メディア牢獄
企業はなぜ”文化。をつくらねばならないか?
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企業にとって文化がたかだか販売促進の一手段でしかなかった時代から、文化そのものを企業がつ
くるという時代がはじまった。しかし、それはどのような文化であろうか、そして企業はなぜ文化を
つくらなけれぱならなくなったのだろうか?
最近、日本新聞協会は、メイジャー紙に意見広告をのせ、その前半部で次のように解説を行なって
いる。
「講演会やシンポジウム、国際的な会議など、最近の新聞には"文化行事"を告知する広告が目白押
しです。その内容はと言えば、主催する企業の商品とほとんど無関係。今後、そんな催しはますます
ふえそうな勢いです。利益を追い求めるだけでは、企業の繁栄が約束されをい時代なんですね。市民
と同時代に生き、同じ問題意識を持ち、利益を現代にふさわしい形で還元する企業。そんな姿勢の中
に、私たちが"信頼"という絆を見つけ出しているからでしょうか。」
このような広告が現われること自体、すでにそれは今日の文化状況を示唆しているが、ここで言わ
れていることは、一見、妥当にみえる。が、問題は、なぜ、「利益を追い求めるだけでは、企業の繁
栄が約束されない」のか、である。ここで言う"企業"とは資本主義的企業であり、資本主義の基本
理念は利潤の追求であるとみなされている。それでは、今日の企業は利潤の追求を一面で断念したの
だろうか?
西武百貨店会長の堤清二は、インタヴューの形をとった全紙大の新聞広告のなかで、「たとえばパルコヘ来ているお客さんは、必ずしも買い物に来ているわけではありません(笑い)。広場をエンジョ
イしに来ている人も多いのです。抵抗なく入って来て出て行けるというふん囲気が必要でしょうね。
また周囲との統一がなければだめです」(『朝日新聞』81年7月31日号)と言い、"買わないショッピング"
を寛容にも許容している。が、この"寛容”さは、「周囲との統一がなければだめです」という言葉
に暗示されているように、パルコをとりまく街を統括下におくことを前提として許されるのであり、
そこには、買うということを、歩くこと、住むこと、楽しむことと統合させようとする志向が含まれ
ている。そのような街においては、パルコの内側と外側とは物的には切り離されていても、いわば記
号学的には等質であるだろう。言いかえれば、その街の時間と空間は、パルコの時間と空間に合わさ
れており、人はパルコの内側でも外側でも同じ”空気”を吸うだろう。"空気"が同じなら、どこで
何をしても同じである。
ところで、資本主義システムとは、資本の自己増殖のシステムであり、本性上それは、資本の回路
を無限に増殖させてゆく。この資本の回路のなかで、資本のいわば"エイジェント"である貨幣が反
復的に回転するわけだが、その回転速度が早ければ早いほど、また同じ時間内に移動できる距離がな
がければながいほど、交換価値は高くなる。したがって、資本主義システムは、その発展過程のなか
で、貨幣の移動時間を無限に短縮し、またその移動距離を無限に延長してゆかなければならない。
その際、前期資本主義システムにおいては、貨幣は、この語が依然身にまとっているような意味で
の硬貨や紙幣であったが、後期資本主義システムにおいては、これが、銀行券となり、さらには情報
となる。というのも、資本の回路は、資本主義の発展過程のなかで、身体的身ぶりの回路から、活字
や電子の回路(マス・メディア)にまで拡大され、それとともに、貨幣の交換速度が情報のそれと等
しくなり、最終的にそれは電子の速度すなわち光速度に達したからである。
資本主義システムは、エレクトロニクス・メディアの出現によって完成されるのであり、すべての
ものを等価にし、そのつど設定される"中心"や"ゼロ点"とのまったく相対的な関係で意味や価値
が決定される記号学的理念が現実化する。
それゆえ、最初の引用した広告文のなかで、「利益を追い求めるだけでは、企業の繁栄が約束され
ない時代」ということが言われていても、このことは今日の企業が資本主義の論理から逸脱しつつあ
