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ウディ・アレン

 以前、ウディ・アレンが大きなおなかをかかえたミア・ファーローとマンハッタンを歩いている写真を見たことがある。それは、一見、グロテスクな印象を与えかねない写真だが、ニューヨークでの受け取られ方は、ちょと違っていたらしい。丁度、アメリカでは、子供をもつのが流行しはじめた時代であり、フェミニズムなどの影響で子供をもつことを控えていた世代も、「見切り発車で」子供をつくり始めていた。
 ウディとミアのこの写真は、そうした時代にまさにピッタリのもので、これに力づけられて子供をつくることにしたカップルもいたかもしれない。ウディ・アレンは、いつのまにか、アメリカのある層のスタンダードを代表する存在になっていたのである。
 八〇年代の初めごろだったか、ウディが西武系のTVコマーシャルに出て、次第に日本でもその名を知られるようになったとき、彼のイメージは、バスター・キートンやハロルド・ロイドに通じる喜劇役者としてのそれよりも、むしろ「ヤッピーの教祖」というイメージであり、一般的に彼は、「カッコいい」人物として受け取られていた。
 しかし、彼が「カッコイイ」存在になったのは、ごく最近のことであって、彼の映画と演技のなかには、依然として道化的な要素が脈々と生きているように思える。そして、その要素を見なければ、『私の中のもうひとりの私』のような「深刻な」方の作品の射程が狭められてしまうのではないかとわたしは思う。
 わたしが、最初にウディの姿を目にしたのは、?嘯O07/カジノ・ロワイヤル』i一九六七)でだったが、その奇妙にクレイジーなキャラクターは、三枚目以外の何ものでもなかった。それから五年ぐらいして、新宿のアートシアターで『ボギー! 俺も男だ』(一九七二)が封切られたのだが、これは、言語と身ぶりのギャグの宝庫だった。それもそのはず、彼は、そのころ、映画やボードビルショウのギャグを考案することで生計を立てていたのであり、ギャグ作家とスラップスティックの役者が彼の主なキャリアだったのである。
 続いて日本で上映されたのは、『スリーパー』(一九七三)で、ここでもウディは、二〇世紀にニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジで自然食品店を経営していたが胃潰瘍で死に二百年後に超管理社会で蘇生させられビックリ仰天の人物を滑稽に演じていた。
 わたしの最初のウディ観は、以上の三作で形成された。それは、ヤッピーに象徴されるようなオリコウで、つねに安全地帯にいるインテリというイメージよりも、権威的なものを冷やかし、笑殺してしまう強烈な批判精神であり、アクチュアルなアイロニーだった。このウディ観は、決して見当違いのものではないと思うが、それが特に強くわたしのなかに定着したのは、これ以外の彼の作品に接する機会にめぐまれなかったからである。今日のようにヴィデオで未公開の映画を容易に見られる状況にはなかった当時は、日本にいるかぎり、洋画は、映画会社の配給に期待するしかなかった。
 当時、見たくてたまらなかったのは、ウディが脚本・監督・主演の三役を初めてこなした(その後、彼の映画ではこれが普通になる)?囀D棒野郎』i一九六九)、『oナナ』i一九七一)、『Eディ・アレンの誰でもが知りたがっているくせにちょっと聞きにくいSEXのすべてについて教えましょう?? (一九七二)などの未公開作品であったが、それらが、いずれも、政治と文明を皮肉る一方で、愛をはにかみながら強調するスタイルをとっていることはおおよそ見当がついた。が、映画は見ないことにはどうしようもない。わたしは、フラストレイションをおぼえた。
 だから、一九七五年からニューヨークで過ごすことが多くなって、当地の新聞や雑誌で映画欄をチェックするときには、真っ先にウディの映画を探した。そして、少しずつ日本では見ることが出来なかった上記の作品をカーネギー・ホール・シネマとかブリカー・ストリート・シネマなどで遅ればせに見ることが出来た。
