落書の沈黙
落書きは、世界の多くの国々で、人々が非公式に行なう政治表現のメディアとして今日でもよく使われている。非政治的な落書きを含めて、六十年代以降に、とりわけアメリカで落書きが流行し、おもしろい展開ぶりを示し始めたのは、押しさすれば塗料が噴出するスプレーが出回るようになったからである。スプレーは、すばやく落書きを描くことが出来るので、目立つ場所に落書きを描き、姿をくらませることが容易である。これは、反体制的な落書きをする側にとっては、好都合な武器となった。
アメリカでは、しかし、落書きは、七十年代後半をピークに、急速に政治性を失ない、「フィーディ・アート」(グラフィティー・アート)のようなデザインや観賞の対象に成り下がっていった。かつては、売買される美術作品としての価値は皆無であった落書きがときには何万ドルもの高値で取引されるようになったのは八十年代のことである。ニューヨークのような都市には、いまでもサブ・カルチャーとしての落書きはあるにはあるが、その大半が政治的ではなく、建物や都市環境を彩る(あるいは台無しにする)ただのデザインにすがいない。
その点、ヨーロッパの落書きは、ニューヨークのものよりも色やデザインは地味でも、むしろその大半が政治的であり、現在進行中の政治とのつながりを密接に保持している。八八年の春、フランスで大統領選挙があり、その第一次選で極右のジャン・マリー・ルペンが十四%の得票数を獲得したとき、五区を散歩していたら、 パリ大学第Х・Ц分校の壁には、「ルペンに対する武装闘争を」、「右翼もダメ、左翼もダメ」という落書きが描かれているのに出会った。
日本では、八七年ごろから、ビルの壁面や塀などにカラフルな壁画を描かせるのがはやりである。これは、もともとは、北アメリカやラテン・アメリカで盛んになり、やがて環境整備のコミュニティ運動や空き家占拠の運動と結びつき、アート・シーンに影響を与えた。日本で最近流行している壁画は、そうした運動の表層をかすめ取り、都市・建築デザインに利用しているものであって、コミュニテー運動とは無関係である。まして、ベルリンのクロイツベルクにあったKUKUCKやシドニーのダーリンガストのスクオッターたちの家のように、住人たちの自主的な作業によって描かれ、しかも美術・建築史に残るようなレベルに達しているものは皆無である。
新宿の伊勢丹ならびの三井銀行のシャッターには、タンポポの咲く原っぱに汽車が走り、そこで子供が自転車に乗って遊んでいる絵が描かれている。これは、たぶん、専門の業者に描かせたものであり、一種の建築デザインである。
ここから新宿三丁目の方に進み、要どおりに入ると、大忠という会社の本社ビル建築工事現場の囲いの板塀に、「石と人のいる風景」と題された壁画が描かれている。これは、規模としては、大がかりなものであり、石をテーマにした一つのアート作品になっている。
大忠に電話をして聞いてみると、この作品は、この手の壁画を手掛けている剣重氏の作品であり、大忠は、工事現場がしばしば周囲環境を壊し、住人に不快な印象を与えることが多いのを緩和する目的でこの試みを行なったという。これは、ある意味では、なかなか「政治的」である。デザイン目的で描かれる壁画であっても、その機能は必ずしも無政治的であるとはかぎらない。
では、もっと明確にグラス・ルーツ的な政治表現としの壁画や落書きはないのだろうか? マス・メディアが窒息させられている状況下に、落書きに政治がもろに現われて来るということはないのか?
最近、夜中に自宅の周囲一キロほどを散歩していて、大山公園のコンクリート壁面に落書きがあるのを発見した。あたりが暗かったため、それがどのような落書きなのかはわからなかったので、昼間もう一度行って見ることにした。
まず、「核なんかいらねぇ」と緑の文字で書き、そのまわりを黒いスプレーで縁取りした落書きが目を引いた。おもしろいことに、「核なんかいらねぇ」と大書きしたあとに、小さく「と思います」と付け足している。落書きのデザインは、いかにもアメリカ産という感じで、向こうの写真集を見て描いたような気もするが、「と思います」という表現がいかにも日本的でいいではないか。
この壁面には、このほか、赤と黄色で「NO NUKES」と書いた落書きや、「押忍」「下北沢特攻隊」というような「暴走族」の落書き、それから華麗な色とデザイン文字を使った英文の落書きがあり、東京でみた落書きのなかでは、なかないい線を行っていた。
最近では大分衰退しているが、ガード下のようなスペースに行くと、「暴走族」が自分の集団の名を自己顕示している落書きが必ずある。新宿JRの西口ガードの下には、「関連合ころす」「関東連合はなくそ」といった、敵対するグループに対する罵詈雑言が書かかれており、そのそばに、「NATIONAL FLONT」という落書きがあった。
イギリスやアメリカでは、近年、極右の「ナショナル・フロント」がスキン・ヘッズの青少年たちをオルグし、勢力を拡大するのがはやっているようだが、日本でも、「暴走族」と極右との連合が進みつつあるのだろうか? 大山公園の落書きには、「下北沢」の「北」をナチのハーケンクロイツ・マークに置き換えて描いた落書きもあった。「暴走族」においては、落書きは以前からかなり「政治的」であったのである。
