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2008年 02月 29日
●Music & Machines at AV Festival
9時すぎブライアンが来て、今日はタクシーでニューカッスル大学の会場に行く。荷物がなければ歩いてでも行けなくはない距離だったが、昨夜歩いた場所よりももっとファッショナブルな通りがあるのは新鮮だった。
AV Festivalというのは、10日間続く街をあげてのフェスティヴァルで、大学、美術館、さまざまの文化機関が共催しているのだが、わたしが呼ばれたのは、その催しの一つである「音楽とマシーン」というタイトルのコンフェランスと、ISIS Artsが主催するワークショップとに関わるためだが、このフェスティヴァルの全体を仕切っているのが、わたしの古い友人のオナー・ハージャーだ。そして、この日の会議に場所を提供し、コーディネートをしているのが、これまたバンクーバーのウェスタンフロント以来の知り合い、サリー・ジェーン・ノーマンだ。この二人がやるのでは、「コンフェランス」嫌いのわたしでも、引き受けざるをえない。
しかも、発表をする人のなかには、ダグ・カーンやハイディ・グルントマンもいる。ダグは、わたしが80年代に書いた英語のラジオ論が載っている本(Cultures in Contention)の編集をした人(いまではラジオアートの研究者として有名)であり、ハイディは、ハンク・ブルを通じて、わたしのことを知り、彼女が作ったクンストラディオに関わる道をつけた。つまりみな因縁のある人たちなのだが、それが、1994に、ここの隣の都市であるサンダーランドで会っていたのだった。「Hearing is Believing」というラジオの会議があって、そのとき、ダグ、ハイディ、スキャナー、ドン・ジョイスなどと一緒にわたしも呼ばれたのである。というわけで、会議嫌いでも、今回は逃げ様がなかったわけである。
どうせ出席するのなら、パワーポイントをぐりぐりやるようなプレゼンだけは避けたいと思い、「レクチャー・パフォーマンス」をすることにした。案の定、他の発表者は、自分の「研究」について話しただけで、デジタル放送の時代における「broadcasting」という会議のテーマにインパクトをあたえるような発表はなかった。
午前の部のあと、昼飯を抜きにしてセッティングをし、万全の体制でのぞんだわたしの「Deconstruct "Broadcasting"」は、まあ好評だったのではないだろうか。他の発表のときには聞かれたかった歓声と口笛が聞こえたので、勝手にそう解釈している。わたしが昔からやっていることを知っているサリーもオナーも、喜んでくれたからまあいいとしたい。要するに、もう「広くキャストする」(ブロードキャスト)のは意味がないということを理論と実践とで示そうとしたのだが、詳細は、いずれウェブにでも載せようと思う。
わたしのあと、マルコ・ペルハンが話したが、すでに聞いた話で新鮮味がなかったが、Joyce HinterdingとSneha SolankiのVLF(Very Low Frequency)に関する発表は、なかなか面白かった。彼女らは、軍事目的の電波を受信し、それを音にするという「Radio Landscape」をやっているのだが、これは、マリー・シェーファーの「サウンドスケープ」にならってわたしが造語した「Airwave-scape」の一つであり、ラジオアートの一つの方向として面白いと思う。
夕方、会議が終わって、夕食を食べる間もなく、発表者の大半が用意されたタクシーに乗って、タイン川そいのアートセンター「BALTIC」で Atau Tanakaらがジョン・ケージの「Variations VII」を「再演」するのを見に行くことになった。これも、詳細は別のところに書くとして、おびただしい無線機や電子機器を使った意欲的な試みだったが、「不可聴の環境から音を取り出そうとした」とケージが言っているのとは、逆の、巨大な「ラップトップ・ミュージック」の感じだった。
明日もまだあるが、わたしの主要な「義務」は終わり、解放された気持ちでみんなと別れた。タクシーに乗り、駅の近くで降り、目に入ったインド料理の店で遅い夕食をした。ビールがうまかった。
http://video.google.com/videoplay?docid=-781793894550207378
■2008年 02月 28日
●ニューカッスルへ
早々と目覚め、ホテルの朝食を食べる。「イングリッシュ・ブレークファースト」だ。いま、ホテルは、どこへ行っても「ビュッフェ」方式(日本では「バイキング」というが、これは変ではないか?)を採用しており、自分で好きなものをテーブルに取ってきて食べるようになっているが、このBBホテルは、あいかわらず昔通りの朝食を出している。まあ、それがBBホテルの特徴かもしれないが、BBホテルでも、「ビュッフェ」方式をまぜているところもある。
