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2007年 12月 30日
●『出版ニュース』の「今年の執筆予定」
毎年、年末に発行される『出版ニュース』の「今年の執筆予定」は、いろいろな意味で面白い。こういう誌面にも(いやこういうマイナーな誌面だからこそ)「ミクロポリティックス」があり、悲哀や笑いがある。
「先着順」に掲載されるということになっているので、「先陣争い」もある。毎回筆頭をねらっている人もいるが、悲しいのは、意外な人が偶然か故意かで「先陣」を切ることになり、トップ大好きの人が2位や3位になってしまうときだ。
内容的には、枚数制限がないので、えらく長いものと、素っ気ないくらい短いのとがある。わたしは、メールで原稿を送るようになってから、手の勢いにまかせて書くので、この「日記」と同じように長くなっている。わたしの場合は、「予定」を組んで「執筆」などしないので、表題通りの趣旨の原稿を送ったことがない。
池田浩士さんは、今回、最近の電車のなかの光景についての「エッセー」を書いていた。うっかり座ると「セクハラの濡れ衣を着せられる」畏れがあったり、「巨大な鏡を取り出しケショーのフルコースをくりひろげ」たり、ケータイで際限なくしゃべりつづけるとか、みな「女」の迷惑と恐怖が書かれていて笑った。
ところで、わたしは思うのだが、電車のなかで化粧をする「女」(男がいてもいいと思うがまだ見たことがない)がしばしば非難や嫌悪の対象になるが、それほどのことだろうか? 要するに「プライベート」にやるべきことを「パブリック」な場でやっていることがいかがなものかというのだが、「プライベート」と「パブリック」の境界はあいまいだ。そして、いま、それがますますあいまいになっている。
わたしは、集中した読書の多くをトイレ(鈴木志郎康さんほどではないが)と電車のなかでする。とすると、わたしが電車のなかで本を読むことは、わたしがトイレでやっていることを「パブリック」な場に持ち出したということでもある。しかし、わたしは、一度も、「そんなことはうちでやれ」と他の乗客からしかられたり、そういう意識の目で見られたこともない。
場所を替えると、日本の電車のなかでは「異常」とは見られない読書の身ぶりも、驚異や嘲笑の目にさらされることがある。最近は知らないが、ニューヨークの特定地区の地下鉄で真剣に本を読んでいたら、「こいつ何者?」と思われたことがあった。そしてそういうところでは、逆に、化粧をしている方が目立たないということもありえる。
しかしねぇ、日本の電車でとなりの「女」が化粧をしはじめると、手が当ったり、毛が飛んできたりしていやですねぇ。いや、もっといやなのは、「おばあさん」がバッグのなかの整理をするやつかな? 肘がしょっちゅうこっちに当るんだ。
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2007年 12月 28日
●ベーナズィール・ブットーの死
数日テレビを見なかったので、ベーナズィール・ブットーの暗殺を知らなかった。新聞の1面を見て驚く。
ベーナズィール・ブットーは、アメリカとムシャラク軍事政権との密約で亡命先から帰国したということになっているが、帰国し、その直後に136人だかの死者を出した自爆テロに遭い、パキスタン人民党(PPP)の結束はかえって強まり、ムシャラフとの「同盟」関係も変わって来た。最後のころの演説をネットで聞いたが、あの顔からは想像できない猛烈なしゃがれ声で聴衆を熱狂させていた。
彼女が1月の選挙で勝っても、パキスタン情勢が好転するとは思えなかったが、そのカリスマ性のために、ブットーの暗殺は暴動や騒乱をエスカレートさせ、ムシャラフ政権を危機におちいらせている。
その結果、核兵器の問題が浮上し、例によってアメリカが、予備的措置を取ったりすると、イラク以上にやばい状況が生まれて来るだろう。
今回は、非常に危機的な感じがいつもよりしている。
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2007年 12月 27日
●Finnair(フィンランド航空)問題の顛末
「最悪のFinnair――牢獄としての飛行機」(11/6)のあと、「Finnair(フィンランド航空)への抗議文」(11/17-18)を書いて、Finnairに送ったが、ほぼ1ヵ月後に、本社の顧客係りの人から、詫びとわたしの意見をデータベースに入れて今後のサービスの参考にする、ひいては、次回のフライト利用の際に100ユーロを割引するバウチャーを送ると言ってきた。
これにはあきれた。失礼ではないか。わたしは、もう二度とFinnairは利用しないと言っているのである。一体どうやってそのバウチャーを使えというのか? わたしは、ヘルシンキ→成田間のサービスが「商品」としてなっていないから、こちらが払った航空費を返却せよと言ったのだ。もちろん、行きは何とかがまんできるサービスのもので利用したのだから、その分まで返さなくてよい。しかし、こういうバウチャーで済ませようというのは、こちらが受けた仕打ちを全然理解していないことになるではないか。
交渉というのは、最初に提示した条件がそのまま通ることはない。何度か交渉を繰り返して妥協点を見出すわけだ。結局、Finnairは、今日、以下のような返事をよこし、わたしはそれを受けることにした。
Dear Mr. Tetsuo Kogawa
Thank you for your reply.