るということを意味するのではまったくなく、むしろ、"利益"の射程が従来とは比較にならない観
模で拡大深化し、資本主義の論理は、逆に、、唄哨吋れつつあると考えた方がよいだろう。企業はいま
や、金銭的、"利益"をその部分に統合した情報価値をひたすら追求するのであり、金銭資本主義は、
情報資本主義へ向かって自己変転するのである。
資本主義システムにおける資本蓄積のセンターは銀行だが、こうした情報資本主義のもとでは、銀
行は"貨幣"の集積・管理センターであるよりも、情報の集積・管理センターとなる。事実、国内・
外にはりめぐらせたオン・ライン・システムに象徴されるように、今日の日本の銀行は情報のセンタ
ーであり、また、今日のあらゆる機関は、コンピューター化され巨大な網状組織を増殖させる銀行を
モデルにしようとしている。かつてパウロ・フレイレは、今日の支配的な教育が銀行の預金行為と化
していることを指摘し、「そこでは、生徒が金庫で教師が預金者である。教師は、コミュニケイショ
ンのかわりにコミュニケを発し、預金をする。生徒はそれを辛抱づよく受け入れ、暗記し、復唱する」
(楠原彰他訳『被抑圧老の教育学』亜紀書房)といったが、このことは教育機関だけではなく、今日のあらゆる
文化機関にあてはまる。その結果、文化の回路は、情報の回路となり、同時に金銭の回路となる。
情報資本主義において、文化が企業の主要な問題となるのは、まさにこの文脈においてである。情
報資本主義のシステムの主要なユニットとしての企業は、既存の文化、とりわけ民衆文化を情報の回
路ないしは装置と化すことにやっきとなるが、これは、単に金銭の流通回路や流通装置(たとえば市
場)を拡充すること以上の意味をもつ。たとえば、コカ・コーラが日本に進出しはじめたとき、それ
は、さしあたり、既存の食文化(たとえば、ラムネやサイダーの嗜好、そしてそれらは夏季に飲まれ
る等々)を受けいれ、それにみあった流通回路を組織しなければらなかった。しかし、それにとど
まっていたのではコカ・コーラはラムネやサイダーの新種にすぎないわけだが、コカ・コーラは、や
がて既存の食文化のなかにもっともっと侵入し、それを変質させ(たとえば、夏季以外にもコーラを
飲んだり、食事といっしょにコーラを飲むといったように)、そして終には、"コカ・コーラ文化"
と呼びうるものをもつくり出した。この人工的な文化は、企業が金銭的資本の回路の拡大を追求する
結果生じたわけだが、このことを情報的資本の拡大という点からとらえなおすと、このプロセスは逆
転できるのであり、まずはじめに人工的に文化をつくっておいて、それを資本の回路とし、そこに金
銭的資本を流通させるということも可能なのである。
が、人工的文化をつくり出すこのプロセスは、資本それ自身にとっては発展であり増殖であっても、
人間的主体——決して資本になりえないもの——にとっては、支配の拡大と抑圧の昂進である。とい
うのも、主体的な経験においては、その対象は——それが自分であれ他者であれ芸術作品であれ居住
空間であれ街であれ——交感の媒介であり、それを通じて主体もその志向的対象もたがいに自己
を変革するのだが、情報交換にまきこまれた主体は、主体のでも、その志向的対象のでもない——資
本=情報的——論理に従属させられるからである。もっとも、その意味では主体は資本=情報によっ
て変革されるわけだが、この変革は自己変革ではなくて、強制された変革であり、主体はこの変革に
順応すればするほど自己を匿名化し忘却せざるをえなくなるのである。このように資本が主体を単な
る通過点として恥かしてゆくシステムのなかでは、企業が——先の広告文がいうように——「市民と
同時代に生き、同じ問題意識を持ち、利益を現代にふさわしい形で還元する」などということは不可
能である。資本の源泉は労働であり、どんなに情報資本主義が徹底しても、資本だけの——つまり人
間的主体のいない——システムはありえないが、今日の日本の日常生活は、そうした主体的側面を極
度に弱体化し、日常的世界をほとんど情報交換だけの"主体なき過程"にしてしまう。とりわけ、子