チェックアウトまでまだ時間があったが、荷物をあずけて、外に出る。昨夜はキャムデン・タウンの方まで歩いてしまったので、今日はブルームズバリーのなかだけを歩きまわる。
ビールが飲みたくなったので、バーに入ったら、「トラディショナル・ハンバーガー」というのがあったので、とってみる。なんと、それは、黒焦げで固いだけのしろものだった。急に昔のロンドンを思い出した。いま、ロンドンは、グルメの街になっているが、30年ほどまえは、本当に「まずい」ものばかりだった。店に入ると、暗ら~い顔をした老人が、紅茶のカップのまえでボーっとしているような感じのところも多かった。このバーは、フリーのWiFiコネクションもあり、活気のある店だが、「トラディショナル」というので、その「伝統」を再現しているのかもしれない。
少し早くキングス・クロスの鉄道駅に行ったら、掲示板のまえで人がたくさん立っている。何をしているのかと思ったら、ホームの番号が表示されるのを待っているのだった。日本とちがって、列車のホームが決まっていないらしい。10分ぐらいまえにならないと、ホームが決まらないようなので、バーに入り、ワインを飲む。グラスでは、メルローしかないというので、それにしたが、後悔した。わたしは、最近、メルローが芋臭い感じがしてならない。好き好きの問題だが、感覚だからどうにもならない。
列車は、予想に反して定時に出発した。車内で、うしろの小さな女の子がなんと3時間以上しゃべり通し(その間には泣き叫ぶこともあった)で、疲れたが、バーに行ってビールを飲んだりしていたので、4時間という長さも気にならなかった。気に入ったのは、この車内ではフリーのWiFiが使え、ウェブもメールもチェックできることだった。ドイツの列車と同様、座席にコンセントもある。ケータイは、自由で、あちこちで着メロが鳴り、大声で話をしている。
このへんは、ヨーロッパどこでもそうだが、むろん、大声でしゃべるか小声でしゃべるかは人それぞれの趣味とたしなみで違う。しかし、日本のように、公式的には「ケータイ不可」とされているところで小声でしゃべるのと、「ケータイOK」とされているところでそうするのとでは、ケータイを使う者が置かれる意識状態がちがってくる。日本では、車内でケータイを使う者は、なんらかの意味で卑屈な状態に置かれるのだ。これは、日本の国家が国民に対する姿勢とも共通している。
ニューカッスルに10分遅れぐらいで着いたのは意外だった。ヨーロッパの鉄道が定時に発着することはめずらしいからだ。ホームを出たら、ブライアンが迎えに来てくれていた。車かタクシーに乗るのかと思ったら、すいすい歩き出し、わたしは、重いスーツケースとバッグをかかえて後を追う。たしかに、わたしにあてがわれたアパートメント・ホテルは、駅からそう遠くはなかったが、歩道の石畳に重いスーツケースを走らせるのは、近年やったことがない(歳相応?)ので、ちょっときつかった。
しかし、瀟洒なマンション風のビルの6階にあるアパートメントは、なかなかいい環境だった。ながめもいいし、2DKで、調理器具もそろっている。調理はしないが、WiFiの調子がいいのがありがたかった。
ブライアンと別れてから、街に出かけた。ニューカッスルは、もともとは工業でやってきた都市だが、90年代に完全にサービスと情報の都市に生まれ変わった。だから、城の跡や教会などの歴史的建造物をのぞくと、店の多くは新しく、むしろファッショナブルな感じだ。
また、たまたま見つかったイタリアンの店に入り、食事をする。窓から見える歩道にオレンジ色の外灯が反射して、なかなかいい雰囲気だった。
http://www.propertiesunique.com
■2008年 02月 27日
●ロンドンへ
北イギリスのニューカッスルで2年に1度開かれる「AV Festival」に呼ばれたので、まずロンドンまで行き、一泊して列車でニューカッスルへ行くことにした。本当は、直行したかったのだが、大量の電子機器を所持しているので、乗り継ぎのときしばしば起こる再検査の面倒を避けたかったのだ。
別に危険なものを持って行くわけではない。パフォーマンスとワークショップのための機材である。しかし、911以後、空港は、透視チェックでこういう品への神経をとがらせる。すでに、成田でのチェックで、(むろん手荷物ではない)コンピュータのバッテリーをスーツケースに入れておいたら、それがひっかかった。これは手荷物に入れてくれという。今年から、リチュームバッテリーもスーツケースには入れられなくなったと空港の係官から言われた。これは、ノートパソコンが燃え出す事故があったためだろう。
