「シネマノート」  「雑日記」


2006年 03月 31日

●「侍」がどうした?!

知り合いのDJが置いていった大量のレコードが場所をふさぎはじめたので、片付けようと、そのダンボールの箱をかかえたら、腰のなかで何かが切れた。以後、腰痛に悩まされ、身動きの不自由な生活をしている。
テレビのニュースで石原慎太郎が、民主党代表を辞任した前原誠司のことを「侍」だと誉めていた。最近は、「侍」を誉め言葉で使うのが流行だ。が、相手を「さすが侍だ」みたいに誉めるのは、自分が侍ではないからだろう。自分が侍だったら、相手を侍だとすることは、自分と同じ仲間だと言うのと同じで、相手を誉めたことにはならない。相手を侍だと言う以上、侍という概念が自分や他人より一段高いところに位置しているというのでなければなるまい。
これで思い出したが、 佐木 隆三の『深川通り魔殺人事件』にもとづく同名のテレビ映画で、大地康雄が演じる主人公が、警察の取り調べの際に、「俺は武士だ、さむれぇ(侍)だ。人を殺すことは何とも思わねぇ」とご意見無用の態度を取るシーンがある。この主人公は、「百姓」の出身なのだが、いつのまにか自分が「武士/侍」だと妄想するようになる。彼にとって、侍は、人間の理想的モデルであるわけだが、それは、彼が侍ではなかったということによってそうなるのである。
侍は、帯刀しているわけだから、非武装の人間にとっては危険きわまりない。が、同時に、それは、あこがれにもなる。だが、侍自身は自分らの階級をどう思っていただろう? 帯刀していれば、同じ侍から攻撃をしかけられる可能性を持つ。時代劇が描く侍の仏頂面は、そういう緊張感とやせがまんの産物かもしれない。時代にもよるが、武士が武士であることに満足していた時代はあまり長くはなかったのではないか?
ところで、大地康雄のせりふ流に言うと、もし前原が侍だとすると、彼は、「人を殺しても何とも思わない」人間なのだろうか? そして、石原慎太郎は、「人を殺しても何とも思わない」ような階級をよしとする人間なのだろうか?
2006年 03月 30日

●英語教育と攻撃性

英語教育を小学校から必修にするという。でもねぇ、日本って、英語に関しては「早期教育」をやっている国じゃない? 街の看板にもテレビのCMにも英語が「氾濫」している。が、そのわりに英語のうまい人はすくないのはなぜだろう? かく言うわたしも、英語とのつきあいは何十年にもなるのに、その実力はなさけないの一語につきる。
一番の問題は、日本語と英語との基本構造の違いだろう。日本語というのは、「て」「に」「を」「は」の関連構造だけつかめば、その間にどんな言葉と突っ込んでも「日本語」にしてしまうような、したたかで、かつ、閉鎖的な言語だ。「ミーはメールをパソコンでチェックする」は立派な(でもないか)日本語だ。おまけに、「パソコン」のように、意味とは無関係に語を短縮して単なる指標にすることができる。だから、単語を並べて、「て」「に」「を」「は」のたぐいを付ければ、日本語として通用するわけだ。「イッツ・ストゥーピッドね」でも日本語なのだ。
しかし、英語がうまくならない最大の原因は、日本で生まれ、日本で育つなかでつちかわれる文化の違いである。日本には、英語をささえるある種「アグレッシブ」で明示的な文化が弱い。
英語の場合、文法や単語以前に、ある種の勢いというか身ぶり性というか、何か言語外的な要素が重要な気がする。単語と単語との関係を単語外のもので明示するのだ。日本語なら、「酒」と無表情で言っても通じるが、英語では、バーのカウンターならいざしらず、最低限アクセントで酒をどうするのかを指示しなければならない。
日本語をしゃべるとき、いちいち相手の目を見る必要はないし、むしろ、日本語は目を見ないでしゃべる言語だが、英語は違う。じっと見据えなくても、必ずどこかで目と目とのあいだで信号を送りあい、そうすることによって、誰が何をを暗黙に指示するわけだ。
小学校で必修になる英語教育では、ちゃんと相手の目を見てしゃべるなんてことを最初に教えるのだろうか? 相手の目を意識すれば、日本語的には相当アグレッシブになるが、アグレッシブであることが普通であるのが英語なのだと考えた方がいい。
したがって、英語教育とは、アグレッシブを推奨する教育である。英語がうまくなるには、英語学習の時間の外でもアグレッシブになる必要がある。大阪人の英語が通じやすいのは、これと関係があるような気がする。逆に言えば、まずアグレッシブで「矢沢栄吉」風の大げさなゼスチャーをマスターすれば、英語はあとからついてくるということだ。
日本の政治家や皇室の人が海外で英語スピーチする映像を目にして思うが、英語圏の聴衆には彼らが言っていることの半分以下しか通じないのではないか? というのも、その発音や身ぶりがえらく「おとなしい」からだ。その点、ふと、かつて見たニュース映像を思い出したが、国際連盟脱退を宣言する松岡洋右の演説とか、ジャワ島の英軍に無条件降伏を迫る山下奉文の英語は、確実に相手に伝わったと思う。それは、彼らの英語がうまかったからというよりも、まず第一にアグレッシブであったからだ。
だから、今後、英語教育が成功するならば、日本人は相当アグレッシブになるだろう。ならざるをえない。それは、けっこう味気ない結果を生むかもしれない。