供のように、学校や塾において"銀行型教育"を受け、家庭でテレビやコンピューター・ゲームに没
頭する者は、その日常生活の大半が情報交換でしめられるようになってしまう。また、老人や家掃も、
余暇が増大すればするほど、マス・メディアやさまざまな文化装置(たとえば、カルチャー・センタ
ーや美術館)への従属を強め、自己を情報交換のにない手にしてゆく。
ここで、高度に発展した資本主義システムが、従来の意味での"生産者"でも"消費者"でもない
労働者、つまりいま述べた子供や老人や家婦のようにマス・メディアに従属した情報交換者を生み出
すことに注目する必要がある。金銭交換が資本交換のモデルであった旧タイプの資本主義システムに
おいては、ラジオをきいたり新聞を読んだりすることは、それらが最終的に消費行動として実を結ぶのでないかぎり、資本の回路に属するものとはみなされず、したがってそれらは、労働ではなく"余
暇"であった。しかし、情報の交換こそが資本の増殖にとって本質的なものであるということになる
と、まさに情報に耽溺している子供、老人、家婦たちは、かつての"搾取される産業労働者"が負わ
されていた役割をになうことになるのである。彼や彼女らは、金銭とひきかえに自己の"労働"を
(たとえ"精神労働"であれ)提供するわけではないが、もっとミクロのレベルで資本の交換に関与
しているのである。
子供、老人、家婦たちが新しい労働者の機能をはたすということは、他面で、家庭がもはや資本の
回路からの"避難所"ではなくなることでもある。それは避難所であるどころか、"工場"であり、"事
務所"となるのである。家庭は、かつては資本の回路の増植からまぬがれた主体的な場——つまり他
者であれものであれ、それらは単なる交換のために与えられるのではなく、たがいに自己変革を許容
することのなかで出会われる場——であったが、それは、主体のためにではなく、資本のために存在
するようになる。クリストファー・ラーシは、アメリカの資本主義の高度化のなかで変質した家庭の
姿を次のようにえがいている。
「家庭というものは普通、よそではさらけ出せない感情をあらわしてもよい場所であるはずだ。だが
現代の家庭では、そのメンバーは必死になってなんとか不安なつりあいを保とうとしている。だから、
そこで怒りをさらけだそうものなら、その不安定なつりあいが崩れかねない。同時に、親の子どもに
対する世話は機械的となり、愛情を欠くようになる。このため、子どもたちは飢えたように口唇愛を
望むようになり、自分たちを満足させてくれない相手に対してどこまでも怒りをつのらせるようにな
ったのである。その怒りの多くはエゴによってきびしくおさえつけられ、超自我の中へ逃げ込む。」
(、石川弘義訳『ナルシシズムの時代』ナツメ社)
2
情報資本主義の時代には、家庭だけでなく、あらゆる文化装置の機能が変化するが、そうした変化
の一つの基準は、マス・メディアの浸透度である。今日の社会・文化システムが、情報資本主義に向
けて増殖しつづけているとすれば、そうした趨勢にみあった潮流とそれからとりのこされてゆく潮流
とがあらわれざるをえないが、そのわかれ目はマス・メディアとの関係に求めることができるだろう。
山口昌男は・『サントリークォータリー』(81年第10号)でのインタヴューのなかで、「いわゆる知の集
積所として、大学というのはだんだん機能が果たせなくなってきているんじゃないか」、つまり「杜。’
会科学とか人文科学とか、人間科学の領域においては、そこにいるメディエーターが"知"を移動さ
せたり、加工したりすることで、"知の集算地"としての役割を果たしていたように見えたけれども、
そういう人問が非常に少なくなってくると、逆に、かえって企業のなかにいる人間のほうが、意欲と
好奇心においてまさってくる」といい、"知の集積地"が大学から企業に移りつつあることを示唆し
ている。それは、おそらく事実であろう。
しかし、ドラスティックに変化したのは大学ではなくて、その外部であり、大学はそうした変化に
対応できなかったということなのではないか?もともと大学は、資本主義の高度化以前には、資本