今回、飛行機は、ヴァージン・アトランティックを使った。ブリティッシュ・エアウェイズは、荷物が別のところへ行ってしまったり、あまりいい印象がなくなっていたので、そうしたのだった。ヴァージンのサービスは、なかなかいい。飛行機も、Airbusなので、また寒いのではないかと思ったら、ヴァージン独自の注文によるものなのか、全然寒くなく、まあまあ快適に11時間をすごした。飛行機は、基本的に「牢獄」だから、そのうえにいろいろなトラブルが加わったのではたまらない。
ビールを飲んでうとうとしていたので、ロンドンに着いたら、すぐにGMTに順応できた。もっとも、わたしは、いつも夜昼とっちがえた生活をしているので、時差のあるとことへ来ると、かえって「健康生活」になる。
いまロンドンのホテルは、ひと昔のニューヨークのように、値段がえらく高い。というよりも、中ぐらいの値段のホテルがほとんどなく、他の都市で払う倍ぐらい払わないと、快適な部屋に出会えないのだ。トランジットのためなので、わたしは、今回、便宜的なBB(Bed & Breakfast)ホテルにした。ニューカッスルへの特急が出るキングス・クロス駅のそばにはたくさんBBホテルがある。
ネットで予約したので、大体の感じはつかめていたが、通された部屋は、広いが暗い感じだったので、上の階の部屋に替えてもらう。昔、いまよりもっと放浪生活をしていたとき、ホテルを探す目安は、郵便局が近く、安くて美味しいレストランがあるところだった。いまは、まず、フリーのWiFiコネクションがあるところを選ぶ。このホテルのWiFiは、希望を言うとキー情報を教えてくれて、接続するという方式。
メールをチェックしたのち、外へ出る。ブルームズバリーのあたりに泊まることが多かったので、自然と足がそちらへ向く。ざっと感じがロンドン(そんなでわかるわけもないが)は、工事をしているところが多く、景気は上向いていると印象を受けた。その代わり、完全に情報とサービス志向に向っているらしく、ハードウェアや機会をあつかうような店、ものを作るような場所は、姿を消した。情報と観光の観点からすべてが再構築されている感じだ。
偶然目についたイタリア料理店で食事し、ワインを飲んでしばらく街を歩き、ホテルに帰った。
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2008年 02月 25日
●アカデミー賞のことなど
近々「レクチャー・パフォーマンス」なるものをやらなければならないので、何をしようかと思案をしながら、日がたち、低気圧の襲来のせいもあって、うだつがあがらないので、すべてを放棄して試写に行った。
アカデミー賞のセレモニーを衛星中継でやっているからか、試写室は閑散としていた。おかげでゆったりした雰囲気のなかで見ることができたのだが、映画自体は、気をいっそう滅入らせるものだった。
チャン・イーモウの新作『王妃の紋章』だが、中国の恐さが実によく出ている。イーモウは、いまよりも規制の強い時代からの映画人だから、規制のはざまに密かなメッセージをしのばせるようなテクニックにはたけた監督だ。その彼がこのような映画を作るといういうことは、中国は、これから、けっこうあぶない方向に行きそうなのか――などということを考え、暗い気持ちになってしまった。
「レクチャー・パフォーマンス」という言葉は、いまネットで調べると、けっこう出てくるが、そのむかし、カナダで会議に呼ばれたとき、講義みたいな発表はうんざりだなと思い、"lecture-performance"ではどうかと提案したら、(そういうのは聞いたことがないが)「新鮮で面白そう」と言われ、レクチャーがらみのパフォーマンスをやった。つまりそのころは、そういう言葉はあまり使われてはいなかったのだ。
いま、それが一定のコンセンサンスを得てしまい、何でも「半可通」でやりたいわたしとしては、かえってやりにくくなっている。だったら、ちゃんとした「レクチャー」の方がいいなじゃないかと思ったりもするが、こんど行く会議でも、そういうのをやるのはいくらでもいるから、さてどうしたものかと悩んでいるわけだ。
そういう「レクチャー」では、99%「パワーポイント」でやる人が多く、わたしにはつまらない。「レクチャー」なら、アドリブのスピーチで行きたいものだと思うが、それは、語学力がたりない。いや、語学なんかより、語りの力の問題だ。
ところで、今回のアカデミー賞は、あまり意外なものがなかった。わたしが迷ったのは、助演女優賞が『アイム・ノット・ゼア 』のケイト・ブランシェットか『フィクサー』のティルダ・スウィントンかというぐらいで、あとは、予測通りだった。ブランシェットは、いろいろもらっているから、ティルダ・スウィントンに行くのはまっとうで、これも全然意外ではない。こういうときというのは、ハリウッドは、どういう状態なのだろう? ゆっくり考えてみよう。
http://www.avfestival.co.uk/
■2008年 02月 22日
●うわさ話は安全?
