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2007年 04月 25日
●「メディア」の単純化
大学が本格的にはじまり、新しい学生と出会う毎日だが、「メディア」という言葉が伝わりにくいのには手を焼く。「メディア論」と名のつく講座をやっているのに、勝手に「メディア」の意味が変わってしまうと、こちらとしては途方に暮れる。「メディア」は、いま、大手の新聞やテレビのことを意味するようになっているのだ。「メディア・アート」という講座を持っている大榎淳も、学生の誤解に直面してとまどっていた。
そもそも「メディア」という言葉は、1967年にマーシャル・マクルーハンのThe Extensions of Man (1964)が『人間拡張の原理 メディアの理解』(竹内書店)というタイトルで発売され、マクルーハン・ブームが起こってからカタカナ語として一般化した。ブームには竹村健一なども加わってにぎやかだったが、「メディア」という言葉がよく使われるようになったのは、80年代の「ニューメディア」ブームからである。
いずれにせよ、「メディア」という言葉は、マクルーハンとともにあったわけで、1982年にわたしが『メディアの牢獄』という本を出したときにも、マクルーハン的な「メディア」を継承しながら、それをどう越えるかが問題だった。津野海太郎の『小さなメディアの必要』でも、その「メディア」には劇場も含まれており、いまのように朝日新聞や日本テレビのような「大きな」メディアに限定されてはいなかった。
マクルーハンの上述の本の目次を流し見しただけでも、「メディア」には、ラジオ、テレビ、電話のほかに、衣服、家屋、貨幣、時計、車、飛行機、広告、タイプライター、武器なども含まれることがわかる。マクルーハンにとって、「メディア」は、コミュニケーションを媒介する技術と装置・環境のすべてであり、だから「メディア<が>メッセージ」つまりさまざまなメディア次第でメッセージが決まると主張したのだった。
ちなみにここで言う「コミュニケーション」も、単なる会話ではなく、セックスや戦争をも含む、人間交渉のすべてを指す。
「メディア」の意味が日本で単なる「マスコミ」の意味に単純化してしまった一因には、90年代後半から台頭する「メディア・リテラシー」のような「学問」の責任かもしれない。そこでは、通常、メディアは単なる「器」で、そこに盛られる「内容」が問題だという、せっかくマクルーハンが方向づけたことを後退させる考えが前提になっている。
メディア・リテラシーでは、メディア(技術・装置)は中性で、それを使う者、所有する会社の姿勢や倫理で偏向したりラディカルになったりするらしい。そんなことなら自由ラジオもメディア・アートもいらないのだが、日本では特にそういう発想が根強くある。
日本語の「メディア」は、「マスメディア」の略号にすぎなくなってしまった。しかも、マクルーハン的な「メディア」では切り離せなかったテクノロジーの問題が、ばさっと切り落とされてしまった。いま「メディアが偏向している」などと言われるとき、それは、メディア技術を問題にはしていない。もし「メディア」が「マスメディア」でも、技術的な意識があれば、どんな技術にもとづく「マスメディア」なのかが問題になり、単なる管理の問題よりも、映像技術とか放映環境の問題が真っ先に問題になってくる。
メディアで電子テクノロジーを使うのか、活字なのか、生身の肉体なのか、はたまた小規模なのか、双方向的なのかといった問題なしにメディア論はないはずだったが、いまではそんなことは論じられない。
これでは、メディア・テクノロジーへの関心をますます必要としているいまのメディア状況は、分析や批評のまなざしには入ってこないだろう。
https://cinemanote.jp/books/medianorogoku/
■2007年 04月 24日
●児玉房子写真展 「希望」の現在
銀座のニコンサロンで、ギャラリーの壁に並べられた児玉房子の作品を順番に見て行ったら、いきなり三田格の姿を発見した。デモの群集のなかの一人なのだが、晴れ晴れとした顔でこちらを向いている。写真は、「アメリカのイラク攻撃への抗議デモ(渋谷)」と題された2枚組の写真で、よく見るとそのそばに平沢剛が映っている。うしろで叫んでいるのは矢部史郎ではないか。みな21世紀の錚々たる活動家たちである。
「知ってるんですか?」と児玉にきくと、そうではなくて、「なんとなくそのあたりが生き生きしていたので撮った」と、逆に驚いた。なるほど。そういうもんなのだ。
この写真展は、彼女がこの5年ほどのあいだに撮った都市写真のなかから、彼女の見る都市のなかの「希望」をスナップしたものを選りすぐったもの。「希望」だから、都市の報道写真などにありがちなダーティなものや悲惨なものよりも、なにかそこから現状をきりひらくかもしれない可能性を感じさせるようなイメージに力点を置いている。
それぞれに微妙な顔やポーズで、感じさせることは多いが、わたしには、日本の都市からいま「希望」がどんどん失せているのではないかという印象がぬぐえなかった。
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2007年 04月 21日
●てんやわんや
といっても芸人の名前のことではない。その昔、獅子文六のベストセラーで流行った「てんやわんや」つまり英語のmessyな状態のことだ。すこし前の言葉で言えば、「しっちゃかめっちゃか」か?
