国際化のゆらぎのなかで 4

都市の〈ギャラリー〉化とギャラリーの〈商店〉化

 十数年まえ、わたしは、消費環境と消費者の身ぶりとが次第にアート・ギャラリーと芸術愛好家のそれに似てくるという指摘をしたことがあったが、そういう発想をうながしたのは、当時急速に「ジェントリフィケーション化」が進み、「優美」な装いをこらし始めたアメリカや西ヨーロッパの商店やショッピング・モールの現状であった。  実際、ニューヨークやロンドンでは、一九七〇年代の中頃を境にして街の雰囲気が変わり始めた。場所によっては、気楽な服装がひどくみすぼらしく見えるようなところが増え、場所の美学的階級格差がどんどん開いていくように見えた。  おもしろいことに(というよりも、あんまりパターンが似ているのでガッカリしてしまうほどに)、いま東京では、これと似たような現象が起こっている。デパートや商店の内装もずいぶんぜいたくになった。街を歩いていると、ち ょっと場違いと思われるほどオシャレな建物に出くわすこともある。  ここで「オシャレな」というのは、古典的な意味での「お洒落」とは若干ニュアンスが違う。少しまえまで「ナウい」と言っていたのを最近では「オシャレな」と言うようだ。つまり、最近の流行語としての「オシャレな」は、人よりもモノや抽象物に対する形容詞なのである。とはいえ、「ナウい」がその対語として「ダサい」をもっていたのに対して、「オシャレな」は、いまのところ対立する語をもっていないところを見ると、その使用にはまだ限界があるようだ。「オシャれな」には、〈新しい〉という意味とある種の遊び心が含意されているらしく、遊び心からはほど遠い政治に関しては、たとえ東欧の政治がどんなに「新しい」動きを見せているとしても、「オシャレな」ペレストロイカとは言わないのである。  話が脱線した。いずれにせよ、いま、東京でオシャレなスペースが増えつつありのはなぜなのだろうか? そして、これは、都市を使う人々の意識や身ぶりをどのような方向に向けて変化させるのだろうか? 都市スペースの変化が与える影響は、思想やファッションにくらべて無意識的なものであるが、その影響力は、非常に深く、長期的である。 商店がギャラリー化するのは、商店が単に「お洒落」をし、その販売空間を見栄えのよいものにするからではない。むしろ、売られる商品の性格や機能自体が変わってきたということがあるのであり、一言で言えば、商品がその情報価値を重視するようになればなるほど、それをあつかうスペースは、ギャラリー化するのである。  今日、その情報価値を無視した商品というものは少ない。食べてカロリーさえ満たせればそれでよいという商品よりも、感覚に訴えかけるパッケージ・デザインやあらかじめ先入見を吹き込むマス・メディアの広告環境と一体になった情報連続体としての商品の方が普通である。  絵画や彫刻も売られるが、その価格は、その物理的機能や価値で量られるのではなく、その情報的価値で決まる。今日の商品は、ごくありきたりの商品ですら(いや、ごくありきたりの商品であればあるほど)、情報的なものにな っている。とすれば、それらを並べる空間が、美術品を展示するスペースに近づくのはむしろ当然である。  実際に、最近は、店舗の内装をアーティストが手掛ける例も多く、「商業デザイン」と「アート」との差は縮まっている。こうした傾向は、すでに一九六〇年代にポップア ートが登場したときに始まっていたと言えば言えるわけで、何ら驚くべきことではないが、しかしそれが都市ぐるみで全般化してきたのは、一考に値する。 六本木は、いま最も「オシャレな」街の一つであるが、六本木交差点を狸穴の方へ少し歩いた一角にAXIXというビルがある。ここには、インテリア、食器、ホビー製品、衣服等々、室内で使うさまざまなものが展示され、売られている。しかし、これらは、すべて実用性よりも情報性に重点を置いた品物ばかりであり、このビルの喫茶店やレストランも、情報を「飲」んだり「食」べたりする所といった雰囲気をもっている(つまりここで飲んでも、食べても、身にならない)。  