レストランなどで食事をしていると、聴こうとしなくても近くの席の話が聞こえる。大声で話している人が必ずいるからだ。これは、別に日本だけのことではない。
が、面白いと思ったのは、(これは近年の傾向かもしれないが)集団でもカップルでも、勤め先の同僚や上司のうわさ話をしている人が日本では多いことだ。あるテーマをめぐって個人的な意見や感情が表現されるよりも、ある特定の人をめぐって、「・・・らしい」とか「あれは・・・よねぇ」といったうわさ話をめぐってもりあがるのだ。
先日、遅い試写を見たあと、おおよそのレストランが「ラストオーダー」を終えているなかで、まだ開いていた夜景が売りのレストランに衝動的に入ったら、通された窓側の席の近くにカップルがいた。どんどん聞こえてくる話は、もっぱら彼と彼女とが務めているところの同僚と上司のうわさ話だった。
うわさ話には、自分をさらけ出さなくて済む防衛手段の機能がある。うわさを言いあっているかぎりは、それを言いあっている当人同士は傷つかない。つまり、うわさは、リモートで安全な関係を保たせてくれる話術の一つなのだ。
そうすると、そのカップルは、夜景の見えるレストランで食事をしても、デートにはならなかったのではないか? え? それがいまのデートなんだって?
ところで、この40何階だかにあるレストラン、いいところは全くなく、自分の衝動を憎んだ。だって、席についてやけに寒いので、席を替えてくれと店の人に言ったら、「全館の空調が9時に止まってしまい、自家暖房がうまく働かないので、毛布をお配りしています」という。こちらからは見えなかったが、あのカップルも膝に毛布をかけて話をしていたのだろうか?
もらった毛布は、かなり大きなものだったから、上半身が寒い人は、半身を毛布にすっぽりくるんで、食事するのだろうか? 汐留の新ビルのジョーク?
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2008年 02月 20日
●時間のなかの「都市」と「田舎」
都市論では、「都市」と「田舎」という区別はもはや通用しなくなっているが、時間のなかにはまだ「都市」の時間と「田舎」の時間があるような気がする。ここで言う「都市」とは、未知の異質な要素が出会い、共存する場であり、「田舎」とは、比較的長い、習慣化されたものが常住しているクローズドな場のことである。
時間は、主体的な概念だから、わたしの意識・身体のなかでそういう時間がまだ流れているというにすぎないが、そういう時間を生きている人はわたしだけではないだろう。
わたしは、「普通」の時間からの亡命者である。昼間は極度に短く、夜が長い。日本の「普通」の時間は、どちらかというと上記の意味で「田舎」的である。だから、夜起きているだけで、わたしは、「都市」にいられる。砂漠のなかに住んでも、わたしの夜は「都市」的になりえる。
が、そのためには、電子装置が要る。コンピュータのまえで夜をすごすとき、わたしの夜は最高に「都市」的だと言えないこともない。コンピュータ以外の装置(たとえば送信機)でもいい。とにかく、何かリモートなメディアがあれば、「都市」的な時間をすごせる。
時間のこういう性格からすると、土地的な「都市/田舎」に関係なく、わたしたちは、「都市」を生きることができる。
夕方から、久しぶりに刀根康尚と会った。比較的「都市的」な場所で飯を食い、そのあと彼の滞在先の近くの喫茶店でビールとコーヒーを飲んだ。そこは、街ではあるが、どちらかというと「田舎」的な街である。しかし、話をしているうちに、わたしの意識は、刀根の住むニューヨークに同化していった。
刀根を尊敬するのは、彼のアート活動だけではなく、彼がニューヨークに住み、日本という「田舎」に距離を置きつづけているところである。海外に住んでも、歳をとると、日本に帰って来るか、来たがるものだが、彼は、そんな素振りを見せない。70歳をすぎて土地的にも亡命者でありつづけているのはすばらしい。
ただし、彼は、ニューヨークという都市のなかでは「亡命者」である。外から見るとニューヨークは都市のなかの都市に見えるが、なかに入れば、「最高に面白かった」70年代ですら、「ラディカルさ」や「意外性」のパターンを反復していたところもある。刀根は、ニューヨークのサロンやパーティーをわたりあるいているわけではない。何をしているか? おそらく、多くの時間を、わたしのように夜昼ひっくりかえして、本を読んでいるのではないだろうか?
