「シネマノート」  「雑日記」


2008年 07月 29日

●ケータイ自閉症

電車に乗って向かいを見たら、女性がケータイとにらめっこしていた。その隣の女性は、夢中で鏡に向かって化粧の最中だった。その一人おいた隣もケータイ。化粧をするポーズとケータイのそれがほとんど同じ姿勢なのが面白かった。ケータイに鏡はついていないが、液晶画面に映る文字や映像は「自分」が望んだもので、つまりは「自分」なのだ。
ケータイも手鏡も、ある種自閉症的な装置である。
ところで、そういうおまえはどういう姿勢をしているのかというと、いま記述した他人の姿を本のページ越しに見ているのだった。本といっても、所詮は、自分が読めること、読みたいと思うことしか入ってこないのだから、これも、自閉症の装置である。

では、電車のなかで自閉症的でない姿勢とはなにか? それは、車窓の風景をながめることだ。
かつて、鈴木志郎康さんが、電車の窓から外を眺めるのが好きだというので、どうしてですかと尋ねると、「映画だから」と答えた。以後、わたしも車窓の風景を映画として楽しむ習慣が身についたが、地下鉄では、そうはいかない。だから、本を読んでしまう。ケータイや鏡を手にする人たちもそうなのだろう。
そういえば、70年代末のニューヨークで、地下鉄のトンネル内にコマ絵画を描き、窓から見ていると動画のように見える仕掛けをやった地帯があった。日本でも、去年ぐらいにその真似のような仕掛けを見たが、いまは消えてしまったし、それが大規模に広まったという話もきかない。実際問題として、地下鉄はよく利用するが、車窓に映るのは暗いトンネルだけである。


2008年 07月 23日

●個人情報という国家情報

「シネマノート」のデータは、anarchyサイトとはちがい、自前のサーバーではなく、レンタルサーバーのなかに置いている。アクセスがふえたので、アクセススピードも速く、また、落ちる確率のまれなほうがいいだろうと思ったからだ。
ところが、最近、アクセスが重いというユーザーがいたので、サーバーからじかに回線につながる部分のトラフィックを調べてもらおうと思って、プロヴァイダーに電話した。tracerouteというコマンドで調べれば、どういう経路をどの程度の速度でデータが流れるかは容易にわかるが、ユーザーによって経路はいろいろなので、根元のところを調べてもらおうと思ったのだ。
ところが、ちゃんとこちらの契約情報を知らせ、わたしが契約者本人であることを確認させたにもかかわらず、「それは、お客さまの個人情報に触れるので、わたしどもとしてはお調べできません」というのだった。
「いや、だからさ、本人が調べてくれと言っているだから」と言っても、「個人情報保護」の一点張り。とすると、この「個人情報」というやつは、誰が知ることができるのだろうか? 原則として会社も見ることができない、なら、本人も見れない・・・。
その後、同じプロバイダーから、「警察への110番通報についてご協力のお願い」という御触れが回った。これは、秋葉原の事件に触発されて、「インターネット上の殺人予告等の犯行予告情報」を通報せよという通達が警察からプロバイダーに回った結果だ。
この予防措置で、すでに捕まった人もいるが、要するに、「個人情報」は、当の個人が見ることはできなくても、国家組織はいつでも見ることが出来るのである。
つまり、「個人情報」というのは、国家のための情報であって、個人を「保護」するといっても、個人をその個人のために保護するのではなくて、国家のために「保護」するということなのだ。ここには、個人なんて存在しないのである。


2008年 07月 16日

●イルコモンズの釈放を祝うが・・・

札幌で車にDJ機器を搭載し、サウンド・パフォーマンスを演ったイルコモンズほか4名が逮捕された(1名はすぐ釈放)が、今朝イルコモンズを含む3名も釈放された。悦ばしい。彼らが、家族や近親者との接見も許されないまま留置場に閉じ込められる理由はない。

が、リアルに認識しておかなければならないのは、われわれの目から見れば「不当」と思える逮捕や拘束が、日本の警察や国家にとっては全然そうではないということだ。同時期に、グリンピース・ジャパンの日本人活動家が逮捕されたが、「警察が家族にも会わせないのはどういうことなのか?」という問いがグリンピースのアメリカの活動家からよせられた。別にわたしに訊かれても困るのだが、わたしの回答は、それが日本では「"normal"」(括弧付の「ノーマル」)なんだということでしかなかった。アメリカ(といっても広いが)的基準からすると、家族とも会えず、電話もかけられないなんて「人権無視」だということになるが、残念ながら、日本はそういう国なのである。

その場合、問題は、この「人権無視」がしっかりと「国民」意識とマスコミ(両者がつくる「世間」)によってささえられていることだ。これまでも、逮捕者が出れば、その家族や勤め先まで糾弾される例にこと欠かなかった。逮捕されなくても、「世をさわがせ」れば、「責任者」が詫びるのは無論のこと、辞職したり、ときには自殺してりすることが慣例になっている。

先日来、わたしのゼミで、反サミットのことをテーマに話をしてきたのだが、7月1日のビフォー/フレミングとわたしとのトークセッションに参加したゼミの学生が、あとで「親に怒られた」という。ゼミが同じ日だったので、このセッションに合流することをすすめたのだ。実際に来たのはわずかだけだった(さすがいまの政治意識を反映している)が、たかがあの程度の集まりに参加したことを叱る親は敏感な政治意識の持ち主と言うべきか?

