すでに『ele-king』 (vol.8, 2013.1.10) に書いたが、アメリカのシェール・ガス革命以来、エネルギーはガスというトレンドが急速に強まっている。世はガスの時代になるのだ。
だが、ガス時代によって、石油や原発は〝脱〟落するとしても、高エネルギーをよしとする産業や生活のスタイルと価値観は全く変わらないのだから、これまでのエネルギーが露呈した自然や生体の破壊という問題は、改善されないどころか、悪化する可能性が高まる。シェールガスのフラッキングでは、化学物質を含む大量の水を使うために、水源の枯渇や水質の汚染を招く。地下3000メートル以上も深く穴を掘るため、地震を誘発する危険もあるという。現に、アメリカでは、いままで起こらなかった地域で地震が起こり始めているのは、シェールガスの水圧破砕と関係があるのではないかという議論がある。ガスが主要なエネルギーになれば、生ガスの爆発事故も起こるだろう。
(12/23/2013 02:20:45)秘密保護法を支持しているのは政府や企業だけではない。天災のように降りかかった事故だと思いがちなわれわれも、それを暗に指示している。
なぜなら、秘密保護法は、われわれがプライバシーを守ろうとしたり、パスワードでメールを他人に隠すといった<秘匿>の行為の延長線上にあるからだ。
初期のコンピュータにはパスワードがなかった。あっても、神経質にはならなかった。家の鍵にしても、入口のドアの上や絨毯の下に隠したりしていた時代があった。鍵をかけるのは、形式だったのだ。が、それが、監視カメラやセンサーシステムを個人宅でもはりめぐらすようになった。 秘密の保護があたりまえになれば、国家がそれを総合化しても不思議ではない。いや、本当は不思議なのだが、不思議だという疑問がわかなくなる。
秘密を多くすることの延長線上には、なにがあるか?
極度の、狭い、特権的な<秘密結社>的な関係か、個人の内部にかぎりなくひきこもる隠者的な世界である。それは、いままでとは違った表現や社会的慣習を生むだろう。そのよしあしは、絶対的なものではない。
(12/23/2013 03:48:27)「戦後」からいまにいたるスポーツ選手の試合中の表情と身ぶりを比較するならば、その変化は激烈だ。アメリカ人以上にアメリカンなオーバーゼスチャーは、テレビのバラエティショーでも自明である。しかし、それは、洗脳されたかのようになワンパターンであり、イヴェントやメディアのハレ的祝祭空間を離れると、沈黙して鬱っぽい表情が暴露する。
(01/26/2014 06:48:51)「日本では」とか「西欧では」といった対比は便宜上のものだが、にもかかわらず「日本では」という言い方が、依然として許されるのは、日本語は発話者の身体を参照させない言語であるからだ。英語は、発音や身ぶりが相補して初めて最終的な意味があたえられる。日本語は、無表情のまま抑揚なしにすべてを表現できる言語である。
しかし、それは身体がかぎりなく無化されればのことで、現実には、身体は実存し、介入してくるわけだから、日本語は、いつまでたっても、身体に借りを作るか、身体が言語に借りを作るかのディレンマに陥る。日本の新しい肉体表現は、そうした言語と身体との隘路を狙う形で生まれる。土方巽の舞踏は、無言の身体を死体のほうにかぎりなく押しやることで独自の場を生み出した。むろん、それは、「死」や「死体」が日常を異化するものとして実存しえた時代に可能だったのであり、死や死体の意味が全く変わってしまったいまではこのロジックは通用しにくい。これがいまの舞踏の困難さでもある。
(01/26/2014 16:54:30)福島の原発事故以来、電力会社が「正攻法」で原発の存在意義を正当化するのが難しくなった。原発を止めても、あれほど危機を煽った夏季でも電力の供給ができることを逆証してしまったし、電力会社自身が、原発を全部止めても電力を供給できる代替策を事故の直後から講じていた(たとえばLPGの大量購入など)のだから、なおさらである。
ところがこの後におよんでも、原発を継続させるための新たな「正当化」が画策されているのだから、不可解である。それは、エネルギーというのは、<平時はコモディティだが有事の際はウェポンだ>というロジックである。
関西電力が「識者」に配布しているというPR誌に『躍』というのがある。さすが福島の事故後は、原発の存続や増設を吹聴する論調はなりを潜めた。ところが、その2014 March 第21号でついに素顔があらわれた。「日本の安全保障とエネルギーを考える」という巻頭鼎談で、一方で、シェールガス革命で原子力のようなエネルギーが後退することを明言しながら、他方で、原子力の政治的な意義が強調されているのだ。
第一生命経済研究所の永濱利廣氏は、つぎのように言う。
<原発の技術を持っている、動かしているというだけで、核を持たなくても国際社会での発言力を高められる>。
なるほど、こういわれると、「そうだった」と原発の存続に同調してしまう輩が増えそうである。電力会社かすれば、そうだそうだということになるだろう。
しかし、軍事との関係ということになると、これは、核廃棄物からプルトニュームを作れば、核爆弾を作ることが出来るということを暗黙に認めた発言ではないか? とすれば、これは、原子力の軍事的利用を抑え込んだ「日米原子力協定」に反するのではないか?
