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2007年 01月 22日
●「なんでこんな奴が館長なんだろう」
――という「中傷」が載っていると教えられ、あるブログ(下記)を読んだ。吉本隆明のファンらしいので、昔、吉本が『試行』という自費出版の雑誌で毎号自分のルサンチマンをぶちまけていた(わたしも「花田清輝しか典拠に出来ない奴」というようなことを書かれた)スタイルを真似ているなと思ったが、事実誤認がひどいのと、顔も知らない相手からなぜ「なんでこんな奴」と言われるのかが興味深かったので、以下のような文章をコメント欄に書いた。一息で書いたのだが、「送信」ボタンを押してみると、字数制限があり、はねられてしまい、そんな繰り返しで、けっこう時間を取られてしまった。全6回にわたっての分載となり、これでは、「投稿魔」のような感じだ。むろん、そんな気はない。ちなみに「館長」というのは、大学の職と同じように、頼まれたので「いやいや引き受けてしまった」資料館の責任者のことである。
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「嫌い」な人間からのコメントは不快かもしれませんが、名前を出されているので、「責任者」としてコメントさせていただきます。
東京ゲーテ記念館の展示に関するご批判を書いておられますが、「ゲーテの色彩に関する見解が近年再評価されている」というのは、「嘘」ではなく、事実 だったのではないでしょうか? それは、日本では木村直司氏や高橋義人氏の研究にも反映されています。むろん、その「再評価」が正しいかどうかは別としてで すが。
ヘーゲルに関して「まともに書いてい」ないとのことですが、展示はそのどきどきの担当者や協力者の見解で行なう形になっており、百科事典的な目配り はできません。ちなみに当館は、ゲーテに関して文字化されたものを収集保存し、専門家・素人を問わず、その研究に無料で協力することを主な活動としていま す。展示は補助的なものですから、もしその展示で疑問を感じられたときは、その旨を受付で言っていただければ、関係資料を参照していただくなりの対応がで きるわけです。
なお、リリー・シェーネマンの「解説」に誤りがあったとのことですが、当時の展示品を調べましたが、該当する表現は発見できませんでした。これに関 しても、その場で誤りと思われたのならば、遠慮なくご指摘いただければよかったと思います。当館としては、解釈や学説を来館者に押し付けるつもりはなく、疑 問点に関しては来館者がご自身で調べられるような体制になっています。
展示へのご不満を書かれるのもブログの自由ではありますが、「なんでこんな奴が館長なんだろう」というのは、どんな根拠にもとづいているのでしょうか?
しかし、「こんな奴」がいなければ、記念館は、いまのような展示スペースを設けることもなかったでしょうし、資料の公開も限られたものになっていたはずです。
個人的にも、また「館長」としても、あなたにお会いした記憶はないので、あなたから「こんな奴」と言われる理由がわかりませんが、どこかで大変な失礼でもしたのでしょうか?
ちなみに、東京ゲーテ記念館は、豊富な職員の上に「館長」がいるような組織ではありません。限られた資金と献身的な人間たちによって維持され、誰でもが無 料で利用できる資料館です。展示もそうしたボランティアの手助けなしにはできませんが、その企画、レイアウト、キャプションなどの打ち込み、はては館内の 掃除もわたしがやっています。ご不満を書いておられる1992年5月ごろの展示は、特にわたしの手作業の度合いの強いものです。
その意味では、展示の文字の一字一句までわたしに責任があるわけですから、「粉川哲夫」は「みんな嫌いです」というのなら、展示に不満でもいたしかたのないことかもしれません。
それは、わたしの不徳のいたすところでしょうが、献身的に働いているボランティアたちがあなたの文章を読み、大いにやる気を失ったことはたしかです。
そんなこともあり、読みにくい形(一括掲載ができないので)ですが、一筆コメントさせていただきました。
http://shomon.livedoor.biz/archives/50882749.html
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2007年 01月 18日
●Art&.html#39;s Birthday 2007
毎年1月は17日がすぎないと落ち着かない。この日は、フルクサス系のアーティストのロベール・フィリウが1963年にやった同名のパフォーマンスを「継承」するイヴェントがあるのだ。ネットを使って「アートの誕生」を祝うというものだが、実際にいまの形になったのは、1980年代にヴァンクーヴァーのWestern Frontのハンク・ブルと、ウィーンのメディア・アーティストのロベルト・エイドリアン、その彼女でのちにアート専門のラジオ局Kunstradioをつくるハイディ・グルントマンらがWiencouver(ウィーンとヴァンクーヴァーをかけている)なるプロジェクトをはじめてからだ。
