「シネマノート」  「雑日記」


2007年 08月 27日

●吉川正澄さんのこと

映画『呉清源』を見ていて、ふと吉川正澄さんを思い出した。映画はつまらなかったが、呉清源を演じているチャン・チェンが、メガネをはずすと、吉川さんによく似ていたからである。数日まえの『朝日新聞』にちらりと吉川さんのことが載っていたことも影響していたかもしれない。その記事は、TBSの現場からラディカルな演出家だった村木良彦と萩本晴彦がはずされることになったのがきっかけで「TBS闘争」が始まり、2人は、新しいディレクター集団を結成しようとするくだりを記述している。村木は、その話をまず吉川にしたという。ただちに賛同した吉川につづいてTBSのディレクターの集団退社が起こり、あの「テレビマンユニオン」が出来たのである。
実は、わたしは、吉川さんに数学を教わったことがある。彼が、まだ東大独文科の学生だったときだ。彼は、当時、ゲーテを卒論に選び、他方で小説を書き、同人雑誌をはじめていた。
吉川さんが教えたのは、とにかく、紙に数式なり幾何図式なりを太めの芯の鉛筆(当時はまだボールペンは一般的ではなかった)で書き写し、その紙のうえで試行錯誤をするという「身ぶり」を守ることだった。なぜか、そうしていくと、すらすらと問題が解けてしまう。おかげでわたしの数学の成績はめきめき向上し、数ヶ月で(それまで下から数えた方が早かった状態から)3位ぐらいのところまで飛躍した。わたしの行っていた高校は、試験をやると、成績を壁に発表し、座席も後に首席を据え、順番に前に送っていくというやり方をしていた。だから、誰がどの程度の成績かがすぐわかるのだった。「これじゃ予備校じゃねぇか」などと冷笑していたわたしの席は、当然、一番まえだった。
数学の成績が飛躍的にあがって驚いたのは、わたしに媚を売ってくる奴があらわれることだった。とにかく、優等生などやったことのないわたしはあわて、対応に困った。しかし、その困惑は半年もすると消え去った。数学の上位確保はすぐに崩れたからだ。
それは、吉川さんの影響もある。わたしは、彼から「勉強」も教えてもらったが、同時に髪型や服装(当時流行った「ダスターコート」)も見習った。こちらは、彼が教えたのではなく、かっこいい彼にあこがれ、わたしが勝手にまねをしたのだ。
その影響で、高校2年生になると、遊びの方に身が入り、数学などどこかへ飛んでしまった。しかし、数学の面白さは、このとき体得し、その影響は長く残りはした。映画や音楽の話もしたが、こちらが反論すると、真っ赤になって怒り出すのがおかしかった。文字通り白い肌の顔がピンク色に燃え上がるのだった。
吉川さんが、当時はまだ新しい職種だった「ディレクター」志望で東京放送(TBS)に勤めてからすぐ、テレビの現場を見せてもらったことがある。まだテレビマンユニオンを作るはるか以前の時代である。
その後の吉川さんは、数々の作品を演出・製作するようになり、学生のわたしには、「雲の上」の人になっていったが、年賀状のやりとりはしていた。
1990年代後半にインターネットが普及しはじめたころ、わたしは、吉川さんから実に10数年ぶりの電話を突然もらった。「インターネットについて書いたり発言したりしているようだけど、そのものを見せてよ」というのだった。早速わたしの仕事場に招き、SGI のIndy でインターネットの新しい技術をお見せした。いまでは、簡単なパソコンで使える技術が、当時はまだワークステーションでしか円滑に機能しなかったからである。
そのとき知ったのだが、吉川さんは、ガンをわずらい、大きな手術をしたのだという。「ワインはガンにいいんだよ」と言い、高価なフランスワインのボトルを持参し、ほとんど一人で飲んでいた。このへんもいかにも吉川さんらしくてなつかしかった。若干やつれたとはいえ、あのジャン・マレーにもジェラール・フィリップにも似た美しい目と眉は変わっていなかった。
吉川さんは、ネットを使った商売を始めると言っていた。構想は、いまの「楽天市場」のようなものに近かった。が、彼の体調は、それは立上げる余裕がなかったようだ。ノマドで不義理のわたしは、彼の死を大分たってから知った。
https://cinemanote.jp/2007-08.html#2007-08-27_1