日米原子力協定の先の改定は1988年だったから、30年後の2018年には再改定がなされるはずだが、<エネルギーは単にコモディティじゃなくウェポンだ>(同鼎談における「キャノングローバル戦略研究所」の宮家邦彦氏の賛同的発言)だとする考えからすると、2018年までには、原発の存在と存続を是が非でも正当化しておかなければならないということのようである。
しかしです。エネルギーが生活や産業をささえるエネルギーであるだけでなく、戦略的な兵器(「ウエポン」なんてカタカナで軽い印象にしないでほしい)なのだとすれば、今後のガスの時代に原子力兵器が有力であるかどうかはわからない。ガスに依存した新たな兵器が開発され、そのほうが、「コラテラル」(付随的)な被害を少なくできるという事態が訪れる可能性もある。
「戦略研究」をやっているのなら、電力会社などの「古い」利害などに同調しないほうが得策かもしれないよ。
(05/08/2014 02:18:16)戦争とは「狂気」の痙攣ではなくて、「理性」の痙攣だとわたしは思います。ですから、起きるときは起きる。いや、為政者は起こすときには起こすということです。
ですから、われわれ<非為政者>にできることは、その可能性を感知することであり、その帰結を予知することです。軍事機密は、機密であるかぎり、ストレートで出てくることはありません。ときおり、訳知りのリークのような話がありますが、まだジュリアン・アサンジが自分でコンピュータをあやつてやっていたころの「ウィキリークス」が暴いた軍事機密のような例外はあるとしても、多くの場合は、<カウンター・リーク>の場合が多いので気をつけたほうがいいでしょう。つまり、わざと「機密」を流してその効果を利用するという手口です。
それよりも、映画とか小説のなかの想像力や構想力による<感知>や<予測>のほうがよほど意味があるのではないかと思います。また、映画や小説のなかには、確たる事実をフィクションというオブラートで隠した形で暴露するラディカルなひとたちもいます。
リモートコントロールの無人飛行機の話が出ましたが、これなどは、映画ではとうの昔にその恐ろしさがリアルにえがかれていました。ポール・グリーングラスの『グリーン・ゾーン』(Green Zone/2010/Paul Greengrass)について「シネマノート」で2010年2月にわたしはこんな文章を書きました。
イラク戦争は、茶番という印象を世界に与えたが、「戦争株式会社」としては、ちゃんと元を取った。兵器と軍需物資で利潤を得ただけでなく、たとえば戦争ロボットの実用化という新しい軍事産業の課題を果たすことが出来たからである。『シリアナ』(2005)にも出てきた無人飛行機(偵察と攻撃)、スピルバーグの『マイノリティ・リポート』(2002)では、まだSFのなかの小道具に見えた探索ロボット、『ハート・ロッカー』が作り話に思える爆発物解体のロボット等々、砂嵐というメカには不利な環境がかえって、ハードなテストに役立った。このへんのことについては、P. W. Singerの新著『Wired for War: The Robotics Revolution and Conflict in the 21st Century』(Penguin Press) に詳しい。ちなみに、この本を読むと、戦争自体がすでに変わってしまっており、この映画が描くような「戦争」は、いわば歴史的な「戦争」というものを忘れさせないためのデータにすぎないとも言えるのだ。そして、だからこを、見終わってほとんどストレスなしに劇場を出ることができるのだ。
このへんのことについては、もう30年もまえに、ソル・ユーリックやナムジュン・パイクと話をしてもりあがったことがあります。映画や小説が暴露する部分と、軍が映画や小説の<想像力>を盗むという側面との切れ目はあいまいだという話です。
まだ監督をやるまえの若きロバート・レッドフォードが主演したシドニー・モラック監督の『コンドル』(The Days of the Condor/1975)というポリティカル・スリラーがありましたが、このなかでレッドフォードは一応CIAに務めているのですが、その事務所はニューヨークのダウンタウンにあり、そこで毎日新刊の推理小説やスパイ小説を読んでいるのです。なぜそんなことをしているかというと、そこに出てくるスパイ活動や密売などの手口を分析し、データ化するだけなのです。ところが、彼が報告したデータがCIAの闇取引を暴くことになったため、殺し屋が来るのです。その老殺し屋の訳をやったのが、まだアメリカに来てそれほどキャリアを積んではいなかったマックス・フォン・シドーで、なかなか渋い感じを出していました。
