきらめてはいない。
で、『RED/レッド』だが。これは面白い。とにかく出演者が、ブルース・ウィリス、モーガン・フリーマン、ジョン・マルコヴィッチ、ヘレン・ミレン 、ブライアン・コックス、リチャード・ドレイファス、そしてちゃんと生きているよのアーネスト・ボーグナインとくるのだから凄い。「高齢者」を敵にまわすことになるカール・アーバンも頑張っていて、今年末に公開予定の『Dredd』で、かつてシルベスタ・スタローンが演じた「判事ドレッド」の役を演じる。
監督ロベルト・シュベンケの前作『
きみがぼくを見つけた日』は、タイムトラベルの話だったが、シュベンケには記憶への執着があるようだ。この『RED/レッド』は、引退したCIAのかつてのエイジェントたちの話である。さまざまな陰謀に加担していたが、その一つにガテマラの村民を皆殺しにするというのがあった。そんなことは思い出したくないウェイリスだったが、その彼が秘密の抹殺を目的とする襲撃を受け、じょうだんじゃねぇぜと反撃に出る。
すべては、
ガンアクションとサスペンスで見せるエンタテインメントなのだが、アメリカ映画というのは、「娯楽だ」と見せかけて、けっこうの「教育」(視点次第では「洗脳」)機能を果たしてしまうようなところがある。この映画のそうした「教育」面に注目すると、このところハリウッドで一つの路線になっている「ディック・チェイニー許すまじき」という暗黙の「キャンペーン」に行き着く。これは、コーエン兄弟が、『
トゥルー・グリット』で「チェイニー」(1文字だけ綴りが違うが、発音は同じ)という悪党が出てくる60年代の映画をリメイクした遠因でもある(?)。
リチャード・ドレイファスはどことなくディック・チェイニーと似ている。こいつがこの映画の「悪」の黒幕で、なかなかしぶとくウィリスやマルコヴィッチを追い詰める。むろん、ガテマラの虐殺を企てたのもこいつであり、指揮をした「現」副大統領(ジュリアン・マクマホン)はフロントにすぎなかった。まあ、アメリカ映画では、「民衆の敵」ということになると、くりかえしくりかえしその「悪行」が暴かれ、コケにされるのだ。これは、まんざら悪いことではない。日本のように、すぐにすべてを「水に流し」、忘れてしまうという別種のカルチャーも捨てがたいのではあるが。
いま思い出したが、シュベンケのハリウッドデビュー作の『
フライトプラン』も、記憶を消す者との闘いの話だった。
映画のスタイルに関しても、この映画は過去の「名作」の記憶に執着する。冷戦期に数多くつくられたCIA対KGBのせめぎ合いというクリシェの映像が新たに引用され、新鮮さをとりもどす。
旧KGBのブライアン・コックスが、ウォッカを開けてブルース・ウィリスにグラスをすすめるシーン、二重スパイだったのか若き日の色気を残しているヘレン・ミレンとダンスを踊りながら「愛してると言ってよ」というシーンもいい。陰謀パラノイアのマルコビッチが、ありふれた通行人に見える女に「つけてただろう」と食ってかかるのをウィリスが止めたすぐあとに、その女が自動小銃で攻撃してくるシーンも笑える。みなどこかで見たような気にさせるシーンばかりだが、どこで見たかはすぐには思い出せない。これも、シュベンケのある種の時間意識であり、映画的記憶への律儀な執着である。
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2011年01月24日
●「なにをやってるのぉ!」
という声が聞こえそうなメールをもらったが、要はサーバー問題のもつれである。それについては「テクノロジーとのすったもんだ」というページに書くと言っておきながら、まだ果たしていないので、少しここに書いておく。
「お引越し」というのは大変なのだが、今回、「シネマノート」のサイトをドメインもろとも独立させ、さらにanarchy.translocal.jpサイトの日本語ページをそこに移動させた。わたしは甘く見ていたが、この2つのサイトは予想以上にいろいろなところへリンクされており、この移動によってアクセスできなくなってしまった人が多数出たらしい。
そのことは、アクセスログを調べればわかる。実際、変更後、その「エラーログ」の量が急に増えた。「エラーログ」というのは、アクセスできなかったデータが何であるかを示す。ただのリンク切れならが転送措置をしてやればいいのだが、今回、「雑日記」の部分で使っていたCGIをやめたため、次のようなエラーが頻繁に出るようになった。
File does not exist:/cinemanote/www/diary/read.cgi?date=200604
これは、「2006年4月」の「雑日記」にアクセスしたが、つながらなかったということを示す。最後の「200604」の部分は、年月の数だけ変化するから、個別に対応してつなぐことはできない。そこで、この部分がどう変わっても、いまの「雑日記」のURLに来るような変換プログラムを作ってやらなければならない。プログラミングとしては、簡単きわまりない。わたしは、つぎのように書いた。
RewriteEngine on
RewriteCond %{QUERY_STRING} ^date=([0-9][0-9][0-9][0-9][0-9][0-9])$
RewriteRule ^read.cgi$ href="https://utopos.jp/articles.jp/diary/%1.html? [NC]
RewriteCond %{QUERY_STRING} ^date=([0-9][0-9][0-9][0-9])([0-9][0-9])([0-9][0-9])$
RewriteRule ^read.cgi$ href="https://utopos.jp/articles.jp/diary/%1%2.html? [R=301]
