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カルト・ムーヴィ

 リドリー・スコット監督がフィリップ・K・ディックのSFを大胆なやり方で映画化した傑作『ブレードランナー』が封切られたころから、日本では〈カルト・ムーヴィ?誤植〉ニ呼ばれる一群(?膜Q〉をなすほどはまだないが)の映画が関心を呼ぶようになった。〈カルト〉とは、崇拝熱狂、礼讚などを意味し、〈カルト・フィーギャー〉と言うと、教祖的存在を言う。だから、〈カルト・ムーヴィ〉とは、一部の熱狂的ファンによってささえられているような映画ということになる。最近封切られたものでは、『ビデオドローム』や『リキッド・スカイ』が〈カルト・ムーヴィ〉の代表格である。その発祥地は−−似たようなものが他国にもあるが−−ニューヨークである。
 マンハッタンには、いくつかの名画座があり、たとえばタネールの『サラマンドル』とゴダールの『彼女について私が知っている二、三の事柄』を組み合わせて上映するというような味なことをやるほかに、深夜には、毎日あるいは毎週、延々と同じ映画を上映しつづけたりする。〈カルト・ムーヴィ〉というのは、こうしたロングランのフィルムのことだ。
 エイス・ストリート・プレイハウスという映画館では、毎週金曜の十一時ごろから、『ロッキー・ホラー・ピクチャー・ショウ』(邦題『ロッキー・ホラー・ショー』)という映画を、もう八、九年も上映しつづけている。映画自体は、イギリスのヒム・シャーマンによって作られたB級映画だが、ティム・カーリーやミートローフなどのロック歌手が出演し、パンク・カルチャーの雰囲気をかなりもっているためか、一九七五年の封切以来、ロック・ファンの若者たちの〈カルト〉となった。
 金曜の夕方に、この映画館の近くに行くと、頭髪にソリを入れたり、ドギつい化粧をしたりした若者がたむろし、すでに席取り競争が始まっている。九時をすぎれば、映画館のまえからマクデューガル・ストリートにそって長い列が出来ている。最前列にいならぶ〈親衛隊〉は、まるでこの映画のなかから抜け出して来たかのようなかっこうをしている。
 この〈親衛隊〉の若者たちは、映画が始まると、スクリーンに映る役者の身ぶりに合わせて、客席やスクリーンの下のスペースで同じ身ぶりの演技をするのである。この映画は、むしろ、こうしたパフォーマンスによって有名になった。雨が降り出すシーンでは、(わたしが七年まえに見たときには)〈親衛隊〉の小道具係りが、水の代わりに米粒を客席にばらまく。すると、客たちは、画面の登場人物たちがカサをさす身ぶりに合わせて、(あらかじめ用意した)新聞紙を頭にかざすのだった。
『ブレードランナー』も、毎週木曜日の深夜に上映され、毎週満員の盛況だった。これを上映しているのは、エイス・ストリート・プレイハウスの通りをまっすぐ九ブロックほど東に行ったところにあるセント・マークスシネマで、ここも日中は、新しい映画や〈名画〉をやっている。わたしがここで『ブレードランナー』を何度か見たのは二年以上まえのことだが、若い観客でいつも一杯の客席には、この映画がもっているコンピュータ文化への予感と共感がみなぎっているように感じられた。
 日本でも、〈カルト・ムーヴィ〉などという言葉がはやる以前から、アートシアター新宿の『フリークス』や『ピンク・フラミンゴ』は文字通り〈カルト・ムーヴィ〉であり、いまでも同じフィルムを毎月一回上映し、熱狂的なファンを集めている。
 渋谷のユーロスペースでも、昨年から「ナイト・ムーヴィ」というシリーズを始め、癖の強い作品を上映している。ただし、ニューヨークとはちがい、東京の公共交通は終夜営業ではないので、「ナイト・ムーヴィ」とは言っても、遅くとも十時半ごろには映画を終わらせなければならないというのが悩みらしい。
 このような事情があるためか、日本では、〈カルト・ムーヴィ〉現象が、映画館でよりもヴィデオの世界で起こる傾向がある。どちらもようやく映画館で見られるようになった『ビデオドローム』と『リキッド・スカイ』は、つい最近までレンタル・ヴィデオの若い客のあいだに熱狂的なファンをもっていた。ヴィデオにおける〈カルト・ムーヴィ〉現象は、今後ますます強くなるだろう。
[ブレードランナー]監督=リドリー・スコット/脚本=ハンプトン・ファンチャー、デイヴィッド・ピープルズ/出演=ハリソン・フォード、ショーン・ヤング他/82年米[ビデオドローム]前出[リキッド・スカイ]前出[サラマンドル][彼女について私が知っている二、三の事柄]監督・脚本=ジャン=リュック・ゴダール/出演=マリナ・ブラディ、ロジェ・モレソン他/66年仏[ロッキー・ホラー・ショー]監督・脚本=ジム・シャーマン/出演=ティム・カリー、スーザン・サランドラン他/75年英[フリークス]前出[ピンク・フラミンゴ]監督・脚本=ジョン・ウォーターズ/出演=ディヴァイン、ミンク・ストール他/72年米◎85/ 8/12『ミセス』




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