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2006年 02月 28日
●本日の「試写」はライブ
今月最後の試写に行こうと思ったが、永田議員の会見が放映されるというので、テレビのまえにすわる。2つの可能性があったが、予想されたように、内容のない会見に終始した。わずかに面白かったのは、頭を下げている時間が通常の陳謝会見よりもかなり長かったことぐらい。最初にそのなが~い平身低頭を見て、彼が、あらぬことも含めて問題メールの経緯をぺらぺらしゃべってしまう可能性は皆無だと確信した。
この結果、民主党の杜撰さや「危機管理」のなさへの批判がさらに高まるだろうが、そうした批判は、そもそも日本では「二大政党」などというものは存在していないことを忘れている。リアルポリティクスから見れば、政治はそれぞれ自律した2つの異なる組織の対立や拮抗のなかで動くのではなく、内部の無数のミクロな対立や関係で動く。冷戦にしても、世界政治は米ソの対立と力の均衡で動いていたわけではない。
自民党と民主党との関係もその相互関係のなかで、つまり両者をボーダーレスにしている側面から見なければならない。
かつて小泉首相は、「自民党をぶっ壊す」と言ったが、これは、いみじくも、いまの政治が「党」では動いていないことを示唆する。だから、場合によっては自民党もぶっ壊れるかもしれない。まして、民主党などは、いつぶっ壊してもいいような存在なのだ。
テレビでは、民主党が、誰にでも予想のつく「不手際」をみすみす行なったかのような批判がなされているが、民主党の政治家がそんなことを予測できなかったはずもない。
今回の事件は、自民党にとってだけではなく、民主党にとっても、民主党の前原体制を犠牲にしても守るべきものがあったのである。政治に「闇」があるのは当然だが、今回問われなければならないのは、自民党と民主党が共有している「闇」だ。
永田議員の発言と謝罪の意図と真相がどうであれ、彼が「堀江メール」を盾に発言をしたときと、民主党幹部にともなわれて「謝罪」をしたときの、まるで洗脳を受けたかのような変貌ぶりは、その「闇」(とりわけ民主党にとっての)の深さを物語る。
それにしても、会見のとき、新聞社やテレビ局の記者たちが、それまで紙面や番組でくりかえされてきた永田批判や民主党批判をはるかに下回るきわめて型通りな、批判性の皆無の質問しかしなかったのは不思議である。永田の対応は予想できたが、記者たちのこの態度は意外だった。どんな根回しと打ち合わせが行なわれたのか? 結局、マスコミも、「闇」を共有しているのである。
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2006年 02月 27日
●『Vフォー・ヴェンデッタ』を見た
イギリスのナチズム的な「全体主義体制」が生まれたという設定のなかで、怪傑笑い仮面があらわれて、体制を倒す。国会議事堂まで爆破してしまう小気味のよさに、こんなにやっちゃっていいのという向きもあるかもしれないが、むろんである。もう「全体主義体制」なんて、生まれっこないからだ。ネットワーク化した「帝国」の体制のもとでは、一点集中型の権力体制は生まれない。でも、だから何をやってもダメだと頭をかかえるドラマよりも、こういうほうが元気づく。
新橋で植草信和さんに会い、春の大学企画の相談。
href="https://utopos.jp/about_jp.html"jp/TKU/shintai/
■2006年 02月 26日
●シネマノート更新
ようやく夜型に復帰したので、持続的に仕事ができるようになった。勢いに乗って、書き残した「シネマノート」を仕上げる。まだ、『隠されて記憶』、『トム・ダウド』、『レント』が残っているが、一両日中に仕上げるつもり。
アムステルダムのデ・バリでSonic Acts XIというサウンド・アートのフェスティヴァルをやっているが、行けないので、ストリーミングを見る。知った顔がちらほら見え、ちょっとフラストレイション。
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■2006年 02月 25日
●天皇制のゆくえ
ラトビアのリガのアート・アカデミーのワークショップのためにビデオによる30分ほどのプレゼンをつくり、アップロードしたあと、テレビをつけたら、「朝まで生テレビ 激論 "天皇" "在り方" "未来" にいまこそ迫る」というのをやっていたので、少し見る。
大分昔、同じ枠で天皇制を議論していて、そのときは天皇制に関して賛否両論が出ていたが、今回は、出席者の全員が天皇制賛成なのには驚いた。賛成の人しか出さなかったのかもしれないが、郵政民営化などではあれほど対照的な意見が出たのに、天皇制に関しては世の中が統一されているかのようだ。