もっとも、このビルディングで売られている品物は、所詮はみな、最初から何らかの実用性を付与されているものであり、どんなに「オシャレな」品物といえども、座れないイスとか飲めないコップとかのアートではない。従って、それらは、一見、ギャラリーに展示されている芸術作品のような外見をもっていても、とどのつまりはマガイなのであり、そこにアートとしての期待をかければ裏切られるだろう。  そうなると、およそ三〇分もこのビルのなかをうろついていると、全体が次第にガジェットの山に見えてくるわけで、いま東京で見られる〈ギャラリー化〉というのは、むしろ〈ガジェト化〉なのかという気がしてくるのである。  では、こうした状況のもとで、肝心のアートつまり美術品の方はどうなのだろうか? 街が、建物が、すべてのスペースが〈ギャラリー化〉する傾向にあるとすれば、それは、美術品にとってはプラスなのか、マイナスなのか? 美術品まがいの商品とギャラリーまがいの環境に囲まれて美術品の方がカスんでしまうということもあるのではないか? また、逆に、マガイだらけのあいだで、「ホンモノ」が浮き出るということもあるだろう。  というわけで、自民党の「大勝」を告げるニュースがあちこちで飛び交うある日、わたしは、普段とは少し意識を変えて美術館とアートスペースを観察してみることにした。  青山のSPIRALと言えば、一応、オシャレなスペースの一つに数えられる。実際に、ここでは、ある程度の市民権を得たファッショナブルな(従ってラディカルな実験精神はやや乏しい)パフォーマンスやアート作品が公開される。この日は、高橋秀の「エロス・極限の赤と黒」展が開かれていた。あまり人は多くない。昼どきだからだろう。  閑散とした室内を歩き、二階に行く。驚いたことに、かなり大きなフロアがデパートのような店舗スペースになっている。商品の数も多い。わたしは、SPIRALには何度も足を運んでいるが、いつも時間ギリギリに来て、催しものが終わるとすぐに帰ってしまうので、このスペースには来たことがなかった。  並べられているのは、セッケン、香、香水入のローソク。、皿、人形、ビデオ、ラピングペーパー、写真集など。セ ッケンや香のコーナーには、「香の空間演出」と書かれている。室内は、全体としてギャラリー風であり、照明、BGMにも気を配っている。  しかし、これは、メトロポリタン・ミュージアムとかポンピドー・センターでも見られるものであり、アート・スペースとの区別は一応つけられている。ギャラリーの商店化というよりも、ギャラリーと商店との共存という趣であり、実際に、こうしたスペースの収益は、美術館にとって重要な財源の一つになっている。  この点では、渋谷のBUNKAMURAは、違っていた。ここは、いま、非常に「オシャレ」度の高い場所として人気がある。劇場、美術館、店舗、カフェ、レストラン・・全体が、実用性よりもアーティスティックな遊び心で構成されており、人は、ここで遊ぶように「買い」、買うように「遊び」、「眺め」る。  だから、栄通りから入って、ロビーの左手にあるギャラリー風のスペース(BUNKAMURA GALLERY)に展示されている絵の傍らにはちゃんと値段を表示する札が下がっている。ここは、ギャラリーというよりも、ギャラリー風の売店なのであり、客が買わずにただ眺めるときだけ、そこは「ギャラリー」になるわけである。  むろん、今日、「画廊」と呼ばれるスペースは、すべて美術品を売るスペースであり、ここほど露骨に値札を付けないというだけの違いしかない。しかし、それをはっきりと示すのと隠すのとでは、大きな違いであり、スペースに対する認識論が決定的に異なっていると言わなければならないだろう。  BUNKAMURAで絵がギャラリー・スペースに並べられ、かつ、デパートのような販売スペースと同じようなやり方で値札が付けられていたのは、ここでは、絵が、単なる美術品とも商品とも見なされていないということを示唆している。実際に、ここで買われる絵は、単なる商品ではない。