2007年 08月 24日

●カラスの技術革新

話には聞いていたが、びっくりした。
仕事場の近くの大木にカラスが巣を作り、幼鳥が巣立つまで通行人もわたしも襲われ大変だったのだが、今日、その巣を植木職人が取り除いた。幼鳥がいるときは「恐ろしくて、とてもじゃないが巣に近づけない」とのことだった。が、下ろしたその巣を見て、仰天。それは、5、60本ものハンガーで作られていた。そういう話は聞いていたが、これほどのものとは思わなかった。
それは、樹の枝にハンガー(クリーニング店でつけてくるやつ)をおびただしく引っ掛け、そのなかにカラスが昔からやっていたはずの、草や小枝を使った巣を作っているのだが、おびただしいハンガーの外側を針金やビニールひもでしっかりとしばっている。まるで人間が手引きをしたかのようだ。
わたしが興味を引かれたのは、カラスはいつからこのような「技術」を身につけたのかである。多くの生物は、外界の変化に適応できなくて、絶滅して行く。カラスも、巣を作る条件で困る時期があったはずだ。それをハンガーで乗り越えた。しかも、ハンガーの利用は、ハンガーを使わなかったときよりも、より堅固な巣を作ることを可能にした。カラスにとっては大変な飛躍であり、技術革新である。
人間だって、なかなか素材を変えることがむずかしいのに、カラスはあっさりとハンガーに素材の重点を移した。この発見はどのカラスがしたのだろう? そして、どうやって仲間に伝えたのだろう? ハンガーは捨ててあるものを「廃品回収」したものだが、カラスがハンガーをくわえて飛んでいるのは見たことがない。この数は、よほど「組織的」な活動がなければ集まらない。
昨日の『日経産業新聞』に、クマゼミが光ファイバーを生木と「間違えて」卵を産もうとし、そのために光ファイバーが損傷を受ける事故が増えてきたので、その対策として、穴を開けにくいポリウレタン樹脂を使う製品(「せみタフ!」)が作られたとある。
しかし、はたして、クマゼミは、「間違えて」そうしているのだろうか? 光ファイバーは、生木と感触が似ているので、間違えるのだというのだが、長年生木をあつかってきたセミが生木と光ファイバーとをまちがえるはずがない。むしろ、それは、クマゼミの「技術革新」の試みではないのか? 生木に代わる新しい卵の生み場として、光ファイバーにチャレンジしてみたということではないのか?
人間以外の生物の「知恵」を甘く見ない方がいい。


2007年 08月 08日

●「出席管理カード」というジャンクの再生

100人以上の受講生のいる講義で学生がちゃんと出席し、居眠りをせず、しかも教師と相互関係を持てるようにするにはどうしたらいいのか――というのは、長年この業界に片足を突っ込んでいても、皆目わからない。いろいろな試みをしてきたが、数年まえからやっているのは、毎回メモ的な感想を書かせるというやつだ。
以前はA4の紙を小さく切って配ったが、昨年から「出席管理カード」というのを使うことにした。これは、文字通り「出席」を管理するために大学が作った用紙で、マークシート方式になっていて、機械にかけると、自動的に出席がコンピュータに記録される。
しかし、わたしが興味を持ったのはその点ではなく、サイズと紙質のよさだった。が、「出席をチェックするんじゃないよ、感想を書いてもらうためだよ」といくら強調しても、講義が終わるころやってきて、「先生、出席カードください」と言う学生や、あらかじめ他の講義でためこんでおいたカードを友人に託して出す者などがいて、わたしが目指す学生とのコミュニケーションのメディアにはならないことに気づいた。
考えてみると、このカードのトップには、「出席管理カード」と書かれている。わたしがいくら「出席が問題じゃない」と言っても、これでは出席を確認するためのカードと思われても仕方がない。ちなみに、わたしは、たとえ出席しなくても、出席した友人からのリサーチや自分の想像力で「感想」を書いてもいいし、そのためにはあらかじめカードを渡すと言っていた。しかし、出席を自己証明するためにカードを受け取り、出す学生の姿が減らなかったのである。
そこで、わたしは、この「出席管理カード」という文字の部分をカッターで切る取ることにした。「メディアがメッセージ」ということを強調しているのに、それを実践していないことを反省したわけだ。
と同時に、回収したカードのなかからユニークなものやクレームの書いてあるものを公開することにした。といっても、名前を出すと「個人情報云々」と言い出すのが必ずいるので、名前や学籍番号の部分はふせ、感想の部分を書画カメラ(OHC)で大きなスクリーンに写し出して論評を加えるのである。
これは、非常によい反応を得た。「目立つのは嫌、でも、無視されるのも嫌」といういまの学生の感性にフィットしたらしく、匿名の投稿のような機能をおびてきた。
レポートなどを書かせると、どれも平均化された意見が多いのに、このカードの感想は、みな違う。見せた映画作品についての感想も、肯定的なものがあれば、必ず否定的なものもある。
「質問はありますか?」と口頭で訊くと、寂として声がなかったのに、けっこう書いてくる。わたしが間違えたことを言ったのを指摘してくれたり、リクエストが書かれていたり、毎回、カードの紹介・論評だけで講義が出来てしまうほどになった。
頭に来るような感想もあるが、特に少数意見は必ず紹介するようにしているので、成績を心配してあたりさわりのない「感想」を書く者は少なくなった。こちらも、毎週帰りの電車のなかで感想の束を読むのが楽しみになった。
さて、問題は、期末である。試験をしないわたしは、この感想で評価をつけると宣言していた。しかし、感想は、遺伝子の「独異性」(シンギュラリティ)と同じように、100人100様であり、よく読めが、どちらが優れているとも言い切れない。まあ、投げやりに書いているかそうでないかが違うくらいである。
この数日、3科目で3000枚以上になってしまった「感想カード」をチェックしなおし、「採点」をした。
いまの学生はみなケータイを持っていて、メールをやり取りしているのだから、毎回ケータイメールで感想を送ってもらったほうが、こちらも「採点」しやすいような気がするが、そうなると、またちょっと違う反応が出るのだろう。このようなポジティヴなノリは出てこないかもしれない。メディアが違えば、表現のスタンスが変わるからだ。「出席管理カード」というわたしには「ジャンク」以外のなにものでもないものを機能転換して使ったからこそ、こういう効果が出たのだと思う。しかし、これは、「採点」とはソリが合わない。


