「シネマノート」  「雑日記」


2006年 08月 31日

●『ザ・センチネル』を見た

大分まえから試写があったが、アメリカでの批評がいまいちなのであとまわしにしてきた。最近、アメリカでは、現状に批判的な傾向のある作品に対する評価がよくない。どこか奥歯にものがはさまったような批評が出る。で、見てみると、こちらの目には、意外とよく出来ていて、何で評判が悪いのかと思うことが多い。
この作品も、案の定、決して悪くはなかった。けっこういい。『24』と似た設定でありながら、キーファー・サザーランドよりもマイケル・ダグラスに焦点が置かれていることに不満の向きもあるようだが、ダグラスは「ジャック・バウアー」を演じているのではなく、彼の年令相応の屈折した役を演じており、それがこの映画のメインのストーリーなのだ。
映画がエンドクレジットに入ったとき、いきなり直下型の地震。わたしは、ここへ来るまえ、アメリカが昨日、地下核実験をやったニュースを知り、ひょっとしてその余波で9月には大地震があるのではないかと思ったので、来たなという思いがした。
地下核実験(臨界核実験)は、アメリカだけでなく、核保有国はみなやっている。地殻を刺激して、それが地震を誘発しないという保証はない。一度、地震の発生と地下核実験との時期比較をやってみたい。


2006年 08月 30日

●『スキャナー・ダークリー』を見た

いまいちばん居心地よく映画を見ることができる試写室はワーナーのだと思うが、夏の月末のせいか、客の数は少ない。フィリップ・K・ディックの原作(『暗闇のスキャナー』)を、『ウェイキング・ライフ』のリチャード・リンクレイターが、同じ「ロトスコープ」というスタイルで作り上げた作品。映像は面白かったが、姿勢が意外と「モラリッシュ」な方向に行っているような気がした。
あまり時間がなかったが、試写後、新橋から末広町まわりで秋葉原へ。2日まえに来たばかり。今日は必要があって来た。スペアナが完成したので、それを入れるケースを探すためだ。
麗々しいケースは売っているのだが、数百円で売っている(いまは使われていない)モデムのケース部分を流用するのもいいなと思い、店先のジャンクを物色したが、ひところとくらべて極端にジャンクものが少なくなっている。一説では、ジャンク品を東南アジアや東欧でさばくルートがあるらしく、かつてごろごろしていたSGIのワークステーションなども、目方でそちらに運ばれ、秋葉原からは姿を消した。


2006年 08月 28日

●スペアナ

とは、ここでは、高周波を映像化するスペクトル・アナライザーのことだが、わたしは久しくスペアナを持つことが夢だった。が、10数年まえの製品を中古で買っても数十万円はし、しかも図体が大きくて重いというと、二の足を踏んでしまう。無線の電子回路を組んでいる人はたいてい同じ思いをしていると思う。スペアナは高嶺の花なのだ。
ところが、数年前、この難問を愛知在住の青山秀治氏が解決した。映像を表示する部分をパソコンにまかせ、そのインターフェースを3万円ちょっとのキットで売り出したのだ。それは、世界的に見ても画期的なことだった。以後、改定をくりかえし、いまではV.4になり、サイズもコンパクトになった。
http://park7.wakwak.com/~gigast/
無線の実験や研究をやる者にとって、スペアナがあるかないかでは大違いである。送信機を作っても、どんな電波が出ているかは、受信機で聞いたり見たりしただけでは、十分には判別できない。わたしの場合、電波によるパフォーマンスの装置を作るのにも、大いに役立つ。そんなわけで、ようやく手にしたスペアナの具合をあれこれテストし、この数日、試写もなかったこともあり、スペアナにはまりきりの日々が続いた。


