「シネマノート」  「雑日記」


2006年 10月 31日

●『ルワンダの涙』と『ディパーテッド』を見た

『ルワンダの涙』は、『ホテル・ルワンダ』よりはるかによかった。『ディパーテッド』は、よくもわるくもスコセッシ的作品。これらについては、「シネマノート」で書こう。
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来月からこの「日記」のスタイルを変えようと思う。映画については、「シネマノート」で書くのだから、「シネマノート日記」はいらない。それが、映画を見たあと、「シネマノート」よりも先にすぐ掲載され、「シネマノート」の見出し的な機能を持つのなら、あっても悪くない。しかし、掲載が今月のように、えらく遅れるのでは、両方に試写のことを書くのは、意味がない。どういう風にするかは、目下思案中です。
http://cinemanote.jp


2006年 10月 30日

●『日本のいちばん長い日』を見る

「表現と批評」で、前回の感想を読んだら、「戦争映画はもうたくさん」、「平和な日本に生まれてよかった」というのがかなりあった。そう言われると、もっと戦争映画を見てもらいたいという気持ちになるのがひねくれ者のわたしだが、一応戦争映画のシメとして、長いので普段はなかなか見せる機会のない岡本喜八『日本のいちばん長い日』をノーカットで見せることにした。
昭和天皇を少し美化しすぎている気もするが、日本の終戦が、短期間ながらも、さまざまな可能性のなかの1つの選択としてなされたことを見事にあばきだしている。
1945年7月26日のポツダム宣言を、日本側は、黙殺し、7月28日に戦争継続を表明したが、もし、そのようなことをしなかったならば、8月6日の広島、9日の長崎への原爆投下はなされなかったかもしれないのである。


2006年 10月 29日

●鈴木志郎康さんの写真展を逸す

鈴木志郎康さんは、わたしが尊敬するアーティストの一人だ。わたしは、近年、日本では(単に雰囲気の問題です)、ギャラリーや演劇の場に行くのが苦痛になっているが、「今回が最後」という「石井茂さんとの共同の写真展」にだけは、行きたいと思った。が、たちまち時間がたち、今日はその最終日。明日(いや、朝に寝たので「今日は」)絶対に行くぞと思いながら、午後に起き出してみると、気候のせいか、外に出る気がしない。
そんなときにかぎって、いつやってもいい整理作業に手をつけたりする。さぼり児童(といってもわたしのことだが――いまの子はそんなことをするのだろうか?)が駅のベンチで電車を見ながら、ああもう学校は始まったろうな、1時間目は終わった・・・といった「とりかえしがつかない」時間経過に身をまかせるようにして、わたしは、ここにいる。
鈴木さんは、招待状のなかで、「極私的」という言葉を発明してから40年たち、それがいろいろなところで使われているわけだが、「自己を拡散させていく時に感じる痛快な気分、それを得られるのが『極私的表現』の面白いところです」と書いている。
鈴木さんの今度の写真は、例によって魚眼レンズを使ったものだが、それについて、「魚眼写真の円の中心に撮影者である自己がいると思っていると、実は、中心の点という出来事は周辺に向って一気に拡散してしまうというわけなんですね」とも書いている。これは、わたしがガタリを騙(ママ)りながら最近よく言っている「個」の「分子化」ということとつながる。
そうか、鈴木さんは、最近の魚眼写真ではそういうことを意識しているのか――是非見てみたい→というのが、今朝の意識だったが、いまもその意識は変わらないとしても、竜頭蛇尾にして、日暮れて途遠し。
http://www.haizar.net/~shimirin/nuc/shiroyasu.php


2006年 10月 27日

●イルリメの独演会

「身体表現ワークショップ」は、三田格の特別企画で、イルリメこと鴨田潤さんに来てもらった。彼のMCのなかに「お笑い」的なものがあることは気づいていたが、今日は、最初に実演をやり、そのあと、彼の創造の「楽屋」の一部を見せた。
YouTubeのクリップを実によく見ている。これも、単に数見ているということではなく、見る切り口がユニークなので、おのずからその切り口に向って面白い映像が集まってくるという感じ。
http://anarchy.translocal. jp/shintai/


