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2008年 05月 31日
●DeepWireless Festival of Radio & Transmission Art(1)
昨夜早寝をするつもりで10時すぎにはホテルに帰ったが、メールをチェックしようとWiFiを接続したら、えらく電波が弱い。ソフトの問題か、PDAの方だと何とか受信できるが、ノートPCではなかなかつながらない。東京のanarchyサーバーにSSHでアクセスしてサーバー管理もしなければならないが、ままならない。ネット環境はいいというのでこのホテルを選んだが、8階なので、電波が弱いのだろうか? そんなこんなで、今日のワークショップの準備をしたりしたら、午前2時ちかくになってしまった。
8時に開くという1階のレストランで朝食を食べ、重い機材を持ってホテルを出たところに姿が見えたタクシーを呼んで、飛び乗る。何か東京にいるときと変わらない。歩いても行ける距離なので、すぐに会場のReyrson Student Centreに着いた。ホール会場に行くと、知った顔に次々と出会い、熱いハグ。主催者のナディーンとダーレンは、あいかわらず忙しく立ち働いている。このイヴェントは、すでに8年目を迎えるが、2人が実際に体を張って動くことによってこのイヴェントは成り立っている。サブで働いている人もいるが、オーディオのセッティングでも、ダーレンがみずからやり、アーティストとの細かなメール交渉はナディーンがやる。
このイヴェントの模様は、カナダのFM局CKLNとニューヨークのネットラジオ局free103point9が放送するので、9時から始まったクリス・ブルックスのキーノート・スピーチは、それを意識したものだった。つまりスタジオで次々に音素材を紹介するスタイルだ。彼は、もともと「アート・ラジオ」の人だから、そうなっても仕方がないが、生で見ていると新鮮味がない。でも、これまで色々なラジオ実験をプロデュースしてきた年輪の感じられる顔が魅力的で、わたしには異例の早朝という時間がそう長くは感じられなかった。
天井にたくさんポータブルラジオが吊るしてあるので、誰のインスタレーションかとナディーンに尋ねたら、昨夜のアンナのパフォーマンスの「残骸」だという。そうか、アンナ・フリズ(Annna Friz)が演ったのか、それなら見に来ればよかったと思う。彼女とは、昨年もベルリンでいっしょだったが、2年まえにはわたしのワークショップに参加した。最近、ラディオ・アートの世界ではぐんぐん伸びている人。
終わって、すぐ「ラジオからマルチチャンネル・パフォーマンスまで」というパネルセッション。5人ほどのパネリストが、最近はやりのマルチ・チャンネルのプラス面とマイナス面を話す。会場にも、12チャンネルぐらいのシステムがしつらえらており、キーノート・スピーチのクリスも、何度かこのマルチチャンネルを使った音を聴かせた。しかし、このパネルでも、わたしが考える「ラジオ・アート」に深く抵触する話は聞けなかった。
昼食はロビーに用意されており、歓談しながら食べることになっているが、わたしは、午後からワークショップがあるので、その準備に追われる。テーブルをセットし、部品をそろえる。このへんは、いつもと同じ。今回若干ちがうのは、これまで送信機の製作に不可欠だったボンドを使わず、工業用の両面テープを使うようにしたこと。これは、日本だと手に入れやすい金属接着用のボンドが、手に入りにくい場合が多いのと、空港でのチェックが厳しくなったことを考慮した結果だ。
ワークショップには、10年以上もまえヴァンクーヴァーのWestern Frontで会ったザイヌーブ・ヴェルジーも参加するというので、わくわくしていると、三々五々参加者が集まりだしたころ、ドアの向こうに小柄な彼女の姿が見えた。彼女は、いまトロント近郊のミササガ市に移り、市の要職についている。知らなかったが、今年の1月のArt&.html#39;s Birhtdayのとき、トロントに向けて送ってくれと頼まれたストリーミングのライブが、ミササガ市のシティホールの会場のスクリーンに映されたのだという。
10人限定のワークショップは順調に進んだが、途中でこういうことには不慣れな「インドの貴婦人」ザイヌーヴが半田鏝で手に火傷をしてしまう。わたしはすばやくバッグから用意した塗り薬とバンドエイドで手当てをする。半田鏝を使うワークショップでは、しばしば火傷を負う人がおり、わたし自身、指導の最中にうっかり人の半田鏝にさわり、火傷したことがあるので、いつも薬を用意している。