2006年 08月 25日

●なかったはずの時間

ドタキャンというのは癖になる。悪い癖で、会議やイヴェントに参加するのを引き受けてから、依頼者がテーマや機材の詳細についてプロンプトリーな打ち合わせを繰り返してくれないと、急速に熱が冷めてしまう。それは、誰でもそうだと思うが、そういう「私情」に耐える余裕や礼儀がわたしにはない。
ジョエル・シューマッカーがうまいことを言っていた。別れるかどうか迷ったら、別れることを選ぶべきだ、なぜなら、もし本当にハッピーだったら、そんなことは考えないだろうから――というのだ。
あとの責任を考えろという向きもあるかもしれないが、自分で企画し、依頼者になったイヴェントでの経験から考えても、いやいや来てくれたゲストが意外によかったというためしはあまりないのだ。やばくなったらすぐやめる――これがいい。
というわけで、ラトヴィアであくせくしているはずの昨日から来週までの数日が、ぽっかり空き、「自由時間」を獲得することになった。こういうときは、ふだんできないことをしようと思い、時間がなくて手をつけられなかったスペアナの製作に没頭することにする。
中枢部は出来上がっており、あとは100個ほどの部品を半田付けすればいいのだが、自分が設計した回路ではないので、原理がさっぱりわからず、ただ配線図にしたがって部品を取り付けることに終始する。これじゃ、自由時間のなかで自分を不自由のなかに閉じ込めることになるなぁと思うが、そのあとに来るであろう「自由」を夢見て、ひたすらその「労働」にはげむ。


2006年 08月 24日

●『出口のない海』を見た

くりかえし書いているが、1980年代をさかいに、日本語の発音が変わってきた。しかし、現代よりも昔の時代に時間設定されたドラマでそういうことを意識した演出はほとんどない。この映画では、「古典的」な発音の環境のなかで育った市川海老蔵だけが、1940年代の日本語として聞いても不自然ではない発音をしているのが印象的だった。
夜、久しぶりに菅居浩志と会い、歓談。いつもプロ用のワークステーションばかりさわっている彼が、エッジやミニパソコンのマニアであることを発見し、意外であり、かつ納得。つられて、AIR-EDGEを衝動買いしそうになったが、プロバイダーとPHSの契約がコミになっているあざとさに反発し、ふみとどまる。


2006年 08月 23日

●『アキハバラ@Deep』を見た

「アキハバラ」であれ「秋葉原」であれ「アキバ」であれ、あそこへ子供のころから通いつめている者からすると、興味を引かれる。で、どうだったかというと、アキバに関しては、風景として使っただけで、内容は、10年遅れた『バトル・オブ・シリコンバレー』(マーティン・バーク)といった感じ。
夜、新宿で土井伸一郎さんらと会うまで多少時間があったので、秋葉原へ。秋月電商で高周波コネクターなどを買う。
ローカルで、かつグローバル(つまりはトランスローカル)なこの街を生き生きと描いた映画は出ないものか? そういう点に関しては、『アキハバラ@Deep』よりも、まだ『電車男』の方がよかった。


2006年 08月 21日

●『ワールド・トレード・センター』を見た

10日によみうりホールであった「完成披露試写」には、映画のモデルになったニューヨーク港湾警察の元係官のウィル・ヒメノが舞台挨拶をしたらしいが、わたしは、ほかにコミットメントがあり、行かなかった。
「左翼」で「陰謀理論」が好きなオリバー・ストーンはどこへ行ってしまったのだ、という批判も聞こえるが、予想したよりは悪くない。虻蜂取らずになりかねないテーマを処理した手並みは、彼が単なる「観念野郎」ではないことを示す。隣にいた女性などは、涙を手でぬぐいきれなくなり、ハンカチを出し、目にあてどうしだった。ただ、これだと、「ワールド・トレード・センター」というタイトルにする意味があったかどうかは議論の分かれるところ。
http://cinemanote.jp


2006年 08月 19日

●トランスローカルなつきあい

以前、ヴァイマルのバウハウス大で教えた学生からメール。何度も行っているので、どのときの学生かわからないのだが、わたしのワークショップに参加した女子学生が、いまメルボルンにおり、近くニューカッスル(オ-ストラリア)で開かれる&.html#39;This is not Art&.html#39; (http://thisisnotart.org/)というフェスティヴァルに送信機を使った作品を出したいので、送信機についての質問を送ってきたのだった。
こういうことがよくある。顔は知らないが、メールでつながっており、メールでフェイス・トゥ・ファイスの関係以上に親密になったりもする。ドタキャンしたラトヴィアのリガのフェスティヴァルに呼ばれたのも、そうしたトランスローカルなつきあいの結果だった。
今後は、こういうつきあいがどんどんあたりまえになっていくだろう。
http://radiostudio.org/2.0/publics/educators/educators.php