当時は、ネットといっても電波や電話が主だった。90年代の初めにハンクからいきなり電話がかかってきてわたしが参加しはじめたときも、電話でのボイス、ファックスでの画像、テレビ電話が主なネットワーク装置だった。それが、90年代なかばから、インターネットを使うようになった。いまは、ストリーミングで世界のアートスペースや個人の場所をつないで「アートの誕生」を祝う。
アートの誕生といっても、根拠があるわけではないから、勝手に自分らのやり方でネットに発信をし、オフラインとオンラインとでパーティをやるということである。
今年は、主力であるにもかかわらず時差の関係で一番時間がずれるカナダの時間とダブるように、17日でなく18日にした。基本的にこの「お祭り」は、世界的なひろがりがあるといっても、オリンピックのような「中心」志向ではなく、それぞれのローカルスポットがそれなりのやり方でパーティをやり、それをリモートにリンクしあって呼応・共鳴の関係をつくろうというものである。
こちらがやった記録データは、以下のサイトにアップする予定だが、海外からこちら側へは、まず、ハンク・ブルによる「伝説的」なテレビ電話セッションをやってもらった。双方で年代もののテレビ電話を用意し、国際電話で結んで画像と音をやりとりするというものだが、ネット時代に再現してみると、逆に新鮮味があり、こちら側で参加したわたしのゼミの学生たちも、かなり興奮してVサインなんぞを送っていた。
href="https://utopos.jp/about_jp.html"jp/kinesonus/
■2007年 01月 14日
●スティーブ・ジョブズのiPhoneプレゼン
スティーブ・ジョブズがサンフランシスコのMacWorldでiPhoneのプレゼンをやったことは知っていたが、特に興味をもたなかった。が、Quick Time Playerを立ち上げるたびに彼がプレゼンをしている姿が見えるので、ついついそこをクリックしてしまい、結局、最後まで見てしまった。うまい。あいかわらずだ。iPhoneの米発売予定は6月、日本発売は2007年だというが、たとえケータイとしては使えなくても、いますぐにでも買ってみたいという気にさせられた。
わたしは彼のプレゼンを何度か、今回の会場であるモスコーニ・コンベンション・センターで見たことがある。彼がまだ(Appleを追われて作った)NeXTのCEOであったときだ。前の方には、とりまきというか、ファンクラブというか、熱狂的な観客が陣取り、プレゼンの要所要所で大拍手をする。実際にそれだけの熱狂が空騒ぎではない感動を与えるプレゼンだった。
今回のプレゼンで彼の手にしたリモコンが効かなくなったとき、スティーブは、「誰かがジャマーをつかってるのかな?」と言って笑わせたが、これは、1993年5月23日のNeXTWORLDでも使った技法だった。そのときは、彼のワイヤレスに雑音が入ったのだが、当時は絶対に乗り越えると宣言していた「マイクロソフトの回し者が電波妨害をしているのだ」と言って笑わせた。
スティーブのプレゼンは、いつも感動的なのだが、彼の言っていることは信用できない。1993年のNeXTWORLDは、NeXTがハードウェアの製造を辞めると宣言して、会場に衝撃を与えたのだったが、そのとき彼は、「1980年代はindustrial productionの時代」だったが、90年代は「operational productionの時代」だから、ハードウェアの生産などしているのはバカだと言い、NeXTがソフトウェアに専念することの正当性と創造性を説いた。そして、会場では、NEXTIMEという、スティーブによればQuickTimeをいずれ追い越す映像再生ソフトのプレゼンが行なわれ(親友ジョージ・ルーカスの映画の一場面を見せた)、場内を沸かせた。そして、会場でそのベータ版CDが配られ、大いに夢を増幅した。スティーブによれば、NeXTstepは、AT互換機上で動くようになることによって、いずれは、ラップトップを含むあらゆるPCのうえで動くようになり、マイクロソフトの独占を突き崩すというのだった。だが、それは、周知のように、マイクロソフトとの提携という形で「裏切られた」。当時、コンピュータというとNeXTしかなかったわたしは、頭に来て、「Rapsody in the Blues」というGIFアニメを苦労して(簡単なソフトがなかったので)作って、自分のサイトで流した。
https://cinemanote.jp/notes/webtek/macnext/mac-merge3.html
今回のMacWORLDでスティーブは、「ソフトウェアに本当に真剣な者は、自分のハードウェアを作るべきだ」というアラン・ケイの言葉をステージのスクリーンに映し出し、Appleのやり方の正当性を強調した。アラン・ケイの言ったことは、ある意味で真理だと思うが、スティーブは、そういうところから出発しながら、90年代には、ハードよりもソフトの時代になったと言ったのではなかったか? そして、それは、嘘ではなく、だからこそLinuxが広まり、Windowsのようなもともとコンセプチュアリティの貧しいソフトが、いま、かつてのMac以上にブリコラージュの度合いを高めている。それは、どうしたのか?