 一九七六年にアップ・タウンのバロニットだったかの映画館で『U・フロント?宸フロードショウを見たとき、これは、マーティン・リットの監督作品で、ウディは主役として登場したのだが、わたしは、これこそまさにウディにピッタリの作品に思えた。
 ウディが六〇年代後半のアメリカの状況にどう関わったかは知らないが、彼が体制順応主義者ではなかったことは、折にふれて文明や政治を皮肉る彼のスタイルからも十分に予想がつく。しかし、『泥棒野郎』にしても『バナナ』にしても、それらのおもしろさは、単なる反体制主義ではない。権力は冷笑されるものとして現われるが、決定的には否定されないで終わる。それは、造反の六〇年代世代の目には生ぬるいものに見えた。
 しかし、『ザ・フロント』では、マッカーシー主義を完全に否定し、文字通り笑殺している。最初は、政治意識など全くないレストランのウエイターとして登場するウディは、赤狩りで公には作家活動が出来なくなった友人の劇作家(アーサー・ミラーがモデル)に名前を貸す。以後、彼の書くものはすべてウディの手を通じて出版社やテレビ局に渡され、ウディの名で発表される。皮肉なことは、その作品がヒットし、次第にウディがマスコミに注目されるようになる点だ。インタヴューもこなさなければならない。ただの「カカシ」(フロント)でしかないウディがしどろもどろになってとりつくろう様がとてつもなくおかしい。そして、マスコミを煙に巻くことに成功したところで、今度は、非米活動委員会の調査がウディのところまで及んでくる。
 ウディが名前を貸している作品それ自体は決して反体制的なものではなく、非米活動委員会はほとんどルーティンでウディを査問しようとした(それほど当時の思想チェックは厳しかった)にすぎないのだが、このときウディは、あえて委員会の査問を侮辱し、有罪になる。「ファック・ユー・オフ」(勝手にしやがれ)と言って、部屋を出ていくウディの姿がさわやかだ。
 そういうわけで、わたしは、『マンハッタン』i一九七九)以来定着した「ヤッピーの教祖」としてのウディ・アレンという神話に対して、「とんでもない、ウディはヤッピーなんか相手にしちゃいないよ」という気持をいだいてきたのだった。
 それはいまでも全然変わってはいないのだが、ウディの大半の作品を見ることができたいま、わたしのなかで多少の変更が生じてきていることも事実である。そして、当初は全然理解できなかったウディ=「ヤッピーの教祖」という神話についても、それがなぜ生じたかが多少理解出来るようになってきた。
『泥棒野郎』から最近の『私の中のもうひとりの私』にいたるウディの映画全体の流れのなかでもう一度『U・フロント』を見直してみると、これはウディの作品であるよりも、やはりマーティン・リットの作品であるということを認めざるをえない。リットは、四〇年代に赤狩りでハリウッドを追われた監督であり、この映画にはリットの執念のようなものが感じられる。ウディ・アレンは、それにノったわけであり、道化的人物から政治的ヒーローへというこの映画の道筋は、ウディの趣味ではない。ウディの場合は、もっとカッコ悪いのが普通であり、屈折こそが彼の本領なのである。
 さらに、『バナナ』のような、より今日的な政治をあつかっている作品を見直してみると、発表された当時はその時代の政治的話題を単に喜劇の材料に利用しているにすぎないかのように見えた作品が、意外にリアルな政治認識をもっていることがわかる。
 この映画の大きな流れとして、軍部がクーデターを起こし、独裁政権を打ち立てるが、それを「左翼」ゲリラ(ウディはその仲間に加わる)が倒す——しかし、それにもかかわらず、そうして出来た「左翼」政権の方は、じきに独裁的性格をもってしまうというアイロニーがある。『泥棒野郎』でも、マトモな世界というのは愛とセックスの世界しかなかったが、『バナナ』でもウディは、「革命」は所詮権力のたらい回しであって、そんなことより愛する女性と愛を語る方がはるかに重要だと言いたげである。
 これは、七〇年代には何かイジましいことのように感じられたが、いまではもうほとんど自明のことだろう。革命は、たぶん、権力の「奪取」や「掌握」ではなく、もっと別のミクロなレベルにあることが確認されつつある。