2006年 08月 18日

●『16ブロック』を見た

ブルース・ウィリスは、歳のとり方をマスターした。近年の味のある演技はすばらしい。彼は、少なくとも演技のうえでは、中年と老年とのボーダーをうまく越えた。
髪が薄くなり、視力がおぼつかなくなってきたとき、人(特に男)は、年令のボーダーをどうこえるかという難問にぶつかる。老いをわざと無視して、若づくりを気取るのも一法だろうが、長くは続かない。三島由紀夫のように、そういう事態に直面するのを予測して、早々と老年をシャッタウトするのも一法だろう。彼の自己意識にとって、その瞬間は、おそらく、彼の人生で最もカッコいい一瞬だっただろう。しかし、他者には、そうではない。新聞に載ったあの首は、醜悪というより、哀れだった。いや、話が変な方に行ってしまった。
http://cinemanote.jp/


2006年 08月 17日

●『ダーウィンの悪夢』を見た

なるほど、これは「悪夢」だ。かつてサルトルは、世界の政治は人間の神経組織のように連携しており、脳に一部で内出血が起これば、全身が麻痺してしまうというようなことを言っていた。アフリカダンザニアのある湖畔で起きていることが、日本にもレバノンにもつながっていることをこの映画は教える。
食であれ、商品の購入であれ、その質の「向上」を目指せば目指すほど、わたし各自の欲望・欲求が家庭を、地域を、そして地球を破壊することへ向ってしまう。「この味は最高」とか「この製品は抜群」などということが価値であるかぎり、この破壊は亢進せざるをえないとすれば、「平均値」に甘んじるライフスタイルがどこかで再導入されざるをえないのかもしれない。
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2006年 08月 12日

●遅れをとりもどす

シネマノート8月号の未完成ノートを書く。快調。猛烈な数のジャンクメールに腹が立ち、ヘッダーを調べると、その多くが、メールサーバーのポート25番へ直接入る偽装送信だった。
http://cinemanote.jp


2006年 08月 11日

●『暗いところで待ち合わせ』を見た

乙一の原作の映画化。見ているうちに、原作を読んでみたい気にさせる。それは、成功なのか失敗なのか? いずれにしても、田中麗奈は抜群にうまい。
http://cinemanote.jp


2006年 08月 10日

●メディア哲学者?

プラハのFAMU (http://www.amu.cz/) のディレクター、ミロス (Milos Vojtechovsky)は、わたしを "media philosopher" と呼んだが、それに値する実績はないとしても、わたしがやっていることはそんなことだと思う。ちなみに、英語で "What do you do?" と訊かれて、"I am a philosopher"と答える人がいるが、これを日本語に訳すと、「わたしは哲学者です」となり、それを聞いた者は、「マジかい?」と思うだろう。日本語の職業名とりわけ「哲学者」や「文学者」は、公的な実績がともなわないと使えない。これは、英語の文脈ではちがう。実績は別として、そういうことをやろうとしていれば、「哲学者」であれ「芸術家」であれ、そう名乗れるのだ。
今日、わたしは、テレビの送信機を作りながら、メディア哲学をした。電子回路に関しては、単純が複雑に優るを信条にしているが、テレビ送信機でもそう思う。が、あと一歩何かがたりない。むろん、わたしの修行が。
http://anarchy.translocal.jp/microtv/index.html


2006年 08月 09日

●『トンマッコルへようこそ』を見た

涙ものへの傾斜を批判した韓国映画だが、『トンマッコルへようこそ』は、韓国映画でなければ描けないテーマを追求した傑作だった。しかし、これは、2005年の作品。2006年の作品はあまりいいようには思えない。
http://cinemanote.jp/


2006年 08月 08日

●ドタキャンと言い訳

教師をしていると、学生の欠席の言い訳というのを聞かされる。が、はたして欠席に理由は必要なのだろうか? 「どうして休んだの?」などという詰問はしないのだから、何も言わなくていいのだが、「体調不良で休みました/休みます」とかいうのを最多として、理由が必ずつく。「なんとなく出たくなかったから」というのはない。
かく言うわたしも、引き受けた会議への出席をドタキャンするときには、何か理由をひねりださなければいけないという脅迫観念につきまとわれてきた。が、近年は、はっきりと、「something wrong with meなので出られなくなった」というような言い方で、ドタキャンをするようになった。
今月の24日から26日までラトヴィアのリガで開かれる「第8回国際ニューメディア・アートフェスティヴァル」(http://www.rixc.lv/waves/) の招待を受け、こちらがやるパフォーマンスとパネル・ディスカッションとワークショップの予定まで決まってしまったが、先月末ぐらいから、行く気が失せてきた。わたしを待てよという気にさせたのは、それが、「普通」の会議であり、しかも1996年にイギリスのサンダーランドで開かれたラディオアートの会議の面子とほとんど同じ(ハイディ・グルントマン、ダグ・カーン、スキャナー、そしてわたし)であること、参加者の多くが、避暑をかねて来ることが想定されていることであった。
キュレイターのラサ・スマイトと打ち合わせをはじめた段階では、わたしはそういう印象をもたなかったので、招待を受けた。"WAVEWS"(波・電波・波動)というタイトルも悪くないと思った。しかし、だんだんに、規模が拡大していることがわかった。登場する面子も金太郎飴であり、わたしも過去にやったことの繰り返しを披露することが求められた。こうなると、もうダメである。
わたしは、原稿などでもそうだが、自分が思ってもみないテーマや試みへのチャレンジを求められるのを最も好む。同じことをやってくれという企画には憎悪を感じる。
今回、気分がだんだんネガティヴになっていたとき、さいわいなことに、ちょっとした傷を負い、手術をしなければならなくなった。早速ラサにメールを書いた。糸を抜くまで2週間かかるので、今回は辞退した方がよいと考えると。
しかし、敵もさるもの。インターネットのストリーミングでの参加を要請してきた。
http://www.rixc.lv/waves/en/performances.html