今回は、まったく半田鏝を持ったことがない人がかなりいたので、半数は終わっていたが、予定した時間を食い込み、同じスペースで3時15分からのパネルル・ディスカッションがはじまった。声をひそめながら指導し、4時には全員終了。そのままわたしは、ディスカッションを聞く。モントリオールのアーティストのシャンター・デュマ(Chantal Dumas)がフランス語なまりの英語で話すのが、なかなかセクシーでチャーミングだったが、内容はこれまた「アート・ラジオ」の話だった。パネルだから、どこも同じで、何人もいると、話は断片的になり、つまらない。
7時から今夜もパフォーマンスがあるが、わたしは、一旦ホテルに帰ることにする。明日も同じワークショップをやらなければならないが、片付ける時間がなかったので、道具や機材を大きなバッグに投げ込んだまま。ちゃんと整理しないと、明日のワークショップがおぼつかなくなる。これも、料理教室と同じで、受講する方には簡単に見えても、それなりの仕込みがあるのです。
夜、教えられたイタリア料理店でくつろぐ。場所はチャーチ・ストリートの北端のあたりだが、いつのまにかこのあたりはゲイの街になっており、そのイタリア料理店の客も男同士のカップルとレズぽいカップルが多かった。ウエイターたちは映像的にどきっとするほど美しい子が多い。ゲイ・カルチャーは、都市の成熟度の指標になるが、歩き回ってみた感じでは、もうちょっと行っていいのではないかという感じ。
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2008年 05月 30日
●トロント着
昔は空港に近づくとわくわくし、機内で胸が希望でいっぱいになるといった気分を味わったこともあったが、最近は、空港に近づくと、いよいよこれから拘置所か何かに入らなければならないなという気分になる。強制的な規則づくめのシスティマティクな建物と運搬装置に15時間以上も拘束されるのだから、わたしの好き勝手な日常とは対極である。
そんなストレスから、いつも機内ではしたたかアルコールを摂り、ひたすら眠ってしまうのだが、今回は、逆に飲みすぎて、6時間ぐらいで目がギンギンに覚めてしまった。
そこで、そなえつけのモニタースクリーンで映画を見ることにしたが、タッチパネルをちゃかちゃかタッチしているうちに、画面がフリーズしてしまった。通りかかったフライト・アテンダント(最近は「スチュワーデス」と言わないことになったらしい)に尋ねると、「画面が変わらないときに何度もタッチするとそうなります。リセットは2度までです」とのこと。たしかにわたしは、動きがトロいので、何度かプレイの矢印をタッチしたり、もどしたりした。で、彼女が壁のところでどこかえ電話したら、画面がリセットされた。「リセットは二度まで」とは、こういう状態をもたらした場合、2度以上はリセットのサービスをしませんよということらしい。
ちょっとムカっと来て、使うのをやめようと思ったが、用意されている選択画面に「Hollywood Movies」のほかに「Avant-garde」というのがあり、興味を惹かれた。実験映画でも用意しているのかと思ったら、要するに一般受けしない作品や「R指定」の作品をそういうカテゴリーに突っ込んでいるのだった。最近のものでは、「Bernard and Doris」(2007)や「The Savages」(2007)が入っている。
機内で見せる映画は信用しないことにしているが、このモニターで見れる作品は通常のDVDのものと同じヴァージョンらしい。画面は小さいが、早送りや巻き戻しも出来るので、「鑑賞」には耐える。
レルフ・ファインズは、割合好きな俳優なので、「Bernard and Doris」を見る。ちょっと屈折した愛を描いていて、面白かった。実話にもとづく話だが、実話臭くない作りがよかった。高慢な女を演じるスーザン・サランドンもいい。
トロントと東京との時差は13時間なので、東京から来るとほぼ同時刻にトロントに到着する。タイムとラベルだ。イミグレション、荷物の受け取り、カスタムは手間取らず、すぐにロビーに出る。正面に「Deep Wireless」と書いた紙をもった男性が目にとまった。2年前にも迎えに来てくれたジェイミーだ。すっかり髭が白くなっている。ホテルまでの道中、いろいろな話。この2年間に様変わりしたものの一つはパブリックな場所での喫煙で、その度合いはニューヨーク並だという。それと、路上の監視カメラ。殺人事件をきっかけに、いたるところに監視カメラがつくようになったという。「いよいよデジタル・ヌーディズムの時代だね」とわたしは笑う。