We have reconsidered your proposal and made our final decision to offer you the upgrade between Narita-Helsinki flight with the condition that the upgrade would be oneway and provided that there is a space available for business class. This upgrade offer is valid until the end of year 2008 and should the upgrade cannot be made for the flight you request by that time(due no space availvale on business class), our 100 Euro travel voucher decision remains.[...]
Once again, our sincerest apologies for the inconvenience caused to you during your last flight with us, it is our hope that you will soon give us an early opportunity to restore your confidence in Finnair.
要するに、片道だけ、エコノミーの席をビジネスクラスにアップグレードするというわけだ。この場合も、Finnairを利用しなければならないわけだが、ビジネスなら多少なりとも席は快適なはずだから、前回の不快さのうめあわせになる。しかし、普通、先方の理由で席を替えさせる場合、ビジネスの席を提供するものだし、そのときそうしてくれていれば、こちらも不快さを味あわないで済んだと思う。そこが、問題のパーサーの気のきかなさであった。
まあ、わたしとしては、そんな「アップグレード」のサービスを受ける気はない。基本的にもうFinairに乗るつもりはない。が、こちらの意志を形なりでも伝えたことに意味があると思っている。
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20071117
■2007年 12月 21日
●大学とはどこか?
毎週金曜に東京経済大学の「スタジオ」で行なっている「身体表現ワークショップ」の今年最後の日。この講座ではおなじみのゲスト、平田康彦さんと平田未央子さんが4人のサンバダンサーと演奏隊を率いて来てくれた。
いつも感心するのは、いつもは元気がないように見える学生(「生徒」)たちがヤスさんとミオさんのまえでは生き生きとすることだ。いっしょに何かをやるからには生き生きしてくれなければ意味がないのだが、大学はそういう場ではなくなっている。
身体を動かすことがいいのかもしれないが、大学、とくに文系の大学は、理論や知識をあつかう場であり、「生き生き」するのならば、その面でそうならなければならないはずの場所。
しかし、わたしの経験では、(大学にもよるのだろうが)テレビのバラエティショウ的な「納得」「目からウロコ」的論議は出来るとしても、ゼミなどの談話のなかで、話す方も聞く方もたがいに「知的な発見」をしてその場が盛り上がるということは少なくなった。
わたしが大学生のころ、イキのいい先生は、自分がその時点で興味を持ったり、研究したりしていることを講義やゼミで話した。そして、その話のなかで明らかに新しい発見をしている先生もいた。聴く方は、同じバックグラウンドにいるわけではないから、わからないことも多かったとしても、話す側の興味の強度を共有できた。
わたし自身、もっぱらそのやり方で「教え」、そのなかで色々な発見をしてきたが、それが、ある時期からしにくくなった。
これには、(これも大学によってちがうのだろうが)取りたくないのに受講するという学生が増えたという事情もある。カリキュラム上、こなさなければならない単位といのがあり、それを埋めるために、たまたま都合のいい曜日にある講座を取るというケースである。
もともと興味のない人間に知的な話をすることほどむなしいことはない。映画の講座の場合なら、映画に興味のない学生に映画の話をするということを想像してほしい。興味のないことに目を開かせるのが教員の「使命」なのかもしれないが、それは、以前は、大学教員の仕事ではなかった。大学生は、ある程度、興味の方向が定まっていて、そのために、教員以上にものを知っている学生も多々いた。そういう雰囲気はもはや大学にはない。
わたしが、大学の先生とは無縁に近いゲストを招き、「教室を教室でなくする」講座というのをはじめたのは、そういう理由からだが、しかし、そういうやり方をする場として大学は、建築構造的にも、組織的にも不十分すぎるのだ。それは、あたりまえである。大学はそういう場としてつくられてはいないからである。
と同時に、わたしのように「にわか」のプロデューサではなく、本格的なプロデューサーが大学の教員になった方がよいということも言えるだろう。はてさて。
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