70年代のイタリアで実際に起こった「赤い旅団」によるアルド・モロ首相暗殺をネタにしたマイケル・ミューショーの小説『イヤー・オブ・ザ・ガン』(矢島京子訳、二見書房)は、ジョン・フランケンハイマーによって映画化されていますが、この映画の主人公の小説家は、モロ事件が起きるまえに実際に起こったのと同じ情景を原稿に書いたことが赤い旅団にバレ、赤い旅団に狙われるという話になっています。ただし、この部分は映画よりも小説のほうがヴィヴィッドに描かれていて、映画のほうは、当時のイタリアの状況(アウトノミア運動のさなか)をジャーナリスティックにとらえてはいますが、この政治とフィクションとの微妙な関係については切り込んでいませんでした。
だんだん話が、「発作的シネマノート」のほうで書いたほうがよい話になってきたので、そろそろやめますが、映画や小説はいっぱいヒントを出してくれているのに、新聞やテレビに頼っていると、実際に起こっていることから10年も遅れてしまうということを言いたいのです。
(05/08/2014 23:57:17)「エシュロン」のことが出ますが、CIAとかNSAというのも同様、あまりに大文字すぎて、それを口にすると具体的な現実が飛んでしまうようなところがある気がします。つまり、さまざまな盗聴や諜報のシステム装置があるのに、「エシュロン」という言葉で包括されて、その個々の事実にこだわることができなくなってしまうということです。
雑誌『ラジオライフ』などには、漏れ電波の探知とかの記事がありますが、歩いてみると、電波がある以上、その発信源とアンテナの存在が気になってきます。実際、基地内は当然のことながら、明らかに怪しいアンテナ(その形態もさまざま)がいたるところに見られます。
北イギリスのは軍事用の大きなアンテナが林立する場所がかなりあり、そこから出る超長波(VLF)を探知し、それをサウンドアートにし、軍事への批判と実験アートとしての試みとを同時にやってしまうといったことがけっこうおこなわれました。ラジオアートです。
ソ連が崩壊して、ワルシャワ条約機構の名のもとにソ連軍が進駐していた国々から撤退することになりましたが、ラトヴィアのバルト海沿岸に近いVentspilsというところにソ連は巨大なパラボラアンテナの基地を作っていました。これは、ソ連軍が撤退後、1993年になって一般に知られるところとなるのですが、ここにはRT-32とRT-16という2基の大パラボラアンテナがあり、小さいほうは、ソ連軍が解体してロシアに持ち帰りましたが、大きいほうのRT-32は、時間切れのためか、放置したまま、ラトビアの新政権の手に入ることになりました。
YouTubeにその風景とアンテナの映像があります→Latvia Soviet Spy Station
面白いのは、この残された装置をラトビアの科学アカデミーのひとたちが(データなどはすべてソ連軍が持ち去った)解析し、宇宙望遠鏡として使えるように修復したのです。そして、これにヨーロッパのメディアアーティスト(わが友Adam HydeやHonor Hargerらも参加した)がくわわって、このもとは軍事用スパイシステムを実験アートの装置に転換してしまったのです。
こんなオシャレな映像と音を作っているアーティストもいます→Clausthome & Martin Ratniks - RT32
日本では、趣味のオタク的アンテナ探しはありますが、もっとポリティカルなアンテナ探しを「左翼」のひとたちがやってもいいような気がします。
(05/09/2014 00:24:56)「オタク」(おたく)という言葉を命名したのは中森明夫であることは、当時、彼がフリーの編集者をしていて、たまたま会う機会があったので、その生成過程をすこし傍観することができた。たしか彼は、秋葉原などにやってくるアニメやマンガやPCゲームに入れ込んでいる若者が相手を「お宅」と呼び合っているのを観察して彼らをそう名づけたのだと言っていたと記憶する。1980年代の話である。
ところで、1980年代に「お宅」という言葉は、「あなたの」という意味で、まだまだ普通に使われる言葉だった。「お宅の御嬢さんは・・・」とか「お宅のテレビの調子は・・・」とか、相手に対してある種の<距離>を置きながら相手を名指す人称代名詞であった。その<距離>は、礼儀のためであったり、尊敬や軽蔑に近い距離であったり、その場の雰囲気で自由に伸縮した。
だから、サブカルのレベルで「オタク」という言葉が使われたとしても、そう簡単には一般語として通用するには至らなかった。いまでも、「お宅は」とか「お宅様では」とかいう言葉は使われないわけではなく、カタカナで書く「オタク」はこういう語とは無関係だと思っているひともいるだろう。
しかし、「オタク」は「お宅」と無関係ではない。「オタク」もまた、ある種の<距離>を取るための言葉であり、「お宅」と基本的には同根なのだ。
趣味に入れ込んで、あまりひとづきあいが好きでない若者が相手を「お宅」と呼ぶのは、名前を知っていてもストレートの関係になりたくない、なるのが恥ずかしい、抵抗があるというような感覚からである。しかし、そういう言いかたをする傾向が、通常の「お宅」という呼称とはちがったものとして世の中に浮上したのは、世の中の傾向が、相手に対して<距離>を取らない(というタテマエの)方向に進み始めたからであった。
