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2013年01月06日
ソル・ユーリック死す

pic  昨年末から危篤状態にあることを聞いていたが、ソル・ユーリック (Sol Yurick)がニューヨークの病院で亡くなった。6日の午前2時(東海岸時間)のことだという。1925年生まれで87歳をこえていたから長寿を全うしたと言えるのかもしれないが、1978年にミッチ・サワダ (Mitzi Sawada)に紹介されて会って以来、彼の思考から大いなる刺激を受けてきた者としては、月並みな言葉では言い切れない無念さと淋しさがある。

 ラディカルさと猥雑さがまだ残っていた70年代末のブルックリンの彼の家で、彼の淹れたコーヒーを何杯も飲みながら情報とメディアと一体になった権力の形成について話した。インターネットやヴァーチャル・リアティが一般化するまえの時代である。ちょうど彼は、小説『Richard A.』(井上一夫訳『狙われた盗聴者』、集英社)や予言の書ともいうべきエッセー『Metatron: The Recording Angel 』(上野俊哉訳『メタトロン 情報の天使』、晶文社)を書いているところで、ユダヤ的博学とブルックリン流の諧謔に裏打ちされた彼の話は、とどまるところを知らなかった。

80年代後半になって、日本ではマスメディアが〝ニューメディア〟という言葉を念仏のように唱えるようになり、わたしなんかも、その論客の一人にさせられた。そこで、いい機会なので、いくつかの企画を組み合わせて彼を日本に呼んでもらうことにした。1987年に初めて来日したときには、〝ニューメディア〟の企業のためだけではなく、活動家や学生たちとも交流を持った。ル・マルスの田中和男さんや集英社の釣谷一博さんや岩波の合庭惇さんらが協力してくれて、『グラフィケーション』や『すばる』や『思想』にも長文のインタヴューが載ったので、ソル・ユーリックの思想に関心を持つようになったひとはかなりいたはずだ。彼の最初の小説『The Warriors』(1965)は、『逃げる』(岡本浜江訳)というタイトルで講談社から出版されていたが、この小説が1979年にウォルター・ヒルによって映画化(『ウォリアーズ 』)されるまでは、日本ではほとんど知られていなかった。

 ニューヨークでの思い出はいろいろある(ジム・フレミング、ジョン・ダウニング、刀根康尚らと電波実験をやった写真がわたしのサイトにある)が、そんな思い出にふけるよりも、彼の死によって記憶が1970年代末までスキャンしたことにこだわろうと思う。彼の思考はいつも30年以上も先を行っていたから、彼の古いドキュメントを参照しなおすのは、いまの時代を考えるために役立つだろう。〝Sol Yurick〟と書かれた箱を開いたら、論文、手紙、カセットテープ、ビデオなどが大量に出てきた。これらの一部をウェブに載せるだけでも、相当時間がかかりそうだ。

【追記】1987年に開かれた〝ニューメディア・フォーラム〟にビデオ参加してもらったときのVHSテープが見つかったので、YouTubeに載せた→"Another Visit from Metatron".
【追記】インタヴュー:情報の資本主義と形而上学、思想、1988-9、pp.4-16