むろん、iPodを見れば、スティーブがアラン・ケイの言葉を実践していることがわかる。そして、彼の言葉通りOSXで動くiPhoneは、OSXというソフトを最も創造的に動かしてくれるハードかもしれない。このへんは、たしかに、iPhoneへの期待を大いにかきたてる。
しかしだ。当面、iPhoneが、いま売られているAppleのデスクトップマシーンで出来ることを満たすとは思えない。たかだかiPodに毛がはえた程度のものなのだ。そしてOSXは、ソフトとしてはNeXTstepのパワーアップ版にすぎず、本当に新しいところはあまりない。
それと、気になるのは、スティーブが新たなチャレンジの対象として選んだ電話業界はジャングルであるという点だ。「来年はマイクロソフトを越える」と大言壮語を吐いた90年代のマイクロソフトの比ではない。魑魅魍魎の世界だ。
ということは、今回のスティーブのiPhoneプレゼンは、既存のハード(デスクトップとノート)の生産からの撤退の布石であるかもしれない。そのうち、既存の形のコンピュータの時代ではない、これからはiPhoneのようなマイクロ・ツールの時代だと言い出すかもしれない。まあ、それも、嘘ではない。そうなればいいとわたしも思う。いまだって、1キロ以下のノートで大抵のことが出来る。
しかし、いずれにせよ、いまのMacマシーンをフェティッシュに愛用しているユーザーが見捨てられるときが近々来るような気がしてならないのである。
http://www.apple.com/quicktime/qtv/mwsf07/
■2007年 01月 13日
●三日坊主
という言葉があったが、このごろはあまり聞かない。いまでも秋頃から本屋に日記帳が並べられるが、それを買って、数ページつけ、そのまま放置すると、わたしには、この言葉が浮かんでくる。というのは、わたしの親父がそうだったからだ。
わたしのこの日記は、「三日坊主」ではなかったが、映画のことを書かないことにしたら、とたんに、それまで中毒のように書いていたのが、どこかへすっ飛んでしまい、このページを開かなくなった。
日記は、「わたし」がムクの一人ではないことの証である。「わたし」のなかが幾重にも分裂し、相克しているということの証である。だから、それを書かないということは、「わたし」の内部がどろっと一塊になっている時間がけっこう長くつづいていたということかもしれない。
が、実際には、このページとは別のところで多様な「わたし」でありつづけたということかもしれない。まあ、この間、けっこう忙しい。
正月明けに「身体表現ワークショップ」(
href="https://utopos.jp/about_jp.html"jp/TKU/shintai/)の2006年度最終回が終わったと思ったら、1月17日の「アーツ・バースデイ」が近づいてきた。今回は、いくつかの理由(その1つは、17時間の時差でいつもすれちがいになりがちなカナダとの関係を意識したこと)で1月18日に「身体・・・」をやったのと同じ場所(「スタジオ」)でやることにした。詳細は、
href="https://utopos.jp/about_jp.html"jp/kinesonus/にある。
しかし、こうしてみると、この間「わたし」は、本来そうでありたいと思う「わたし」の複数多数性から離れ、内部の「わたし」が一丸となって右往左往していたようにも思える。ある意味での「戦争」状態だ。ばかな状態にあったのだ。
ブッシュがイラクへの2万人の派兵を宣言したとき、すぐに思い浮かんだのは、ヴェトナム戦争末期のパターンだった。しかし、ヴェトナムでも、「勝ち目がない」という冷静な意見が声高に叫ばれるようになってからでも、撤退には5年以上かかったから、イラクへのアメリカの介入が終わるのは、ブッシュの次の政権、あるいはさらにその次の政権においてかもしれない。
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2007年 01月 08日
●ストリーミングの「リハーサル」
ベルギーのOKNO(オクノと読めるが「奥野」という人とは関係ない)というアートスペースが、17日のArt&.html#39;s Birthdayにジャック・フォシアとのインタープレイを仕掛け、「リハーサル」をしたいというので、夕方から準備に追われる。向こう時間の午後3時からだから、こちらは夜の11時から。