2006年 03月 29日

●『ロシアン・ドールズ』と『ディセント』を見た

地下鉄麹町駅を降り、どこかなじめない通りを下って角川ヘラルド試写室へ。ロシアン・ドールズとは、表はゴルバチョフだが、なかを開けるとブレジネフ、そのなかは・・・、で最後にレーニンが出てきたりといった「マトリョーシュカ」人形のこと。が、この映画では、自分が現在つきあっている女は、所詮「ロシアン・ドールズ」の一体にすぎないのではないかということが含み。そしてそれで行くと、その「芯」つまり「理想の女」を求め続けるようなことになるから、もうやめようというわけ。映画としては面白かったが、タイトルは、わたしには、イマイチわからない。だって、「マトリョーシュカ」人形は、順に開いて行けば、確実に「芯」の人形に行き当たるわけで、そんなら、心配することはないではないかと思うからだ。
地下鉄で有楽町に出て、JRで新橋へ。「ヨーロッパ全土を震撼させた」という『ディセント』を見たのだが、先日行ったヨーロッパでは、全然そういう噂は耳にしなかったのは、別として、この映画への評価には、日本にいるとちょっとわからない何かが介在しているような印象をおぼえた。はっきりいって、わたしが吸い込んでいる日本的感覚では全然怖くないし、面白くないのだが、なぜか「インターネット・ムービー・データーベース」などの評価が高いのである。「シネマノート」で分析してみよう。
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2006年 03月 28日

●『インサイド・マン』を見た

さすがスパイク・リー。「銀行強盗」をテーマにしながら、単なるサスペンスやクライム・ストーリなどではなく、もしあなたが「銀行強盗」や「ハイジャック」をしたりするときには確実に「役立つ」であろうようなアイデアとサジェスチョンが満載の映画を作った。
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2006年 03月 27日

●『僕の大事なコレクション』を再見し、『雪に願うこと』を見た

劇場パンフに書くためといっても、2度見ることはないが、『僕の大事なコレクション』は、シネマノートでかなり書いてしまったのと、とにかくもう一度見たい気がして、新橋まで足を運ぶ。大分あたかかくなった。
見まちがっていた部分もわかったが、今回は、ボリス・レスキンとラリッサ・ローレットの演技により一層感動した。人はなぜ記録を残したり、ものを集めたりするのか? 映画は応える――いつか、ひょっとして誰かがその人やそのことを思い出したいと思ったときのために。日記なんていうのも、そういうものなのかな?
根岸吉太郎の新作『雪に願うこと』は、伊勢谷友介、佐藤浩市、小泉今日子などなど、そこそこの俳優を使いながら、「ばんえい競馬」のように、そのテンポに入れ込めない者にはえらく退屈な作品だった。小澤征悦は、ちょい役ながら、光った演技をしていた。この人、どうして、もっと主役級の抜擢がないのだろう? 国際的にも、渡辺謙なんかよりもいい仕事ができると思うのだが。
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2006年 03月 26日