2007年 08月 05日

●「メディア・アクティヴィズムの現在」(2)

かつて、メキシコのチアパスでツァパティスタの運動がはじまったとき、エレクトロニック・フロンティア・ファウンデイションのスタントン・マッカンディッシュが、「アクティヴィズムの将来はインターネットのうえにある」と言った。それは、いろいろな意味でそうだと思うが、重要なのは、ネットワーク関係である。それがいまインターネットがメインになってきたとはいえるが、昔だって電話や手紙でも面白いことが出来た。
インターネットであれ別のメディアであれ、その基本には、パースン・トゥ・パースンのちょっとした(偶然をも含む)「手配」がある。「手配」というと、非常に実利的な意味あいが濃くなる。「手配師」という言葉もある。が、誰かがちょっと「手をかける」ことによって、別のパースンが動き、ネットワークが始動するという意味だ。
今回、中野真紀子さんは、土屋豊さんからマーティンの来日の話を聞いたという。たしかに、わたしは土屋さんに情報を流した。もし、彼がそれをメールボックスのなかにとどめておいたら、この会は実現しなかったし、また、その情報を聞いて、彼女がわたしに電話をしてこなければ、集まりは別の形になっていたかもしれない。

*ふと思ったが、「手配」は「てはい」より「てくばり」と呼んだ方がここでの意味にふさわしいのではないか?