天皇制というのは、天皇の存在よりも、まず、あらゆる意味での変化には極力抵抗するという文化を象徴する制度である。だから、世の中が揺れ動くと、必ず天皇制が引き出される。しかし、この天皇制は、磐石(ばんじゃく)のようにつねにすでにそこにあったのではなく、それ自体が変容をとげながら、そういう「無変化」の装置として機能してきた。
結婚と結婚式のスタイルを率先して変え、「手本」を見せるといったことも天皇制の自己変容の一つである。しかし、妾制度を容認した結婚→一夫一婦制→核家族と来て、裕仁の見合い結婚から明仁(現天皇)の「恋愛」結婚へと進み、劇場型の結婚式を定着させ、さて、「キャリアウーマン」の妻を積極的に出しかけたところで「自己変容」にかげりが出た。
いまの時代、結婚や結婚式では斬新なことを出せないから、天皇制は、今後、別のことで「自己変容」しなければならない。それはなんだろう?
ところで、天皇家の存続という点に関しては、別に危機でもなんでもない。女帝論争もあったが、世継ぎなどいくらでもいる。もし、家の存続だけが問題なら、今後、女帝だけでなく、「養子」制度や先進的な人工授精や遺伝子操作の技術も動員されるだろう。家系を守るだけならば、方法はいくらでもある。
問題は、そんなことより、レジティマシー(国民を納得させる装置)としての天皇制の機能だ。つまり、「無変化」を無意識に説得する装置としてどこまで有効かということだ。何かがちょっと変わったかと思うと、すぐにもとにもどってしまい、本当の変化は逆説や外圧でしか起こらないというパターンは、今後ながく続くとは思えない状況だ。
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2006年 02月 23日
●『レント』を見た
いやあ、見せてもらって悪いが、途中で出たくなった。ブロードウェイのヒットミュージカルの映画化だが、そのひどさは尋常ではない。ずれ詳しく分析する。
すっかり心が疲れてしまい、通りがかりのインド料理店に入り、生ビールを飲む。壁の液晶モニターでは、トリノオリンピックの中継を映している。その反対側では、西洋人の家族と子供の友人たちの誕生パーティ。このアンバランスな環境の方が、先ほどの映画よりはまし。
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2006年 02月 22日
●『トム・ダウド/いとしのレイラをミックスした男』を見た
わたしには、オーネット・コールマンやレニー・トリスターノの録音エンジニアーとしてなじみのあるダウド。死ぬまで若々しいこういう人って、実に魅力的だ。
すっかり満たされた気分になり、試写のはしごはやめる。なんかテクノロジー的な都市環境に触れたくて、先日行ったばかりの秋葉原をまた散歩。
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2006年 02月 21日
●『隠された記憶』を見た
いつも通っているビルのなかに初めて行く試写室があった。CINEMART。そこにいたる地下通路のガラスごしに、女性たちがケーキを作ったりしている姿が見える。ケーキ屋の調理場かと思ったが、料理教室だとのこと。
ハネケの作品は好きだが、この作品は映画のなかの映画。久しぶりに映画らしい映画を見た気分。スクリーンと向き合った2時間のあいだにインプットされた記憶がさまざまな組み合わせでよみがえり、映画をみずから再構成しなおす。
ハシゴする気がしなくて、東銀座から地下鉄に乗って秋葉原へ。日米商事というジャンク屋には、「お嬢さま」をそのまま老人にしたような女性が店番をしており、部品の在庫を訊くと、「そこにあるから自分でお探しになって」てな言い方をする。昔はむっとしたが、いまは慣れた。1個100円はするコンデンサーが600個750円だったので、買う。「フリーラジオ」のワークショップで使うのだ。わたしは、かたくなに「フリーラジオ」の「フリー」は「自由」であると同時に「フリーチャージ」(無料)でなければならないと思っているので、ふだんから安い部品をストックしている。600個はちと多いが、100個ぐらいはすぐになくなる。
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2006年 02月 20日
●『明日の記憶』と『ニュー・ワールド』を見た
低気圧は出ているようだが、夜型に復帰して、なんとか窮地を脱する。
シメキリの原稿があるが、督促がないので、試写を優先することにする。メールの返事などでもたもたし、JRの駅へタクシーを飛ばす。外は雨。映画のなかの雨は好きだが、冬の雨は嫌い。
普通、東映のビルには、近日公開の作品の大看板があるのだが、『明日の記憶』のはない。5月公開だそうだから、これからか? 役者も有名どころをそろえ、渡辺謙も樋口可南子も力演だが、どこかつぎはぎの感じがするのはなぜか?
