94

オーストラリア映画の現況

 オーストラリアは燃えている、と思ったのは、四、五年まえのことだった。伝わってくる演劇、映画、政治運動などのニュースから判断して、メルボルンやシドニーでは、それまでわたしがオーストラリアに対していだいていたイメージを根底からひっくりかえすようなことが起こっていることが想像できた。
 そう思うと、どうしても自分の目で確かめてみたくなり、一九八二年に二カ月半ばかりオーストラリアの街を歩きまわった。新しい変革の焔が燃え上がっている時期はすぎていたが、そこには、コアラや羊の群といったイメージでとらえられていたオーストラリアとは全くちがうものがあり、とりわけロック・ミュージックと映画の活動がさかんなのに驚かされた。ロックについての情報は、たとえばバースデイ・パーティのニック・ケイブが知られていたように、日本にも少しは入ってきていたが、映画については皆無に近かった。まして、ベルリンやアムステルダムから届いたばかりのレコードやテープも片っぱしから放送しているミュージック・ステイションや、地域の人間が誰でもスタジオを使えるコミュニティ・ラジオ局がいくつもあるなどということは、日本では想像もできなかった。
 一九七八年ごろ、ニューヨークでスクウォット・シアターという劇団の活動が注目を集めたとき、ヨーロッパではスクウォッティング(空家占拠)の運動が活気づいており、この劇団名は、そのスクウォッティングから来ているのだということを知った。八三年にオーストラリアに行ってみると、このスクウォッティングの運動がまだ続いており、ベルリンのクロイツベルクほど規模は大きくなかったが、一つの地域がすべて空家占拠され、そこに芸術家やフェミニストや政治活動家たちなどが集まり住んでいるのだった。
 こうした変化を伝えようと思い、八三年に『遊歩都市 もうひとつのオーストラリア』(冬樹社刊)という本を出したが、日本ではこうした動きが受けとめられる地盤はまだ弱く、『マッドマックス』のヒットにもかかわらず、オーストラリアを新しい目で見る動きは出てこなかった。この映画は、都市的なものよりも〈大自然〉との関係でオーストラリアを見るこれまでの見方をむしろ強めたきらいがある。この映画は、オーストラリア映画の、ここ十年間における飛躍的な発展の単なる一つの副産物であって、この映画の周囲にはもっとすぐれた作品が無数にあったのだが、そういう作品は入ってこなかった。
 オーストラリア映画の歴史は、ヨーロッパやアメリカに劣らず古いのだが、都市文化の衰退と歩調を合わせるように、一九三〇年代以降は、映画の活力が衰えた。一九七〇年代になって映画が活気づいたのは、一つには、海外から新しい移民労働者を受けいれて、経済発展をはかり、それにともなって文化活動が活発化したからである。かつての〈白豪主義〉から多民族主義への急激な変化の平均をとる意味でも、政府は、文化政策に力を入れざるをえなかった。コミュニティ・ラジオ・プロジェクトをはじめとして次々に新しい文化政策が導入されたが、映画では、一九七四年にシドニーに映画とテレビのための専門学校が作られた。今日、商業映画の世界で名を知られるようになった映画人たちは、たいていこの〈オーストラリア・フィルム・アンド・テレビジョン・スクール〉の出身であり、商業映画を作る以前にここで多くのすぐれた作品を作っている。
 オーストラリアの映画は、一体に、商業映画の場合でも、国内性と地域性が強い。そのため、オーストラリアの状況を知っていると非常におもしろいが、そうでないとやや地味すぎるように見えることがある。今回、九月一日から八日までスタジオ200で開かれた〈オーストラリア・シネマ・ウィーク〉で上映された『ピクニック・アット・ハンギングロック』、『コカコーラ・キッド』、『花を愛した男』、『英雄モラント』、『シルバー・シティ』、『誰もいない砂浜』の六本の作品も、オーストラリアの歴史と現状を知ることによって、おもしろさが倍加するだろう。
 ピーター・ウェアーの初期作品『ピクニック・アット・ハンギングロック』は、最近のヒット作『刑事ジョン・ブック 目撃者』との連続性を感じさせるしっとりした色調の映像でできているが、アクション映画としても見れる後者とはちがって、この作品には、これが作られた一九七〇年代に大多数のオーストラリア人がいだいていただろう社会意識が−−物語は一九〇〇年に設定されているにもかかわらず−−いたるところにみなぎっているのである。
 女学校の校長、教師、そして生徒たちはみんなイギリス人であり、そこで働く馬丁、給仕、女中たちは、現地人だ。この階級差は、映画のなかで言葉やものごしのちがいとしてはっきりと表わされている。着飾っている人々のあいだにはイギリス人しかいないというのは、異常なくらいであり、オーストラリアなまりの英語をしゃべる男女は、下層階級に属す。当時オーストラリアはイギリス人属国であり、校長室にはヴィクトリア女王の肖像がかかっている。
 が、映画では、その世界が次第に崩壊してゆく。着飾ってピクニックに行く女生徒たちの晴やかな姿から最初に想像される確固たる世界が、実は、そのすみずみまで病にむしばまれていることが明らかになる。ピクニックに行ったまま消えてしまった数学の女教師と三人の女生徒の消息は、最後まで謎のままだが、そこには閉ざされた世界で過剰にエスカレイトする性と暴力のにおいがただよっている。
 この映画が、七〇年代に決定的となったオーストラリアにおける白豪主義の崩壊を非常にローカルなやり方で時代をずらして間接的に描いているとすれば、『誰もいない砂浜』は、八〇年代のオーストラリアの都市変化を直接の背景としている。この作品の舞台となるボンダイは、シドニー近郊の新興都市であり、最近色々と話題になる所だ。
 メルボルンでもシドニーでも、近年、ニューヨークと似たような〈ジェントリフィケイション〉が進んでいる。その結果、賭博や売春は、拠点を都心から郊外へ移さざるをえなくなってきた。ボンダイは、映画にも現われているように、金持のリゾート・エリアでもあるが、最近は、むしろ、セックスや賭博の街として有名になっている。ここには当然、マフィア的な組織が投資した遊興施設がふえ、犯罪も増加している。
『誰もいない砂浜』は、夫が失踪したと称する女の依頼を受けてその夫を探す探偵の話だが、ボンダイは、そうした舞台としては、格好である。ただし、ボンダイは、いま、芸術家やロック・ミュージシャンが家賃の高くなった都心から移り住み、新しい文化の拠点になりはじめている。新しい文化は、つねに、うさんくさい場所から生まれる−−かどうか、ボンダイは、そのことをここ数年の内にはっきりさせるだろう。
[マッドマックス]監督・脚本=ジョージ・ミラー/出演=メル・ギブソン、ジョアンヌ・サミュエル他/79年豪[ピクニック・アット・ハンギングロック]監督=ピーター・ウェアー/脚本=クリフォード・グリーン/主演=レイチェル・ロバーツ、ドミニク・ガード他/75年豪[コカコーラ・キッド]監督=ドゥシャン・マカベイエフ/脚本=フランク・ムーアハウス/出演=エリック・ロバーツ、グレタ・スカッキ他/85年豪[花を愛した男]                        [英雄モラント]監督=ブルース・ベレスフォード/脚本=ブルース・ベレスフォード他/出演=エドワード・ウッドワード、ジャック・トムソン他/80年豪[シルバー・シティ]                   [誰もいない砂浜]                  ◎85/ 9/18『W JAPAN』




次ページ        シネマ・ポリティカ