そういう「亡命」生活をおくりながら、しなやかに国境を越え、演奏活動をして歩く。今回日本に来たのも、オーストラリアのシドニーとメルボルンでサウンド・パフォーマンスを終えての帰りであり、日本では、大友良英らとギグを演った。わたしは行けなかったが、盛況だったという。彼は、コンセプチュアルなコンポーザーだが、その音には色気がある。コンセプチュアルに高度な仕掛けがなされているが、そういうことを識らずに聴いてもとてもセンシュアルだ。だから、DJなどのあいだにも信奉者が多い。
話しているとき、同じ表現ではないが、「ぼくは、日本人では脱国境の人としかあわない」というようなことを言った。それは、選択の問題ではなく、彼がそういうチャンネルのなかを動きまわりながら、世界を歩きまわっているので、同じように脱国境的な「亡命者」としか出会うチャンスがないし、気も「あわない」という意味である。
そういえば、わたしも、海外で日本人に会うとすれば、そういう日本人としか会わないような気がする。「日本人コミュニティ」を作ってそこに住み着いているような人とは合わない。ふと思いだしたが、先日ウィーンで会ったYuji Oshimaなどは、まさに脱国境の日本人であり、刀根の「亡命」スタイルを継承していると思う。
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2008年 02月 17日
●「シネマノート」の舞台裏
もうちょっと余裕の人生を送れないものかと思う。締め切りに追われる生活を長くやってきて、そのうえに自分で自分に締め切りを課すような仕事をふやす必要などないのではないか?
しかし、わたしは、最後まで「ラースト・ファイブ・ミニッツ」の毎日を送るのだろう。いまは下火だが、毎年アムステルダムで開かれたメディアのお祭り「ネクスト・ファイブ・ミニッツ」にひっかけて、「ラースト・ファイブ・ミニッツ」というパーティでもやろうと思うことがある。
「ネクスト・ファイブ・ミニッツ」といのは、核兵器発射のボタンが押されてからの「次の5分」という意味らしいが、「ラースト・ファイブ・ミニッツ」というのは、「最後の5分」という意味であり、「ラースト・ファイブ・ミニッツ・パースン」というのは、「最後の5分」まえにならないと腰を上げない奴のことである。
今日は日曜なので、昨日の夜から、未完の「シネマノート」を仕上げるつもりでいた。しかし、途中でメールが入り、そちらに集中したので、ノートは仕上がらなかった。
今日になって、やっと、『悲しみが乾くまで 』、『丘を越えて』、『明日への遺言』の3本を仕上げた。
菊地寛をモデルにした『丘を越えて』のなかに、菊池(西田敏行)が秘書(池脇千鶴)に、「映画を見てスケッチしてきてください」と言うシーンがある。彼の言う「スケッチ」とは、絵ではなく、文字によるリサーチノートのことだ。なるほど、『文藝春秋』を創刊するような人はちがう。
「シネマノート」も、リサーチャーを集め、彼や彼女らのノートやメモをたよりにわたしが書き上げれば、もっと面白いものができるかもしれない。しかし、わたしはやらないし、やれない。何でも自分でやらなければ気が済まないからだ。だから、いまだにHTMLも手書きでやっている。
当然、こういうやり方をしていれば、先細りか途絶しかないわけだが、表現は「事業」(エンタープライズ)ではないわけだから、それが自然じゃないかと思う。
ところで、先日、雑誌の原稿を打っていて書き出しにいきなり「◆」を付けてしまった。「シネマノート」の頭がいつも「◆」ではじまる癖を指がおぼえてしまったのだ。ご承知のように、「シネマノート」には改行がない。「◆」で始まるパラグラフ群で構成されている。
これは、「読みづらいからなんとかしてくれ」という意見をもらうことがある。しかし、わたしは変更する気はない。指も覚えてしまったこともあるが、ネットと雑誌・新聞・本とはちがうのだ。
