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映画と原作の間
再会の街
すでに発表されている小説をもとにして映画が作られれば、その小説は映画の「原作」ということになる。そして、その映画は、「原作」をどの程度「忠実に」再現しているかどうかによって評価される場合が多い。
しかし、それは、メディアがマルチ化し、しかもそれぞれのメディアが自律する傾向のある時代にはくだらないことである。
映画化や舞台化が「原作」の継続であると考えることもできるわけで、いずれにせよ脚色がどの程度「原作」に忠実であるかどうかなどよりも、両者の違いのなかで何が表わされているかを読み取る方がおもしろい。
ジェイムズ・ブリッジズ監督の映画『再会の街』は、ジェイ・マキナニーのベストセラー小説『ブライト・ライツ、ビッグ・シティー』の映画化であり、表面的に見れば、「原作」をそつなく「模写」しているように見える。しかし、少し注意深く両者を比較してみると、決定的なズレがあることに気づく。
マキナニーの「原作」は、文中に出てくるトーキング・ヘッズの歌詞や街の風俗から判断して、一九七〇年代末から八〇年代初めの一時期のマンハッタンを舞台にしていることが一目瞭然である。
これに対して、映画の方は、現在のマンハッタンに時代と場所を定め、物語を現在進行形に置き換えている。ファッションも音楽もすべて八〇年代風である。
冒頭、マイケル・J・フォックスが演じる主人公ジェミー・コンウェイは、ドラッグをやりすぎたあとに襲われる無気力感に耐えながら、ディスコ・クラブのテーブルでぼんやりとしている。映画ではこのシーンは、磯崎新の内装で有名なパラディアムで撮られている。
小説が発表されたのが一九八四年だから、ここであつかわれているニューヨーク風俗は、いくら新しくても八三年までであり、それを証明する記述はいくらでもある。
たとえば、作中でバーニーという男が、アヴェニューDは「いまじゃ、ホモとジャンキーだらけさ」と言うくだりがあるが、今日のアヴェニューDは全く違っている。
アヴェニューDというのは、ファースト・アヴェニューよりもさらに(A、B、Cと)東に進んだマンハッタンの東端に近い通りであり、通称「アルファベット・アヴェニュー」と呼ばれる。戦前までは、貧しい移民者の街であり、町工場も少なくなかったが、時代が下るとともに、放擲された廃墟が立ち並ぶ地帯になっていった。わたしがこの地帯に初めて足を踏み入れたのは、七五、六年だったが、うさんくさい目つきのヤクの売人や路上にぶっ倒れているジャンキーたちが目立つ特殊地帯だった。昼間でもヨソ者にはきつい視線が浴びせられ、わたしはひどく緊張して街路を歩いたものだ。
ところが、七〇年代末になって、不動産投機が加熱し、マンハッタン中で「地上げ」が行なわれるようになると、いままで敬遠されてきたこの地帯にも新築や改築の波が押し寄せてくるようになった。そして、八〇年代の中頃には、画廊、カフェ・バア、クラブなどが次々に店開きした。
映画は、登場人物たちを六、七年ずらし、「地上げ」によって新築された高級マンションに住み着いたヤッピーたちにして、ストーリー全体をヤッピーの話にしている。
いわばヤッピーのなりそこないといった主人公が夜明けに、ソーホーの製パン工場のまえを歩いていると、パンがトラックに積み込まれるのに出会うが、そのパンが、小説ではロール・パンであるのに対して映画ではフランス・パンであるのも、示唆的だ。フランス・パンはヤッピー好みの食品とされているからである。