日本文化つまり日本のコミュニケーションの傾向には、アメリカ英語などにくらべると、どこかに<距離>を取る遺伝子が潜在している。ちなみに、いまはごく一般的に使われる「あなた」だが、これは、まだ80年代でも一般的には「目上」のひとに対しては言わない言葉だった。上司や教員に「あなたは」と言ってしごかれた学生を知っているが、そのひとは、当時で言う「海外帰国子女」であった。英語ではすべてYou(ドイツ語やフランス語では区別がある)で済むので、それが身についたそのひとは相手を「あなた」で呼んだわけである。
80年代を境に、表面的には相手に距離を置かないことをよしとする文化が広まった。いまでもわりあいよくつかわれる「俺」などは、まさにその産物である。80年代以前に小説で「俺」を使えば、ピカレスク小説的な雰囲気が出た。平岡正明は、評論文を「俺」体で書き、ちょっと「不良」っぽい感じを出したのが新鮮だった。しかし、そういう「俺」は、いまのひとが日常的に使う「俺/オレ」とは異なり、当時の<距離の文化>に尻をまくってみせるような含蓄があった。
いまは、逆に、自分を「わたし」とか「ぼく」とか言う男は、親しみのないやつだと思われかねない。しかし、だからといって、「オレ、オレ」と言ったからといって、そのひとが相手に対して<距離>をとらず、ストレートに対応しているとは限らないのである。日本語と日本文化には、どうしようもない<距離>の遺伝子がはいってしまっているからだ。
いずれにしても、コミュニケーションの周囲環境の相対的な変化のなかで、「オタク」が独特の<距離取り>表現として浮上してきたのである。
では、「オタク」はそれまでの「お宅」とどこが違うのだろう? 相手を「お宅」という場合、その<距離>はそのつど、相手と状況次第で大幅に変化した。これに対して、「オタク」の持つ<距離>は、アニメに対する入れ込みの度合いっだったり、コンピュータのことを一定以上知っているかという度合いであったり、「オタク」の仲間たちのあいだで暗黙の了解とコンセンサスができているようなところがあった。つまり、それは呼称であるよりも、分類されたレッテルにちかい要素をもっており、当の「オタク」同士は、決して「オタク」とは呼び合うことがないものになっていった。
ただし、「オタク」と「オタク文化」(とりわけコンピュータの使用にともなう)の普及のなかで、ある種の「電子個人主義」がひろまり、日本人は、かつての「みんな主義」を脱して、コンピュータやケータイを使っているあいだは、西欧近代のいかなる個人主義よりも<個人主義的>ときには<セルフィッシュ>で<利己主義>的な個人主義を身に着けるのである。
しかしながら、その間に、日本のコミュニケション文化は、西欧の個人主義が経験したジレンマを短期間に学習・経験するかのような事態に追い込まれる。それが、「オタク」後の新人類(80年代のとは異なる)を指す「ヒキコモリ」である。「ヒキコモリ」の側から見ると、「オタク」はすでに旧世代であり、実際にいまの管理層は程度の差はあれ「オタク」文化を身に着けた世代である。
見方を変えれば、「ヒキコモリ」は、「オタク」が社会的に認知され、支配者層の文化になってしまったがゆえに、もっと<距離>をという遺伝子的な欲求から必然的に浮上した<距離の文化>だと言えないこともない。
日本語、日本文化、日本のコミュニケーションのなかに根付いている<遺伝子>としての<距離取り>性があるかぎり、それをめぐってその時代時代の現象的な群れを名づける呼称がうまれる。いつか、「みんな」→「オタク」→「ヒキコモリ」という言葉の変化のなかにある<距離>をミクロに分析してみたいと思う。
(05/09/2014 00:58:59)テクノロジーの「発展」に身をまかせたら、それほど気楽なことはないが、実際には、いつの時代にも、テクノロジーのもつ潜勢力を抑えたり、反対したり、ストップしたりしてきた。それがいかにバカバカしいことであるかは、そのときどきにあらわれる「不条理」(アプサード→ばかばかしくて意味不明)な出来事が説明してくれる。
最近、3Dプリンターで拳銃を作ったひとが規制を受けた事件があった。3Dプリンターは、デジタルテクノロジーの実りある成果である。しかし、それは、拳銃のプラスチックモデルも作ってしまう。それに実弾を込めれば、本物の銃と同じ機能を発揮するので、規制せざるをえないということになったらしい。
そこで、3Dプリンターの使用規制ということをしなければならないという発想が出てきて、それがひょっとすると実現しそうな気配なのだが、これほどアプサードな話はない。この背景には、人間は何をするかわからないから指導し、規制しなければならないという人間不信の発想があるのだが、こう考えているかぎり、悪循環しか生まれない。これまで社会は、規制によって発展してきたのだろうか? 規制のために戦争をしたり、暴力をふるったりしてきたのではないか?
