国際化のゆらぎのなかで:越境者であること――あとがきにかえて
たとえ日本の都市がその性格上の由来をどこにもつとしても、都市は、暗黙に国家とは別のものと考えられているし、国家よりも古い存在である。国家は都市計画をするが、都市を創ることはできない。都市は、「市民」のものであり、市民が作った場が都市なのである。
都市には都市の物理的・習慣的な拘束があるが、都市を都市たらしめるのは、国家からの「自由」である。逆にいえば、都市の「自由」とは、国家からの自由にすぎないのだが、同時に、国家からの自由がない都市は都市でも何でもないということができる。
明治以来、日本では、人々の生活の微細な部分にいたるまで国家的な介入が行なわれてきた。都市、学校、マス・メディアは、国家によって上側から主導され、自治は有名無実であった。その意味では、日本には都市はなかったということも出来る。
しかしながら、その日本でも、一九八〇年代後半以来、「規制緩和」や「国際化」が叫ばれるようになった。つまり国家の単一統合的な機能にフィードバックがかけられるようになった。これは、結局、資本のロジックから生まれた変化であるが、「国家の顔」ばかり見せられてきた者からすれば、息抜きになる。
国際化とは、元来、国境を越えることである。それは、国と国との境界を前提としているとしても、それを無意味なものにしてしまうところがある。したがって、国家が国際化をスローガンにすることは、国家の性格が変わらなければ不可能である。
だが、日本の国家システムには、そのような変化が可能なのだろうか?そのためには、何よりもまず都市や学校やマス・メディアがその一点集約的な機能を変えなければならないが、「国際化」のプログラムがブチ上げられて大分たつ現在でも、「多元化」の政策が積極的に進められている形跡は見られない。
とはいえ、国際化が、単にある政府や政権の思いつきや気まぐれな政策ではなく、まさに政治経済の国際環境からおのずから要請されたものであるとするならば、国際化は、国による「国際化」の個々のプログラム以前に、あるいはそのかたわらですでにその萌芽をあらわにしているはずである。
都市が、そのようなインデクスとして最も注目すべき場であることは、ほとんど自明だろう。かつていたるところに「国家の顔」が見えた都市からどの程度その「顔」が薄れたかを検証することによって、「国際化」の本当の度合いを判定することが可能である。本書は、そんな検証作業の一端である。
本書でわたしは、東京に対してあまり肯定的な評価を与えていないように見えるかもしれない。が、東京に対するわたしの批判は、東京という都市そのものに対するものであるよりも、東京に介入する国の政策や、住人の頭越しに決められる国の方針から反射されたものに対してである。
わたしは、ほんの四、五年海外で暮らしたことを除けば、生まれてこのかた東京に住んでいる。機会があれば移り住みたい都市もあるが、実際には、東京以外に住むところはなさそうである。が、それならば、東京がもっとアナーキーな都市になってほしいと願わないわけにはいかない。それは、いまより少しだけ国家が手を引くだけでも可能である。
ここで「アナーキー」というのは、空想的に無秩序なという意味ではなくて、国家の介入がはずれたという意味であり、国家に代ってコミュニティが、「国民」ではなく一人ひとりの「市民」が主体となりうるための基礎条件である。
都市とは誰でもが越境できる場所であり、市民とは越境者のことである。そして、そのような市民が越境するのは、ほかでもない、国家ががんじがらめにしている場(それは、家のなかにもメディアのなかにも学校のなかにも、そして心にのなかにさえある)からにほかならない。
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本書は、『世界』の連載を基礎にしている。連載の企画をわたしに勧めてくれたのは、編集部の堀切和雅さんだったが、部署が替った彼のあとを引き継いだのは、当時新人だった小熊英二さんである。彼は、その第一印象とはうらはらに、頑張りと寝業の人だった。二年半にわたる連載のあいだ小熊さんは、一度も欠かさず取材に同伴し、なぜか首からヒモでつるしてあるカメラで記録写真を撮ってくれた(その一部は、本書で使わせてもらった)。制作を担当した十時由紀子さんは、中ザワヒデキさんをたきつけてステキなイラストを描かせた。堀切さん、小熊さん、十時さん、中ザワさん、ありがとう。
一九九一年五月
粉川哲夫