こうした違いは、翻訳を読み、字幕をたよりに映画を見る場合には瑣末すぎることかもしれないが、この違いを知れば知るほど、「原作」から、この十年間にヤッピーの進出によって居場所を失った者たちの姿が見えてくるし、また映画からは、そうした失われた者たちのヤッピーへの転身物語を読み取ることができるのである。
ただし、映画で主役にマイケル・J・フォックスをもってきたのはミス・キャストではないだろうか。
監督=ジェイムズ・ブリッジス/脚本・原作=ジェイ・マキナニー/出演=マイケル・J・フォックス、フィービー・ケイツ他/88年米
カラーズ 天使の消えた街
「ノヴェライゼイション」というのは、テレビや映画のヒット作を台本や映像にもとづいて小説化したものだが、この場合映像作品の方が「原作」になる。
だから、やり様によっては、もとの映像作品よりもおもしろいノヴェライゼイションを書くことも可能なはずだが、実際には、著作権の関係か、原作をなぞっただけのものが多い。
しかしながら、映像と活字とのあいだのメディアの相違はどこかで必ず、内容にも微妙な差異を作り出すもので、そうしたズレに注目しながら読むと、ノヴェライゼイションも捨てたものではない。
デニス・ホッパーが監督した『カラーズ 天使の消えた街』は、現在ロサンゼルスのような大都市で深刻化している少年ギャングの問題を真正面から取り上げている点でも、またハッピー・エンド好みのアメリカ映画に方向転換をもたらすインパクトをそなえている点でも、話題沸騰の作品であるが、そのノヴェライゼイション(邦訳、二見書房)を読んでいて、わたしは、映画を見ながら自分で作り出していたズレを発見して、おもしろかった。
この春ニューヨークで見たときも、そして最近東京でもう一度見たときも、わたしは、あるシーンをノヴェライゼイションで書かれているのとは違った意味に解釈していた。
この映画で描かれている少年ギャングたちは、服の色(カラー)で組の違いを表示しているのだが、赤いシャツを着た「ブラッド団」の黒人少年・少女たちが、敵対する「クリップ団」のギャングにマシンガンで惨殺された死者に別れを告げる教会内のシーンで、目つきのキツイ一人の黒人少年が遺体の手に弾丸を握らせる。
わたしは、ここで弾丸を死者に握らせる男がいかにも油断ならない顔をしていたので、ひょっとしてこの男は、「クリップ団」のスパイであり、殺した犠牲者の遺体に更に弾丸を握らせることによって、この「ブラッド団」の者全体を地獄の底にまで追いやってやるという悪魔的な呪いをこめたのかと思った。というのも、このシーンのすぐあとで、教会は、車に乗った「クリップ団」による機銃掃射を受け、蜂の巣のようになるからである。
しかしながら、ノヴェライゼイションでは、男のしぐさの意味は、次のような警官の説明的な会話によって明示されていた。
「あの野郎はいま何をやったんだ?」ダニーがホッジスにそっとたずねた。
「弾丸をクレイグの手の平に握らせたのさ。仇は取ってやるぜ、ブラザーってね。ドクター・クレイズって仇名の奴だ」
このノヴェライゼイションは、マイケル・シファーの映画台本にもとづいてジョエル・ノーストが小説化したものであるから、死者の手の平に弾丸を握らせるシーンが、復讐の誓いを示唆するものであるということは、ノーストの独自の解釈ではなく、映画でも最初からそのように演出され、演技されていると見てよいだろう。
しかし、わたしは依然として映画がわたしにつかのま与えてくれた〈誤解〉の方を愛したいという気持を抑えることができない。ひょっとしてノヴェライゼイションの記述は、あの両義的な映像を単純化してはいないか?