anarchy.transloca.jpサイトに「技術のすったもんだ」というページを作っているが、「すったもんだ」も同じ系列の言葉だろう。このページを最近更新しないのは、「すったもんだ」が多すぎて、書く暇がなかったからでもある。
知り合いのYさんからもらったX86MacOSXなんかもひどかったねぇ。AT互換機でマックがはしってしまうはずなんだが、それが大変。もとのシステムに問題があるからなのだが、困難があるほど超克してよろうという気になるのがハッカー精神。
最近は、Microsoftの「陰謀」で悩まされている。どうやらVistaへユーザーを移行させるために、色々な工作をしているらしいのだ。わたしは、Microsoftのものでは、「認証」しなくても使える(つまりOSを購入すれば、何台のマシーンにインストールしても問題ない)最後のOS、Windows2000を使っているのだが、これが妙な動きをするようになった。そこで、最近インストールしたアプリケーションを一つつづはずして問題を解明しようとしていたら、突然、ログインが出来なくなった。あれこれ「修復」の作業をしたが、こういうことで時間を使っても大抵は無駄なので、再インストールをすることにした。といっても、元の膨大なデータを消すわけにいかないから、再インストールのためのハードディスクを別に用意し、元のを「SLAVE」として接続し、データを読み取るようにした。そうして、あまり時間をとられずに、元とほとんど同じ環境の基本は復活させたが、個々のアプリケーションはそれぞれ再インストールしなければならないから、どのみち大きな時間の浪費だ。
しかし、再インストールというのは、気分を変えてくれる。引越しと同じくらい気分を変えてくれるのは、OSの変更だが、コンピュータというのは、無駄の権化で、「これだけで十分」というOSは存在しない。「こりゃいい」と思うOSはあるが、それがただの一目惚れにすぎないことをやがて思い知らされる。でも、Linuxには、日々新しい変形が生まれているから、何にでも惚れっぽいわたしは、飽きることがない。最近一番評価しているLinuxのOSは、チェコのTomas Matejicekが開発したSlaxだ。これは、NeXTのような「夢」はないが、使えるOSに徹している点で、ほれぼれするところがある。主な使い方は、Linux-CDとして、AT互換機のそのCDをぽんと差し込むと、そのマシーンが(ほぼ例外なく)たちまちLinuxに成り代わってしまうというポータブルな使い方だが、非常に便利なので、一台このOS専用に用意してもいいと思うくらいだ。
しかし、一生使える万年筆はあっても、コンピュータはない。数年まえのマシーンが、事実上使えなくなるコンピュータの世界ほど無駄に満ちた世界はないわけだが、この一時性に開き直るこの技術は、価値観や文化を根底から変えるはずだ。
http://www.slax.org/
■2007年 04月 06日
●「自立した女性」
この言葉が新聞に登場するようになったのは1980年代のことだったと思うが、いまその意味が大分変わって来たらしい。
かつて「自立した女性」というのは、男や組織やあらゆる拘束から自由になろうという意識をもち、「男のための女」であることをやめ、「結婚までの腰掛けとしてのOL仕事」などをしない女のことだった。
いま、「自立した女性」というのは、単に親の庇護を離れ、自分の給料で生活したり、事実上親の援助を受けても、マンションなんかを借りて、一人暮らしをしている女性のことらしい。
というのは、「自立した女性」を読者にする雑誌というので、いつになく緊張して原稿を書いたら、担当の編集者に、これは、「自立した女性」には難しすぎると言われてしまったからだ。え、こんな原稿が難しくて、どうして「自立」できるんですかと問い返してしまったが、編集者は逆に困惑するばかり。そうだろう、「自立した女性」の意味が双方でちがっているのだから。
以前に「フリーター」という言葉の意味でズレが起きてしまったことを書いたが、本当に「自立した女性」って、単に「一人暮らしの女性」という意味にすぎなくなったのだろうか?
日本語って、概念は自由に変わり、音だけが音楽のように使われる不思議な言語らしい。これは、これで面白いが、どうもね。
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2007年 04月 05日
●「いらっしゃいませぇ、こんばんわ」
いつのころからか、コンビにのドアをくぐるとこのあいさつをかけられるようになった。それにたいしてこちらがどういう対応をするかといえば、うんと狭い店の場合は別にして、それをほとんど無視して、奥に進むのである。なんとも失礼な話である。
しかし、この「いらっしゃいませぇ、こんばんわ」は、わたしに向けられたものでありながら、どこにも向けられていないというような不思議なディスクールである。言語というよりも、音楽の一種で、それまでわたしがいなかった空間の音波をちょっとゆらがせてわたしをその空間に招き入れる儀式のようなものだ。いや、これは好意的な解釈で、最悪の解釈では、新しい「万引き予備軍」がテリトリーにはいったよ~と告げているのかもしれない。つまり、彼や彼女らの「挨拶」は、単なる感知センサーのブザーのようなものなのだ。
もともとは、このディスクールは、わたしの記憶が正しければ、スターバックスかマクドナルドあたりから始まった。あきらかに、これは、アメリカの真似である。最初は、一見個人に向けられたように見える挨拶に新鮮さを感じ、そう言った店員に微笑みや挨拶を返したりする者もいた。いきなりそう言われて、照れたような対応をする者もいた。
アメリカの場合、日本とちがい、この挨拶には視線がともなう。「Good Evening」と言った相手は、ちゃんとこちらを見ている。だから、視線の文化圏にはいない日本人でも、無理して微笑み、「Good Evening」を返さざるをえない。
アドルノは、相手をすぐファースト・ネームで呼ぶアメリカ人の習慣は、必ずしもアメリカ人がフランクであることを意味しない――それも儀式なのだということを言っていたが、それでも、目を見て「Good Evening」と言い合えば、親しみも出てこざるをえない。
ハグやキスもそうだが、日本語がもっと肉体性を持てば、個々人の関係も変ってくるだろう。しかし、そのときは、日本語が日本語でなくなってしまうかもしれない。