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ウォーカー
『ウォーカー』を見て、サム・ペキンパーの『ワイルド・バンチ』との映像技法的な類似を指摘した人がいたが、全然ちがうのではないかと思う。たしかに戦闘シーンでスローモーションが多用されてはいるが、ペキンパーではそれがホントらしさを表わすために用いられているのに対して、アレックス・コックスにおいては死や暴力を異化し、その無意味さを強調するために使われている。
ウィリアム・ウォーカーを演じているエド・ハリスは、上昇志向の強いイヤ味な人物や陰険な役人などを演じるのが巧い役者だが、この映画では、死に神にとり憑かれたかのように自分のまわりを次々に破滅に導いていく狂気のパーソナリティーをキワドク演じている。
戦場で避難した家に無数の弾丸が撃ち込まれるなかで、それを全く気にせずにピアノを弾きだすウォーカー。民家に火を放つことを命じ、燃え盛る街のなかを無表情に部下とともに歩いていくウォーカー(ジョー・ストラマーの音楽がシュールな効果を出している)。これは、完璧な狂気であるが、ここまで来ると、それを止めることは、世界を根底からやり直さないかぎり、不可能だという気がしてくる。
その意味ではコックスは、たかだか中南米へのアメリカの帝国主義的侵略の前史に名をとどめるにすぎないウィリアム・ウォーカーという人物を、キリスト教的信仰と文明そのもののなかに潜む悪魔性の体現者としてとらえなおした。
前出◎88/11/29『HOT DOG PRESS』
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