「シネマノート」をリアルタイムで読んでくれる人もいるが、たいていは、ネットで検索して行き当たるという場合が多いようだ。だから、ある作品について極めて副次的でしかないような個所を検索で引き出し、誤解したりする人もいる。
いずれにしても、「シネマノート」は、それを使うユーザーのそのときどきのコンピュータ環境次第でどういう形にレイアウトされるかわからないのである。文字を拡大して読む人もいるだろうし、全体をWORDか何かに取り込んで、自分で改行を加えて読む人もいるかもしれない。
そういう異なる条件をこちら側で満たそうとするのはばかげているから、こちらとしては、こちらがやりやすい状態で「原材料」を提供するのが一番よいのではないかと思う。それがいま現在の「シネマノート」のレイアウトである。
それにしても、先ほど気づいたが、トップページに載っている「今月あたりに公開の気になる作品」が昨年12月のままになっていた。申し訳ない。見たのにまだ未掲載のものもまだあるが、一段落したので、ご笑覧あれ。
わたしは、明日から、今月末北イギリスで演る「レクチャー・パフォーマンス」の「ラースト・ファイヴ・ミニッツ」に向けて、神経をいらだたせることになりそうだ。それを助長するかのように、見たい試写も多い。どうする?
https://cinemanote.jp/
■2008年 02月 15日
●レストランは「なおす」場所
「レストラン」(restaurant)という言葉は、「なおす」(restaurer)
から来ているとよく言われるが、わたしは、ときどき、心や気分や体調を「なおし」たいとき、レストランに行く。
まえにも書いたが、クリエイティブな発想や気分を得るためなら、そこらの美術館や音楽会などに行くより、それなりのレストランや料亭に行った方がはるかにいいと思う。
この日、ちょっと新鮮な気分になりたくて、青山のある店に行った。「ラストオーダー」(変な言葉)ぎりぎりだったが、快く入れてくれ、期待通り、とてもハッピーな気分になって外へ出た。
何を食べたか、飲んだかは、書かない。なぜなら、映画評でレンズがどうの、ショットがどうのと「評論家」が書くものは、みんなはずれだとある映画人が言っていたように、料理も、どこの素材を使って、どう料理したかなんてことは、素人には、その料理の上っ面をなぞるだけで、本当のところはわからないからである。
わたしは、料理人をそんじょそこらの「アーティスト」より尊敬する。わたしは、アーティストではない(欧米ではそう言っているらしい)が、アート的な作業をするとき、「アート」からよりも、料理人の仕事からインスパイアーされることが多い。
たしかに、「レストラン」(restaurant)は、「なおす」(restaurer)場所だ。なおす=リペアー=修復=再生・・・所詮アート的な創造も再生にすぎない。わたしは、目下、北イギリスのニューカッスルの「AV Festival 08」でやる「廃品再生」的パフォーマンスのアイデア作りにナーヴァスになっている。
ワルター・ベンヤミンは、ジークフリート・クラカウアーを「廃品回収=再生」の人と呼んだが、料理も、シェフや料理人のクリエイティヴな再生作業がなければ「廃品」でしかない素材を再生し、それまでなかったものを作り、食する者の新たな味覚を呼び起こしてくれるかぎりで、「廃品回収=再生」の人ではないか?
ただし、どんなに天才的な料理人であれ、出会いとチャンスというものがあり、今日すばらしかったから、明日も同じとはいかない。そこがライブのパフォーマンスと同じで面白い。
Kさん、今日の料理はすばらしかった。ありがとう。
http://www.tokionese.com/
■2008年 02月 12日
●「原理主義」の妖怪が世界に
先日の倖田来未の「35ぐらいをすぎるとお母さんの羊水が腐ってくる」発言への過剰な抗議(もとはマスメディアが便乗的にたきつけたもの)にはギョッとした。こんな放言を笑えないほど日本は言葉の感覚が麻痺してしまったのか?