8月4日の「メディア・アクティヴィズムの現在」には、いまでは「オールド」の世代に属する安田好弘、平井玄、小倉利丸、守谷訓光、大榎淳などなど(ほかにも、しばらく会っていなくて顔と名前が一致しない「著名人」がかなりいた)が来てくれたし、いまばりばりの平沢剛や小田マサノリも来た。
マーティンには、「日本の代表的アクティヴィストが来るよ」と言ったので、少し緊張したのか、話が「講義」調になり、それにつられて質問も「教養主義」に流れてきたので、司会の平井玄のうながしもあり、わたしが道化役を演じて、話を「理論」から「実践」の方へ動かそうとしたが、すでに時間がなくなっていた。
ラジオでもそうだが、「自由ラジオ」と普通のラジオとのちがいは、その「内容」のちがいではなく、その時間の使い方のちがいであると思う。集会も、時間がきっちり決まっていると、どうしても「内容」中心になる。頭は短時間でも動くが、身体が動きはじめるにはある一定の時間が必要で、最初から枠が決まっている(つまりプログラムされている)と、意外な飛躍が生まれない。
ブラッド・ウィルというアナキスト的メディア・アクティヴィストの映像の上映から始まったこの集まりでも、いま日本のアクティヴィストのアジェンダ/プログラムになりつつある来年の「G8」へ向けての活動の話が出、その推進役の一人の小倉利丸は、「制度を変えて行く」必要性を語った。
わたしは、小倉さんがアウトノミアに関心を持ち始めたころから知っているから、なぜ彼がそういうことを言うのかも十分わかるのだが、日本では、「制度の改革」は体制側から出てくるものしか成功せず、脱体制の側の者は、まず制度とは別のことをやるということが第一で、そういう形でしか制度は変わらないとわたしは思う。
「G8」を選んだのは、1999年のシアトルのWTOの会議の出来事への思い入れもあるはずだが、もう、体制の大きな企画への反対を組織していくというやり方ではどうにもならないのではないか?
戦争反対、グローバリズム反対・・・その指向は正しいとしても、その反対活動がどう「組織」され、「プログラム」されるかを見ると、権力と同じやりかたなのだ。尺度は数である。
しかし、メキシコのチアパスで起こったこともシアトルの「騒乱」も、数的規模が大きかったからよりも、その「ワクワク」するような出来事の新鮮さによって評価されるし、影響力をもった。
この日の集まりでも、マーティンが例示したあるラジオ局に関して会場から質問をした人が、まず「何人ぐらい聴いているんですか?」と訊いた。よくある質問である。しかし、メディアの影響力は、視聴者の数では決まらない。メディアには、emotional bandwith(情動的帯域?)というものがあり、それは、メッセージによる影響力よりも強い――というより、この「帯域」によってメッセージの意味が左右される。あるラジオを聴いたたった一人の人物が世界を変えるようなことを思いついたり、活動したりすることもある。もし平和のための連帯というものがあるとすれが、それは、一色の情動に動かされて「団塊」として同じ行動をとるのでは、ファシズムの「連帯」とかわりながない。いまだに、マシュマロのように一丸となって行動すれば、「連帯」に成功したかのような観念がある。
「アクティヴィズムの将来はインターネットのうえにある」ということをいま最も効果的に「実践」しているのはネットビジネスだ。が、その「アクティヴィスム」は、市場経済のアクティヴィズムであって、脳から手先までを「アクティブ」つまりクリエイティブにするその語の本来の意味のアクティブ化の世界においてではない。
「距離」をもった連帯へ!
2007年 08月 04日

●「メディア・アクティヴィズムの現在」(1)

という名の集まりに行った。ニューヨークでエイミー・グッドマンがやっているDemocracy Now!というアクティヴィスト寄りの番組にせっせと日本語字幕をつけてストリーミング放送している中野真紀子さん、古山葉子さんらのグループ「デモクラシーナウ!ジャパン」の主催。
もとは、例のマーティン・ルーカス(7月17日参照)が日本で何かしゃべりたいと言うので、知り合いに情報を流したら、中野さんが反応してくれて実現した会だ。
5月にマーティンから話があったときには、まずわたしの大学でやろうとしたが、彼の滞在期間がばっちりと「定期試験」期間にはまり、場所的に不可とわかった。そこで東京と関西の比較的施設のしっかりしたスペースに声をかけたが、それぞれ異なる理由で断られてしまった。東京の場合は、最初非常に興味を示していたのだが、全然返事がなく、大分たって確認したら、上映する以上、字幕もつけなければならないし・・・とかいう理由でダメになった。メディア・アクティヴィズムにも関心が薄すかったらしい。どちらの場合も、最初話をした相手と、断って来た人がちがっており、パースン・トゥ・パースンの流れのなかで企画が動かなかったことがわかる。
そこで、内輪の交流会でもやろうかと知り合いにメールを送った。すると、いまでは津田塾大の教授でもある文字通り映像のアクヴィストの坂上香さんが彼女の講義の枠でマーティンを呼んでくれることになった。しかも、彼女は英語だけの映像に徹夜で字幕を付け、彼を迎えてくれた。パブリック・アクセスなどに関して、学生から熱心な質問もあったらしい。
何週間も放っておいて「字幕も付けなければならないから、もう間に合わない」などとのたまわった御仁よ、やる気になれば、できるんだよ。わたしも、25分ぐらいの映像に徹夜で字幕を付けて学生に披露したことがある。安い映像ソフトだって、いまでは簡単でしょう。
関西では杉村昌昭さんが反応してくれ、松浦さと子さんが集まりを開いてくれた。非常に熱気のある集まりになったらしい。
こうした例でも明らかだが、いま何かことを起こすには、パースン・トゥ・パースンの関係の方がうまくいくし、その関係がしっかりしていれば、メールでもネットでもイヴェントが可能だ。「組織」やグループにしても、ポジションと役割が分担されているものよりも、一人が自分の思想や好みを具体化できるようなところが面白いことをやる。「会議」ばかりやって、そのなかでせっかくの面白いことがのっぺらぼうなつまらない企画になってしまったり、お流れになってしまうようなところは消滅するしかない。
(続く)
http://democracynow.jp/event/20070804.html


