ゴダールをパリンプセストせよ!
粉川哲夫
「わたしが信じているのは、変化の可能性です・・・映像は、まさに変化の可能性を思い出させるためにある」(ゴダール、『映画史』)
メタポリティクス
ゴダールは、たとえば、コスタ=ガブラスのようには、ストレートな形で特定の政治的事件をあつかったことは一度もなかったし、どんなに具体的な政治をあつかっても、そこには、時代を軽やかに飛び越えた要素、ファンタジー的な遊び、アイロニーが横溢している。そのため、政治的事件から得た身ぶりやエピソードを比較的ストレートにあつかう場合でも、つねにその事件を越えたレベルが先取りされるのである。『中国女』は、文化大革命に触発されて作られたが、文革そのものよりも、文革のフランスへの余波、フランス知識人・学生の文革への過剰な思い入れの映画であり、文革そのものをはるかに越えていた。彼にとっての政治は、現実政治(リアルポリティクス)であるよりもメタ政治(メタポリティクス)であった。だから、今日、文革がいかに抑圧的なものであったかが言われるとしても、この映画のなかの文革的なものは、決して無意味なものにはならないのである。
メディア・ポリティクス
『中国女』のなかで最も具体的に描かれているのは、文革ではなくて、『毛語録』である。室内にうずたかく積まれた小さな赤い本。その山がときには塹壕やバリケードに模され、その隙間からおもちゃの機関銃が突き出され、銃撃ごっごが展開される。
『毛語録』とは、毛沢東語録のことであり、彼の著作や発言を断片的に並べ、編集したものである。各国語の訳があり、北京語の版には、手の平にすっぽりおさまるぐらいの小さなものがあった。フランス語版の最小サイズは、大人が手を半開きにした状態で握れるサイズのものである。映画では、もう少し大きな版のものが使われたいる。いずれにしても、ハンディであることが特徴で、これは、単に毛沢東思想の学習テキストとしてだけでなく、それを手に持って振りかざすある種の「聖具」としても使えるように出来ていた。『毛語録』は、その意味では、本の歴史のなかでも、メディアとして非常にユニークな位置を占めている。
ゴダールは、明らかに、こうした側面を鋭く見抜き、『毛語録』のメディア性、『毛語録』を使った毛体制のメディア政治をフランスの若者を使ってなぞってみようとした。それは、マオ・メディアイズムごっこであり、毛のメディアの使い方を彼なりにとらえなおすことであった。
労働の拒否
シャブロールやイオネスコとともにゴダールが作ったオムニバス作品『新・七つの大罪』のなかの彼の一篇『怠惰の罪』は、1970年代イタリアのアウトノミア運動のなかで展開された「労働の拒否」を先取りしている。ここでは、エディー・コンスタンティーヌが、服をぬぐのがおっくうだというので、チャーミングな女のセックスの誘いも断ってしまう徹底して「怠惰」な男を演じている。
ゴダールは、『男と女のいる舗道』でも『恋人たちの時間』でも、売春にかぎらず、「恋人」たちのセックスすらも、所詮は「労働」である――現代社会のなかでは、セックスも「労働」になってしまう――ということをくり返し描いている。
イタリアでは、この時期、マリアローザ・ダラ・コスタらの発案で「家事労働に賃金を」という運動がひろがったが、これは、「主婦」が夫のために食事からセックスまでの「労働」を引き受けているのに、その代償が正当に支払われないのはおかしいではないかという異議(資本主義システムの特質を意図的に逆手にとって笑うことも含めた異議)をとなえた。この運動にヒントを得てイヴェン・イリイチが書いたベストセラーが『シャドウワーク』である。
怠惰の権利
アウトノミア運動は、党や官僚的な組織の指導下で動くことを常としたそれまでの左翼運動とは異なり、さまざまな小グループがそれぞれの現場で、独創的な運動スタイルを生み出した。また、労働に対する「正当」な賃金を要求するというのではなく、いやいや生活のために働く「労働」そのものを終わりにしようということを目指す方向が出てきたことも一つの特徴だった。
マリアローザの師でもあったアントニオ・ネグリが、「労働の拒否」と呼んだ戦略は、単なる賃金アップのためのストライキを越えて、働かないということのなかに積極的な意味を発見させ、ホームレスや失業者、「正常」な職業につくことのできないハンディキャップの人々の日々の生活のなかにも、能動的な意味があることを教えた。
ゴダールの『怠惰の罪』が、アウトノミア運動に15年以上も先んじて「労働の拒否」に注目したのは、偶然ではない。というのも、このテーマは、マルクス主義の本来の意味をつかんでいる者にとっては、最も重要なものであったからである。
50年代末から60年代にかけてのフランスでは、ソ連型「左翼」官僚主義のイデオロギーとしての「マルクス・レーニン主義」を拒否しながら、マルクス思想のとらえ返しが進められていたが、その主要テーマのひとつが、「遊び」であった。身体の解放、つまりは労働からの自由としての「遊び」こそが、マルクスの主要なテーマであり、革命とは、そのような空間を創造することだという発想が次第にひろまった。
この時代に、久しく忘れられたいたポール・ラファルグの『怠ける権利』(1883年)が、読まれ、翻訳されたのも偶然ではない。ちなみに、ラファルグは、ロンドンで晩年のマルクスに出会い、彼の著作の編集にも貢献したが、彼の仕事は正当には評価されず、不遇のなかで妻(マルクスの次女)と自殺したのだった。
アウトレデュチオーネ
アウトノミア運動のなかで出てきたひらめにのある運動スタイルの一つとして、「アウトレデュチオーネ」というのがあった。これは、自分で価格を値引き(英語の「レデュース」)する、つまりは値を踏み倒すということで、スーパーマーケットなどで、商品を勝手な値段で購入することである。その値段によっては、事実上、強奪に近いことをすることにもなるが、不当な利益をむさぼる企業に対する批判行動としては、非常に新鮮な印象をあたえた。