ストリーミングでは、わたしはあいかわらずReal Mediaを使っている。が、OKNOは、Quicktime Streaming ServerやIcecastやShoutcastにこだわっている。アーティストにマックユーザーが多いからかもしれないが、安定度の点ではいまだにReal Mediaにはかなわない。
マックには、Nicecastという非常によく出来た、しかも5000円たらずで買えるエンコーダー・ソフトがあり、これとIcecastサーバーなどを組み合わせると、なかなか凝ったネットラジオ放送が出切るので、ラディオ・アーティストがマックこだわるのもわからないではない。
しかし、わたしは、改造・組立の要素が乏しいシステムや有料の完成品ソフトはなるべく使わないことにしているので、最近はもっぱらWindowsとLinuxでやっている。ウエブとストリーミングのサーバーは、あいかわらず(いまでは中古でゴミ同然になってしまった)SGIのUnixワークステイションである。
マックを使っているストリーミングサイトで映像と音との両方を流す場合、途中で映像が凍ってしまったり、音が途切れたりすることがよくあるが、これは、受信者の数を無制限にしているからだろう。が、Real Mediaの場合は、アクセスが多くなりすぎれば、全体には影響は及ばず、あとからアクセスした者が排除されるだけである。
だいたい、ネット放送で多数のリスナーを期待するという発想がおかしい。無制限の「世界放送」をやりたいのなら、衛星通信にでも頼ればいい。ローカルであり、かつグローバルであるという「トランスローカル」なところがネット放送の面白いところで、同じ内容のをみんなが同じように受信するのではないところがいいのだ。
ところで、ストリーミングのインタープレイというのは、ストリーミングにつきものの遅延作用のために、たとえばこちらでジャックの音を受けて反応しても、ブリュッセルに届く音は、わたしが知覚したものとはちがっており、そもそも「合わせる」ということが難しい。
だから、わたしは、こういう「共演」をparallel transmissionとかparallel synchoronizationと呼ぶ。つまり、別に双方が「合わせ」ようとしたわけではないのに「合って」しまうことに期待をかけた送信である。
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2007年 01月 05日
●小嶋正明さんのクッキング講義
まだ正月明けなのに「身体表現ワークショップ」の最終日で大学へ。大学は1月が「年末」なのである。
このシリーズの締めにふさわしいゲストは、青山のイタリアン・レストラン「クッチーナ・トキオネーゼ・コジマ」のシェフ、小嶋正明さん。昨年に続いての出演だが、学生たちはこの日を待っていたようだ。
最初わたしがインタヴュアをつとめ、小嶋さんの体験談をきく。腕はあるのに言葉が通じなくて女シェフから鍋を投げつけられた話、でも次第に腕が認められ、イタリアの各地の名店で歓迎されながら修行を続けた話・・・。
息抜きに『バベットの晩餐会』の、短いながら料理が人の気分を解放する様が見事に描かれているシーンを見て、いよいよ小嶋氏の実演。おりおりに学生にも料理作業に参加させ、「ワークショップ」というこの講座の名目にも気配りしてくれる。
人は、本当にうまいものに接すると、テレビでよく見るようなありきたりの表情や反応の言葉を吐く余裕はなくなる。学生たちは、もくもくと食べ、「お代わりしてもいいですよ」という小嶋さんの優しい声に、ドドドと列を作る。
わたしも、講義の仕掛けや工夫をしてはいるが、料理にはたちうちできない。感謝。
http://www.tokionese.com/
■2007年 01月 01日
●年賀状というシメキリ