最近、「武器輸出三原則」が改正され、「防衛装備移転三原則」なるものが成立した。これによって何が起こるかというと、電子テクノロジーのレベルでは、いわゆる「民生品」と「軍需品」との区別がさらにさらに不分明になるのである。電子テクノロジーのレベルでは、すでに、どこまでが民生品でどこまでが軍需用であるかはあいまいである。
暗闇でも撮影ができる機能をもったカメラなどは、戦闘でも使える。人の気配を感知するセンサーなどは、同じものが戦闘地域で使われていたりもする。そうなると、今後、いままで普通に使っていたものが、「テロ」で危険な使われ方をするというので、許可を受けなければ使えないというようなことにもなる。
これは、単に電子テクノロジーの日常的レベルでのことだけではない。最近、わたしは、UKのVictoria and Albert Museumが企画した「Disobedient Objects」(従順ならざるものたち/反抗的なオブジェ)という名の展覧会のキュレイターから求められて、わたしがこれまで世界の各地でワークショップをやったり、実演したりしてきた「送信機」を提供することになった。まあ、ある種の「美術品」としても見栄えがするものもあり、(美術館は本来嫌いだが)提供してもいいかなと思った。ところが、いざ、その一つを提供しようとしたら、運送の問題でひっかかった。たかが、ワイヤレスマイク程度のものにすぎないわたしの「作品」が、規制品目に入るらしいのだ。それをUKの通関を受けるためには、詳細な説明書を付けなければならないというのである。結局、本来的に無精なわたしは、その労を取るのにうんざりし、出品を放棄した。
こういうことは、まえにもあった。マルコ・ペリハンというメディアアーティストが、USAのサンタモニカでアートクラスを担当していて、わたしの送信機ワークショップをやってみたいが、部品が手に入らないと言ってきた。彼は、Fedexの口座を使ってくれと口座番号を知らせてきたが、いざ送ろうとしたら、部品のひとつひとつの説明書を付けなければ集荷できないとFedexが言うのだった。結局、普通郵便で送ることにしたが、これは、厳密には「違法」だったらしい。先のUKの美術館は「ちゃんとした機関」なので、「違法」な配送は困るというので、この方法が取れなかった。ばかばかしい。が、芸術史にとっては、これは損失ではなかろうか? いや、わたしの送信機なんて、ゴミみたいなものか?
結局、テクノロジーは、あらゆる分野で、「素直」な発展が出来ないまま進んできた。しかし、テクノロジーに従順になりきれば、人間は存在しなくなるかもしれないから、これしかないのかもしれない。
(05/14/2014 02:49:50)「歩きスマホ」というのは、10年もすれば、2010年代のストリート・カルチャーとして都市文化博物館の記録に入るのではないでしょうか?
いま出始めた「ウェアラブル・コンピュータ」は、「歩きスマホ」を当然とするコンピュータです。そのうち、メガネと区別がつかなくなりますから、映画の「盗撮」の取り締まりなんか意味なくなるか、あるいは、メガネははずして映画は見ろみたいなことになるかもしれません。 「歩きスマホ」をやるひとはあまり利口に見えませんが、やりたいのだし、やらなければならない(仕事の都合)ひともいるのでしょうから、スマホを売る側(企業と政府)は、「歩きスマホ」レーンを作るべきでしょうね。
車椅子だって、40年まえには邪魔がられていました。なんでも遅いんですよ。
(05/15/2014 04:39:43)「集団的自衛権」の問題が報じられているが、その必要を正当化する場合、ほとんど100%の論者が、戦争を攻撃や侵略のイメージで語っている。敵国が突然ミサイルを撃ち込んできた場合、他国が領土に侵略した場合といった前提がある。その場合、自国だけで戦うのは無理であるとか、あるいは、自主的に自国を守るために防衛を拡充する必要がある・・・といったロジックである。
しかし、防衛というものは、もはや、そういう可能性があるからそれに備えるのではなく、防衛という名のビジネスがあり、その正当化のために戦争や戦闘状態が引き起こされるのである。戦争がなければ、防衛ビジネスは説得力を失うから、たまに戦闘状態を起こすこともあるが、メンツなどのために双方がともに破滅するまで戦うような戦争は全く想定してはいない。
防衛は、いまや長期的な収益が保証されたビッグビジネスである。この発想の背後には、きわめて高利率で独占的な(商)取引を是認するのか、それとももっと「民主的」な(商)取引を選ぶのかという根本的な問題があり、それを抜きにすれば、「集団自衛権」にかぎらず、あらゆる防衛事項の問題を本気で問題にすることはできない。
戦争ビジネスは、基本的に、悲惨な戦闘状態は避ける。が、このビジネスはギャンブル的なビジネスであって、「民の生活の安定」などを顧慮するものではないから、たまに自己ショックを生み出し、システムに活を入れる悪い癖がある。それは、証券を安定した配当率で運用するのではなく、パニック的な事態で売り買いを行い、敗者と勝者の腑分けをくりかえすのに似ている。だから、戦争ビジネスが続くかぎり、悲惨な事態がなくなることもない。