2007年 08月 02日

●「しつこい/しつっこい」ということ

ときどきもらったメールの書き出しに、「しつこくて申し訳あません」といったことを書いてくる人がいる。返事には、「いえ、しつこいのは好きです」と書くことが多いが、一体「しつこい」(「しつっこい」と発音した方がもっとその「しつこさ」が出る)とはどういうことだろうか?
というのは、わたしには「しつこく」ないことがわからないからである。ちなみに、わたしは子供のころ父親に「くどい!」とその「しつこさ」を非難された。「おまえのようにしつこい奴は見たことがない」とも言われた。所詮は、反抗期の子供に手を焼いた親の典型的な反応であるが、そのころから、一体「しつこく」てなぜいけないのかと思っていた。
映画でも、「くどい!」と言って話を切り上げるシーンはよく出てくる。日本では、くどくないこと、つまり「淡白」なこと、ものに執着しないことをよしとする伝統があるらしい。それは、わたしには、一方で美しく、自分もそうなれればいいなと思うと同時に、なんか暴力的なものを感じてついていけない。
言い出したことを「いいや、いいや」とか「わかった、わかった」と言って切り上げるのは、日本のポピュラーなパターンだが、これは、英語圏では通用しないことがわかったのは、いい大人になってからだった。それは、中国人でも同じで、どうやらこの「淡白さ」を愛するのは、極めて特殊日本的な習慣のようである。日本の外に出るとしつこい奴はいくらでもいるのだ。
わたしは、本性が「しつこい」うえに、そういうしつこい奴らのあいだを多少なりとも渡り歩いてきたから、日本で「しつこい」人に会っても全然驚かない。それがストーカーレベルになってから、ちょっと「うるさいな」と感じるぐらいか?
実際、「しつこくてすみません」などと書いてくる人にかぎって、こちらが「しつこく」(誠実な)反応すると、とたんに返事をよこさなくなったりする。全然腰がすわっていないのだ。
ところで、いま、「しつこさ」を否定的に見てきた日本も、その肯定に転じはじめているのではないか?
なにをとっても「しつこさ」がなければやっていけない時勢である。たとえば、コンピュータだが、ユーザーが「しつこさ」を捨てたら、大概は中途半端な機能で満足するところで使うしかなくなる。ウェブでものを買うといっても、相当「しつこい」作業を課せられるではないか。レストランに行っても、むかしのように、足を組んで、「適当にみつくろってくれや」なんて台詞は野蛮に響く。
欧米のレストランでは、客に細かく注文を訊くことがサービスのレベルの高さの指標になる。むろん、「おまかせ料理」もあり、客の方も、『レミーのおいしいレストラン』に出てくるうるさい料理批評家のように、メニューにある品を個別に指示するのではなく、「君のパースペクティブ」を見せろなどと抽象的にお手並み拝見の「おまかせ」を言うこともある。しかし、通常は、質問→答え、質問→答えのくりかえしで、きめ細かく注文を取る。しつこさを嫌ったら、もたない。いま、日本の店もそうなってきたと思う。
とはいえ、「しつこい」わたしとて、ずばーっとこちらの思いを見抜いてしまうような相手の対応には感動する。コラボレイションというものは、そうでなければ可能にならないわけだが、そこでふと思うのは、日本で「しつこさ」を嫌うのは、最初から相手と何かをいっしょにやろうとする意志がないからではないか、ということだ。
「しつこい」といっても、酔っ払いが同じことを繰り返すとか、最初から論理的にかみあわないストーカー的な攻撃を含んだしつこさとは意味がちがう。
だが、「しつこい」ことを肯定すると、普通より時間がいることはたしかである。「しつこい」メールにいちいち返事を書けば、夜が明けることもある。しかし、わたしは、毎日、そのぐらいの時間的余裕は持っていたいと思う。ナチの問題でわたしに追い詰められたわたしのオヤジは、「おまえはヒルのようだ」と言ったが、彼は、きっと忙しかったのだろう。
だから、「しつこい」という概念は、たがいが十分な時間をとってコミュニケートすれば消滅する。いや、話が「しつこく」なった。そろそろ寝ないと明日が持たない――これが時間病である――ので、このへんで。