まあ、いくら「誤解する権利」を振り回しても、わたしのこの突飛な解釈を正当化するのは無理かもしれないが、これとは別の、もう少し微妙なシーンになると、小説はどこかで映像の意味を一義化せざるをえなくなる。
おそらくそれを埋め合わせることが出来るのは、ノヴェライゼイションが、質的に映画の上を行くことだろうが、この映画のように思想的にもしっかりした地盤の上に立って作られている場合には、そう簡単に映画の上を行くことは難しい。
その意味では、わたしがノヴェライゼイションで唯一印象深かったのは、文中にちらりと出てくる「警察機関というものは、究極のギャングであり、そして、おまわりとは、究極の輪姦集団なのかもしれない」という言葉だった。
というのも、この点が映画の基調になっていることは明らかであるにもかかわらず、映画では、二人の警官を演じるロバート・デュヴァルとショーン・ペンのややカッコよすぎるキャラクターのために、映画が全体として示唆している警官とギャング世界の相同性の表現が若干弱まっているきらいがあるからである。
監督=デニス・ホッパー/脚本=マイケル・シファー/出演=ショーン・ペン、ロバート・デュヴァル他/88年米
カルテット
一九二〇年代のパリで創作活動を開始しながら、文学世界では忘れ去られていたジーン・リースの作品が、一九七〇年代に復刊されたのは、彼女がほぼ三十年ぶりに新作を発表して賞を得たということもさることながら、二○年代末に発表された『左岸』や『カルテット』(邦訳、早川書房)の都市小説としての新しさが再認識されたためだった。
しかし、その新しさは、たとえばジェイ・マキナニーのような現代作家の作品中に、目立たぬ形で影響を与えてはいるものの、批評のレベルではまだ十分に認識されていないようだ。
最近、ジェイムズ・アイヴォリー監督の『カルテット』を見たのだが、この映画は、ジーン・リースの小説の都市的側面をあまり重視していなかった。
都市が前面に現われるのは、冒頭のシーンでパリの古びたホテルの看板を次々に映し出すところだけだ。
ホテル・ド・レジル、アントレ・ド・ホテル、ホテル・コロネル、ホテル・ペリカン……。そして、主人公マリア・ゼリを演じるイザベル・アジャーニが疲れた売春婦のような雰囲気で姿を現わすところまでは、都市映画のタッチで進む。
しかし、映画は、すぐに「愛憎ドラマ」になってしまう。骨董品の詐欺容疑で捕まるマリアの夫ステファン。友人の紹介で知り合う芸術家のパトロン、H・J・ハイドラーとその妻ロイス。ストーリーは、「妻妾同居」の生活を中心に展開する。
リースの原作は、「愛憎ドラマ」としては、中途半端なところがあり、登場人物の心理の描き方も、ある意味で稚拙である。
その点、アイヴォリー監督は、原作を一歩進めて、ハイドラーとロイスとのあいだに、一見冷めているようでいながらマリアを利用して夫婦関係を活性化する屈折した夫婦の心理を読み取り、また主演のアジャーニは、どこかツイテいなくて、男に利用されてばかりいる女の淋しさをよく出してはいる。
しかし、歴史が一回転して、心理描写や「愛憎ドラマ」などがそれほど目新しくはなくなった今日の規準でリースの『カルテット』を読むと、アイヴォリー監督が引き出した部分は、むしろ瑣末な部分に属するように思えるのである。
リースの原作には、パリの地名が克明に描かれている。そして、主人公マリアは、実によくパリの街をさまよい歩く。
地図を見ながら読むとよくわかるが、この小説のなかでマリアはパリの六つの地域を移動する。
まず、ステファンと暮らしているコシュワ通りのユニヴェール・ホテル。ここは、モンマルトル墓地のすぐそばである。
友人デ・ソラのアトリエがあるのはヴィラ・ド・オルレアン。これは、セーヌを越えた左岸のモンパルナス墓地の南側だ。右岸のユニヴェール・ホテルからここまでは、クリシーから地下鉄に乗ってダンフェール・ロシュロー広場に行き、そこから少し歩く。
ハイドラー夫妻のアパルトマンは、リュクサンブール公園からオプセルヴァトワール公園通りを「半分ほど入ったところにある高い建物」のなかにある。これは、モンパルナス墓地の東側。
ステファンが出所して、二人が泊まる「トゥルノン通りのホテル」は、リュクサンブール公園とサンジェルマン通りとの間にある。
国外退去命令でアムステルダムに行くステファンを北駅に見送ってからマリアがタクシーで向かうのは、「メーヌ通りのボスフォール・ホテル」である。この通りは、モンパルナス駅と墓地とのあいだの狭い通りである。
アムステルダムからこっそり舞い戻ったステファンがマリアといっしょに転がり込む友人のアパルトマンは、「ブリュ通りの暗く朽ちかけた建物の三階にある」が、ここは、サン・ラザール病院に近い右岸地域である。