2006年 08月 07日

●『サッド・ムービー』を見た

今日の暑さは半端ではなく、いつもは上着がいる会場(希望者のために毛布が用意されている!)でも、その必要がなかった。微調整の利かない旧型の冷房システムだと、外が暑い日は、室内が猛烈寒い。しかし、その外気温があるレベルを越してしまうと、そうはいかなくなるらしい。
泣きを売りにした韓国映画があとをたたないが、こういう見え見えの泣かせテクニックで作った作品が出てくると、韓国映画の先が思いやられる。
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2006年 08月 05日

●シネマノートの7月号完成へ

フランス在住でシネマノートを愛読してくださっているイイダエツコさんから長文のコメント。みな、「追記」で追加したいような濃い内容。ヒット数は多いが、こういうサイトをやっていて一番ちからになるのは、コメント。たとえクレームや批判でも、書きつづける気力をあたえられる。
昼間から夜の時間を使い、7月に見ながら、「ノート」を完成していなかった部分を書く。実は、まだ6月分で、『40歳の童貞男』と『サイレントヒル』が未完のままだ。いや、5月の『レイヤー・ケーキ』と『さよなら、僕らの夏』も未完。
ほかにもやり残したことが山積みなので、この分では、ラトヴィアの会議はドタキャンせざるをえまい。
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2006年 08月 03日

●『イカとクジラ』と『不都合な真実』を見た

ニューヨーカーならわかるかもしれないが、わかりにくいタイトルで損な『イカとクジラ』。話は、両親の離婚で混乱を起こす兄弟のスケッチ。ここでも、映画は、父親をかばっているのが、今流か?
「一瞬だけ大統領になりました」とジョークを飛ばしながら地球温暖化の危険を説くアル・ゴアの見事なプレゼン仕方を目の当たりに出来る『不都合な真実』。スティーヴ・ジョブズはプレゼンのうまさで世界を支配したが、ゴアはどうか?
キオスクのスポーツ紙広告に昨日の亀田興毅の試合を揶揄する文字。しかし、亀田兄弟のボクシング・イヴェントは、一種の「トゥルーマンショウ」であり、彼らが幼児のときから準備され、着々と企画された見世物試合(ビッグビジネス)であることが忘れられている。問題は、その規模を今後どこまで広げられるかだ。『シンデレラマン』にも似たようなシーンがあったが、亀田を「うっかり」ダウンさせてしまったランダエタは、あとできつくしかられたかもしれない。


2006年 08月 02日

●『サラバンド』を見た

早く見たいと思っていたが、五反田のイマジカという場所と時間とのおりあいがつかず、大分時間がたってしまった。デジタルハイビジョンでの上映を前提として作られた作品なので、イマジカで見るのが最上だったのだが、映画美学校での試写は、それをダウンコンバートしたものからの映写。映像は、ビデオ並だったが、ベルイマンの重厚さは十分伝わってきた。さすが。まあ、家族の業を描いているような映画。このあともう一本という感じにはなれない。帰ってすぐにノートを書き、アップロード。
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2006年 08月 01日

●低気圧の谷間で

『枕草子』や『源氏物語』に「物忌み」という言葉がよく出てくるが、まあ、今日は「物忌み」状態。わたしの「物忌み」は、低気圧と関係があるらしく、調子が悪く、何もする気が起きないので、天気図を調べたら、関東地方は低気圧の谷間に入っていた。