 とはいえ、それではウディ・アレンは、日常生活のなかのミクロな部分に潜在する〈政治〉をあつかうミクロポリティクスの映像作家なのかと言うと、かならずしもそうではない。彼は、ミクロポリティクスよりもむしろミクロサイコロジーに関心があるようだ。
 ある意味では、彼の作品には必ずと言ってよいほどフロイト流の精神分析に対する揶揄が見られる。『Tマー・ナイト』i一九八二)などは、フロイト流の精神分析を奇妙キテレツなパワーサイコロジーで異化しようとした作品であるし、『スターダスト・メモリー』(一九八〇)は、フロイトの「夢判断」を、『カメレオンマン』(一九八三)と『カイロの紫のバラ』i一九八五)は、「倒錯」と「幻想」の理論を、映画というそれ自体が「倒錯」と「幻想」によって成り立つメディアを使って茶化してしまった作品だ。
 ウディの関心が政治よりも心理学にあるからこそ、彼の映画の主人公は、破壊的・行動的であるよりも、神経症的・非行動的となる。近年、彼の映画が初期のスラップスティックな性格を失い、ときには「ベルイマンを下手に模倣した」かのような深刻な性格を帯びることが多くなったとしても、それは決して立場の変更ではない。彼は、もともと世界の〈外側〉にはあまり関心がないのである。
 実際、ウディの映画では、〈外側〉の世界が描かれるとしても、大抵はマンハッタンやブルックリン、またニュージャージーの限られた場所であり、『アニー・ホール』(一九七七)のように二つの都市が同時に描かれるときには、まさにマンハッタンを離れたためにノイローゼ状態に陥ってしまう人物が描かれる。その意味で、『Zプテンバー』i一九八七)のように終始室内でドラマが展開する世界は、ウディにとっては非常に「自然」なのである。
 結局、ウディ・アレンの映画は、カフカの物語が「自閉症」の物語であると言うのと同じ意味で「自閉症」の映画である。それは、ヤッピーのような「昼」の世界には不向きの映画であり、所詮はシステムのために働くことをよしとしているヤッピーには「毒」になる映画である。
 ウディを「ヤッピーの教祖」として崇める者は、たぶん、彼の作品を『マンハッタン』しか見ていないのだろう。実のところ、この作品にしてからが、「自閉症」の見たマンハッタンであり、その映像の「美しさ」をほめればほめる程、マンハッタン・パラノイアに深入りしていくというアイロニカルな仕掛けになっている。
 最近幾度か、『ニューズウィーク』の映画欄がウディ・アレンの映画を酷評しているのを目にしたが、たぶんこの雑誌もヤッピーを主な読者にしているのだろう。ヤッピーにはウディは「毒」なのだ。
[私の中のもうひとりの私]前出[007/カジノ・ロワイヤル]ジョン・ヒューストン、ケン・ヒューズ他/脚本=ウォルフ・マンコビッツ、ジョン・ロウ他/出演=ウディ・アレン、ピーター・セラーズ他/67年英[ボギー! 俺も男だ]監督=ハーバート・ロス/脚本=ウディ・アレン/出演=ウディ・アレン、ダイアン・キートン他/72年米[スリーパー]監督・脚本=ウディ・アレン/出演=ウディ・アレン、ダイアン・キートン他/73年米[泥棒野郎]前出[バナナ]                        [ウディ・アレンの誰でも知りたがっているくせにちょっと聞きにくいSEXのすべてについて教えましょう]監督・脚本=ウディ・アレン/出演=ウディ・アレン、ジーン・ワイルダー他/72年米[ザ・フロント]監督=マーティン・リット/脚本=ウォルター・バーンスタイン/出演=ウディ・アレン、ゼロ・モステル他/76年米[マンハッタン]前出[サマー・ナイト]監督・脚本=ウディ・アレン/出演=ウディ・アレン、メアリー・スティンバーゲン他/82年米[スターダスト・メモリー]監督・脚本=ウディ・アレン/出演=ウディ・アレン、シャーロット・ランプリング他/80年米[カメレオンマン]前出[カイロの紫のバラ]前出[アニー・ホール]前出[セプテンバー]前出◎89/ 8/ 8『別冊宝島』




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