の回路の外部ないしは周辺部に属していたため、たとえば銀行のような機関にくらべると、資本の回
路に直結したネットワークによって統合しにくい側面をもっている。アメリカの場合、たとえばニュ
ーヨーク大学、ニュー・スクール、クーパー・ユニオンの各付属図書館がコンピューターに連結した
ネットワークをもっているが、日本の大学の場合、このような例はまだなく、まして大学の活動のあ
らゆるレヴェルが銀行の情報ネットワークのようにマス・メディア化されているわけではない。むろ
ん、それは主体性の側——知が決して"集積"されうるものではないレヴェル——からすればさいわ
いと言うべきだが、情報資本主義の成熟度の側からすれば、時代の趨勢に遅れているわけである。と
はいえ、大学が積極的にそうした資本=情報の回路を構築しない(あるいは、しそこなっている)と
しても、タレント教師やテレビをみるように授業をきく学生によって大学と資本=情報回路とのシン
クロニゼイションは進んでいるのである。ただし問題は、今日の大学がそうした回路の増殖に役立っ
ているのか、それともその阻害要因になっているのか、であろう。アメリカの大学で近年、人文科学
系の諸科の予算削減、実用的な科やアダルト・スクールの拡充がめだつのは、大学が資本=情報回路
の増殖を促進させる文化装置としては"老朽化"しつつあることのあかしであるかもしれない。
学校へ行くくらいなら芝居をみに行った方がよいだろうが、劇場も今日では、反権力の場であるよ
りも、むしろ、人々の感覚や意識を資本=情報交換に順応させる有力な文化装置である。日本の劇場
は、近年、タウン情報誌の浸透によってマス・メディアとの連結が緊密化したが、ニューヨークの劇
場にくらべれば、文化装置としての効果ははるかに"劣り"、それはむしろ、テレビの補完装置にどと
まっている。ニューヨークの劇場が近年、文化産業としてのみならず文化装置としてますます有効性
を発揮しているのは、大劇場にみられるようなブッキング情報を統合するコンピューター・ネットワ
−クの拡充、テレビやラジオでの宣伝、新聞や雑誌の劇評の組織といった可視的なレヴェルでの改善
もさることながら、コミュニティの再建、大道芸人の公的権利の確立といった都市文化政策を通じて
街の時間と空間に"演劇的"要素がとりいれられ、マンハッタンの街を歩くということと劇場のなか
にいることとが記号学的に等価になる一面——それはもともとなかったわけではないが、それが意識
化されたのは近年のことである——が強まったためである。その結果、マンハッタンを訪れる者は、
その街路を歩むことのなかである種の"劇的"な資本=情報交換の予備訓練をうけ、やがてごく自然
のなりゆきで劇場のなかに歩み入るというわけである。しかし、こうしたニューヨークの劇場は、か
つての劇場に比較すれば、それがもっていた主体的な出会いの場としての要素を失っているのであり、
またそれだからこそ、それは、情報資本主義の時代に有効性を発揮するのである。
ところで、ニューヨークの場合、都市との関連で劇場よりもはるかに意識的に文化装置の役割をは
たしてきたのは、美術館であり、とりわけそれは資本=情報交換の空間性を規整する機能をもってき、
た。たとえば、"近代美術館"(MOMA)は、ある意味で、ニューヨーカーの空間意識を社会・
文化システムの資本主義的発展にみあった方向へ位置づけるうえで、きわめて重要な機能をはたして
きた。実際、MOMAの五十周年を特集した『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』(79年11月4日号)で
ヒルトン・クレイマーがいっているように、MOMAで一九三二年に開かれた"現代建築——国際
展"に端を発する「いわゆるインターナショナル・スタイルのきわめてラディカルなデザイン」は、
建築における「卓越さの新しい標準」となり、MOMAは、やがて「第二次大戦以降にアメリカの都
市の景観を完全に変容させることになったタイプの現代建築」を大衆のあいだに浸透させる機能をは
たした。また、一九三四年に開かれた"機械芸術"展には、タイプライター、照明器具、自動車、家