今日は、はしごの予定なので、またタクシーに飛び乗る。雨は一向にやまない。「東劇のそばの横断歩道のところで止めてください」と言ったが、反応が鈍い。おかしいと思ったが、ナビゲータで調べていたので、大丈夫と思ったら、「お客さん、東劇を過ぎましたけどどうします?」だって。おいおい。開映まで10分ほどなので、雨のなかを走る。
さすがテレンス・マリック。『ニュー・ワールド』とはアメリカのことだが、400年の時間を介在させることによって、いまのアメリカが行き着いた「文明」の愚かさを示唆しているともとれる。
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■2006年 02月 17日
●わたしは気圧計
どうも彼らしくない気がするが、「わたしは(時代の)地震計だ」とカフカが言ったとか、誰かが書いていたが、そんな意味ではなくて、わたしは文字通り「気圧計」なのだ。低気圧が張り出すと、ぐったりし、東京が低気圧の谷間に落ち込むと、ほとんど「死んで」いる。昨日からひどい状態だった。
ニュージーランドの夏の陽光のもとで無防備になったせいもあろう。今回はすっかりまいってしまった。こういうときには効くグラッパも泡盛もよくない。体がばらばらになった感じで、眠ることもできない。睡眠薬で眠ってしまおうとしても、それもなかなか効かない。全体が機能不全に陥るのだ。
北欧にいる友人に近況を伝え、世界中で絶対に低気圧が来ないところはどこかなと訊いたら、「知らないけど、ニューカレドニアあたりじゃない?」という返事。「もし行くのなら、いっしょに行ってサーフィンを教えたい」とのことだが、じょうだんではない。同じウェーブでも電波は好きだが、水の波は嫌いだ。
高気圧が張り出すのを祈願しながら床に横たわり、「千年の響」という泡盛に酔いしれている。
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2006年 02月 15日
●『ウォレスとグルミット』と『愛より強く』を見た
映画から帰って、コンピュータをのぞくと、先日呼んでくれたThe Govett-Brewster Art Galleryのキュレイター、メルセデスからメール。今回のイヴェントについてVISITという雑誌に書くので、メールインタヴューに答えてくれというのだが、読んでみると、その質問が、ほとんど、これまでのメールのやりとりや、彼女が企画の参考にしたAT A DISTANCEという本(MIT Press)のわたしの文章に載っていることばかり。フェイス・トゥー・フェイスで会ったときには、その記事は、わたしへのインタヴューをもとにして自分で書くように言っていたはずだが、それが、いつのまにか「メールインタヴュー」になってしまった。
「この原稿を書くためにあなたに合わせて夜型に変えました」というので、しかたなく、すでに書いている文章をカット・アンド・ペーストしたりして答えを作り、送った。が、次の返事で、さらに質問(それも、たとえば「"ミニFM"という言葉の由来とか、当然知っているはずの)が追加されて来た。そのなかには、けっこう高度な質問(ガタリの「分子革命」の行方はとか)もあるので、こちらもいいかげんにはできず、けっこう書いてしまう。こんなに書いて載るのかねぇと思うし、なんか無駄な感じもするが、しかたがない。
そうしてだ、「今日はずっと家で仕事をしているから個人メールのアドレスに返事を送って」とのことで、そちらに返信をしたら――それが、サーバートラブルで戻ってきてしまった!
