シドニーのプライベート・ホテルでは、夜になるとリヴィング・ルームに客たちが集まり、いっしょにおしゃべりをしたり、ボール箱入りの安いカスク・ワインを飲むことがよくあった。客たちはみな、二〇代から三〇代の比較的若い人たちで、その出身地は、デンマーク、スペイン、イギリス、北アメリカ、西ドイツと、実に多様であったが、話しているうちに、彼や彼女らはオーストラリアに職さがしにきていることがわかった。
メルボルンでもシドニーでも、日本から”ワーキング・ヴィザ”でやってきた大学生によく出会っ
た。その出会いというのが、大抵の場合、オーストラリァヘ”ワーキング・ヴィザ”を取ってくれば、働きながら旅行ができるという甘言に乗せられて??そういうふれこみで客を集める旅行合杜があるらしい??来てみたら、そう簡単に職はみつからず、毎日”職安”通いをしたあげく、そろそろ旅費も底をっいてきて、一体これからどうしようと途方にくれているときに、たまたまわたしと道ですれちがい、目と目があい、「あのう……」と声をかける、といった調子だった。
「あのう…」と言われても、こちらは何もしてあげられないのだが、近くのパフなどに行き、ワインやビールをいっしょに飲みながら、わたしのプライベート・ホテルにいる人たちもなかなか仕事がみつからなくて、アメリカから来たある若い女性などは、とうとう部屋代が払えなくなってホテルの掃除と台所仕事を手つだってそこに届きせてもらっている、といった話をすると、彼や彼女は、一様に、英語がちゃんと出来てもそんなに就職難なのかといまさらのように驚き、自分たちのそれまでの苦労もそれほど不当なものではなかったのだということを理解するようだった。
日本から来たこうした人々が、その後どうなったかは、大抵名前も告げずに去って行ったので、皆目わからないが、プライベート・ホテルでたむろしていた人々は、いまでも確実にオーストラリアのどこかにいるはずである。ニューヨークでもよく出会ったが、よそから職を求めてやってきて、なかなかそれが果せず、何となく臨時の仕事をして、何となくその日ぐらしをしているといった人々が、オーストラリアの都市にもたくさんいるのである。
こうした現象は、おそらくサービス社会の後期に特有のものなのだろう。サービス社会とは、あらゆるサービスが賃労働の対象になるような社会であり、従ってごく日常的な仕事でも賃金を生むようになるが、そういう段階も後期に達すると、誰にでも出来るようなサービス労働の新たな需要は次第に少なくなり、非常に高度なサービスか人のいやがるサービスかしか新たな買い手をみつけることが出来なくなる。女性の職場進出、”プロフェッショナル・アッパー・クラス”という新しい階級(”ニュー・ジェントリー”)の台頭、海外からの”ゲスト・ワーカー”の増加、といった問題も、サービス社会化と無関係ではなく、現代の先進産業社会に共通する基本問題である。
日木の場合、その社会はまだサービス社会化のいわば中期を越え、ようやくポスト・サービス社会の入口近くまで達したところだが、ここでもすでにポスト・サービス化現象があらわれはじめており、東南アジアからやってきて不当に安い賃金で働かされている人々が次第にふえているように、”ゲスト・ワーカー”の問題も屈折した形で存在するのである。
本書は、このようなことを考えている時期に書かれ、まとめられたが、それだけが本書のメイン.テーマとなっているわけでもない、と思う。むしろ、一九八二年の二月から四月まで訪れたメルボルン、アデレイド、シドニーの三つの都市の街路を歩きまわることのなかでわたしの身体的無意識のなかに沈澱したものを、わたしの言葉、すでに印刷されている言語、そして図版や写真などの雑多な”破片”の組み合わせでつかみなおそうとした結果が本書なのである。
例によって本書でも、既発表の文章を材料として利用している。そうした文章を書く機会を与えてくれた『SPAZIO』の鈴木敏恵、『メディア・レビュー』の櫻井朝雄、『月刊イメージフォーラム』の服部滋、『キネマ旬報』の植草信和、『週刊読書人』の武秀樹、『話の特集』の鈴木隆の各氏に心からお礼を申し上げたい。
また、オーストラリアでのリサーチに際し、Latrobe university: Yoshino Sugimoto; GavanMcCormack, Melbourne University: Chris McConville, Monash University: Graeme Davi-son, Adelaide University: Hough Stretton, Australia-Japan Foundation: Greg Dodds, そしてRoger Pulvers, Frank Moorhouseの方々にお世話になった。この場をかりて謝意を表したい。とりわけ、杉本良夫氏には、幾度もディスカッションの機会を作っていただき感謝の念に耐えない。
最後に、冬樹杜の荻原富雄氏に感謝する。荻原氏は、信じがたい忍耐力と寛容さをもってわたしとの協同作業につきあってくれた。
一九八三年二月十六日
粉川哲夫
[奥付]
遊歩都市 もう一つのオーストラリア
昭和五十八年三月二十日初版第一刷発行
定価 一五〇〇円
著者 粉川哲夫
発行者 高橋直良
発行所 冬樹社
東京都千代田区神田神保町三?二七?六
郵便番号一〇一 振替東京ハー七七五七
電話 東京(〇三)二六四l〇三四六
印刷/製本 凸版印刷株式会社
装填 戸田ツトム
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