そもそも、会社のミスや有名人の「失言」を「謝罪」する記者会見が近年、異常なほど多すぎる。こういうことをくりかえしていれば、マスコミ関係者はますます自分が社会を代表しているかのような傲慢な意識を持つだろうし、有名人がちょっと気になることをしたり、発言すれば、視聴者は、何かひと言あってもいいんじゃないといった意識をもつようになるだろう。これは、尋常ではない。
映画のなかの瑣末な変化のなかに「ファシズムの台頭」を早々と読み取ったジークフリード・クラカウアウなら、今後の行く末を警告してくれるだろう。
それは、むろん「ファシズム」ではない。いま日本では「感覚」や「神経」のレベルで原理主義が進んでいるような気がする。これは、他の国で進んでいる宗教的な原理主義や政治的原理主義の日本的なカウンターパートかもしれない。当面は。
その結果、変化を望まない個人や派や組織が得をする仕掛けである。当然、「国策捜査」などもやりやすくなる。
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2008年 02月 11日
●風邪の効用
この1週間、試写にも街にも出なかった。久しぶりに風邪をひいたのである。わたしの風邪はいつも流感ではなく、鼻風邪だが、風邪をひいたら試写は自粛するもんだと池波正太郎氏が昔書いていて、その通りだと思って、風邪のときは試写室には行かない。
まあ、空気の点では試写室は最悪に近い。風邪にかかると、あのとき俺の後ろで咳をしていた奴(失礼)のがうつったかな、いや、電車のなかで隣のじいさんがマスクをしたまま手でおおいもせずに大きな咳をしていたのが原因かな、いや、路地をまがったら、出会いがしらに咳を吹きかけてきたのがいて、あれだったのかななどと思う。
しかし、流感は別として、鼻風邪などは、体力の減退とかでもともと自分が持っている菌が勢いを増して発症することが多いらしい。
そういえば、Art&.html#39;s Birthdayのあと、2月1日に、シューリー・チェンから、彼女の「ムービング・フォーレスト」プロジェクト(http://movingforest.net/)に参加してくれといわれ、ネットでパフォーマンスをやったりもした。朝の6時からで疲れた。もともとこのプロジェクト、新宿で彼女と天ぷらを食っていたとき、「ウエブ」は蜘蛛だよね、黒澤の「蜘蛛の巣城」とひっかけたら面白いかもなんて話しをしているうちに、企画に関しては抜け目のないシューリーが、数年かかりでベルリンのラディオアーティストを巻き込んでネットとミニFMを蜘蛛の巣のように連動して「トランスメディアーレ」に攻め込むというイヴェンにしたのだ。
亡命生活には強い方なので、風邪の療法のあいだ(といっても洟が出て、外では仕事にならないということ)、片付け仕事をしたり、普段いじれないサーバーのメンテをしたり、好きなことをして暮らした。
海外でもときどき風邪で自由を奪われることがある。流感もやった。そういうときでも、飯はくわなければならないから、そのときだけ、服をちゃんと着て、レストランに行ったが、これはけっこう大変だった。ロンドンで、たまたま友人の家に宿泊していたが、アレルギーを併発して、ここにいてはなおらないと確信し、友人には悪いが、置手紙をして、空港までタクシーに乗って、パリに逃げたことがある。そうしたら、ちゃんと直ったのですね。転地療法というのもあるわけだ。
今回、今後のストリーミングメディアは、フラッシュメディアになるというので、(たしかにRealMediaもQuickTimeServerもはかばかしくないので)フリーで出て評判になっている「Red5」をテストしてみたが、まだいまいちでした。
RealMedia(最初はRealAudio)を開発したロブ・グレイザーは、「世界の誰でもがラジオ局を作れる」ようになるのを理想として、それを開発したと言っていたが、それからもう数十年たつが、こと映像送信に関しては、技術的進歩は遅々たるものだ。先日のArt&.html#39;s BirthdayでもRealMediaにたよらざるをえなかった。
そうそう、この「療養期間」に、あのときの記録をすべてアップした。イルコモンズさんとのセッションの部分だけが、うまく記録されていなくて、欠落しているが、他は、まあまあの音質と映像でアップする仕事をした。
今回から、オンデマンド式のRealMediaをやめて、MP4でファイルとしてプールし、勝手にダウンロードできるようにした。