●シネマノートの遅れをとりもどす

大分まえから「いま見たばかり」というキャッチフレーズが消えたように、試写を見たその日にシネマノートを書くことは毎回はできなくなった。書きなぐりなのだが、だんだん量を書くパターンが出来、数行では、ブラウザ上の「美的」バランスがとれないと思うからである。とにかく数行書いて、【未完】とか【続く】とか書いたこともあったが、そうすると、たいていの場合、それで終わってしまうのだった。それを避けるために、ある分量(牛のよだれ?)を一息で書けるときまで、空白にすることにした。
技術的なやり方は、まずエディターで文章とある程度のタグをタイプし、文章が出来上がったら、画一的なタグをエディターの置換操作で書き込む。写真は、どこかから「予告映像」を探してきて、それを見ながら、好きなところを静止画にキャプチャーする。ときどき、わたしのページのショットをそのまま流用しているサイトを見かけるが、それがすぐわかるのは、わたしがキャプチャーしたのと同じショットが生まれる確率は非常に低いからだ。むろん、わたしは、アンチコピーライト主義者だし、こちらも「盗んで」いるのだから、自由にやったらいい。いっそのこと、文章の方もどんどん盗み、自分の名前で本にしてくれたら、こちらの楽しみも増える。 アンチコピーライトというのは、それぐらいのラディカルさをもってしかるべきだと思う。
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2006年 03月 22日

●『ココシリ』と『嫌われ松子の一生』を見た

1990年代に起こった事件にもとづく『ココシリ』は、チベットカモシカの密猟者を見張る私営パトロール隊の話。コメントがないと、迫力のあるハードボイルド・サスペンスという感じ。
『嫌われ松子の一生』は、凡百の邦画監督が逆立ちしてもかなわない「天才」の作品。が、2度見たら、意見が変わるかもしれないかも。
夜、仕事もせずに、くだらぬプログラミングまがいのことをして時がたつ。まだ本調子ではない。


2006年 03月 18日

●鈴木志郎康さんの「退職記念映像展」に行けなかった

『極私的に遂に古希』で語っておられたように、今年で多摩美を定年退職された鈴木志郎康さんの「退職記念映像展」があったのだが、調子が悪く、行けなかった。折りしも、発達する低気圧が近づく。
創造的なことはできないので、コンピューターをいじっているうちに、古いフォールダーのなかに、WindowsマシーンからLAN経由でNeXTのプリンターを使うリモートプリンターのドライバーを発見。以前、きまぐれに試みたが、うまくいかないまま放置しておいたもの。暇にあかせて、NeXT側とWindows側の設定を書き込んでいるうちに、ばっちり起動。わたしは、手元には、NeXTのプリンターしか置いていないので、Windowsマシーンの文書をプリントアウトするときは、NeXTに一旦送り、それからファイルを変換してNeXTでプリントしていた。それにしても、1989年製のNeXTは一向に古びない。


2006年 03月 17日

●『フーリガン』を見たあとアキバへ

ロンドンの「フーリガン」のグループの話だが、いまの時代の集団性の問題を考えさせた。孤立か協同かといえば、協同なのだろうが、それが「フーリガン」のような形にならざるをえない時代の宿命のようなものが出ている。
7時半のアポまで時間があったので、京橋から地下鉄で末広町へ。アキバの街を遊歩。昔、SGIの掘り出し物をよく見つけたUNIX本圃に久しぶりに行ってみたら、客は全くおらず、ほとんど店売りは考えていない風情の店に様変わりしていた。
先日櫻田さんから、スペアナのインターフェースを秋月電商であつかっているときいたので、店で尋ねたら、「スケアナですか?」とトボケた返事。「スケアナじゃなくて、スペアナ、スペクトルアナライザーのことですよ」と説明したら、その若い店員は、「わかんない」と小声で隣の店員に言い、ちょうど外国人から非日本語で話かけられたときのような反応をする。その様子を聞いていたすこし年配の店員が飛んで来て、「もうあつかってないんです」と二重にすまなそうな顔をした。秋月といえば、電子機器のことなら何でもよく知っている店員がいるので有名なところだったが、時代の変化か? アキバも大いに様変わりしたから仕方がないか?
むかし万世橋署があった通りに計測器の専門店があるのを思い出し、行ってみる。さすが、中古のスペアナがずらりと並んでいるが、最低でも10万、上は100万もする。しばらく店内を物色していたら、「何をおさがしでしょうか?」と声をかけられた。見ると、その昔、あのUNIX本圃で店長をしていたI氏ではないか! まあ、アキバではこういうことはよくある
2006年 03月 16日

●『プルートで朝食を』を見た

新宿で用事を済ませて、新宿線→有楽町線で東京国際フォーラムへ。といっても、大きな試写ではなく、D1ホールでの上映。最終的に8割方席が埋まったが、途中で出て行く人もいた。ゲイというより「オカマ」が主人公だからだろうか? が、『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』ほどではないが、かなり面白かった。
終わって外に出たら驟雨。まだ開いていたので、向かいのビックカメラに飛び込む。閉店まで館内を物色。雑品と泡盛を買う。