具、食器、台所用の流しなどの「あらゆる種類の工場生産品を美的な関心の対象として展示した」が、
これは、MOMAがアメリカ人の「家事上の好み」を作り出すようになる最初の企ててあった。しか
しながら、今日、一九三九年にエドワード・ダレル・ストーンとフィリップ・グッドウィンによって
たてられたインターナショナル・スタイルのMOMAの建物が、もはやアヴァンギャルドのシンボル
ではなく、また、ここで開催される展示も、かつてのようには訪問者の空間意識に衝撃的な影響を与
えないということが示唆しているように、MOMAは、もはや、資本の回路にみあったように都市の
空間性と訪問者の意識=身体の空間性とを先導・規整する装置ではなくなりつつあるのである。
MOMAの文化装置としての機能の"老朽化"は、はたしてMOMAだけのものだろうか? それ
は、美術館がその建物とともに都市の空間的文化装置である時代の終焉を示唆してはいないだろう
か? むろん、今後、ニューヨークにかつてのMOMAに匹敵するようなラディカルな美術館=建築
が出現しないという決定はないし、MOMA自身もセザール・ペリによる新しいデザインの(ただし、
五十階のうち四十四階はアパート・フロアーにあてられるという)建物を建設することになっている。
しかし、現在のニューヨークでは、かつてMOMAが受けもってきたような空間的な文化装置がなく
ても、資本の回路は増殖しつづけているのだとすれば、そこでは従来とはちがった文化装置が機能し
ているとみなければならないだろう。すでにみたように、ニューヨークでは劇場は、都市と一体にな
って重要な文化装置の役目をはたしている。その際この文化装置は、人々の空間意識よりも、むしろ
時間意識を先導・観整するのであり、マス・メディアと補完しあいながら、生活や労働のリズムをコ
ソトロールするのである。
おそらく、こうした傾向は、ニューヨークという都市にラジオやテレビのマス・メディアが極度に
浸透していることと無関係ではないだろう。資本=情報の回路は、今日、マス・メディアが率先的に
開拓してゆくわけだが、ケーブル・テレレビジョンのような小さな多元的なメディアを内蔵しつつある
ニューヨークでも、マス・メディアがつくり出すネットワークは一次元的・均質的になりがちである。
が、劇場は、そうしたネットワークを通じて行なわれる情報交換の惰性化に刺激を与え、より活発な
情報交換を惹起する柔軟な補完的回路をつくり出すのである。
このことは、ポンピドゥー・センターのような空間的な文化装置を依然必要としているパリなどと
は、相当事情が異なるといえるだろう。実際、パリのマス・メディアは、ニューヨークにくらべ——ジスカールデスタンの"テレマテイク"政策にもかかわらず——"遅れて"いる。しかし、思うに、
ポンピドゥー・センターが志向するものは、空間の分割であるよりも、むしろ空間の流動化、つまり
は空間のスタティックな管理ではなくて、空間の時間的な管理である。東京国立博物館の長谷川栄は、
「このごろの新しい運営が試みられる美術館では、美術館の硬い壁の仕切りをとりはらって異なった
ジャンルの芸術が交流する"パフォーマンス"ないしは"インター・メディア"のプレゼンテーショ
ンが重視されるようになってきた」(『アート・ヴイジョン』81年9月号)といっているが、フレキシブルな
多次元空間でのプレゼンティションの重視とは、とりもなおさず、提示と享受の時間性をコントロー
ルすることを重視することであり、美術館がそのような機能を重要視するようになるということは、
美術館が劇場化することである、ということができるだろう。
日本では、伝統的な美術館の機能がますます疑問視されている一方で、デパートでの美術展が活発
化しているが、これは、貨幣交換の場としてのデパートが情報資本主義の進展に対応して情報交換の
場に転身しつつある一つの徴候であるといえなくもない。その際デパートは有力な文化装置の機能を
はたしているわけで、それは少なくとも、美術品への観衆の主体的なかかわりを単なる情報交換へ
"響導"してゆくにちがいない。デパートは、客への寛容さ(買わなくてもよいし遊び場としても機
