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ブロードウェイのダニー・ローズ

 ウディ・アレン監督・脚本・主演の新作『ブロードウェイのダニー・ローズ』がようやく封切られる。W・アレン・ファンが待ちのぞんでいた作品だ。
 W・アレンの世界は、非暴力の世界である。彼が演ずるキャラクターが暴力にさらされることはあっても、彼が暴力をふるうことはない。どんなにシリアスな世界をあつかっても、つねにつきまとっているおかしみは、この非暴力性からくる。
 ニューヨークには、まだある種の職人気質があり、同じ職業の人たちが住んだり、集まったりする地域性が残っている。この映画に出てくるカーネギーというデリカテッセンは、ブロードウェイの劇場街に近い西フィフティフィフス・ストリートにあることになっている。ここには、毎日、役者や芸人、演劇評論家や芸能記者などが集まり、軽食をとりながらおしゃべりをしている。
 ブロードウェイにむかしダニー・ローズというおかしなマネイジャーがいた−−映画は、この店に集まった芸人たちが、ダニー・ローズのことをおもしろおかしく回顧するというスタイルで展開する。アレンが演ずるダニー・ローズは、例によって、三枚目であり、わがままで気弱な歌手(ニック・アポロ・フォルト)をなだめすかし、きたえて、売れっ子に育て上げるが、名が出た歌手は、あっさりダニーを捨てて大手の興行主のところに走る。ダニーは、割があわない。この歌手が、恋人(ミア・ファーロー)と仲たがいし、重要なショーに穴をあけそうになったとき、二人の仲を必死でとりまとめたのもダニーなのに、ダニーを見捨てることを歌手にそそのかしたのが、この女性だというのでは、何とも割があわないではないか。しかし、ダニーは、その怒りを暴力で表わすようなことはしない。
 アレンの演ずる主人公は、いつも非暴力的であり、それによって彼は、最終的にヒロインの愛をかちえる。その愛は、相手を征服し、占有する愛ではなく、場所やものを共有する愛であり、たいていの場合、街をいっしょに歩きまわったりする共有体験のなかで生まれる。
 与え、奪いあう愛から、共有としての愛へ−−ウディ・アレンの映画は、古典的なハリウッド映画とは異なる愛の形を描いている。それがつねに喜劇的要素をともなうのは、独占としての愛の形式がまだ終わってはいないからである。
監督・脚本=ウディ・アレン/出演=ウディ・アレン、ミア・ファーロー他/84年米◎85/ 9/ 9『ミセス』




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