2006年 10月 25日

●オセロ・ゲームの長谷川五郎さん

長谷川五郎さんのことは、むかしから知っていたが、お会いするのは、初めてだった。いわずと知れた、あの「オセロ」の発明者にして、日本オセロ連盟の会長。
わたしがどんなに頭をしぼっても、オセロについてのわたしの質問は、いずれ誰かが質問し、長谷川氏が何度となく答えていることなので、その答えが完璧すぎて、対話が、どこかで読んだもののようになってしまう。これなら、ちょっとはずせるかと思って、いま構想中の新しいゲームについてうかがったが、これもさんざん訊かれているらしく、立て板に水の独演会になってしまった。その話は、みんな面白い。人を飽きさせない。が、破綻がない。とはいえ、名人の話というのは、みなこうなのかもしれない。


2006年 10月 24日

●『手紙』を見て、本郷の東大へ

なんとなく評判がいいので『手紙』を見に行ったが、それほどでもなかった。こういう作品でも沢尻エリカが光っていたのは、彼女の実力を思わせる。でも、部分的にはいいとこもあり、たとえば、弟が刑務所に慰問に来て、その姿を涙しながら、仏壇で祈るように手を合わせている兄を演じる玉山鉄ニの姿は、印象深かった。
少し時間があったので、南北線の東大前駅で降り、東大の理学部に五十嵐健夫氏を訪ねる。11月10日に「身体表現ワークショップ」に来てもらう打ち合わせ。天才コンピュータ・サイエンティストをまえに気を使ったが、VRインターフェースの「WIM (world in miniature)」というアイデアについて映像を見せられ、えらくインスパイアーされる。
厳密なアルゴリスムの世界に住む五十嵐氏としては、勝手にインスパイアーされても困るだろうが、この発想は、以前から漠然と予感していた通り、インターネットと通信衛星時代の「ミニFM」の可能性を説明するものなのだ。これについては、いずれ展開したい。

2006年 10月 23日

●『私は日本のスパイだった~秘密諜報員ベラスコ~』

「表現と批評」で、『父親たちの星条旗』の予告映像を皮切りに、戦争と諜報の話。『スパイ・ゾルゲ』の部分を見せ、日本にとって忘れえぬ国際スパイ、アルカザール・デ・ヴェラスコのドキュメンタリーを見る。1982年にNHKスペッシアルで放映されたものを再放送したとき、わたしが録画したもの。
非常に演出が見える「ドキュメンタリー」だが、ヴェラスコの「演技」がすばらしく、感動を呼ぶ。こういうのを見ると、戦中の日本が、情報という意識を欠落していたことがよくわかる。
いまになっても、「情報のオーバーロード」のようなことを言う奴がいるが、情報は、本来、物とはちがい、「オーバーロード」などするものではなく、情報はいくら多くても多すぎることはないのであって、一番重要なのは、情報の量ではなくて、情報への姿勢、それをどう読むか、感じ取るかだ。


2006年 10月 21日

●ドタキャンの虫がさわぐ

Out-loungeの田上真知子さんが企画した「アウトラウンジお別れ企画『ゼロ次元以後のアクションアート』」の最終案を見たら、わたしにおあたえらえた時間とスペースがダブるキャストになっていた。え!?一体どういうつもり!?
都電荒川線を借り切っていくつかの駅単位でパフォーマーがアクションをするという企画だが、なぜかわたしのところだけコラボレイターが予定されている。最初からの話なら、問題ない。最初からそういうアバウトな企画なら、それなりの参加仕方がある。アバウトだから参加しないというようなこともない。が、約束は約束でしょう。わたしは、相部屋も嫌いではないが、個室を取りますといわれて行って見たら相部屋だったというのは、ちょっと腹立つ。
このへんは、わたしのイデオシンクラシーであり、誰かをとっておきのレストランに招待したら、「そこで会ったので」みたいなアバウトなノリで「友人」なる人を連れてこられると、わたしは失望のどん底に落ち込んでしまう。
その場合、その人が、こちらの気遣いに気づき、「失礼しました」と言って、その人を帰しても、わたしの失望はおさまらない。逆に、帰った人のことまで気になって、さらにどん底(もうないか)に落ち込むだろう。結局、これは、運が悪かったと考えるほかはない。