能していること)においても、環境演劇的関心においても、またクレジット・カードの発達(貨幣の
情報化)においても、単なる貨幣交換の場から情報交換の場へ移行しつつあるが、入口をはいるなり
そうした情報交換のイニシェイションを受けた客は、美術品のならべられたフロアーに歩み入るとき、
もはや、美術品との主体的な交感といったようなことにはこだわらずに、ほとんど抵抗なく情報交換
の儀式に身をまかせるだろう。そして、そのようなくりかえしのなかで、人は情報交換としての"美的体験"を慣習化し、資本の回路にとりこまれてゆくわけである。
いずれにしても、日本の大都市のデパートは、ニューヨークにおいて都市=劇場がはたしているよ
うなひじょうに統合的な文化装置の役割をはたしているのであり、しかも劇場には——その本性上
依然として反資本の——したがって主体性の——潜在的可能性が残されているのに対して、デパ
ートはその本性上、いっときも資本の回路から逸脱しえないという点で、最も今日的な文化装置なの
である。
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世界中の本屋を調べてまわったわけではないが、たとえ短期間であれ、大書店が"記号学"の専門
コーナーを設けて関係書を売りさばくというようなことがみられるのは、おそらく日本だけだろう。
このことは、日本の消費市場がいかにその細部にわたって"記号化"されているかの一つの指標にな
る。
日本の大衆消費市場は、デパートがその格好のモデルを提供しているように、高度経済成長期を通
じて、その可能なかぎりの"市場細分化"(マーケット・セグメソティション)を推進してきた。そ
の結果、市場は、男女、年齢、所得、職業、好みといった古典的な"差異"をさらに越えて、消費者的
の欲求の時間・空間的なあらゆる"差異"にまで細分化=差異化され、そうした"差異"にみあった、
商品=記号が開発された。
しかし、ほとんどあらゆる欲求に対応する商品が完備されたかのような状況が出現するにつれて、
自我のアイデンティティは、自我と自我、自我と他者との関係においてではなく、自我と商品との関
係によって決定されるようになり、"人格"は、いつでも交換可能な"盗意的"な組み換えが可能な
"記号"すなわち仮面となる(一定のブランド商品を身につけさえすればあなたはいつでも"クリス
タル族"になることができる)。だが、こうした傾向が昂進しすぎると、消火者が自発的に個別商品
=記号を組みあわせる消費能力までも失われてしまう。そこで企業=生産者は、消費者に対し、"多
様"な商品=記号の組みあわせ方までも動機づけてやらなければならなくなる。企業は、消費者の欲
求の記号化に熱中するだけではなく、そのつど"新しい"コード(たとえば"独身貴族""シティ・ライフ"等々)を作成し、それをまえもって消費者に与えておかなければならないのである。"企業
の文化戦略"はまさにこのような背景のなかであらわれた。
とはいえ、欲求の記号化と記号=商品の細分化は、一九七〇年代にすさまじい勢いで進められ、こ
うした"コード作成"がそれに追いつけなかったため、一九八O年代になると、消費者の周囲に"解
読"されないまま放置される記号=商品がだぶつき、消費が落込んできた。このため、企業側は、一旦
徹底的に記号化してきた欲求をもう一度もとにもどし、記号化以前のレベルの"活性化"に期待を
かけなければならなくなり、企業の文化戦略はより一属"教育"的、"啓蒙"的になってきた。
興味ぶかいことは、最近日本でひんぱんに出される記号学関係の書物のなかで示されている記号学
理解の状況にも、以上のべたことと本質的に同じ事態か生じていることである。たとえば、総論、ソ
ヴィエト・フランス・ドイツの記号学の現状、文学や演劇における記号学の応用という三つの主題勁を
十二人の執筆者が論じている『講座・記号諭1』(勁草書房)のなかで池上嘉彦が解説しているように、
G・ムーナンは「伝達の記号学」と「意味作用の記号学」とを一区別し、「前者を記号論の進むべき方
句として支持した」が、このような立場には眼界があり、今後の記号学は、ムーナンとは逆に「有効