彼女は、家ではコンピュータはやらないと言っていた。浜まで庭から歩いて行ける海辺の一軒家で、なぜかベッドが5つぐらいあるのだった。電話回線にモデムをつないだとしても、こちらのメールはサーバーまでは行くはずで、サーバーがはねてしまうというのは、解せない。
メルセデス問題はまだ続きそう。メールはただの道具でしかない普通の女性と、メールが身体の一部になっている変人男とのすれちがい。
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■2006年 02月 14日
●『グッドナイト&グッドラック』と『春が来れば』を見た
渋谷の東芝エイタテインメント試写室に来るときは、JRか地下鉄を利用するが、地下鉄を降り、階段を1階まで下りると、そこに丸テーブルがならんでいて、コーヒーをうまそうに飲んでいる人の姿がある。コーヒーがうまいかどうかわからないが、ちょっと寄ってみたくなるが、まだ試みたことがない。その代わり、問題の試写室のはす向かいにあるKEY楽器店にはほぼ毎回立ち寄る。見るのは、DJ関係の機材とエフェクター類だが、最近はめぼしいものに出会わない。この世界も行き着くところまで行ったのかもしれない。
サウンドアートの世界でも、ひところみたいに、一斉にMacをならべてまるでプレゼンでもするように「演奏」するスタイルがすたれてきた。といっても、それで投資し、スタイルを固めてしまったアーティストは、代案がみつからないらしく、この世界もマンネリに陥っている。
『グッドナイト&グッドラック』は、「赤狩り」時代の一コマを描いた良質の作品だが、非常に「国内向け」(アメリカ国内)という感じ。事情をよく知っていれば、なかなか面白い。それにしても、登場する人物たちが、みないまより「大人」に見えるのはなぜかな?
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■2006年 02月 13日
●『シリアナ』と『ぼくを葬る』を見た
映画のことを書かないことにしようと、タイトルの変更を考えたが、「シネマノート日記」と検索エンジンで調べると、すでにリンクがかなり張られているようなので、タイトルを変えるのをあきらめた。その日に見たタイトルを「題名」に記入し、内容は映画と関係なくてもいいではないか。
でも、映画名をふると、ちょっとはかかないわけにはいかない気分。『シリアナ』はなかなか「大人」の政治映画に仕上がっている。『ぼくを葬る』は、ネタバレになるので書けない笑えるエピソードがある。このシーンはぜひ一見。
銀座でSさんに会ったら、お仲間が先日パリで生牡蠣を食べ、当ってしまい大変だったという。寿司を食べて調子がわるいとか、最近、この手の話をよく聞くが、世界中で生物環境が変わってきているのではないかと思う。
渋谷に出て、Mさんと会食。生ものはやめようと思いながら、またしても金目のカルパッチョを食べてしまった。
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■2006年 02月 12日
●マドンナの「コッフェション」
ニュージーランドへ行くまえに書くはずの「マドンナ」論を一気に書く。最初ペースがあがらなかったが、夜になって調子が出て12,000字近くになってしまった。『ユリイカ』の萩原玲子さんの注文は30枚だから、丁度いいが、明日朝読み返すと、印象が変わり、廃棄したくなるかもしれない。
マドンナについては、1987年に『朝日ジャーナル』に頼まれて気を入れて書いたことがあるが、それを見たいと思いながら、見つからなかった。やっとわかったタイトルは、「マドンナのエレクトロ・パフォーマンス」で、『廃墟への映像』(青土社)にあとで収録していた。
書きながら、「批判」や「シニシズム」よりも「告白」や「懺悔」に時代に来たという思いが強くなる。
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2006年 02月 09日
●夏の箱から出られない
