56
ライトスタッフ
ロサンゼルス・オリンピックで優勝したアメリカの選手が国旗をふりかざしてはしゃぐシーンが人目をひいた。これを日本の選手がやったら、日本人のなかには不快に思う人が出たことだろう。日本では、国家と民族とが一体のものと考えられており、国家を象徴する国旗や国家は国粋主義的なナショナリズムのイメージをもっているからである。
その点アメリカでは、国家と民族は別であり、中国人の「アメリカ人」、ロシア人の「アメリカ人」がいるわけで、民族として、純粋なアメリカ人というのは存在しない。
アメリカには、国家は個人を統合し不自由にするものだとして国家を拒否する根強い伝統があり、国民健康保険のような全国的な制度を作りにいくのもこのためだ。
ただし、この「反国家主義」は、他面では、強い者勝ちの論理を正当化することにもなっており、アメリカでは「弱者」はむしろ国家の影響力が強まることを望んでいるきらいがある。そういえば、オリンピックで旗をふりまわした選手たちは、たいてい黒人やラテン系などの少数民族の人々だった。
アメリカ人の「国家嫌い」は、一見忠実な「国家の下僕」にも見える宇宙飛行士のような人々のなかにも見いだせる。ニュー・ジャーナリズムの旗手といわれたトム・ウルフの原作にもとづく映画『宴Cトスタッフ』は、「国家の下僕」という彼らのレッテルをはぎとり、彼らが国家にしぶとく食い下がる様をかなりよく描いている。
ただただソ連との「スペース・レース」のために宇宙計画を推進する歴代の大統領たちは、ことごとく茶化され、ジョンソンにいたっては、宇宙ロケットで飛び立とうとする飛行士の留守宅を表敬訪問しようとするが、それが国家的宣伝のためにすぎないことを見すかされて拒絶される。
しかし、この映画が強い者勝ちの物語であることもまた確かである。国家でもなく、「強い個人」でもなくというのは難しい。
監督・脚本=フィリップ・カウフマン/出演=サム・シェパード、エド・ハリス他/83年米◎84/ 9/13『共同通信』
次ページ シネマ・ポリティカ