それは、見られかた、「観賞」され方によって、さまざまな「価値」を生むからである。同様に、この絵は、もはや近代的な意味での「芸術作品」でもない。それは、商品経済に深く根を下ろしており、「不本意」に売られるわけでは決してない。むしろ、それは、売られることによ って「自分」になるのである。  SPIRALを出て、青山通りを渡り、HANAEMORIビルの角を裏手に入ると、そこにBATSU ARTGALLARYという建物があった。が、そこは、「ギャラリー」という名の店舗であり、展示されているのは、宝石や衣服だった。これに対して、BUNKAMURA GALLERYで展示されていたのは、美術品である。つまり、いま、東京では、店舗の「ギャラリー化」とギャラリ ーの「商店化」とが同時に起こっているのであり、この変化は、貨幣と芸術作品の本質にまで及んでいると考えられる。 そうだとすると、この変化は、われわれの日常生活にも及んでくるだろう。日常性を長らく支配した「実用性」や「有用性」といったものは、「芸術性」や「遊び心」に侵食され、さらに別のものに成りかわるだろう。すでにその徴候は至る所で見られる。  今日、情報操作(インテリジェンス)と無縁の労働はなく、物質を直接変容したり、移動したりする労働は、ますます機械に転換されている。労働とは、いまや〈情報労働〉であり、モノも〈情報=モノ〉であると言ってもよい。まさに、今日、権力の集中点が「インテリジェンス・エイジェンシー」(情報局)、最も「新しい」都市が「インテリジェント・シティ」と呼ばれるのは偶然ではないのである。  ところで、こうした「情報」は、これまで「知識人」や「芸術家」の独占下にあった。しかし、時代傾向が変わり、「情報」が全般化するとき、「知識人」や「芸術家」は、すべての個人の平均的要素にならざるをえない。「知識人」や「芸術家」の衰退とは、実は、それらの消滅ではなくて、もはやあえてそう呼ばなくてもよい程にそれらが全般化した結果なのである。  その点で、今後の社会学や経済学は、「知識人」や「芸術家」のコミュニティをモデルにして現状を分析しなければならないだろうし、「知識人」や「芸術家」の身ぶり・ライフ・スタイルからが、ごく普通の人々のものになるだろう。  しかしながら、ここで言う「知識人」や「芸術家」は、今日生き永らえている「知識人」や「芸術家」ではない。すでに、「知識」はコンピュータと狂気のなかに、「芸術」は、手仕事とテクノロジーのなかに解消され始めており、人間的なユニークさはもはや狂人のなかにしかない。  狂人だけがユニークさを保つことが出来、あとは凡庸さを反復するしかないところまで行き着いた「文明」は、いまや、歴史のなかに独自性を見出すしかない。こうして、十九世紀や十八世紀の「知識人」や「芸術家」が有効なモデルとして歴史の収納箱から引き出される。 いまはまだスペースのギャラリー化というレベルで進められている変化が、やがて記憶の再構築というとてつもない作業を要求するようになるだろう。「商品」と「美術品」との差異を消去する動向のなかでますます「優美」になるスペースを活かすことが出来るのは「記憶の人」と記憶の豊かさを誇ることの出来るスノッブだけである。  ひところまっしぐらにジェントリフィケーションの道を歩んでいたマンハッタンは、結局、ジェントリフィケーションということでは西ヨーロッパの諸都市に屈してしまった。それは、アメリカが記憶よりも忘却の文化のもとで生きてきたからであり、記憶が創造、生産、資本のすべてを規定するような時代になると、その点では蓄積のあるヨーロッパには太刀打ちできないからである。  では、歴史的な記憶に対しては(少なくとも明治以降)屈折した対応を強いられている日本人にとって、スペースのギャラリー化は何を開くだろうか? 物の量的蓄積や単に迅速なだけの移動が力ではなくなる「優美な」スペースの時代に要求される記憶をわれわれはどこから取り出すのだろうか?



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