夏のニュージーランドから10時間ほどで冬の日本に帰ってきたので、人工的な保温と意識の持続のなかで続いている「夏の箱」から外に出るのがためらわれ、1日外に出なかった。メールや放置しておいた雑用に追われたこともあるが、ある意味では、引きこもりの軽い症状といってもいい。
で、ふと考えたが、今後は、このスペースに映画について書くのはやめることにする。ここに映画のことを書くと、「シネマノート」が手薄になるような気がする。この1週間、試写を見なかったので、おのずから映画とは関係のない「日記」的記述になってしまったが、このスペースを、当分(気が変わるまで)そういう方向で使おうと思うのだ。
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2006年 02月 08日
●妊娠と国家
この一週間近く、日本のニュースから離れていたので、成田に着いて新聞スタンドに踊る文字が「紀子さまご懐妊」だったのは、新鮮というか、奇妙というか、日本に帰ってきたのだなということを印象づけられた。
一人の人間が妊娠したり出産したりすることが、国家の方向を変えてしまうというのは、近代以前の国家ではあたりまえだったし、それ以後も結果的にはあったわけだが、そういうことをやめましょうというタテマエにしたのが、「近代国家」だとすれば、日本は、「近代国家」ではないということになる。が、そのくせ、テクノロジーや産業、そして政治システムのの方は、タテマエ上は、近代主義なのである。このへんが、日本の不可解さだ。もっと枯れた意識で、これを「面白い」、「ユニーク」だと思えば気楽なのだろうが、なかなかそうは思えないとことが、わたしの至らぬところ。
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2006年 02月 07日
●レクチャーと美術館
メルセデスと朝食をとり、部屋にもどったら、オークランドの「海賊」ラジオ局から電話インタヴュー。
今日は、オークランド・シティ・アート・ギャラリーの教室風のコンフェランス・ルームでレクチャーをすることになっているので、昨夜から準備していたが、中断。むろん、このレクチャーは、メルセデスが仕掛けたもの。レクチャーも美術館も嫌いだと言っておいたのだが、そんなことを気にしないのがメルセデス。すでに彼女の美術館の招待を受けてしまったのだから、わたしの美術館嫌いは気まぐれなものだと解釈されても仕方がない。
レクチャーには、オークランド大学の学生が来るのかと思ったら、来たのは、20数人のほとんどプロばかりで、終わってからの質問は的を得ていた。それから、マイクロ・ラジオ局 FLEET FMのインタヴュー。オーストラリアから来たという「美しい」女性がインタヴューしたいといってきたが、スケジュールにないので、メルセデスはやんわりと拒否。あとはメールでということになった。
3時すぎ、メスセデスは、スケジュール表どうりに、タクシーでわたしをArtSpaceへ連れて行く。ここも現代アートの美術館。ねぇねぇ、おれは美術館は嫌いだって言っただろう。ここのキュレイターのブライアン・バトラーに紹介するというのだが、わたしはキュレイターには関心がないんだよ。案の定、顔を合わせたこのキュレイターは、どこの国の美術館にもよくいるスノビッシュでプリテンシャスな感じの奴で、わたしは、顔を見たとたんに話をするのがいやになってしまった。だから、いっしょに来たアンドリューが自分の企画の話をし、「こういう場合AMの電波を使うのはどうでしょうね?」とわたしに訊いたので、「まずコンセプトがあって、それを満たす技術があるという発想は古いんじゃないの。テクノロジーは製作のマテリーであって、テクノロジーが違えば、表現も変わってくるでしょう。まずAMの送信機があって、それで何ができるかという方向い行くのがラジオ・アートじゃないの」と八つ当たりのような冷たい反応をしてしまう。