こうすると、先のようなアクセスがあっても、それが、現在の「雑日記」の方式にリダイレクトされて、クライアントにはあたかも新しいURLでアクセスしたかのようにつながるのである。
これが、「雑日記」だけならいいが、anarchyサイトの日本語ページをcinemanoteに移したので、いくつもこのようなパッチを当ててやらなければならなくなったのである。
しかし、今日あたりから、次第にエラーログのデータが少なくなってきた。あるとしても、クライアントがミスタイプした結果、まちがったアクセスをしたようなものがほとんどになってきた。このようなことがここに書けるようになったのも、そのおかげである。さあ、これからガンガン書きますよ。映像も音も載せますよ。お楽しみに。
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2011年01月21日
●カプセル化
ジャロン・ラニアーの訳(井口耕二訳、『人間はガジェットではない』、早川書房)が出ているのを発見して、読む。いっときの「天才」の衒い(てらい)はなく、「自然」態で語っている。
フリーマン・ダイソンが、<遺伝子を保護膜で囲いこんだ最初の生物を「邪悪」と表現した>が、現実は、そういう「邪悪」で動いているという。<おそらく、原初の地球においては、きちんとカプセル化されなかった生物共同体がきちんとガードされた種に負け、消えていったのだと思う。リナックスコミュニティが iPone を思いつけなかったのと同じ理由だ>。
だから、「カプセル」をぶっ壊すことも必要なのだとはジャロンは言わない。ところで、つまらないことで恐縮だが、いま「jaron」とキーをたたいたら、「ジャロン」が「邪論」になった。
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2011年01月19日
●別れと出会い
ついに O との縁を切った。もういっしょになることはないだろう。長いつきあいだった。出会ったのは1997年だから、13年以上のつきあいだった。当時英語しか話せなかったが、蠱惑的な姿でわたしのまえにあらわれた O は、美しいだけでなく、パワフルだった。しかし、2、3年もすると、いろいろと折り合いのつかないことが増えてきた。1995年にその異母兄弟にあたる I とつきあったときは1年ともたなかった。とても魅力的だったし、わたし自身は愛していたが、仕事との関係では辞めてもらうしかなかった。しかし、Oには、I とはちがうしたたかさがあった。だんだん高まるこちらの要求にも、なんとか耐え、対応してくれた。だから、Oとのつきあいは、昨年まで続いたのである。
個的には魅力は薄れていなかったし、わたしはその性格を愛していたが、仕事のつきあいでは交替を考えざるをえなかった。寛容なわたしも、時代の流れには逆らえなかった。
心配される向きもあるかもしれないので、注釈すると、ここで言う「O」とは、通称「SGI」こと「Silicon Graphics」という会社のコンピュータ「O2」である。「I」は、1993年に世界デビューした「
Indy」である。「
O2」は、1996年に出たが、わたしが使うようになったのは、1998年だった。ちなみに、「C」は、LinuxのOS「CentOS」のことである。
要するに、ウェブのサーバーの話だ。つい昨年まで、わたしは、ウェブサーバーに UNIX マシーンを使っていた。サーバーの動向は、UNIX から 完全にLinuxに移ってしまった。しかし、SGI-UNIX の「O2」というマシーンは、本来のグラフィックス用マシーンとしては時代遅れでも、サーバーとしては十分機能したし、とにかく落ちることがなかった。しかし、無償のLinux-OSが多機能になり、いろいろなことができるようになったいま、それを使わない手はない。
そんなわけで、昨年からサーバーの大改造をし、システムを完全にLinux だけにした。そのついでにメインの「anarchy」サイトだけでなく、「シネマノート」サイトのほうも改革したので、この1月以上、システムの技術的な仕事にふりまわされた。その顛末は、いずれ、「
テクノロジーとのつきあい/腐れ縁」に書こうと思うが、いまは、そのために延期になっている「
シネマノート」のページを完成させるほうが先決である。
今回、ついでにドメイン名まで変えてしまった(→cinemanote.jp)ので、リンクが切れたりして、その「redirect」処理に追われた。が、久しぶりに、コマンドラインであれこれ作業をしていると、時間がたつのを忘れた。
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2011年01月17日
●Art's Birthday 2011
今年は、「アーツ・バースデイ」と東経大の「身体表現ワークショプ」の2010年度最終回とが重なった。ならば、枠をひろげようと思い、第1部に鈴木勲+櫻井饗のデュオ、第2部にASTRO/Hiroshi Hasegawa、Manuel Knapp、Cosmic Coincidenceのエレクトロニカを仕掛けた。予想通り、鈴木さんがガンガン弾き、櫻井さんがとまどう一幕があり、実にスリリングな共演だった。第2部は授業の時間外なので、何人残るかなと思っていたら、半分案の定、学生は一人も残らなかった。その恐れがあること、海外向けのストリーミングがメインであることは、あらかじめ演奏者に言っておいたのだが、それにしても、そういうもんかねという印象はぬぐえない。救いになったのは、Ustream を使ったので、チャットの書き込みがリアルタイムであり、外国語が飛び交ったことか。