2006年 10月 20日

●ノイズを連続3時間聴く

「身体表現ワークショップ」の第3回目は、Astroこと長谷川洋のアレンジによるノイズのコンサートとパフォーマンス。わたしは初めて聴くRenkaのギターが面白かった。エフェクターを使ってはいるが、ギターらしさを全否定している演奏。
スピーカーをスペースの前と後ろに設置したので、けっこう耳に響く3時間だったが、お客の学生諸君は、一部のちゃっかり組は別として、床に座り込んでずっと「耐えて」いた。あとで感想のカードを読んだら、「あれは暴力です」というのがあったが、もしそれが「暴力」だったら、「耐える」のが今様なのか? 異議を申し立てるとか、退出するとかは想定外なのか?
2006年 10月 19日

●メール・セラピー

ときどき(気圧や気候の変化のパターンがある)猛烈にメールをよこすひとがいる。なるべく応答するようにしているが、1通がかなり長いので、「メールは短文に向いたメディアです」と書いたら、ブツ切れの、バロウズ的カットアップ風のメールが連続的に送られて来た。こちらが返事を書くあいだに次のが来るので、やりとりがクロスしてしまう。わたしは、途中でやめてしまったが、読みなおしてみて、その断片が、必ずしもわたしに宛てられたものではない、つまりモノローグ(内なる無数の「自我」というより、ミクロ化したモナド的単位)のようなものであることに気づいた。
日記にもそういう機能があるが、わたしはメールではそういうことをしなかった。が、ケータイ・メールの場合、自分が自分に送るということは、面白い効果を持つかもしれない。「セラピー」と言ってしまえば、月並みだが、ケータイの熱心なユーザーはすでに日常的にそういうことをしているのかもしれない。


2006年 10月 18日

●『アート・オブ・クライング』を『12月24日通りのクリスマス』を見た

北欧には、デンマークでもスウェーデンでもノルウェイでも、よそ者には、どこか似たようなオフ・ビートさがある。その証拠に、『かもめ食堂』などは、日本の監督と大半の日本の俳優の映画でありながら、ヘルシンキで撮ったことによって(むろん監督のセンスのたまものだとしても)北欧のオフ・ビートな「気」(き)をただちに体得してしてしまった。
『アート・オブ・クライング』は、その意味で実にオフ・ビートだ。面白く、奇妙でセクシーで、かつ残酷である。
『12月24日通りのクリスマス』は、「ロマンティックコメディ」なるものを最初からめざしたエンタテインメントものだが、『アート・オブ・クライング』のような奥の深い作品を見たあとだったせいか、あらばかりが目立った。この映画でも、中谷美紀は、その才能が生かされていない。壇れいが『武士の一分』で全開したようなチャンスを中谷美紀が持つのはいつか?
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2006年 10月 17日

●『あなたに言える秘密のこと』と『魂萌え!』を見た

『あなたに言える秘密のこと』には、戦地も戦争も出てはこないが、昨日大学で見せた『ウェルカム・トゥ・サラエボ』がサラエボ問題に「外面的」にしかアプローチしていないことを痛感させるような奥行きをもっている。そして、民族浄化に行き着いた戦争の根底にある問題――個人であるとは、個人と個人との交流とは、どういうことなのか、どうして人は他者と共存できないのか、どうすれば、他者と共存できるのか・・・といった問題に観客を向わせる。
同じ渋谷の会場だったので見た『魂萌え!』のほうは、三田佳子が意外によかったのを別にすると、見るべきものはなかった。
を含めて、現代に生きる個々人の問題として
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2006年 10月 16日

●『ウェルカム・トゥ・サラエボ』を学生と見る

「表現と批評」という講座では、政治と情報というテーマをあつかうことにした。もともの、この講座は映画(ビデオ)を1本まるごと見せ、感想を書かせてそれで終わりという形式で続いてきたらしい。まあ、ビデオが「表現」、学生の感想が「批評」とみなせば、それでもいいのだが、何か軽るすぎるような気がして、ついつい余分な話をしたり、ビデオの上映まえに別のクリップを見せたりしてしまう。
今回は、しばらく戦争という軸を政治と情報とのあいだに突っ込んでみることにした。旧ユーゴーで起こった戦争は、ナチ以来の規模でホロコーストをもたらしたが、とっくに反省されたと思われたことが繰り返し起こる歴史のむなしさは何に起因するのか? 教育か、情報操作か、民族の違いの「宿命」か・・・そんなことを考えてみようと思ったのだ。
先日見た『グアンタナモ、僕達が見た真実』のシネマノートをまだ書いていないのだが、その遠因に、ウィンターボトムの「秀才的」な映画づくりがある。彼のジャーナリスティックな感覚は鋭い。彼の批判はなっとくがいく。俳優(素人も含め)を使いながらドキュメンタリーを越えるリアリティを作り出す才能は抜群だ。が、どこかに、本腰になって彼の映画の批評を書く気にさせない何かがある。
『ウェルカム・トゥ・サラエボ』には、そういう彼自身の姿勢への自己反省のようなところがないでもない。が、逆に、この映画を見ると、彼のかざす「正義」が、命をかけるかかけないかという二者択一的な単純さに居直るいかにもメイジャーなジャーナリズムのパターンに陥っているような気がしないでもない。