丁度よいことに、このとき、美術館のなかの火災警報のベルがけたたましい音をたて、みんなが外に出るはめになった。ギャラリーで準備をしていたベルギーのアーティストが強い光を使うとかで、火災センサーをいじったところ、誤報を出してしまったらしいが、そのため消防車が3台も飛んで来た。これもそうだけど、コンセプトがあってそれに環境を合わせるのじゃなくて、ギャラリーという環境と物理的条件があって、そこで新たに製作・展示されるのが、テクノロジーとアートとのこれからの関係なんだよ。どこへ持ってきても同じ「作品」というのは、もう古い。
先日のワークショップに来たデイビッド・ペリーは、オークランドの病院のMRIやCTスキャンのプロで、オークランドに来たら、是非現場を見せたいと言った。それをそばで聴いていたメルセデスは、彼の病院訪問もスケジュール表に書き込んだ。「すぐそばだから」と言われて、歩くこと15分。コンピュータの入ったわたしのバッグはけっこう重く、カツカツとハイヒールの音を立てて早足で歩く彼女についていくのがつらい。おいおい、おれは、そんなに若くはないんだぜ。
MRIの話になったのは、デイヴィッドが、MRIは、60MHzぐらいのFM波を出す送信機でもあると言ったことからだった。彼は、まず、コンピュータモニターが3台ならんだテーブルで、次々に患者のCT記録を画面に呼び出し、その3D画像を見せてくれた。ネットに載っているのは見たが、実在の患者の患部をスキャンした映像を自分で操作しながら見るのははじめて。膨大な数のデータをカテゴラズし、統合しているので、モニター上に一人の患者の身体が映像として実存する。
X線を使うCTと違うMRIは、X線の後遺症はないが、スキャン中の音は猛烈だ。デイヴィッドは、実際の患者がスキャンされているのをコントロール・ルームから見せてくれた。猛烈な音を緩和するために、患者はヘッドフォンをし、音楽を聴かされている。
メルセデスは、ニュープリマスへの飛行機の時間があるので、CTだけ見て帰った。一応、熱いハグで見送る。デイヴィッドは、「あと超音波エコーも・・・」と言い、その部屋に案内しようとしたが、人体の内部をさんざん見て、うんざりしてきたわたしは、辞退し、病院を去ることにする。
病院にジィタが迎えにきて、一旦彼女とパートナーのアダムのアパートメントに行く。途中で買った地ビールを飲み、ひと休み。メルセデスの話が出て、「あの人はメディアのことはうといけど、バイタリティがあり、そのくせキュレイターにありがちな気取り(プリテンション)がない」と彼女が言う。わたしも同感だ。彼女は、キュレイションよりも活動(アクティヴィズム)に関心があるのだ。硬い役所がバックになっている美術館に今回のような企画を突っ込むのは、かなり大変だったのだろう。
歩いてKロードの南インドレストランへ。去年あったノヴァもまじえてヴェジタリアン料理を楽しむ。ここでようやく、わたしは、気のおけない知り合いたちと自分の時間を過ごすことが出来たという気になった。インド料理に合うかどうか懸念しながら買ったピノ・ノワールがなかなかの味だったのも、わたしをハッピーにした。
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2006年 02月 06日
●オークランドへ
やっと自由時間ができたので、早朝、海辺のレストランでゆっくり朝食(ベーコン、黒キノコのクリーム煮、スクランブル卵、果物のヨーグルトあえ)を食べ、そのあと、街を散歩。ひと気は少ないが、巨大なスーパーに入ると、充実した食品や生活用品が大量にそろっている。どこへ行っても、わたしは、美術館へ行くよりスーパーを覗くことを好む。海岸つたいに歩き、潮風と陽光を楽しむ。
パスタの昼食と2種のアイスクリームのデザートの昼食を食べ、ふたたび歩く。また巨大なスーパーがあった。
とかくするうち、夕方になり、メルセデスとタクシーで空港へ。ちっぽけな空港にもVIPルームがあり、そこで飛行機を待つ。酒やスナックを自由にとれるようになっているが、わたしは満腹状態。
プロペラ機はあっという間にオークランドに着き、ホテルへ。例によってばっちりスケジュールを組むメルセデスの指示でバーへ。アーティストのアンドリューが来て、明日の打ち合わせと雑談。打ち合わせといっても、わたしは、やや引き気味なので、話より、たまたまとったピノ・ノワールの美味さに意識が向く。そしてもう1杯・・・。