アメリカ経済のように、戦争ビジネスが国家経済の大きな比率を占めるような国では、戦争ビジネスとの縁を切ることができない。こういう状況のなかでは、「一般」ビジネスは、戦争ビジネスのわずかな「余剰」として潤う部分に期待するしかないというような事態も生じる。実のところ、電子テクノロジーのビジネスが「一般」社会を潤すのは、それが戦争ビジネスであげた成果の1%以下だろう。つまり、戦争ビジネスが上向かなければ「一般」ビジネスも上向かないという方向が進むのだ。
原発の場合も、防衛の場合も、すべてを戦争の思考と論理にもつづいて構築されている近代以降の制度・組織・生活様式を、それらとは異なるものに転換するという発想を提示するなかで論じるのでなければ、その議論はまったくリアリティを持たないだろう。
温和な顔をしたひとが、「毎日が戦いいです」なんてことをぽろっと言うのに感動したり、「われわれのからだのなかではさまざまな細胞が食うか食われるかの戦いをしているだから、平和なんてもともと無理なんですよ」といったロジックに納得したりするのではなく、かつて、戦争の対語は「平和」ではなく、「革命」だったことを思い出す必要がある。
とはいえ、「戦争か革命か」というときの「革命」のイメージがいまでは色褪せ、この言葉を使うのは、むしろビジネス側であるのは、「革命」を至上のものとしていた連中が、戦争のロジックを越えることができず、単なる組織や政権の交代に終始したからであった。それは、いまでは、クリエイティブな変革のことだったとはわかっているが、しかし、このようなコンセプトを提起するのは、ビジネスの側であり、情報やメディアの「戦争」こそが「クリエイティヴ」に世界を「変える」と思われている。「革命」の側からはとうとう、クリエイティヴィティをクリエイティヴに方向づけることができないままである。
(05/18/2014 19:17:10)マルガレーテ・フォン・トロッタの映画『ハンナ・アーレント』以来、アーレントが、最初はアドルフ・アイヒマンの裁判の傍聴記としてThe New Yorker(1961)に、そしてそれをもとにした本(1963)で書いた「悪の凡庸さ」(the banality of evil)が、最近になって便利な思考整理の用語として使われている。(ちなみに、原典のほうは、日本ではとっくのむかしにみすず書房から翻訳されていた――ただし、その訳文はたしか「悪の陳腐さ」だったと思う)。
最近の日本の例では、たとえば、STAP細胞事件の小保方晴子氏は、「凡庸さの悪」(いつのまにか、「凡庸」と「悪」の順序がひっくりかえっている)を犯したといった使われ方である。要するに、適菜収流に相手を差別し、バカよばわりするために便利な概念として使われているのである。
この概念は、発表当初から誤解され、ゲルショム・ショーレムに対してすら、その公開書簡のなかで、<なぜあなたが「悪の凡庸さ」というわたしの言葉をキャッチフレーズとかスローガンとかおよびになるのか、わたしには理解できません。わたしの知るかぎりでは、わたしよりも前にこの言葉を使ったひとはおりません。>(『現代思想』1997年7月号、矢野久美子訳)と言わざるをえなかった。
この言葉で彼女が言わんとしたことを云々する以前に、押さえておかなければならないことがある。それは、まず、アーレントがハイデッガーの自覚的な弟子であり、彼の思考法を継承していることである。そして、基本的に彼女は、英語に堪能になってからも、ドイツ語で思考していたという点である。
彼女がThe New Yorkerで英語で使った
それをアーレントが継承し、英語の
英語の
そうすると、「凡庸さ」つまり
アーレントは、同じ手紙のなかで、<悪は決して「根源的」ではなく、ただ極端なのです。それは深遠さもデモーニッシュな次元も持っていないのです。それは、茸のように表面にはびこりわたるからこそ、全世界を廃墟にしうるのです。>(同)と言っているが、いま言った「魔力」は、悪魔的(デモーニッシュ)なものではない。むしろ、習慣や、集団の惰性的なロジックである。決まりとはそういうものであり、「掟」というものも同様だろう。
アーレントは、アウシュビッツのナチでも、集団の論理に組せずに、「何もしない」という「不参加」の可能性があったという。これは、ナチズムだけでなく、あらゆる官僚システムに言えることであり、集団性の悪がくずれるときに生ずる最も効果的な内部破壊要因でもある。
アーレントが、「悪の凡庸さ」と言ったとき、彼女の意識のどこかに、ベンヤミンと共有した深いカフカ解釈から由来するものがあったように思う。それは、彼の短編「掟のまえで」(Vor dem Gesetz) である。これは、長編『審判』のなかでも使われている。