「DeepWireless2008/Without Boundaries」のイヴェントは5月の初旬から始まったおり、今夜もパフォーマンス・セッションがあるが、わたしは、行くのをやめることにした。いや、ホテルに着いて身づくろいをして外に出たときは、半分そのつもりでいたが、会場とは反対の方向に歩き出してしまい、そのうち、パブやレストランの灯りが目につくと、誘惑されるようにとあるパブに入ってワインを注文してしまった。トロントの夜は長く、9時をすぎたころからようやくあたりが暗くなる。明日は午前9時から会議だというので、睡眠薬を飲んで早めに寝ることにした。
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2008年 05月 28日
●KHMへのリモート・レクチャー
ラディオ・アーティストでしばしばコラボレイションをやっているクヌート・アウファーマンから、ケルンのKHM (Kunsthochschule fuer Medien Koeln/Academy of Media Arts Cologne) でライブとレクチャーをやるので、20分間ストリーミングでラジオアートについて話をしてくれというメールが来たのは、5月30日からのトロント行きが決まった直後のことだった。いつも、「最後の5分間人間」であるわたしは、この時期にはばたばたし、ドタキャンの恐れがなきにしもあらずなので、躊躇したが、クヌートの話とあれば、断るわけにはいかない。彼は実にいい奴なのだ。
やるからには、ただのレクチャーではなく、無線のカメラを体につけて、歩きながら話をし、それをストリーミングに流すというのを考えたが、この日には、いろいろな道具をスーツケースに詰め、すでに宅急便で空港に送ってしまい、やっかいであることがわかった。
そこで、最終的に、きわめて単純な、カメラとマイクのリモート・レクチャーということになった。時間が来て、メールでゴーサインが来たので、「I am starting now」というメールを打ってから話し始めたら、かたわらのコンピュータの画面に新しいメールが飛び込んで来て、「椅子の背しか映っていない」という。しかし、それを無視して話を進める。これは、ストリーミングでは、長くて2分ぐらいの遅延が起きるので、はぼ瞬時に着くメールとの差が出来るためのハプニングである。
「・・・とは何か」という問い自身に問題があるということは、すでにマルチン・ハイデッガーが、「Was ist das - die Philosophie?」という本でスタイリッシュに問題提起していた。このタイトルはなかなか示唆的で、邦訳ではただ「哲学とは何か?」と訳しているが、「それは何か―哲学?」と直訳してみるとその含蓄がよくわかる。つまり、「・・・とは何か?」と問うこと自体が「哲学」ではないのかと言っているのである。その昔、ゼミでこの原文を読まされたとき、そういう指摘をしたら、ゼミの先生から一笑された。
「What is radio art?」がクヌートから求められた課題だったので、これをハイデッガーの「Was ist das - die Philosophie?」流にスタイリッシュに再考してみようと思った。
いろいろな「art」があり、いまでは何でも「アート」や「アーティスト」になるわけだが、それは、まんざら悪いことではないと思う。というのも、その場合、「art」に意味が、「芸術」よりも「やりかた」の方に近づいてきたからだ。とりわけ、「radio art」は、「ラジオ芸術」ではなくて、「ラジオの仕方」、「ラジオ術」と考えた方がその実態を把握しやすいのではないかと思うのだ。
実際上、「radio art」と言っても、むしろ「art radio」と言った方が適切な場合が多い。というのも、大半の「radio art」は、既存のラジオ局をちょっとだけ「実験的」に使って音を出したりする場合が多いからである。つまり、器は同じで、内容だけが少し違うわけだ。
しかし、「radio art」というからには、放送のシステム・技術自体が既存のものとは異なるのではなければならない。
それと、「radio」を一般に「放送」や「受信」のシステムと考えるが、「radio art」の場合は、それをもっと根本的にとらえなおしたいと思う。つまり「radiation」である。
radioをradiation(放射)ととらえると、「波」とか「電磁波」と呼んでいる「マテリアル/マテリー」全般が関わってくる。それらの一部は、「音」とも呼ばれるし、また「光」とも呼ばれるが、人間の知覚をこえるものも無限にある。
まあそんな話を聞きにくい英語でしゃべったのだが、ケルンのアートスクールの学生たちには、多少の刺激になっただろうか?