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2006年 02月 05日
●ビジイ・デイ
今日は大変な日なので、しっかりと朝食・昼食を取った。3時半から「上級者向けのワークショップ」。ここでは、「マイクロ・サイレント・テレビ・プロジェクト」で提起している、ラジオ送信機とテレビ送信機とのボーダを撤廃する実験をやることにした。最初、ラジオ送信機を作ってもらい、成功した段階で、次の指令をし、たった2個の部品を追加することでテレビ送信を可能にする。さらに、アンテナの重要性を説き、その作り方を指導する。これは、なかなかインパクトがあった。
たちまち6時ちかくになり、ラディオ・アート・パフォーマンスの実演の準備。ギャラリーがもっているPA設備はあまりよくないのだが、引き受けてしまったのでしかたがない。オークランドからわざわざワークショプのために来たラジオ・アーティストが参加し、コラボをする。面白かった。
さて、それが終わってからは、公開の電話インタヴュー。しつこく言い、テストもした電話マイク(会場に聞えるようにする装置)の調子があまりよくはなかったが、1970年にボローニャのラディオ・アリチェでガタリに刺激をあたえたビフォ(Bifo)、ヴァンクーヴァーのウエスタン・フロントのハンク・ブル、ウィーンのクンストラディオのエリザベス・チマーマンにインタヴューし、ノマド・アーティスト・カップルのトニック・トレイン(サラ・ワシントンとクヌート・アウファーマン)に電話用の実演をしてもらった。
南インドにいるはずのディーディ・ハレックにも電話したが、ケニアに撮影に行き、ケータイを置いていってしまったとかで、出たのは夫君のジョエル・コヴェル。久しぶりなので、ついでにアメリカ批判を話してもらう。急なテーマの変更に観客はとまどったようだが、アメリカのグリーン・パーティの重鎮で戦略的に大統領選にも立候補したことのあるジョエルの話に聞き入っていた。
あとで感想を訊くと、やはりビフォへの興味がダントツだったが、それは、彼の独特の英語のせいもあっただろう。
クンストラディオがなぜ実験的なサウンドアートに関するすぐれた番組を維持できるのかというわたしの質問に対し、エリザベスが、それは、「アーティストといつも協同的に仕事をしているからでしょう」と答えたのは印象的だった。彼女の「キョレイション」で仕事をしたことがあるが、たしかに彼女は、ただの「キュレイター」ではなかった。
すべて終わり、関係者たちで打ち上げ。ピノ・ノワールをしたたか飲む。
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2006年 02月 04日
●大人のためのワークショップ
昨日は子供ということで、若干手心をくわえた。コイルや基盤は、あらかじめわたしが加工しておいた。今日は、大人の参加者なので、コイルも自分で作ってもらおうと思ったが、ひょっとすると大人のほうが子供より融通がきかないかもしれないと思い、コイルを加工することにした。
参加者のなかには、わざわざオークランドから来た大学教師や、昨年オークランドでやったワークショップに参加したアーティスト、クライストチャーチやウエリントンから来たアーティストなどがおり、土地の者よりも外来者が多いのだった。彼や彼女らは、知識的には昨日の子供たちより優れていることはたしかなのだが、手作業の器用さでは必ずしも子供らに勝っているわけではない。
大人は大体、送信機を組上げると、必ずといってよいほど、出力を上げる方法を訊いてくる。ミクロなエリアで送信することに意味があるわたしの現在のメディア・ポリシーからすると、到達距離を延ばすのは意味がないので、こういう質問には失望してしまう。そこで今回は、そういう質問と要望をあらかじめシャッタウトするために、DVDを使って「レクチャー」をした。
でも、送信機を作るということは、大人も子供も、区別なくある種「コンヴィヴィアル」(イヴェン・イリイチ)な状況を生み出し、みんながハッピーになるのはなぜだろう?