2006年 03月 15日

●『STAY ステイ』を見た

久しぶりの20世紀フォックス試写室。ここの座席は後ろに傾斜するので、座りよい。スクリーンも若干高めで、まえに座高の高い人が座っても、隠れない。終わればあっけないが、スタイリッシュな映像が楽しめる。終わって、床に名刺かカードのケースが落ちていたが、後ろに押されて通路に進み、そのままになる。どうせ、試写室の人がチェックし、見つけるであろうが、あのケースの運命はどうなるのだろうか?
深夜、ベルリンのダイアナから、ブダペストの企画についてメール。アカデミックなコンフェランスなら、出ない、なぜならぼくは、"conference allergy" だから、と返事。


2006年 03月 14日

●遠隔感染

「遠隔感染」という用語があるときき、ネットで調べたが、日本語では大した記事は出てこなかった。そこで、英語版のYahooで "remote infection" と入れたら、専門的な記事がかなり出てきた。日本では、東南アジアから鳥ウイルスが日本に入ってきて、伝染したりするのが「遠隔感染」だと思っている人がいるようだが、正確には、口腔に潜むウイルスがなんらかのかげんで腎臓障害をおこさせるとか、帯状疱疹のように、子供のときにかかった水疱瘡のウイルスが、神経のなかにひそんでいて、何十年もたってから急に作動し、障害を起こすというように、「遠隔」といっても、体内での空間と時間の「遠隔」を言うらしい。
ところで、コンピュータの世界では、"remote infection" というのは、どこかのサーバーが原因で、ネットにつながっているマシーンがウイルスにやられることを言う。が、この場合も、注意しなければならないのは、ネットでつながっているコンピュータというのは、同じ身体の部分と同じであって、そのなかでの空間的な距離は、決して地理学的な距離ではないということだ。むしろ、その距離は、コンピュータやネットの能力に依存するから、時間的な距離だと考えた方がいい。
帯状疱疹がいい例だが、場所は移動しはするが、同じ体内で長い時間のスパンで作動する(ある意味での時限爆弾)とき、問題は、何がその作動をうながすかだ。帯状疱疹の場合、疲れやストレスなどで免疫機能が低下するとそうなるとかいうが、聞くところによると、1日5千人に1人ぐらいの割合で帯状疱疹にかかるのだそうだ。その場合、わたしが関心を持つのは、何がその5千人をむすびつけているのかだ。ただの偶然か? 細胞生物学 (Molecular Cell Biology) は、このへんの問いに答えてくれるだろうか?
かつてわたしは、電話やネットで風邪をうつせるかという議論をしたことがある。病気にかぎらず、感情とか思考とかさまざまな人間の活動があたかもうちあわせたように同期することがある。それは、《レゾナンス》という概念で説明されることもあるが、すっきりしない。じゃあ、なぜ「共鳴」を起こすのか?
通常、コミュニケーションや感染は、「伝播」(ある地点から他の地点に音波や電波やウイルスが伝わること)ということで説明される。しかし、同じウイルスを浴びても病気になる場合とそうでない場合とがあるし、各症状も同じではない。また、同じ文章を紙に書いて人に渡しても、わかる人とそうでない人、わかるときとそうでないときがあり、わかっても読む人で意味がそれぞれ違うように、感染やコミュニケーションには、ある種「以心伝心」とか「暗黙知」とかのファクターがあり、それなしには、なにも「伝わらない」。
これは、ネグリが提起する「特異性」と「共性」(commonality)との関係の問題でもある。
そういえば、その昔、「エイズと〈伝染メディア〉の終焉」(『バベルの混乱』、晶文社)というたいそれた文章を書いたっけ。
https://cinemanote.jp/books/baberunokonran/baberunokonran.htmll#4-3