田舎からひとりの男が「掟の門」のまえにやってくる。が、その門番は、入ることを禁じる。男は、そこで、何年も待ち、最後にはそこで老いさらばえて死ぬ。意識が薄れそうになる男に向かって、門番は、ここはお前のための門だった。お前がもう死ぬのなら、閉めるとしようと言う寓話的な物語である。
「凡庸さ」を
アーレントの「凡庸さ」は、頭の悪さやよさのことは言っていない。天才たちが自分たちの掟に閉じこもって「悪」をなすことだってありえるのであり、実際に、ヒトラーにせよゲッベルスにせよ、決して凡才ではなかった。破れないという「掟」で自分と他者を拘束し、掟の集団性に執着したことが「凡庸」ということなのだ。
ところで、カフカの「掟のまえで」は、別の解釈の可能性もある。カフカはその解釈の多様性を『審判』のなかでみずから提示して見せている。別の可能性としては、あの男は、ただ「掟」の呪縛力にはまって従順に「掟の門」のまえで待ち続けたのではなくて、そういうやり方が、「掟」に対抗する最も有力な方法であることを知っていたとも解釈できるのである。
ナチズムの体制のなかで命をかけて闘う闘いかたもあったが、そのなかで「何もしない」という方法――ストライキの原点だったはずのこと――も、決して捨てたものではないということを「掟のまえ」から読み取ることもできるのだ。
アーレントの「悪の凡庸さ」にも、それを逆手に取る方法があり、アーレントはむしろ、それを展開しようとして、この言葉「凡庸さ」に足をすくわれたのである。
(05/30/2014 06:11:42)原発問題に関しては、推進側も反対側もポイントのずれたところで意見を発している。つまり電力供給に不可欠という正当化と、事故の危険性という反論である。が、問題はそんなところにはない。
原発を稼働させなくても電力供給ができることは、福島原発の事故以来の稼働停止で証明済みである。実際に、電力会社はガスの購入や火力発電所の再稼働・新設という形で原発への代案を進めている。
では、なぜ原発が必要だとするのかというと、「原発の新たな正当化の方法」(2014年05月08日)で書いたように、それは、その実質的な効用よりも、政治力としての効用である。原発を持ち、原発を設計・管理できる技術力を維持していることが、世界政治のなかで有利な政治効果を発揮するという考えだ。
現状では、川内原発でプルトニウムを製造することはないとしても、川内原発は「プルサーマル化が可能」な原発であり、必要とあれば、廃棄物からプルトニウムを生産することが可能な施設である。政治のレベルで原発が意味を持つのは、そうした狭義の軍事的意味よりも、原子力に対する総合的な技術力と管理経験であるとしても、稼働中の「モデル機」を持っているのと持っていないのとでは、原発技術を他国に販売する場合でも大違いである。
だから、政府と原発推進派が、<原発は政治装置なのだから必要だ>と大ぴらに主張してくれるならば、反対する側も、対応が違ってくるし、原発問題の本質を論じる場が出来る。しかし、権力は決して本音を吐くことはない。論点をずらし、それへの反対を空回りさせてしまうのである。
原発に反対するのなら、エネルギーやエコロジーのレベルから反対しても勝ち目はない。ある意味、原発の推進者は、その危険性など百も承知であるからだ。「脱」原発や「卒」原発が、技術の歴史の必然であることを知らないわけではない。
戦争で人の命が奪われるから反対だでは戦争反対にはならないのと同じである。戦争をする側はそんなことを百も承知で戦争をするからだ。1万人兵士を動員して何パーセント生き残れば勝利だといった冷酷な計算ができなければ戦争はできない。まして、いまの時代のように、戦時と平時との区別、戦争テクノロジーと民事テクノロジーとの区別があいまいになり、情報戦という戦争が常時起こっているような時代には、その推定結果を縦に反対しても勝ち目はない。
原発に反対するためには、原発を必要としているシステム(利潤と効率のかぎりない拡大と特異性を無視したグローバル化)に対する代案を実践するなかでしか不可能である。暑い夏、寒い冬に空調があたりまえだとする「モダンライフ」の清算、巨大なプロジェクトと管理のもとでしか稼働できない巨大テクノロジーへの訣別、個々人の、ローカルな政治が、グローバルな政治で規定されるコンテキストの清算、あらゆる意味でのDIYへの転換、そういうものを拡充しながら、否を言うのでなければ、なれあいの抗争劇をくりひろげるだけになる。
DIYできない、自律できないテクノロジーに頼るかぎり、原発も核兵器もグローバルな情報監視システムも拡充されざるをえない。
(07/21/2014 09:47:07)最近重大な事件が起こった。それは、「自分の女性性器の3Dデータを配布したとして、わいせつ電磁的記録頒布の疑いで警視庁に逮捕された」ろくでなし子(本名:五十嵐恵)の事件だ。