この分では、釈放された3人に対して「世間」の風当たりは無ではないかもしれない。警察は、いつも、そういう事後をねらって逮捕する。いやな国である。こういう「世間」そのものの反動性は、「警察の不当な弾圧」といった何十年変わらない「抗議」をいくらつづけても、変わるどころか、逆に強まるばかりだ。

こういう日本の国家的特質はどうすれば変わるのだろうか? 警察は機械だから、それ自体が変わることはない。マスコミは、内外からの努力で若干は変わりえるが、大きくは変わらない。これも機械だからだ。では、わたし自身もその一部をなしている「国民」意識はどうしたら変わるのだろうか?

ただ、一つ言えることは、非暴力の反対活動や対抗文化的な活動を許容できない国家は、どのみち滅びるということだ。

なお、再三くりかえし主張しているが、日本は基本的に「民主主義」(をめざす)国家ではなくて、天皇制警察国家である。これを前提にしなければ、日本の現実は理解できない。


2008年 07月 01日

●「真実の嘘」(mensonge vrai)

反G8の一連のイヴェントのために呼ばれたビフォー(フランコ・ベラルディ)との対談を引き受けたが、通訳、司会、スペースのことがはっきりせず、いらいらしてドタキャンしそうになったが、いくらセルフィッシュなわたしでも親交のある彼にそんな不義理はできない。そこで、安全のために通訳を大学の同僚の内田平さんに頼んだ。
司会は結局なしだというので、これでは「対談」にはならないと思い、わたしが彼にインタヴューするという形式を思いついた。どうせそうなら、同じイヴェントのために呼ばれたがけっこう暇をもてあましているらしいジム・フレミングをくわえ、30年の旧交を温めるのもよいのではないかと思い、声をかけた。大阪に到着したという連絡はもらっていたが、会う機会がまったくなかったので、そうすれば、パーソナルに会う幾分かの代わりにもなるとも思った。
前日になって、大榎淳から、会場が狭そうだというメールをもらった。狭いゼミ室だというのだ。あの、アウトノミア運動に絶大なる影響をあたえたビフォーと、アメリカへフランス現代思想とヨーロッパのアクティヴィズムを導入することに貢献したジム・フレミングが一同に会するのだから、相当のお客が来てくれるだろうことは誰でも予想できる。やばいではないか。
確認をしなかったわたしが悪いのだが、ここへ来てそんなことをぐたぐた言っていても仕方がないと思い、妙案を思いついた。当日、その部屋にインスタントなラジオ局を立ち上げ、なるべくたくさんのポータブルラジオを用意して、お客に配れば、部屋の狭さは幾分かはしのげるだろうというわけだ。通訳の内田さん用にもう一台送信機を稼動させ、別の周波数で彼の声を流し、訳だけを聞きたいひとはその周波数にラジオを合わせればいい。

しかし、いざ当日になって、一式をトランクに入れて現場に到着してみると、30分という(そのまえにそこはゼミでつかわれていた)限られた時間のあいだに、ジムとの再会、ビフォーとのハグと立ち話、何年ぶりかで会う日本の知り合いとの再会などが連続的につづき、当初の計画がくずれていった。
もともと、送信機の立ち上げは、セッションのなかでやろうと思っていたし、それは、予定通りにうまく行ったのだが、いざ、ラジオ局が10分程度でスタートし、出席者の全員がマイクを握り、すでに半分以上が立っている観客に、用意したポータブルラジオ(大榎淳が10台貸してくれた)の説明までした段階で、もう一台送信機を立ち上げること、その入力は通訳専用であることなどをすっかり忘れてしまった。説明したぐらいでは動かないお客さんに無理やりラジオを渡すことも忘れてしまった。
それは、ビフォーの熱烈なしゃべり方にも原因がある。彼は、ガタリと同じように、「熱烈演説モノローグ」の人で、一つ質問を投げると、パッショネイトに反応し、そのスピーチがとまらなくなるのだ。ジムもいることだし、かぎられた時間でヴァラエティに富む質問をするつもりだったので、彼の発言に割り込むという荒業が必要になった。それは、かなりうまく行き、お客の反応も悪くなかったが、テーブルのうえに置いた10台のラジオに手を出すお客は皆無で、みな、ビフォーの強烈なゼスチャーに引き込まれている。

しかし、考えてみると、送信機は立ち上げたがそれを「伝達の装置」としては使わなかったのは、かねてから"radio without contents"や"castしないラジオ"をとなえているわたしらしいことだったのかもしれない。
御茶ノ水の明治大学キャンパス内ぐらいはカバーしたはずのこの臨時ラジオ局(T.A.Z.的ラジオ)の「放送」(broadcasting)を聴いた者は誰一人いなかったはずだから、これは、事実上、"radio without contents"にほかならない。そして、それだからこそ、誰も「放送」としては聴いていなかったにもかかわらず、ビフォーをはじめとする「送信者」たちの会話は、大いに盛り上がったのだ。
そういえば、フランツ・ファノンは、『革命の社会学』におさめられている「こちらはアルジェリアの声」(すぐれたラジオ論でもある)のなかで、こういう現象を「真実の嘘」(mensonge vrai)と呼んでいた。