数年前には、隅田川の河岸のコンクリート壁は、「暴走族」の落書きのメッカだった。いまあそこはどうなっているだろう? あそこへ行けば、いまの落書きの意識のようなものを探り出せるかもしれない。そう思って、わたしは、ある日曜日、浅草の吾妻橋から隅田川の左岸にそって歩き出した。
高速道路の下は、いまでは限られた一部の場所からしか入ることができなくなっており、落書きも少ない。が、駒形橋の方向に歩いて行くと、まず、「総連高橋なめんじゃねぇぞ」という、明らかに「暴走族」の落書きとおもわれるものが目についた。
しかし、同愛記念病院の下を抜け、新しい国技館のところまで歩いても、あまりおもしろい落書きはない。「横綱一丁目」という町名変更に驚きながら、まだ「両国一丁目」という古いサビた表示板のある細い露地を入ると、高速道路の下の河岸に出る。そこに少しかたまって落書きがあった。
ここに来て急にに気づいたのは、先程から「つまらない」と思って無視してきた一連の落書きに、犬の糞を放置するなという内容のものが意外に多くあることだ。ここにも、「犬のくそを見つけたら110番 犬にくそをさせるな 味噌がなけりゃ 犬のくそを味噌汁にして食え」というのがある。別の落書きでは、「見つけたらあなたのゲンカンの前にくそをバラまくぞ」というのもある。結局、新大橋のところまで左岸を歩いてみて、犬の糞関係が一番多く、またそれらのあいだから、何かさし迫ったメッセージが伝わってくるのだった。
新大橋を渡って、中洲公園に入り、右岸に出ようとしたが、マンションが川沿いに出来ていて、抜けられない。マンションを迂回して、日本橋箱崎町四四番地のビルのところから右岸の通路に出る。しばらく歩いていったら、コンクリートの通路のところどころにある階段の一つをうまく使ってふとんを敷き、男が眠っていた。首都高速九号線の陸橋が交差するところの手前に、「非公開株譲渡 詐欺」という落書き。これは、おそらく、リクルート問題を指しているのだろう。
河岸を離れ、日本橋箱崎町二八番地のところで、マンションの一階のガレージのシャッターに車のハデな絵が描いてあるのに出会う。これも、プロの筆さばき。
永代橋から、ふたたび右岸に出る。ここは、以前は、夜になると「暴走族」のレース・トラックになった。最近、三菱と住友の倉庫が取り壊され、その跡に高層ビルが屹立したので、バイクを乗り入れる者はいなくなったようだ。「暴走族」の落書きは、古くて消えかかったようなものしか、残っていない。これはは、予想しないでもなかったが、落書きの数の少なさは意外であった。
浅草から五キロも歩いて、この程度ではどうしようもない。わたしは、海外の街に行くと、大抵一日は落書き探しの散歩をするが、一日歩けば、百や二百の落書きに出会うものだ。
予想したほど落書きがなかっただけでなく、見つけた落書きは、「自分でつれてきた犬のフンは自分でかたずけろ」(廐橋付近)といった、落書きとは反対の潔癖思想を主張する落書きだった。これでは、落書文化が活性化する可能性は極めて薄いのではないか?
日本社会には、もともとある種の潔癖文化があり、白い地に落書きを描くようなことを暗黙に禁止する。これは、秩序をみださないという精神にも連結しており、日本では、横断舗道一つとってみても、信号を無視して渡る者は非常に少ない。信号などというものは、交通のための道具であり、車が通っていなければ、赤信号でも渡ればよいと、わたしは思うが、そうしているのは、外国人とおぼしき人々だけである。その代り、誰かが渡りだすと、それに従う人が多いのも日本の特徴である。
西ドイツ(ベルリンは別)は、日本同様、信号を守る点ではなかなか厳格だが、たとえ誰か(たとえばニューヨーカー)が赤信号を無視して横断舗道を渡ったとしても、ドイツ人の大半は決してつられることがない。この点、日本社会は、他人を配慮して行動する傾向が強い。
今回の「自粛」ばやりも、誰かが、あるいはどこかの省庁が、そうすることを命令したために生じたというよりも、他がやっているから、自分の方もやらないわけにはいかないという論理で広まったものであり、そうするなかで「申しあわせ」のようなことが行なわれるところまでエスカレートしたのである。
この場合、先導者は、個人であっては不十分なのである。それは、個人であるならば、ある種の特権者でなければならず、むしろ集団の方がよい。信号の例で言えば、一人が無視しても従う者はいないが、二三人が動き出せば、みな信号無視をしてしまうということである。
潔癖文化とは、何かを純潔のままにしておくことではなくて、変化を安定=秩序にもたらそうとする文化である。白地に色がつきはじめたとき、それを放置しておけば、地はまばらな色にそまるだろう。しかし、潔癖主義のもとでは、変化しはじめた色の平均色を目敏く読み取り、その色に向かって一斉に統合しあい、たちまち単一の秩序を生みだしてしまうのだ。
落書きは、ミニ・メディアとはちがって、さしあたり、既成の秩序に対する違反として現われる点で、それは、その秩序がどの程度まで多元的な要素を許容できるかということを試す試金石となる。
そしてこのことは、社会、組織、マス・メディア等のすべてのシステムのしなやかさや自由度を判断する際に、そこに〈落書き的なもの〉がどの程度まで許容されているかを見ればよいということでもある。