メディア牢獄
あとがき
本書は、前著『批判の回路』(八一年刊)以後、オーストラリアを訪れる八二年二月までの約八ヶ月間に書か
れたエッセイを土台にし、それらがそのときどきに受けた制約や意味づけを一且解体して、わたしが本来考えね
ばならなかったテーマを顧慮しながら一冊の本に構成しなおしたものである。(ただし、日付のある「ディテー
ルに政治を読む??一九八一年七月?十二月」は、発表順にもとのまま配列された。)その意味では本書は、"論
集"ではなく、"書き下ろし"とみなしてほしいのだが、それほはもう少し理由がある。
これまでわたしは、自分の著書をすべてこのやり方で構成してきたが、それは、書き下ろしの労を省くためで
も、一度書いたものの記念的アンソロジーをまとめるためでもなく、むしろこの方法に積極的な意味を見出して
きたからだった。すでに『主体の転換』(七八年刊)でも示唆したように、書くということは大なり小なり"スクラップ・モンタージュ"であり、先人によって記されたことを引用しなおし、モンタージュしなおす作業で
あるが、にもかかわらず、そうした作業にのめりこんでいる最中には、表現があたかも自分の"肉声"ででもあ
るかのように思いこみがちである。つまり、自分で書いたものに対して他者としての観点をとることができず、
いささかナルシシズム的にそれを自己了解してしまう。ところが、それが一旦活字になり、しばらく時間がたつ
と、それはある種の物質力をたくわえてき、それを執筆した当人の最初の思いいれとは別の論理で動きはじめる。、
実際、そうした他者としての動きこそ、そのテキストが本番言おうとしたところのものであって、もし、それが
執筆当時に執筆者が想定していたものとくいちがってくるとすれば、それは、執筆者が陥っていた自己忘却を顕
在化しているのである。
むろん、わたしは、自分が何を書いているのかわからないわけではないが、にもかかわらず、フッサールも言ッ多様に、私は自分の「作動しつつある志向性」を客観的にながめることはできないのだから、そうした自己忘却から完全に自由になることは困難であり、自己の身体的無意識が本来どこへ向かおうとしているのかを見失いやすい。その意味で、編集者の依頼や状況の要求に応じて断片的に書かれたテキストを読者の立場にかえって読みなおし、それらのあいだに横断的なテーマを見出すという作業は、読者から執筆老として自己を忘却し
ていた者が、ふたたび読者として自己をとりもどし、さらに批判的・創造的な読者つまり解体構成者として新た
なテキストを構成する絶好の機会だろう。
ところで、四年まえに『主体の転換』を本書と同じような方法でデコンストラクトしたのち、その「あとがき
??再構成者の弁」で「再構成者」の新たな読みを提示した際、池田浩士は、その激励的な書評のなかで、 「著
者の意図は本文全体が体現すべきものであって、『徹底的な読者主義、観客主義、生活主体主義』などという言
葉を使って『あとがき』が解説し弁明する必要などない。そんなことは、それこそ読者が判断するだろう」とい
う異論をさしはさむことを忘れなかった。むろん、わたしはそこで「著者」としてその「意図」を説明したので
者」とは一体誰なのか? というよりも、「著者」であれ「再構成者」であれ「解体構成者」であれ、そういう
者がテキストのかたわらに同伴してテキストについて何かを語るということは、テキストを解放するよりも、そ
れを一つの方向に向けて"管理"することになりはしないか? 『主体の転換』の延長線上にある『批判の回路』
で「あとがき」を最小限度にとどめたのも、まさにこうした疑問のためだったように思える。
テキストに加筆したり、その前後関係を組みかえることは、いまだ一つの読みの作業であり、引用の段階にと
どまっている。しかし、そのように解体したテキストを新たなテキストとして活字化することは、 (管理を固定
させるためのものではないにしても)やはり一つの"管理"であると言わなければならない。それゆえ読者がし
なければならないことは、この不可避的な暫定的"管理"を自発的に解体してテキストを解放することである。
だがその際、このテキストに"解体構成者"なる者があらかじめ同伴し、その解体構成の意義のようなものを示
すことは、その"管理"を逆に固定する老猪な操作の機能をはたしてしまいかねない。とすれば、それは、社会
のなかだけでなく自己意識、さらには身体的無意識にまでおよぶあらゆるレベルでの管理の批判と解体に基本的
な関心を向けようとするわたしの方向には、全く逆行することになる。
ここで述べたことが、本書の製作プロセスを十分に語り伝えているかどうかはわからないし、この「あとが
き」で本書に解説を加えなかったからといって、本書が一つのミニ管理装置にならないという保証はどこにもな
い。そうでなくすることは、わたし自身の今後の課題であり、本書を読んでくれる読者の課題とならなければな
るまい。
上記のしうな由来をもつ本書は、その原テキストをわたしに書かせた編集者や批判的読者の多大の労なしには
成立しなかった。わたしは、いわば彼らとなれあい、対立しあいながら本書に導かれたわけである。ここでは、
そうした人々のすべての名前をあげることはできないので、本書の原テキストをイニシエイトした編集者、すな
わち三上豊(『美術手帖』)、高島直幸(『日本読書新聞』)、田中和男(『グラフィケーション』)、服部滋(『月刊イ
メージフォーラム』)、高橋敏夫(『同時代批評』、『図書新聞』)、阿見政志(『月刊ペン』)、山岸修(『現代の眼』)、巌浩(『伝統と現代』)の諸氏にこの場をかりて心から御礼を申し上げたいと思う。
また、本書を企画し、タイトル、章題を考えてわたしを挑発してくれた晶文杜の津野海太郎、島崎勉の両氏、そして装幀をしてくれた平野甲賀氏に感謝する。本書は、津野氏の磊落な笑いと島崎氏の繊細な批判精神にささえられて出来上がった。
一九八二年十月五日
粉川哲夫
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