な伝達」よりも「創造的な意味作用」の方に重心移動を行なうべきだとされている。
むろん、ここで問題なのは、どちらの立場が正しいかとか、どちらの立場が記号学のソシュール的
な"原点"に近いかでは全くない。学問的立場には、つねに何らかの目的意識と利害が潜在している
りであり、ムーナンの場合も、彼が「意味作用の記号学」に対して「伝送の記号学」を優先させると
き、この記号学は、新しい意味生産よりも、既存の意味作用の分析と組織化を重視する点で、これま
での文化管理やマーケッティングと同じ目的意識を共有しているのである。
しかしながら、ムーナンとは逆の立場を支持したからといって、それは必ずしも文化管理やマーケ
ッティングに対して距離をおいたことにはならない。というのも、文化管理やマーケッティングの技法が変化しない保証はどこにもないからであり、事実それらは、大衆の欲求や自発性の組織化からそ
の"再活性化"という方向に向かおうとしているからである。
すでに丸山圭三郎は、『記号学研究1』(北斗出版)所収の「ソシュールの記号学と神話・アナグラム
研究」において、ソシュールの手稿の綿密な再解釈に依拠しながら、「ムーナンは、ソシュールの述
べた二つの恣意性のうちの第一のもの、すなわち既成の事物の表現にみられる恣意性しか考えていな
い」が、「より重要な問題は、記号間のいわば横の関係に見出される価値の恣意性であった」とし、
言語記号のみに見出されるこの《価値の恣意性》を現実化し、「言語が自ら作り上げたコードを絶え。
ず突き崩し、新たな意味体系を形成していく」《ディスクール活動》を次のように記号学の中核にす、
えようとしていた。
「ディスクール活動とは単に既成の語を新たな関係のもとに置くのみならず、線的世界から空間へ、
そして空間から時間へと次元をひろげることによって、言語化以前の欲動の世界(自然)と《構成さ
れた構造》(文化)の問を絶えず上向・下向運動をくり返しながら、クリステーヴァのいう《ル・セ
ミオティーク》の再活性化によって、《ル・サンボリーク》なる体系の中に自然を噴出させるものと
なる。」
この《ディスクール活動》を丸山は、『記号学研究2』(北斗出版)所収の「フランス記号学の動向」
のなかでは事実上、「身体を用いてのパフォーマンス」と言いかえているのだが、おもしろいことに、
日本記号学会のこの紀要論文集の特集テーマがほかならぬ"パフォーマンス"なのである。その際、
紀要論文の中には、"パフォーマンス"の領域こそ今後の記号学研究の主領域であるかのように思い
なしている者が少なくないが、記号学が行きついた"パフォーマンス"の示唆していることは、意味
生産するのは記号学自身ではないというラディカルな自己反省であり、記号学は"パフォーマンス。
の領域をつねに解放状態にしておかなければならないという逆説なのだ。
"パフォーマンス"という言葉の流行とその歴史的背景については、先に論じたが、より本質的には、
この概念は、二〇世紀の文化と社会のなかに"道具的理性"が浸透していったとき、その反省ないし
は強迫観念として出現した。従って、パフォーマンスは、商品や情報としての記号の流通が不活発に
ヘの関心は、一方で、記号学は近代科学と同様に、自分を自分で基礎づけることはできないという反
省(フッサールが言ったように、それが「生活世界的アプリオリ」に依存しているという根源的な反
省)を意味すると同時に、他方では、その記号化的細分化の対象領域を身体的無意識のレベルにまで
拡大させたことを意味する。その場合、この細分化と管理/マーケッティングとの関係は、従来のよ
うにストレートなものになることはない。管理やマーケッティングは、こうした記号学の成果を使っ
て、身体的無意識をそのまま組織化するのではなく、それを"柔軟"に管理するためにあらかじめ知
っておくべき許容範囲を測定するためのシミュレーション・モデルの資料として記号学の成果を利用
するようになるであろう。記号学も、文化管理の理論と化していることを知るべきである。
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