2006年 03月 10日

●『ジャケット』を見て新宿へ

「ジャケット」というタイトルは、普通の「服」を想起させるが、映画の意味は、「拘禁服」という意味なのだった。
新宿に出て、最近『血染めの銭洗弁天』という小説を出した伊藤昌洋と作品社の高木有に会う。2人は学友であるが、わたしは、伊藤とはニューヨークで、高木とは彼が河出書房新社で辣腕編集者をしていたときに知り合った。
伊藤の小説は、汚れた金を洗い清める「銭洗弁天」を「マネー・ロンダリング」にひっかけたミステリー。なるほど、launderは、「洗濯する」、「洗う」という意味だ。
高木の案内で大久保の「くろがね」へ行く。ここは、その昔、井伏鱒二が贔屓にしていた店で、こういう渋いところを選ぶのが高木らしいが、その牡蠣鍋はなかなかうまかった。
床屋政談になり、アメリカの次期大統領に、伊藤はヒラリー・クリントンを、高木はコンドリーザ・ライスを「予言」したが、わたしが、この2人は絶対ならないと言い、紛糾。わたしが正しかったら、2人を「盛大」におごることでケリがついたが、アメリカの大統領は、いつも「ダークホース」がなる。
日本の次期総理では、わたしの竹中説に、頑固な高木が賛同。これは、どのみちいまの小泉路線は竹中のシナリオだという認識にもとづいている。これは本当だろう。小泉は竹中総裁を実現したいところだし、グローバルな支配層もそれを望んでいるが、表は福田にして、竹中院政ということもある・・云々。
「それにしても、竹中に反対する人はみんな<闇討ち>される」
「植草一秀なんかもそうじゃないの?」
「じゃあ、堀江はどうだったの、あれは竹中も推してたでしょう」
「だからさ、堀江は、最初は竹中の枠のなかで動いていたんだけど、その枠を越えちゃったんで、やられたんだよ」


2006年 03月 09日

●『親密すぎるうちあけ話』を見た

パトシリア・ルコントのひねった「大人」のラブストーリーを見たら、ホテルのバーのようなところでちょっとワインを飲みたくなった。映画のなかにもワインが出てくるが、そのためではなく、映画の雰囲気がワイン的なのだ。が、外に出て、新橋の雑踏を見たら、その気分がふっとんだ。
仕事場にもどり、ガタリのテープをコンピュータに取り込む。1980年10月18日という日付のあるそのカセットを聴くと、彼が、いまネグリが『マルチチュード』などで言っていることの概略をガタリがすでに言ってしまっていることに気づく。むろん、そのあとネグリはパリに亡命し、ガタリといっしょに仕事をすることになるのだから、あたりまえだが、ネグリは、少なくともその後15年ぐらいは古い要素を引きずっていた。それが、近年、どんどんガタリに近づいている――というより、いまガタリが生きていたら言うであろうようなことを言うようになったのは、面白い。
ガタリの甲高い声を聴きながら、彼がネグリと書いた草稿や、獄中のネグリからもらった手紙などを引っ張り出して見ているうちに、色々な思い出が浮かんできた。ガタリのテープは、いずれわたしのサイトにアップしよう。


2006年 03月 08日

●初めての狛江

その昔、鶴川まで毎週通い、小田急線の沿線に住んでいたこともあるのに、狛江で降りたことはなかった。「狛」は、朝鮮語で「神」を意味する「クミン」と関係があるらしい。「狛犬」は神犬=犬神だ。「狛」の「江」なんて、カルチャラル・ミックスのディープな印象をあたえる。だから、今日は少し狛江を探索してやろうと思ったのだったが、そうはいかなかった。「早起き」できなかったのだ。
狛江駅で納富貴久男さんと待ち合わせ、レディオ・テクニカの櫻田一郎さんにお会いする。2人とも超多忙なのだが、東経大の企画の相談のために時間をとってもらった。が、そちらの話はすぐに終わり、「電子的モノづくり」の話で盛り上がる。いや、盛り上がったのはわたしの方だけだったかもしれないが、電波や無線は、いま、アートとの関係でも一番面白いし、トレンディだと思うのです。


2006年 03月 07日

●『戦場のアリア』を見た

四谷駅から新宿通りを歩き、角川ヘラルド試写室へ。上智大学の横の細い道を下ったが、昔の記憶では坂下までもっと距離が短かったような気がする。その道の幅は変わっていないはずだが、まわりに高い建物が林立したので、そう感じるのか? いや、このあたりは昔は住宅街だった。ビル街を歩くのと、住宅街や屋敷町を歩くのとでは、時間意識が異なるのはあたりまえだが、ビル街になると時間がよけいにかかるように感じられるのは、そのビル街がつまらないからではないか? とはいえ、帰りに文春のビルの方から新宿通りに出たら、四ッ谷駅まで往きの半分ぐらいの距離に感じられた。