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2008年 05月 24日
●「宇宙基本法」の成立
5月21日に成立した「宇宙基本法」は、確実に日本の産業の方向と様相を変えるだろう。それにともなって、社会や文化も「アメリカ」的にさらにシフトするだろう。
この法律の成立によって即、日本が戦争にのめりこむわけではない。戦争をする国になるからこの法律に反対だという論理はあまり有効ではない。それよりも、経済システムが資本主義的効率を求めていくとき、戦争を超越論的理念とした動き方をせざるをえないということなのだ。
これまで日本の企業は、技術的には十分な能力を持ちながら、航空機の生産はタブーだった。一説では、田中角栄が「ロッキード事件」で失墜させられたのは、田中がこのタブーを破る気配があったからだという。航空機というのは、それが民間用でも、微妙に軍事の世界とからむ。
早い話、宇宙は、基本的に軍事優先であり、それは、電波の世界をみてもわかることだ。肉眼では見えない空には、縦横にはりめぐらされた電波の区画があり、さらにそれをもう少しスケール・ダウンした航空界域があるが、その区画はあくまでも軍事が優先されている。テレビ放送のデジタル化だって、軍事通信との住み分けという側面もある。
アメリカあたりでは、先端技術の学術会議でも、軍からいかにして予算をとるかといったワークショップがあったりするが、大学などもこれからは、おおぴらに軍事目的のプロジェクトをぶちあげて、研究予算をとったりもできるわけである。
こうした状況のなかでは、今後、ますます「ある日突然ミサイルが落とされる」といった危機感があおりたてられる。さもなければ、ミサイル防衛システムや攻撃機を研究・生産することができないからである。
その結果、実際にミサイルが打ち込まれたり、防衛が攻撃になったりして世界戦争が起こる・・・だから・・・といった「戦争反対」「軍備反対」の声もあがるであろうが、このロジックはほとんど無力である。場合によっては、そういう批判がシステムの本当のねらいを隠す「余興」に使われる恐れもある。
問題は、効率を求めるこのシステムの方向にある。戦争は、恨みや復讐によって起されるのではなく、システムの機能の必然で起こるからだ。効率をゆるくする以外には、このシステムは「戦争株式会社」の機械として動くしかないからだ。そして、しかも、現代の「戦争株式会社」は、戦争を実際に起すよりも、戦争だか「平和」だかわからないあいまいな状態が永続することを求める。
かつてローマクラブあたりの唱導で「エコロジー」が浮上し、それに呼応して「車に乗るのをやめる」とか、「電気を使わない」とかいうある種の「貧しさ」を称揚する動きがあった。いま、「エコ」が大企業側から提唱されるようになったが、そういう動きはまったく見られない。
わたしは、かつての「エコロジー」をうさんくさい目で見たが、いまの「エコ」よりましのような気もする。いまこそそういう「貧しさ」が必要なのだとも思う。
いまの「エコ」は、システムが限界に達するとそれまで避けてきた要素をも自らのうちに同化し、生き残りをはかるというこのシステムのしたたかさのロジックのなかで出てきたものであるから、それをローマクラブが先頭を切って口にし出したのは理にかなっているわけで、「エコロジー」はそのはしりだったのである。しかし、まだ周囲がそんなことには無関心の時代だったから、それをローマクラブよりもより過激に主題にする(たとえばアンドレ・ゴルツのように)こともできた。
その意味では、ゴルツなどより、イヴァン・イリイチの方がはるかに未来を見据えていたように思う。彼は、車を捨てて自転車を優先する思想家とみなされたことがある。ばかげている。彼は、『生きる希望――イバン・イリイチの遺言』(デイヴィッド・ケイリー編、臼井隆一郎訳)のなかで、「今日、もっとも祝福を受けている重要な宗教的イデオロギーは何かと聞かれれば、リスク意識のイデオロギーだと答えますね」と言っている。それが、病死から戦死までひろがっているわけだ。