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2006年 02月 03日
●子供のためのワークショップ
朝からギャラリーに行き、ワークショップのためのセッティング。あわせてあさって行なうテレビ送信機のための準備をエンジニアのブライアンとやる。
昼まえ、地元の新聞のインタヴューが入る。今日のワークショプについてなので、ワークショップを見てからにしてくれないかと言ったが、今日中に原稿を書き、明日の号に載せなければならないとのことで、押し切られた。話ははずみ、ガタリの「分子革命」まで及んだが、そんなことが記事化されるはずもない。
13歳以下の子供たちにFM送信機を作らせるなどというワークショプはやったことがなかったが、どんな感じになるのかという期待もあって引き受けた。来たのは、13歳は1人で、あとはすべて小学生9人。大変なのを予想して10人限定にした。疲れきってしまって、残りの3分の1ぐらいをこちらが作ってやらなければならない子もいたが、大半が自力で作り上げ、電波を発信した。そして、わたしの言う「wireless imagination」を体験した。
習慣上、わたしのことを「テツオ」と呼ばせたので、「さん」とか「先生」とか、呼び方で気をつかわさせられ、いつも相手と自分の年令を意識せざるをえない日本とはちがって、年令差を感じなくてよかった。終わって、まとめていっしょに「ありがとございましゅー」なんて言って去るのではなく、一人ひとりが「ありがとう」を言いにくるのも、いい習慣だと思った。
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2006年 02月 02日
●ニュープリマス到着
オークランド空港で国内便に乗り換え(国際便から1キロメートルも離れている)、双発のDeHavilland Dash機でニュープリマスへ。こういう飛行機に乗ると、一応人間を人間として認める乗り物に乗ったという感じがする。飛行機は、プロペラ機で乗り物としての段階を終え、以後、人間を物品として運送する輸送機になった。
タラップを降りて、小さな空港建物を出たら、スペイン系の女性が笑顔で近づいてきた。メルセデス・ヴィセンテ。この街で唯一の現代アート美術館、ゴヴェット・ブリュースター・アート・ギャラリーのキュレイター。メールでわたしがさんざんゴネたのに、へこたれなかった超楽天家。
同僚のクレアの運転で宿泊先のホテルへ。海岸から数分のところ。ギャラリーともほとんど庭つづき。インターネットへのLANコネクションがあるのも気にいった。早速テストしてみたら、東京のわたしのサーバーへストリーミングも可能だった。
夏姿に着替えて、ギャラリーへ。すぐにスペースと機材の打ち合わせ。イヴェント「ミニFMからハクティヴィスツ――アートとアクティヴズムへの一つのガイド」は昨年12月から開催され、わたしは、その「ハイライト」として呼ばれた。展示をちらりと見たが、なんかわたしの知り合いのパーティといった感じ。が、多くは、ビデオ展示が多く、少しまえの「メディア・アート」展示のスタイル。
夜は、海岸に面したレストランで、このギャラリーの常設展であるレン・ライをキュレートしているタイラーらといっしょに会食。やはりレン・ライのようなビッグ・ネームをキュレートするようなキュレーターは、どうしてもプリテンシャス(気取った)印象を受ける。
http://artbash.co.nz/display.asp?thread_number=563
■2006年 02月 01日
●ひたすら眠る
成田からオークランドへの飛行機のなか。エンジンが動きだすと、わたしは、なぜかすぐ眠くなる。機種にもよるが、この日はBoeing 767。あまり寝てないこともある。くわえてアルコール。最近のお客はあまり飲まなくなったような気がするが、わたしは、ゲートにいるときから飲み、すこし赤い顔で搭乗することが多い。
飛行機ほど遅れたサービス空間はないと思う。食事はむろんのこと、機内で見る映画なんて、映画ではない。だいたいメディア論的にまちがっている。液晶であれ、スクリーンであれ、あんなちっぽけな画面には映画は向かない。実験映像か、ただの情報を見る端末にすぎないものを無理して映画用に使っている。
いまの飛行機の発想を少しエスカレートさせるなら、各乗客をカプセルに入れて麻酔で眠らせ、目的地に近づいたら目覚めさせるということになるだろう。そこまでやらない/やれないところにいまの飛行機の矛盾がある。