2006年 10月 15日

●石神井公園前の「アユート」

大学で「公言不可」の仕事(要するに入試面接だ)をしたあと、疲れたので、イタリア料理を食べさせてもらおうと思い、久保木博さんを訪ねる。彼は、もと麻布の「アクアパッツァ」のジェネラル・マネージャーをしていたが、その彼が、石神井公園に惣菜屋をかねた店を開いたのを知り、一度訪ねたいとおもっていたのだ。
駅から古本屋などに寄りながらパークロードを進み、番地(石神井町6-9-2)まで行ったが、もともと方向音痴のわたしは、その店を見つけることができない。忙しいのに悪いなぁと思いながら、電話そすると、迎えにきてくれるという。が、ふと見ると、電話していた場所から遠くないところに洒落た店と看板が見えた。
久保木さんがコミュニティ指向の人だったとは知らなかったが、奥様と2人だけでやっているこの店は、完全に地域密着型で、近所の人が惣菜を買いにひっきりなしに来る。2時すぎという中間的な時間でも、店でパスタなどを食べる人もいる。ヨソ者が1台しかない丸テーブルを占領しては悪いくらい。
久保木さんは、昔はあの日高シェフといっしょに料理を作っていたのだった。共著があるのはそのためだ。わたしは、フロアーでにらみをきかせ、きめの細かいのホスピタリティをふりまく姿しか知らなかった。
さて、いただいた前菜とパスタは、このエリアに住んでいる人間をうらやむに十分な味だった。「SLOW-FAST FOODの店」なのだというが、塩をおさえ、有機野菜を使い、西麻布あたりのイタリア料理店がぼったくりに見えるくらいの低価格。コミュニティ指向とはいっても、近所のおっさんたちがたむろするワインちびちびの「飲み屋」にはしたくないという奥様のビシッとしたポリシーがあり、開店5ヶ月にして、パークロードに魅力を発散しているのだった。


2006年 10月 14日

●古典ぐらいフリーで読みたい

岩名雅記さんの映画『朱霊たち』についた書いたシネマノートをそのまま英・仏訳したいというので、引用しているベルクソンのオックスフォード講演(1911年)の部分は原文を使ってほしいと注文をつけた。岩名さんの最初の返事は、フランスには住んではいるが辺鄙なところなので図書館といってもと消極的だった。が、今日のメールでは、ネットにあったという。わたしの、ネットで探してみるつもりだった。これまでのところ、「古典」のテキストは、だいたいネットで手に入る。コピーライトなんか、とっぱらってしまえ!
2006年 10月 13日

●平田康彦・ミオさんのワークショップ

先週から始まった「身体表現ワークショップ」の2回目は、平田康彦さんと平田ミオさんのダンス講座。インスタントでタップをおぼえ、おまけにダンスショウのあいまに見せる帽子の手品やスティックを背中で一回転させる芸まで習得しようというもの。さらに、最後は、ペアのダンス教習まであり、いたりつくせり。
うまいなと思ったのは、ペアで踊らせるとき、輪を二重につくらせ、組み合わせを一回づつ替えていくやりかた。いまの学生は傾向的に非常にシャイなので、こうしないとヤバイらしい。セクハラだなんて文句を言うのもいるというから、主催者としてはクワバラクワバラ。
http://anarchy.translocal.jp/TKU/shintai/


