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炎のランナー
シドニーのプライベイト・ホテル(一種の民宿)の居間で、パンク・ロックの雰囲気をただよわせている青年とよく顔をあわせた。話をするうちに、この青年はイギリスのマンチェスターからオーストラリアに職さがしに来ていることがわかった。このホテルには、アメリカ、デンマーク、スペインなどからも職を求めてやってきた男女がたむろしていたが、イギリスから来たこの青年は、他の出かせぎ志願者よりも切羽つまっている感じだった。
最近イギリスに行ってきた人たちは、みな口をそろえたようにイギリス社会の沈滞ぶりを指摘する。この国には、もはやかつての栄光はなく、話題になるのは、アイルランド問題やフォークランド島の紛争のように、英国を一層困窮させることばかりである。つい先頃、サリドマイドの悲劇を世に知らしめたことで有名な『サンデー・タイムズ』紙の名編集長ハロルド・エヴァンスが、新たな社主となったオーストラリアの資本家リュパート・マードックの干渉と束縛を嫌って社を去ったが、この事件も、英国の古きよき時代が完全に終わったことを物語る象徴的な事件として話題になった。
しかし、こうした沈鬱な状況は、近年にはじまったことではない。すでに、第一次大戦の終了後、英国は深刻な経済不況にみまわれ、世界金融の中心も、ロンドンからニューヨークに移りはじめた。ストライキが頻発し、民衆の不満はやがて、英国史上初の労働党内閣を成立させた。
興味ぶかいことは、『炎のランナー』が、まさにこうした−−一九一九年から一九二四年にいたる−−英国現代史の激動期を時代背景にしていることだ。ハロルド・エイブラハムズがケンブリッジ大学に到着する一九一九年、映画にうつる大学前の情景は平穏そのものだが、当時すでに全国各地で賃上げ要求のストライキが起こりはじめていた。映画はエリートたちの牙城であるケンブリッジ大学を主要な舞台にし、こうした民衆的な側面を無視しているかにみえるが、ハロルドが入学したばかりの大学キャンパスでは、色々なクラブへ新入生を勧誘する呼びこみがにぎやかに行なわれており、〈スポーツ・クラブ〉や〈シネマティック・クラブ〉という標示にまじって〈ケンブリッジ大学フェビアン協会〉の幟がみえる。フェビアン協会は決して過激ではなかったが、社会改良をめざす知識階級による社会主義的な団体だった。
その点、宣教師の卵として、たえず民衆と接しているエリック・リデルの周辺には、もう少し当時の社会状況を感じさせる光景が展開する。エリックがスコットランドで彼のファンにとりかこまれながら、淡々と宗教的な講話を語りきかせているとき、そのファンたちのなかには顔を炭塵でよごした人々の姿がある。彼らは、おそらく、一九二一年に三カ月にわたってストをはることになる炭坑労働者の仲間であろう。
それゆえ、不況と失業が昂進する当時の英国で、ハロルドとエリックの二人のランナーがいかに大衆を力づけたかは想像に難しくない。二人は全く対照的な存在で、一方は徹底的に自分自身のために走り、他方は〈神のために走る〉のだが、そんなことは観客にとってはどうでもよいことだ。むしろ観客は、二人がともに強固な意志をもって目的に向かい、しかも既成の権威(上流階級、皇太子)に屈しない姿勢によって力づけられたのである。とすれば、ハロルドとエリックがパリ・オリンピックでともに優勝を飾った一九二四年に労働党ははじめて政権を獲得するが、二人が政治的にどのような信条をもっていたにせよ、彼らが走ることを通じて大衆に与えた活力が労働党の勝利に作用しなかったとは誰も言いきれまい。
しかしながら、六十年たったいま映像のなかで蘇生された二人のランナーが今日の英国の大衆を同じように活気づけるとは思われない。状況はもっと屈折しているのであり、だからこそ映画は、二人の栄光をハロルド・エイブラハムズの葬儀の時点(一九七八年)から回想する形で描いているのである。
監督=ヒュー・ハドソン/脚本=コリン・ウエランド/出演=ベン・クロス、イアン・ホルム他/81英◎82/ 4/30『キネマ旬報』
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