リースは、作中で、「人生は断片の寄せ集めだ。夢のごとく脈絡なく」というゴーギャンの言葉を引用しているが、『カルテット』は、まさに一九二〇年代のパリの街路の「断片」を「寄せ集める」ことによって作られており、「夢」つまりストーリー自体の一貫性はさほど重要ではない。この小説は、まさに「歩く」小説であり、小説自体がパリの街路という「原作」をもっている。
監督・脚本=ジェイムズ・アイヴォリー/原作=ジーン・リース/出演=イザベル・アジャーニ、アラン・ベイツ他/81年英・仏
泥棒野郎
劇場で公開された映画が半年もするとヴィデオで発売されるこのごろでは、映画はもっぱらヴィデオで見るという人も少なくないようだが、わたしはまだ、映画館で映画を見ることにこだわっている。というよりも、両者は別の映像体験なのだという考えにこだわっている。
映画館では、まえの人の頭が気になったり、うっかり見過ごしたショットがあっても巻きもどして見るわけにはいかないとか、ヴィデオより「不便」なところが多いように見えるかもしれないが、それだけ、映画館の映像体験は一回的で、ハプニングに充ちているということも確かである。これは、いまとなってはなかなか貴重なことである。
ふらりと立ち寄った異邦の街の映画館で、観客の意外な反応に出会うというのも、映画ならではのことだ。わたしは、同じ映画を違う土地の映画館でくりかえし見るということをときどきやる。
しかしながら、最近のように、輸入版、海賊版、それから日本語字幕のついた国内版というように、ヴィデオ環境が多様化してくると、そうしたヴィデオを見くらべることによって、「原作」(ここでは映画)の可能性を拡大することも出来るのである。
最近わたしは、ウディ・アレンの『泥棒野郎』のビデオを見た。『泥棒野郎』は、ウディ・アレンの初期の傑作であり、いま見ると、その後に展開されるアレン映画のほとんどすべての要素がここに集約されていることがわかるのだが、日本では、わたしの知るかぎり、劇場では一度も公開されていない。
わたしは、この映画が見たくて、海外に行ったときは、名画座のリストを必ずチェックしたものだが、タイミングが合わなくて上映に接する機会にめぐまれなかった。ところが、七八年だったか、当時住んでいたニューヨークのアパートでテレビをつけたら、この『テイク・ザ・マネー・アンド・ラン』i?囀D棒野郎』の原題)をやっていたのである。
いじめられっ子として育ち、ドジな泥棒になる男ヴァージルをウディ・アレンが演じているドキュメンタリー・タッチのこの喜劇では、アレンの実生活や性格、?嚔エたちに明日はない』A『暴力脱獄』などのアメリカン・ニューシネマのタッチ、それからドキュメンタリーがとらえる「事実」という概念そのもの……がたくみに異化されていて、感心してしまった。
その後、一九七九年に、ニューヨーカーIという映画館で、『泥棒野郎』から『インテリア』までのアレン作品をほとんど全部集めたフェスティヴァルがあり、わたしはこのときようやく、銀幕上の『泥棒野郎』に接することが出来た。
不思議なことに、このとき、わたしは、テレビで見落とした部分をほとんど確認できないまま映画館を出てきたのだった。というのも、映画館で観客は、最初から最後まで爆笑のしどおしで、むろんわたしも笑いころげたのだが、その反応のものすごさに圧倒されて、画面よりも周囲に目がいくことが多かったからである。
大体、ウディ・アレンの映画をマンハッタンで見ると、観客の反応は日本とは全く違うことに驚かされる。それは、せりふの微妙なアヤが日本語スーパーでは表わしにくいとか言う以前に、アレンの映画には、彼自身がそうであるニューヨークのユダヤ人への軽い風刺、ニューヨーカーの多くが毒されている俗流フロイト主義への皮肉でユーモラスな揶揄、それから店の名など非常にローカルな土地感覚等が随所に現われるので、それがニューヨークで上映されるときには、観客のなかにたちまちなごやかな内輪意識が拡がっていき、場内がコミュニティの集会にでも行ったかのような雰囲気になってしまうからである。だから、アメリカでもニューヨークを離れると、観客の反応は大分ニブくなる。
『泥棒野郎』を久しぶりに見直して、それを初めて見たとき以上に抱腹絶倒し、あらためてウディ・アレンの才能に感服したが、最後のクレジットが流れ始めてまず思ったことは、これをもう一度マンハッタンの映画館で見たいということだった。
ヴィデオ映画は映画の代用にすぎないというのではない。すぐれた作品はその「原作」や「複作」(?)のあいだを行ったり来たりさせる力をもっているということである。
監督=ウディ・アレン/脚本=ウディ・アレン、ミッキー・ローズ/出演=ウディ・アレン、ジャネット・マーゴリン他/69年米
◎88/10/10−11/ 2『週刊文春』
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