いつも年末になると年賀状のことが気になる。こういう慣習はやめたいと思う一方で、年1度の「ミニ通信」も悪くないと思い直し、その一方で、やっぱりばかばかしい・・・せっかっくの休みになんでこんな仕事をしなければならないのと逡巡し、あれこれ迷っているうちに、年賀ハガキを買わないとなくなるな、とにかく買っておくかといったぐあいに年賀状の腐れ縁に巻き込まれて行き、でも、やっぱりやめるかと思っていると、年明けまであと1日ぐらいになり、ほかの仕事が片付いてテーブルのうえから消えた書類や本などのあとに年賀ハガキの束(といっても大した枚数ではない)を発見して、急にシメキリを思い出したかのようなプレッシャーを感じる。
わたしの年賀状は、パソコンのプリンターや発注の印刷で作るのではなくて、NeXTという古いコンピュータで打ち出したものをコピー機で「量産」する。だから、打ち出しさえすれば、出来上がるのは速い。が、今年も、「原稿」が出来上がったのが、今朝。文章を書くということは、原稿と同じポスチャーを要求するので、いつも原稿を書いている時間にならないと習慣上かかれないのだ。まして、ばしっとした編集者にテーマなどを指令されるわけではないので、年賀状の文章は、原稿以上に手間取る。逃げばかり考え、先延ばしになる。
とはいえ、昨年は仕上がりが2日だったから、今年はましだ、と思っているうちに、元旦も終わりそう。わたしの場合、宛名を万年筆で書くことに執着しているので、その気になるまで時間がかかる。それと、手書きというのをめったにしないので、キーボードから手書きに移行すると、そのあと、必ず腰痛を起こす。筋肉の使い方が違うので、ねじれが出来るのだろうか? いずれにしても、宛名を書くには相当な覚悟がいるのです。
いま現在の気分では、書き上げていないシネマノートを仕上げること、ああそれから「シラバス」原稿もまだだったな、それから、anarchyサイトで増補したい個所もある、1月17-18日のArt&.html#39;s Birthdayのことなんかが浮かんできて、万年筆を握るところまでいかない。出さないで終わるかもしれないので、以下にコピーしておこう。
謹賀新年 2007年元旦
大学の授業中、教室を出入りする「生徒」に厳しい言葉を浴びせたら、泣き出してしまったので、ハグしてなぐさめると、家で叱られたことがなかったのか、とても解放された態度になり、こちらも喜んでいると、翌週その子の親が、いじめだ、セクハラだと怒鳴り込んできました。というのはわたしの例ではありませんが、若者は「壊れやすく」、親は「クレイム」でしか対応の仕方を知らないというのが、いまの時代的気分のように思えます。今年もわたしは、「ふざけろよ!」で行くつもりです。
以前、いま「造反無理」の時代に入ったというようなことを書いたが、いまの20代は、「異議申し立て」のようなことをあまりしない。その代わり、「造反有理」の時代に青春時代を送った「親」の世代(「団塊の世代」っていうんですか?)は、まだその慣習のなかにいる。異を唱えるというのは、まわりがやらないから意味があり、効果もあったのだが、みんなが同じようにやる「異議申し立て」は、ただの「クレイマー」的文句にすぎないから、「危機管理」にたけた諸組織の対応策によってあっさり篭絡(ろうらく)されてしまう。
いま、組織は、クレイマー(世間では「クレーマー」と書く)を篭絡するどころか、もう一歩先に出ようとしている。受信料不払い者を訴えたNHKがいい例だ。でも、訴訟ということになれば、問題は「正義」ではなく、論理性の強度の問題になるから、訴えられた側にも(理論的には)勝訴の可能性がある。
ちなみに、放送法をよく読めば、NHKの「受信料」なるものはおかしいという解釈も成り立つ。「公共放送」であることをうたっているNHKは、もともとは、「パブリック・アクセス」的な使命を持っているので、もし「受信料」を取るならば、「視聴者」の「番組参加」をもっと積極化し、スタジオをまるごと「視聴者」に使わせるぐらいのことをしなければならないはずなのである。「パブリック・アクセス」については、たびたび書いてきたし、その専門研究者も出ているが、一向にこれぞ「パブリック・アクセス」と言えるような局が存在しないのは、「美しい國」日本の特徴である。
正月早々、年賀状の話から横道にそれた。以下のリンクは、『バベルの混乱』(1989) という本のなかで「パブリック・アクセス」に触れた個所である。
https://cinemanote.jp/books/baberunokonran/baberunokonran.html#3-6