いよいよ明日から試写に復帰だ。
href="https://utopos.jp/about_jp.html"jp/kinesonus/20080117/
■2008年 02月 01日
●大学問題とバイト
金曜日というと、毎回ゲストを呼ぶ「身体表現ワークショップ」という講座に追われる。が、今月はそれがない。学期が終わったからだ。別にいやいややっているわけではないから、「やれやれ」という気はしないが、ふりかえると、あんなことをしていて何になると思うこともなくはない。最低限わたしが満足すれば、一人の観客は満足したわけだから、それでもいいのだが、学生くんのなかには、満足を表明しながら、こんなことを言い残していくのがいて、がっくり来る。
「金曜はサービス系のバイトで忙しい人が多いから、週末じゃない日にしたほうがいいですよ」
じょうだんじゃないよ、大学はバイトのためにあるのかい?!と言いたくなるが、考えてみると、ここには重大な問題がひそんでいる。
いま、大学は生き残りをめざして、とにかく知名度(要するにテレビで)の高い人を講師や客員教授にスカウトしたがっている。ひどい場合には、教える内容はどうでもいいから、とにかく名前を連ねてくれれがいいとさえ言いたげだ。大学の授業に対する学生の関心が低下しているのを改善したいというのが表面上の理由である。
しかし、わたしが思うに、大学がいま直面している深刻な問題は、学生の関心を集めることよりも、アルバイト問題だ。アルバイトをやれば、その時間大学に来れなくなるのはあたりまえである。深夜のコンビにで働いて、午前の授業に出るなんて身体にも悪い。
じゃあ、大学が時間をずらせば済むのかというと、そうではない。そうしたら、学生はその時間に別のアルバイトを入れるだろう。
そもそもこういうことになったのは、いまの産業が、学生のバイトを含むパートタイム労働をあてにした形態で「発展」してきたからである。それは、今後も変わるどころか、4月から改正・施行されるパートタイム労働法によって、むしろ強まるのである。
今後学生は、ますますバイトに精を出すだろうし、そうしてもらわないと産業がうまく機能しないというわけだ。
しかし、不可思議なのは、大学に対して学生は相当の月謝を納めている。それを無駄にしてバイトにはげむというのは、どういうことなのだろうか? 消費者意識としては、金を払ったのだから、それなりのことをしろという抗議がまきおこるのが普通だが、大学の場合は、学生が「消費」を辞退してくれるのだ。ある意味で、ものを売る(大学も知識やサービスを売っていることにはかわりがない)側としては、こんな樂なことはない。が、その一方で、大学に入ってくる人口が、少子化などとは別の理由で減っているのである。
これまでは、講義やゼミが当面何の役に立たなくても、学生であるという資格によってバイトが出来るという面もあった。しかし、それは、バイト労働の需要が高まり、むしろバイト労働者が欠乏しているといういまの状況では、どこの大学であるかどうかなどどうでもいいということになりかねない。当人が「できる」人間なら、それでいいわけだ。
そうすると、素性を保証する学生証は無意味になり、バイトがパートタイム一般に吸収されるようになる。すでに事実上はそうなっている。その結果、バイトをするためには、そもそも大学へ入る意味がなくなってくる。また、体験としても大学よりも「実業」の方がリアリティがある。すでに、学生たちの話では、大学のゼミや講義よりも、バイトしている方が「面白い」し、「ためになる」という。実際、実用教育は、産業の現場の方がうまいし、教わる方も身が入る。
どうする、大学?
わたしが、「身体表現ワークショップ」のような講座をやっているのも、そういう状況を意識してのことだが、わたしごときが年間24回ささやかにやっていることなど、なにも変えはしない。
この分では、大学は、学生が学内でバイトを出来るような体勢を整えなければならなくなりそうである。でも、変だな。月謝を払ってさらにバイトをするというのは。それは、月謝を返すということなのか、それとも、大学が学生が働くための産業を学内に興すということなのか・・・?
いずれにしても、大学は、そのシステムそのものを変えないとどうにもならないところに来ている。
href="https://utopos.jp/about_jp.html"jp/TKU/shintai/