2006年 10月 12日

●『愛されるために、ここにいる』を見た

明らかに後期になって緊張度が落ちたゼミをあとにして、試写会へ。仕事に疲れを覚えている初老の男が仕事場兼事務所の窓から見えるダンス教習所へ通い、そこで女と知り合う・・・とくると、『Shall Weダンス?』ないしは『シャル・ウィ・ダンス?』のリメイク。が、3者のあいだの微妙な違いを云々するよりも、この作品にしかないものを楽しんだほうがいい。
ギリシャに住むドイツ人のゲオルクという男から、わたしの送信機製作サイトに従って送信機を作ったがうまくいかないというメール。だんだん写真付で大仰になる。基本がまちがっているように思うが、添付された写真で問題点を推測。Drawで書き込みを入れて再送。
http://cinemanote.jp/


2006年 10月 11日

●『トモロー・ワールド』と『エンロン』を見た

2027年のロンドンというフィクショナルな設定の『トモロー・ワールド』と、いまの問題(規制緩和の功罪)をドキュメンタリーとして映像化した『エンロン』とをほぼ連続的に見ると、「フィクション」と「ドキュメンタリー」の違いなどというものはなく、リアルな映像とそうでない映像があるにすぎないことがわかる。
サラ・ワシントンからコラボレイションの確認。
ブリュッセルのOKNOのアネミーのアレンジで11月にやるネット・ワークショップの細かい打ち合わせのメール。
ヴァイマルのラルフ・ホーマンから、バウハウス・ワークショップの再開のメール。
http://okno.be/


2006年 10月 10日

●『めぐみ』と『長州ファイブ』を見た

連休明けでみなさん忙しいのか、どちらの試写も、客の数が極度に少なかった。その場の雰囲気に支配される「シネマノート」としては、影響なしとは言えないが、『めぐみ』は、ジェーン・カンピオンのプロデュースにしては、パンチがなかった。そこで使われているテレビ映像をさんざんテレビで見せられてしまったこともある。
『長州ファイブ』の方は、意外としっかり作られた作品で、めくばりもしっかりしていた。さすが、『SAWADA』や『地雷を踏んだらサヨウナラ』の監督(五十嵐匠)である。


2006年 10月 09日

●「しかし粉川哲夫氏も困ったものだ」

――ではじまる長文の批判メールをもらった。『レント』に関するわたしのノート(2006-02-23)に対し怒り心頭に達した方(在米らしい)からなのだが、早速、下の「リンク」にあるようなコメントを書いた。
最近、「シネマノート」に「公共性」を求めるたぐいのクレームや注文がとどく。なかにはわたしがあたかも「映画評論家」であるかのごとく思い込み、そんな「勝手」なことを書かれては、「社会的影響」が思いやられるといったトーンのものまである。今回の「入鹿野」氏のクレームも、そんな論調で書かれていた。まずいことに、わたしが「アカデミアの世界にながいこといて」「世間を知らない大学人」で、「アートのアの字も知らない」、ゲイのこともエイズのことも知らないという前提に立ってわたしの『レント』ノートを読んでいるから、本来なら過剰な賛辞を呈するはずのこの作品に対してなぜわたしがあえてノートのようなもの言いをしているかが、まったくわからなかったらしい。
が、それもノートへの正当な反応であり、そういう反応をただちに載せ、それに対する再反応もできるところが、インターネットの活字メディアとの違いだと思う。インターネットは、新聞のような、あとからの「訂正」は出せても、それを読者が読むかどうかはわからない一方通行のメディアとは根本的に違うわけだが、この人はそれがわかっていない。だが、もしそれがわかったいると、わたしのイディオシンクラティックな(ありていには「勝手きわまりない」)ノート(この語には、「覚え書き」のほかに、声の調子、語気、旋律などの意味もある)に対し、「それもありか」と思い、あえてクレームを書いてくるようなことにもならないのかもしれない。その意味では「旧メディア人」に感謝である。
映画を完結されたものとして考え、それについて語るものには、「正論」か「誤謬」しかないとみなすのは、活字に毒された考え方だ。活字メディアでも、いつどこで読んでも同じなどという性格はない。メディア環境次第でその意味が変わる。それが、映画→電子映像・情報となるにつれて、その度合いが高まる。わたしの「シネマノート」は、そういうまさに電子メディア的な一回的な「揺れ」を記述する場であり、「客観的」な「評価」などというものを掲載する場所ではない。
だから、勝手なことを書けるし、読む方も勝手な使い方をすればいい。「入鹿野」氏は、「粉川哲夫氏も困ったものだ」という言い方で、「老害」(「年寄りの冷や水」)を示唆しているようだが、ボケ老人のくりごとでも、回顧話でも、与太でも形できるのが、インターネットのポジティブなところだと思うが、どうか?
http://cinemanote.jp/readers/20061009irukanotanku_coment.html