ゴダールは、こうしたアクションの新しさにもいち早く目を向けている。1972年公開の『万事快調』である。このなかには、まさに、郊外のスーパーマーケットで活動家たちが「アウトレデュチオーネ」をやるシーンが出てくる。おどろくべきことに、この映画が撮られた1971~72年という時点では、まだこの戦略は、イタリアでもフランスでも、ほとんど知られたはいなかった。昔から、暴徒が商店を襲い、商品を略奪するということはあったわけだが、それを反権力の技法として用いるということは、まだなかったと思う。むしろ、例外的な事例をゴダールが想像力のなかで過激化したという側面の方が強かったかもしれない。
落書闘争
『ワン・プラス・ワン』は、ローリング・ストーンズの「悪魔を憐れむ歌」の録音制作の現場シーンを軸にしているが、活動家の若者が車や壁にスプレーで落書するシーンが頻繁に出てくる。そもそも、この映画の最初に出てくるフリップ風の文字画面からして、落書のスタイルで描かれている。そして、数十秒ストーンズのスタジオでの制作風景を見せたのち、いきなり、外に面した部屋の大きなガラスに女性がスプレーで落書する映像が入る。
当時、イギリスやフランスの都市部では、スプレーによる落書が、政治的メディアとして活発に利用されはじめていた。おそらく、この背景には、大衆的な表現としての落書の伝統のほかに、中国の文革を通じて知られるようになった「壁新聞」の影響があるだろう。が、メディア・テクノロジーの側から見ると、これは、壁に貼る壁新聞とは大分違う。ハケで塗りつけるのとも違い、スプレーは機動性がある。さっと描いて姿をくらますには最適だ。
が、70年代後半のアメリカで始まる「グラフィティ」とは違い、この時代の(特にヨーロッパの)落書は、単色である。これは、カラースプレーがアメリカほど出回っていなかったということもあろうが、絵よりも文字が中心であるという点に、この落書運動が誰によってになわれているかを示唆している。つまり、(80年代のアメリカのグラフィティと違い)文字が読めるインテリだったのである。その代わり、『ワン・プラス・ワン』でも使われているように、描かれた落書の文字を読みかえたり、少し書き換えて全体をパロディ化してしまうというような落書闘争がさかんに行われた。
パリプセスト
ゴダールの映画は、絵画のコラージュやウィリアム・バロウズの「カット・アップ」の技法似も似た、異質な映像の挿入と接合がくり返される。『中国女』では明確に、そして『ワン・プラス・ワン』では、落書とのメディア関係をはっきりと意識してそれが行われているが、これは、もっと適切には「パリンプセスト」と呼ばれるべき技法である。
パリンプセストというのは、中世ヨーロッパで羊皮紙を使った本のページをこすって文字を消し、くり返しその羊皮紙を使うことを意味したが、やがて転じて、「焼き直し」や「二番せんじ」のことを意味するようにもなった。
70年代後半に、イタリアで、自由ラジオの運動がさかんになったとき、一つの番組の最中にかかってきた電話をそのままつないで放送し、そこに突然スタジオに訪れた客の声を流し・・・といった即興的・重層的な番組づくりが「パリンプセスト」と呼ばれ、自由ラジオの主要なテクニックになった。
この概念は、90年代になって、ポストモダニズム文学理論のなかで、「インターテクスチャリティ」(間テキスト性)などの概念と結びつけられて、一般に知られるようになるが、70年代のイタリアのラジオではごく自然に実践されていたのである。
そして、この点においても、ゴダールは、その名こそ用いなかったとしても、彼の作品のなかで、この技法を先取りしていたし、90年代の作品では、それをごく自然な形で使うのである。
『新ドイツ零年』のなかで、東ドイツから西ドイツに向かうかつての老スパイとごく自然にすれちがう馬に乗った古めかしい衣装の痩せた男。見ると、その男を追ってボロ車(明らかに東ドイツの大衆車だったトラバント)を押しながら息せきってやってくる小太りの男。瞬間、それまでの流れが中断され、ドイツの終末がセルバンテスの時代に接合される。そういえば、あの時代は、ヨーロッパ近代の始まりの時代であり、新しいメディアである印刷本に毒されて身体的「現実」と「ヴァーチャル」な「現実」との区別があやしくなってしまった騎士キホーテの話であった。
『ゴダールの決別』のなかでも、いきなり踏切に飛び出して、「まず石を投げよ!」と叫びながら石を投げる二人の初老の男たちの姿がある(→【追記】参照)。ブレヒトの「異化効果」にも似たこの突然の中断。「パリンプセスト」の極致である。このとき、観客は、この二人のなかに非常に観念的・哲学的なものを見るのもよい。また、彼らのなかに60年代の活動家のいまのメッシージを読むのもよかろう。
もし、パリンプセストが、ゴダールを語る有効なキーワードだとすれば、もっとも適切なゴダールの観客は、ゴダール映画をパリンプセストすること、つまりは勝手に引用し、模倣し、活用すること――変えることである。
CineLesson3
ゴダールに気をつけろ!
1998年9月24日初版発行
pp.112-117
【追記】「まず石を投げよ!」は、60年代の流行言葉かと思っていたが、ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスター』に同じ言葉があった。ゲーテ好きのゴダールがそれを引用したのだと思う。
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