2006年 03月 06日

●『間宮兄弟』を見た

そろそろ仕事場を離れようとしているところへ植草信和さんからメール。電話をかけ、夕方会うことにする。植草さんは、すぐにでも会えそうな感じだったが、こちらはこれから寝るところ。それにしても、7時すぎにオフィスに入るなんて、カルロス・ゴーン氏なみじゃない。
夕方、六本木で植草さんに会い、東経大企画の打ち合わせ。その後、アスミック・エースで『間宮兄弟』を見る。映画のトーンに一番フィットしていたのは、中島みゆきだけだったような印象。


2006年 03月 05日

●ガタリのテープ

ミラノのラディオ・ポポラーレのマルチェロから、わたしがむかしガタリにインタヴューしたときのテープを送ってくれというメール。
すでにブリュッセルのジャン=ポール・ジャケットが文字に起こし、私家版で出回っており、日本では、インパクション出版から『政治から記号まで』というタイトルで出ているが、その「原盤」を聴きたいという。
早速、カセットを探し出したが、はて、それをかける再生機がない。埃だらけの古機は何台かあるが、ヘッドも汚れていそう。ウォークマンがあったのでかけてみたら、ピッチがずれている。
近々ちゃんとした再生機をみつけて、CDに焼こうと思う。しかし、カセットは120分ので3本もあるのだった。


2006年 03月 04日

●オスロのダイアナ

ダイアナといっても、Confessions on a dance floorのダイアナではなく、ベルリンのメディア・アクティビストのダイアナ・マッカーシーだが、彼女からメールで、いまオスロで送信機ワークショップをやっているのだが、「質問がいっぱいある」という。すぐに返事をし、Skypeでも呼び出したが、応答がない。ワークショップで悪戦苦闘しているのだろうと思い、同情の念を禁じえない。
しばらくたって届いたメールでは、「政治アート」という講座をたのまれ、送信機ワークショップをやり、クラスにインスタント・ラジオ局を作ろうとしたのだが、すんなりとはいかなかったらしい。彼女は、わたしのワークショップに一回出ただけで、今度は教えるほうに回ったのだから度胸がある。というのも、送信機って、けっこう気難しく、微妙だからである。わたしも、何度か「恥」をかきそうになったことがある。
ダイアナがワークショップをやろうと決心したのは、部品が容易に手にはいることがわかったからだという。ふ~ん、オスロか。アムステルダムにもけっこういいパーツショップ (KinkerstraatのRadio Rotor) があるらしい。日本の秋葉原では、パーツショップがどんどん消えていきつつあるのに、面白い現象だ。


2006年 03月 03日

●Una Voltaへ

イタリアでしばらく修行をしてきた内藤隆さんが池袋に「ウナ・ボルタ」というトラットリアを開いたというので行く。
和風の店をイヌキしたので店内のデザインはオシャレとは言えないが、味は、おそらく池袋で一番だろう。金目のカルッパッチョ、サワラのコンフィのスパゲッティ、真鯛のアクアパッツは、どれも迫力があった。料金は、西麻布あたりの店の半値だから、苦労も多そう。
料理人って、客が味わうつかのまの感覚のために毎日毎日料理を作る。いんちきなアートに接するたびに、料理人を見習えと思う。


2006年 03月 02日

●『僕の大事なコレクション』と『ナイロビの蜂』を見た

両方ともなかなかの作品。映画を見たという満足感を味わった。
前者も後者も、これが「政治映画」でございというスタイルでないやりかたで、きわめて政治的な映画になっている。
『僕の大事なコレクション』の監督・脚本のリーブ・シュライバーは、俳優としては出演作が多いが、監督は本作が初めて。見事。
『ナイロビの蜂』は、あの『シティ・オブ・ゴッド』のフェルナンド・メイレレスだから当然としても、ブリリアントな作品。


2006年 03月 01日

●『ファイヤーウォール』と『君とボクの虹色の世界』を見た

海外のレビューを読んでいたので期待しなかったが、予想とおり『ファイヤーウォール』は、ファイヤーウォールとは無関係だった。でも、ハリソン・フォードは、ハリウッドの高倉健だから、ゆるしてやりましょう。
『君とボクの虹色の世界』は、いかにもパフォーマンス・アーティストが作った映画で、パフォーマンス・アーティスト「にしては」よくできたと言うべきか、あるいは、パフォーマンス・アーティストが作ったの「だから」この程度でもしょうがないかと言うべきか迷う。
現代アートの美術館のいかにもの(プリテンシャスな、知的武装をして気取った)キュレイターが冷笑されているのが面白かった。しかし、パフォーマンス・アーティストだけあって、最後はそれを帳消しにしている。苦労するねぇ。キュレイターなんかもういらないと言ってしまえばいいのに。