2006年 10月 06日

●教室を教室でなくする「身体表現ワークショップ」再開

このシリーズの初回に今野雄二さんを選んだのは、氏のラジオDJのりのレクチャーがこのシリーズのイントロダクションとして最適だと思ったからだ。期待にたがわず、氏は、マドンナからはじまり、『RENT』、『ステップ!ステップ!ステップ!』、『TAKESHI&.html#39;S』から『ニキ・フォル』や『弓』などの新作映像まで駆使しながら、ジェンダー・カルチャーの本格的レクチャー・パフォーマンスを披露。
全体のスケジュールを見せていなかったのに、氏は、来週のタップ(平田夫妻)や舞踏(吉本大輔・岩名雅記)、パフォーマンス(イルリメ)、サウンド(アストロ)などをちゃんとイントロしているのだった。感謝。
http://anarchy.translocal.jp/TKU/shintai/


2006年 10月 05日

●『父親たちの星条旗』を見た

ゼミの日。今日が後期の初日。前期とはおもむきを変え、参加者一人ひとりが映像作品を作ることにする。基本は、分業を廃すること。もう、「個人」でも単位として大きすぎることがあらわになった時代だ。「個人」のなかの無数のミクロな分子的「自我」(もう「我」ではないが)をあらわれるままにあらわすこと。しかし、グループ単位で制作したいという希望者が8割だった。
駅に走り、銀座へ。1時間もまえに行ったが、相当の人。マリオンの階段で待つ。「どうも、どうも、了解でーす」とケータイで営業をやちゃっているツワモノ、口をへの字に結んで立ったまま原稿を書いている巨匠、放心したように階段に座り込み、虚空を見つめている人、ふとまえのほうを見たら中俣真知子さんがいた。
映画は、クリント・イーストウッドの二部作の1本だが、かなりいい。このような規模の映画を作ること自体が「戦争」なのだが、硫黄島せの戦争に関しては鋭く異化している。日米戦でアメリカが勝った→よかったという話ではないだけでなく、戦時下にある現ブッシュ政権のアメリカでこのような映画を発表する意義がつたわる映画。
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2006年 10月 03日

●『センチメンタル野郎』を見た

フィルムセンターで開かれるオーストラリア映画祭の先行試写だが、1911年にオーストラリで作られ、公開されたこの無声映画には、その後のハリウッド流ボーイ・ミーツ・ガール映画の基本フォーマットがつまっている。オーストラリアからこの日に来日したミュージシャンによる音楽・ボーカル付で往年の無声映画上映を「再現」したが、ちょっと音楽がうるさく、わたしとしては、無声で見てみたかった。
終わって7階にパーティが用意されていたが、試写会では透明人間でいたいわたしは、早々に退散。
仕事場に帰り、なぜか『イギリスから来た男』を見たくなり、一気に見通す。
http://cinemanote.jp/


2006年 10月 02日

●「表現と批評」という講義初日

「講義」はわたしにとって、パフォーマンス公演と等価。公演のつもりで準備し、現場におもむく。機材チェックと素材設定のため、早々と現場へ。相当時間をとっても、必ずある機器のトラブル。それを回避するには、なるべく自前の機器を持って行くにかぎる。この日も、YouTubeやVeohなどの「動画共有サイト」(というそうだ)からダウンロードしたファイルの表示でコーデックのトラブル。
動画共有サイトの増大という最近の現象は、確実にマスメディアの状況を変えつつある。「送り手と受け手」という(もともと欺瞞的な)セット概念が完全に瓦解した。すべてが「送り手」になる。もはや誰も「受け手」にはならない。送信と受信が一体化したので、別の概念が必要だ。
こんな話をVJ風にしたあと、ミック・ジャクソン監督の『ライブ・フロム・バクダッド』を見せる。湾岸戦争時のCNNの成功物語だが、マスメディア自体が戦争システム(「戦争機械」)なのだということを知る素材にもなる。