彼女は、大分まえから女性性器に関する作品を発表してきたが、それ自体は別にめずらしいことではない。草間彌生はむかしからそういう作品を出してきたし、ろくでなし子が始めた「3DMKプロジェクト」は、ボートにかたどった女性性器の草間作品の作品の応用にすぎないかもしれない。また、「マンタク」をアートにした作品は、国内外にあり、平川典俊なども、無名時代の80年代に街で女の子を誘っては公衆便所で、文字通り魚拓と同じ方法で「マンタク」を取り集めるのに熱中していた。さらに、女性器を見せるというのであれば、ポルノ自体がとうのむかしにこうした「アート」を乗り越えていたと言うこともできる。
ろくでなし子の問題は、女性性器を問題にしたことではなく、フィジカルな形態以前のデータが検閲の対象となったということである。「わいせつ電磁的記録頒布」という嫌疑であれば、その「電磁的記録」が不特定多数の人間によって「知覚」されなければならないが、今回は、まだその段階以前の逮捕である。彼女が配布したデータを3Dプリンターで確実に「猥褻」と認められる状態で視覚化できるかどうかは不明の段階である。
もし、このような逮捕が可能であるということになると、今後、なにも収録されていないDVDのヴァージンディスクの表面に「女性性器」と記してあるだけで、その所持者を逮捕できるということになる。当然、スマホなども、そこに猥褻なデータが記録されていないかどうかという嫌疑だけでスマホの所有者を逮捕することもできることにもなる。まさに、戦前に、マルクスの名の入った本を所持しているだけで、「左翼活動家」の疑いで誰何(すいか)されたり逮捕されたりしたのとかわらない。
性表現に関して19世紀的な規制が続いていて、「露骨」な性表現があるとトラブルなしに映画祭もできない日本の状況は、いつ変わるのだろうか?
今年「生誕100年」ということでようやく思い出されつつある丸山眞男は、かつて、「日本の歴史は階級闘争の歴史よりもむしろはるかに多く、被抑圧者が、蔭でブツブツいいながらも結局諦めて泣き寝入りしてきた歴史である」と書いた。100年たっても、この動向は変わっていない。
(07/23/2014 04:15:12)
哲学の本でコップやリンゴが出てきたら、読むのをやめたほうがいい。もし哲学者と称するひとが哲学めいた話を「たとえばここにコップがあります」とか「ここにリンゴがあるとします」というようなディスクールで始めたら、「コップってどんなコップですか?」、あるいは、「そのリンゴはスターキングですか、ふじですか、紅玉・・・?」と尋ねてみよう。
ジャン=ポール・サルトルは、友人のレイモン・アロンから、自分のコップを指さしながら、「ほらね、君が現象学者だったらこのカクテルについて語れるんだよ、そしてそれは哲学なんだ!」と言われ、「感動で青ざめ」、現象学を勉強し始めたという(朝吹登水子・二宮フサ訳、シモーヌ・ド・ボーヴォワール『女ざかり』上、p.125)。
これもコップだが、ボーヴォワールの記述によれば、それは、モンパルナスのレストラン、ベック・ドゥ・ガーズ(Bec de Gaz)の「スペシャリティであるあんずのカクテル」だという。つまり、個別具体的な「コップ」であって、「哲学者」の手の平のうえに虚像として乗っているような抽象的なコップではない。
ボーヴォワールは書く。「サルトルは感動で青ざめた。ほとんど青ざめた、といってよい。それは彼が長いあいだ望んでいたこととぴったりしていた。つまり事物について語ること、彼が触れるままの事物を・・・そしてそれが哲学であることを彼は望んでいたのである。」(p.125-126)
サルトルが現象学に親しんだのは、当時パリにいた九鬼周造との出会いからだという説もあるから、ボーヴォワールのように劇的なものではなかったかもしれないが、哲学者がよく口にするコップとはちがう(もっともレイモン・アロンは歴史学を専攻していたが)例を示してはくれる。
ちなみに、サルトルと九鬼との出会いとは、九鬼がフランス語の家庭教師を求める広告を読んでサルトル青年がやってきたという。これは、サルトルが来日したとき、佐藤朔だったかが本人に確認したら、サルトルは九鬼にフランス語を教えたことを否定はしなかったから、本当かもしれない。ただし、翻訳にモノマニアックだった高橋允昭によると、サルトルはあまりドイツ語ができなかったために、フッサールの原文を粗雑に読み、その「誤訳」が彼の現象学や実存主義を形づくっているという。ならば、九鬼がサルトルに現象学のことを教えたときに問題があったということにもなるが、九鬼の現象学理解は、1939年に出版された『人間と實存』(岩波書店)を読めばわかるように、フッサールとハイデッガーの理解においては完璧だった。
とはいえ、パリで九鬼は、娼館に通ったりして遊びほうけていたから、サルトルに現象学を本気で教えはしなかっただろうし、また、教える/教わるの関係は、インプット/アウトプットの関係ではなく、もともとあったものが出てくるのを助ける/助けれれるの関係でしかなく、要は、なるようにしかならないのだ。
(09/10/2014 05:44:51)